白峰三山の盟主は「間ノ岳」


今年も白峰三山に行った。2011年から毎年行って8回目。けど、天候やメンバーの兼ね合いで北岳だけのときも多い。間ノ岳・農鳥岳まで行ったのは4回目。今回の間ノ岳頂上で三角点の名前が「相ノ岳」になっていることに気づいた。百名山を選んだ深田久弥も著書で熱く語っている。「この名前はこの山に相応しくない。そもそも春の雪形が鳥に見えるのは農鳥岳だけでなく間ノ岳も一緒」だと。

 

4回目にして頂上で30分ぐらい過ごしながら夕日を眺める。

こういう時に答えは降りてくる。白峰三山を統括しているのは間ノ岳。

毎年登るべきだったのは北岳でなく間ノ岳なのだと。

 

確かに北岳は3193mで間ノ岳は3190m。けど、wikipediaにもあるように間ノ岳はもっと高い時期があった。富士山は山の中では新しい山なので、過去のある時点(最終氷河期)において日本の最高峰は間ノ岳。山体を見れば誰だって分かる。北岳と穂高は原理的にあれ以上高くならない。間ノ岳は頂上が「丘」というぐらい、どこでも山小屋つくれるぐらいにい広いから。なのにこんなテキトーな名前はオカシイ。それは以前からずっと思っていた。

 

白峰三山の次の週、木喰展に行く途中の道の駅「とよとみ」で地元の銘酒を見つけた。登山に行ったらそこの水で仕込んだ日本酒を買うのが楽しみだけど、白峰三山でやっとやっと見つけた。飲みながらよくよく見ると、このラベルは北岳じゃなくて間ノ岳じゃん。確かに小さい字で「北岳からみた間ノ岳」と書いてある。きたよ、当たり判定。

 

そういえばGoogleマップに載ったのも北岳は広河原農鳥岳は農鳥小屋の先、けど間ノ岳は頂上だった。あの時、気づくべきだったね。そしたら、ずっと間ノ岳メインで行っていたのに。。高さと名前に惑わされてた。去年だって台風後の氷点下の風が寒すぎて北岳のみの登山だったけど、知っていれば顔にフリース巻いてでも行ったぞ。

 

穂高・槍でなく白峰三山を選ぶ時点で変わってる。その上で、北岳でなく間ノ岳。変人二乗ぐらいになっているけど、己の中には道理がある。こうやってハマっていく。他人からはドツボに見える場所まで(笑 そんなの気にせず掘り下げる。間ノ岳という名前は仮。真の名前はちゃんと別にあるハズ。それを見つける事ができれば本当の山開き。ここまで書いてインスピレーション。このお酒の通りだよ。『大冠山』もしくは『白冠山』だね。冠という字は必須。あの3つの山は遠くからみれば冠に見えるから。両側が北岳と南岳なのだろう。他の山で冠という字を使ってないのも大事な点。お酒は「太」という字だが、「大」か「白」な気がする。ここら辺はまだ確信がもてない。冬季登山しないと判断できないかもね。結構ハードでびびってます。。この酒倉には何か言い伝えが残っているのかもね。

 

 

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木喰展で身延まで行けば、当然足を伸ばして奈良田に行く。2013年に縦走したときの終着点だけど、あの時は温泉の凄さも孝謙天皇の伝説も知らなかった。奈良田のすぐ手前に世界最古の温泉旅館として有名な西川温泉の慶雲館があるんだね。車で前を走りながらびびった。あのサイズの旅館で部屋数が35室ってありえない。そして藤原鎌足の息子が見つけたというならば、孝謙天皇の伝説は正しいよ。撮れた赤いオーブが答え。レンズが汚れているとか言う人もいるけど、ならば2枚連続で形が変わらない。。このレベルぐらいが間ノ岳の頂上で撮れるようにならないとね。そりゃもちろん今年も北岳山荘に行く途中で撮れたけど、何かが違うから。おっと、最後に大事な情報。奈良田温泉の秘密は尿素だね。肌クリームでは必須成分。あの温泉の良さは溶けてる尿素につきる。




富士山頂 幻の「コノシロ池」 



年に2回も富士山に登るとは、自分自身でもびっくり。

GWに登ったあとに調べていたら、山頂に幻の池があると知った。見るためには雪解けから7月前半まで。グリーンシーズンの富士山は10回登ったので、もう行くつもりは無かったが、池は見たい。何よりも「池の周りに経典が埋められていた」というのが気になる。名前の由来もかぐや姫どんぴしゃだから。

 

 

富士山火口内にコノシロ池という池がある。ここにはコノシロという魚がすんでいたという。ある時、風神に見そめられてしまった木花開耶姫は、この魚を焼いて自分の葬儀の煙と風神に思わせ、諦めさせたとの話が残っている。コノシロ池の魚を焼くと人を焼く臭いに似た煙を出すという

こちらではコノハナサクヤヒメになっているね。求婚を諦めさせるという点で同じ。かぐや姫自身がコノハナサクヤヒメの生まれ変わりなのだろう。

 

 

 

行く前からネット情報で「泥池にしか見えない」とは知っていたけど、この写真のように現物を見てみるとちょっとショック。ブルドーザーのキャタピラ跡が池を突っ切っているのもショック。上手に撮ればこちらのように逆さ富士になったのかな。。画像検索すると良い写真も結構あるね。

 

今回の登山は、、、弾丸登山で初めての昼11時に頂上。体験して分かった。弾丸登山は昼の12時までに5合目下山してバスの中で寝ないとダメ。下山中に睡眠不足から高山病になるとは。。これだけ何度も富士山に登って、あれだけの高山病は初めて。結局、夕方の最終の新宿直行バスに間に合わず、富士吉田駅に行き、タクシーで富士急ハイランドに行って、そこで30分だけ温泉入って、新宿行きのバスに乗った。同行者のペースを考えると前日18時ぐらいから登山開始すべきでした。5,6合目を丁寧に登ったので6人全員が登頂できたけど、皆が下山中の高山病で散々だったので。

 

 

 




スタートアップ思考と自分探しの旅

 

スタートアップ思考とは、第一ステップとして人生をかけれる目的を見つけること。
  自分探しの旅もそう。自分が打ち込めるモノを探してる。

 

1.2〜10年を費やしてもやりたいことがあって、

2.それがスタートアップという手段でしか実現できず、

3.タイミング的に今が最善だと思ったとき、

 

こう並べてみると、一目瞭然。前回、スタートアップ思考について書いたけど、自分探しの旅と似ている。自分探しの旅を否定的にとらえる人も一定数いるし、その典型的な意見はたけしの本に端的に書いてある。けど、サッカーの中田選手が引退後に「旅人」になったこと。同じ猿岩石時代としても、やっぱりちゃんとまとめたいと思っていた。

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手元に1万円あるとする。
  この金額を自由に使えるならば、結構な場所にいける。新幹線だと300kmぐらい。バスや青春十八切符を使えば日本横断まではいかなくて半横断ぐらいは移動。買い物だってそう。ブランド品でもなければ、色んな種類のモノが買える。

だから1万円の可能性って、モノ・移動レベルなら、かなりあるんだよね。
  ところが、手元に自由になる1万円があるとして、僕らはそんなにワクワクしない。1万円でワクワクできるのは小学生?中学生までかもしれない。

その一番の理由は、モノ・行動レイヤーでなく、意味レイヤーで判断しているから。東京から1万円で、名古屋/仙台/長野/新潟に行く。これは場所としては複数だけど、「同じ日本で本質的にどれだけ違う?」という問い。現地で名物を食べる。それぞれ旨い。けど、「名物を堪能したい」という目的レベルでは一緒。
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「毎日がつまらない」「休日にすることがない」等の感覚を持つ人は目的レベルでの喪失感を抱えてる。もっとキツク言えば、目的レベルで死んでいる。恋愛とか旨い食事とかに喜びを見いだせる人は良い。けど、「いつも恋人が欲しいワケでもない」「食えりゃーいいんだよ」「これとこれなんて本質的に違いないじゃん」が口癖の人ほど、目的死体になりやすい。けど、人間は全員が目的レベルで生きる必要があるワケでもないし、そもそも目的の衝動が強い人なんて一部。何よりも、超大前提として、目的レベルは衣食住が満たされた上での欲求だから。そこは最初に明確にしないとね。

 

そのうえで、たけしの意見の主要部分について考えて行きたい。

 

■「ああ、俺は日本に生まれて良かった」なんていうつまらない自己肯定でしかない
自分探しの旅では外国が選ばれることが多い。それは違う価値観・生活を知るため。もちろん日本の中でも都会・田舎では価値観が違うことが多い。けど、海外の方が明確な違いを感じることができるから。生まれた時からずっと与えられ続けたものは一度無くしてみないと感謝は生まれない事が多い。自己満足というからネガティブに感じるだけで、感謝の念を持つために一度海外に行くのは悪いことではないよ。ある意味、必須。戦後すぐに生まれて空腹感に悩まされたような世代がうちらをバカにするのも分かるけど、しょうがないじゃん、という気持ち。

「最近の若者は免許やパスポートを持ってない人が多い」というニュースはしばしば取り上げられる。うちらの世代からみたら異常だし、ネガティブを思うときもゼロではないけど、
々盥察疎膤悗里箸には既にネット社会でなんでも情報が手に入った
月に7000円程度の通信料を払う。
この二つの全体の時点で全然違うから。△了点で1年間で10万円近く。安い東南アジアなら行けるお金だから。そういう意味では、技術によって社会は大きく変わっていることは常に頭の片隅においておかないと。


■はっきり言うと、「やりたい仕事が見つからない」ではなくて、やりたくてもそれに見合った実力がないだけ。
これって、ほんと正しい。たけしに完全同意。というよりも、極論は以前にも取り上げたように「お金をもらえなくてもやりたいことがあるなら、空いた時間を使ってやれ」「努力は夢中に勝てない」

上記リンク先のスライドにポールグレアムの「他人には仕事に見えて、自分にはそう見えないものが、自分にとって最適な仕事だ」が記載されている。ホント名言。逆は悲惨だよね「他人には遊びに見えて、自分には仕事に見える」感謝も対価零で体と心に披露が溜まる。


これらを踏まえて、夢中になれるものの見つけ方について掘り下げていく。

 

■ちょっといいな、と思ったき「めんどいし次の機会でいっか」でスルーするから目的死体
こういう態度の人って「情熱100%でやりたくなる事にいつか出会える」と思ってる。そのくせ、本人はこの思いを言語化できないことが多い。そんなワケねーよ。今、情熱100%で取り組んでいる人も、そのテーマに最初に出会った時に「これは、俺の、100%だ」なんて思ってないって。みんな一歩ずつハマっていくんだよ。

自例で申し訳ないけど、珈琲で商売してないポジションではかなりやりこんでるけど、最初から自作焙煎機を作って週に600g焙煎したワケでもないしね。登山も上から順に2800mまで45座を登って、今は雪山にも行くようになったけど、最初は富士山登山のみだしね。

 

かつ「楽しいだけの世界はありえない」
楽しさを売りにしてお金をとる遊園地は別よ。それ以外はめんどくさいとセットなんだって。遊園地だって待ち行列長いこのご時世なのに「めんどいし次の機会でいっか」とか言われると、「もったいない」よりも「呼吸は面倒?」と言いたくなることも。

「ちょっといいいな」のレベルの出会いですら、年に1度も無いよ。特に社会人になって仕事メインになると、それ以外のやる事に出会う時間も費やす時間も減るから。それに、常に良い体験ばかりではない。散々なこともある。たとえば登山。最初の富士山が絶景でもそのあと3回登山すれば、確率的に一回は絶対に雨。だから一番大切な態度は「ちょっといいなと思ったら、一定時間と一定金額をかける決断をその場でする」ことにつきる。


この時間と金額は学生〜社会人で割合が変わる。今なら5万〜10万円と土日で4日間ぐらいかな。たとえばカートを趣味な人が同僚にいる。ちょっと興味がある。もし最初にやってみて「お」と思ったらこれぐらいは費やす。じゃないと2,3回目にやってくる「うーん」の体験で、結局やめるから。まるで体験○○の積み重ね。それだけじゃ体験人生になっちゃう。


■目的レベル中級に行くためには、ハマった理由の掘り下げ
一定数の経験を重ねて趣味欄にかけるようになったとしよう。次のステップに行くには、「なぜそもそも自分はハマったのか」の掘り下げ。「なんでやってるの?」「楽しいから」以上の答えは、どこかの場面で絶対に必要になる。じゃないと越せない壁があるから。

 

■目的レベル上級に行くには、XXX
このXXXはまだ分からない。そもそも自分が体験してないことは理論化できないし、自分が目的レベル上級にいるかどうかも謎。そりゃ珈琲だって登山だって音楽だって後進育成は心がけてる。それなりにコスト・時間を費やしてちょっと興味がある人に良い出会いを提供しようとしている。けど、これは俺が思う上級ではない。上級はもっとアバブな世界。


■ちょっといいな、はどこから生まれるか
掘り下げ方を変えて、この問いを考えたい。僕の結論は下記。

 ―藉値の微妙な違い
 ⇔匹ぢ慮海鬟札奪謄ングしてもらえた
 心の欠損

 

,亮例は飲料だね。なぜかわからないけど、食後のお茶をおかわりしてたのは家族の中で僕だけ。中学校のころだ。そして高校の時は貰い物の紅茶を飲み比べてF&Mに落ち着いた。大学はとことん飲んだ。だからこそ自家焙煎珈琲屋で気合いが入った。この道には誰も先達はいない。疑問点を聞く人もいなくて、常トライ&エラー。けど、そのきっかけはほんと些細なこと。最近は口の中の乾燥度合だと想定してるけど。

△砲弔い禿仍海世茲諭ホント仁藤さんにつきる。感謝してます。

はBlack Musicだね。詳しくはBlog1のここに素直に書いた。

 

そして、,話でも持ってる。△呂曚鵑判于颪い留燭世ら。けど、ゼロの人は絶対にいないよ。もしゼロだと思うならば、周囲に心を閉じすぎじゃないかな。は無い人も多い。いいよ、なくていい。無理してまで持つもんじゃない。糞男(だめンズ)と別れなかったらすぐには達成できるけど、分かれた方がいいです。どうせ、人生は、どうあがいても、どれだけベストをつくしても、いつか傷つく場面はある。だから、むりに傷つかなくていい。

 

毎年、新人教育を担当していても、やっぱり学生時代に打ち込んできたモノが有るか無いかの差は大きいと感じるから、なるべくなら若いうちに見つけておいた方がいいよ。

 

 

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昨日、今年の選抜研修の事務局で出勤してたけど、NPO/NGOセッションは興味深かった。仕事の中で一番勉強になる。今年は特に倉辻さん。大学生のときフィリピンのスモーキーマウンテンに行って決心。卒業後はリクルートで修行してNPO設立か。ほんと凄い経歴。今やアメリカのトップスクールでは卒業後に金融業とかでなくNPOを選ぶ人が増えてると聞くけど、零から立ち上げる方がもっとすごい。それを日本で達成するか。。


ますば外の世界をみること。大学時代は南米〜中米をバックパッカーで歩きたくて、だから第二外国語もスペイン語専攻したのに、二度の入院があって、古武術にはまって。

 

けど、やっぱり勇気も器も無かったんだね。だから今でもそういう人に会うと、あの当時の不十分さを痛感してかなり落ち込む。結局、2008年に新婚旅行でメキシコ。なんか一世代前の感がするね。。単に嫁の趣味がダイビングで、モルジブ等にも既に行っていたからカリブ海が希望⇒カンクンとコスメル島。


仕事が忙しく一年後になったので二週間(現地約10日)残りの5日間は旅行会社から提案されてマヤとアステカのピラミッド。「そうじゃん中学時代からずっと中米・南米古代文明に興味あってスペイン語専攻にしたんじゃん」と即決。最初の想定から随分と遠回りしたけど、やっぱり縁がある場所というのは、いつかは訪れるようにプログラミングされているのかもね。

 

ちょうどマヤの暦が終わる件で盛り上がっていたからムーを読みだして、3年で話題がループするのに飽きて、ネットでもっと興味深い情報探して今の場所にいる。位山も分杭峠も他のパワースポットも色々行ったなぁ。国東半島の核はほんと良かった。不動明王も東北〜九州まで主要作品は見た。今年も木喰の展覧会に行って、岐阜に円空の足跡尋ねて。笠ヶ岳は円空開山だからこそ、冬に行きたかった。。せっかく誰もいない登山だったのに。あそこで頂上に立てれば、かなり前に進めたのにな。。今回は生きてるだけ感謝というべきか。

 




発達障害とスタートアップ思考=マイルドなカルト

就活サイトで見つたときから気になってた借金玉さん。なんと最近、著書がアマゾン読み放題になってるじゃないですか。さっき見つけていま読んでます。ひさびさの胸アツ。スゲーためになる。1%でも発達障害ある人は全員読んでいい。

 

戦前は今の数倍の個人事業主がいたから、その中のある程度の割合の人は今日のような会社勤めが合わなかったと思う。こういう病気はそもそも病気なのか、できる人の方が異常でないのか?、単に生まれた時代や社会とのミスマッチでしかない。とも思ってる。

 

僕はジョブスではない

と気づく大切さ。確かにジョブスも特異な性格。凸凹の凹がなくなったのはアップル追放されてネクスト立ち上げて、アップルに復帰出来てからでしょ。だから他の発達障害の人が凹を埋めれるようになるのが30才であっても当然だと思うし、埋める作業の一つとして借金玉さんはこの本を書いたのだろう。

 

自分と照らし合わせても、その気持ちスゲーわかる。音楽レビューサイト作ったら、定期的に読む人ができて、その中の誰かがYahoo!に推薦してくれた。今となっては想像つかないと思うけど、Googleが広まる前はYahoo!に登録されることがステータス。喩えるなら、お姉さんが勝手に写真送っていつのまにかジャニーズのオーディション受かってたレベル(笑)

この出来事があったから、まともな社会人になれた。なかったら本当、途中で失敗してたと思う。望外な良いことがあったら、初めて自分の欠点と真に向き合える。自己評価マイナスの時に欠点に向きあうって、経験上不可能。。対人関係のスキル改善には数年かかるし、仕事でもコツが見えてきて評価されて、ご褒美旅行でアメリカ研修行ったのが29だったから。

 

 

そしていま、再び思考をスタートアップにしていかなくちゃいけない。ピーターティールは言った。「スタートアップはマイルドなカルトに近い」と。大学生で1人暮らしの頃は生活自体がマイルドなカルトだった。テレビなんて年に10時間程度、ネットなんてベッコウアメしか無い時代。それでも片っ端から本借りて浴びるように読んでた。頭疲れたら古武道の稽古か、音楽聴いて。


もちろん今でも凸の部分はキープしたいから、富士山に12回、二位の北岳に8回行ってるけど、やっぱり普通の社会人生活をする中だとエッジをKeepするのは半分もムリ。体感的には頑張って15%ぐらい。

 

借金玉さんは発達障害の人が普通の社会人生活を送るための方法論を書いた。それの逆も必要なのでは? 普通の社会人生活を送れる人がマイルドなカルトぐらいに突き詰めるための方法論。

 

 

あたまの片隅でそんなことを考えながら、本読んでます。

この本読んでたらヒントがみえてきそうな予感。




15の夜にGEB:ゲーテル・エッシャー・バッハ

ホフスタッター(著者)はこの本(GEB)をどんな人たちに読んでもらいたいかという質問に、

「わたしが15歳の頃に興味を持っていたような事柄に関心のある、15歳の頭のいい連中」


おいおい。。15でこの本を理解できたらペイジとブリン(Google創業者)を越せるだろ・・・

 

圧倒的な名著です。20年前、僕が20の頃から名著の誉れ高かった。これを15で読むには幸運も必要。この本が転がっているような家に育った子供にとっては日本の大学受験なんて歯磨きぐらいの難易度かもね。本の名前のとおりこれだけ複数の領域(数学・絵画・音楽)にまたがる内容だから、文系とか理系とかそんな乱暴な分類に己を規定する人は絶対に手をとらない。

 

Deep Learning狂騒曲を冷静に見れず、「G検定とりたい」とか思っている人達はどっちでもいい。ちょっとでも調べれば、ニューロコンピューティングには二つの超えるべき山があり、Deep Learningはそのひとつにしか答えてないことは分かるから。それについて書いてない時点で、巷のDeep Learning関連本は問題外。松尾先生もまずここから書くべきじゃない? 期待値コントロールとか言う前に。Deep Learningの創始者のヒントン先生は、最近チャンクと言っているんだって? 直感的に狙いは正しいと思う。けど、チャンク構造にマッピングすることと、記号が立ち上がってくることの間は、かなりの距離があると思うけど。

 

この本は20の頃に買った。学生に5500円は高かったが・・・。自力でこの本の存在を知り、そして買っただけでも褒めて欲しいという思いもちょっとあるぐらい。読んだ。何ヶ月かけたかも忘れた。そして本棚に仕舞い、、、、10年に一度ぐらい読み返していた。気づいたら、著者がこの本を書いた年齢(34歳!)を超していた。げげげげ。落ち込むわー。それに、未だに全部理解できないんですけど。。

 

と思っていたら、昨日の仕事関連で行ったカラオケで「15の夜」を歌っているのを聴いた。曲を全部通して聴いたのは初めてかも。15歳前後のときヤンキーしてたA(前回の記事の登場人物)が教室で鼻歌してた記憶しかない。「盗んだバイクで走り出す」なんて、ほんとそっち寄りの少年の心わしづかみ。Aも同じ様なことやってた記憶。もし、あの時、僕がこの本を手にしていたら、今頃はベンチャー作って成功してたのだろうか。

 

と、夢想してしまった。。

それぐらい15歳という時は、何かのターニングポイントなのかもね。アメリカでも日本でも。

 

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落ち込んでもしょうがない。

この本を完全に理解して、その先に行かないと先は無い。Deep Learningにおけるテンソルとか数学理論なんていいわ。そりゃ理解できてないけど、理解する必要性すら感じない。どっちが山の頂上に近いか。そしたら間違いなくこの本。この本の先に道は続いている。

 

やっと分かった。

 

・意識があるから自己言及できるのか

・自己言及できるから意識が生まれるのか

 

自己言及の具体化としてGとEとB。それらの相似性。けど、この本のコアはここ。そして、まだ本は最後の90Pあるけど、これがこの本を超すための視点なんだと、やっとわかってきた。。

 

同時という答えもあれば、スパイラルという答えもある。けど、スパイラルであったとしても、基点はどっち? この本にもちょっとだけ書いてあった。自己言及の前に自己の範囲の確定だろ。そっちが先。物理的には自明だと皆が思ってる。

 

違うんだって。自分が持っている道具は自己になるんだよ。たとえば車とか。だからこそ、事故を起すような老人から車を取り上げるのが難しいんだって。もうひとつ。なぜ自己言及するか。食物連鎖の上にも下にも自己言及は必要ない。そんなのする前に食うか食われる。したら結果が良くなるワケでも無くて単なる無駄。結局、自己言及は同種間におけるSEXと闘いのため? やっぱり自己言及の必要性も追いかけないと。

 

 

 

尾崎豊の「15の夜」に惹かれる15歳の少年がこれからも沢山いることと同じぐらい、GEBに惹かれる15歳の少年も沢山いるだろう。同じ少年が両方に同時に惹かれることは、金メダルとノーベル賞を両方取るぐらい難しいとは思うけど。15の夜を褒めるネットの情報と同じぐらい、GEBを褒めるネットの情報も必要。それが、産業立国として日本が世界で戦う基盤になる。

 

 

 

とおもって、まずはここまで。

 




ラブストーリーとしての3億円事件

「3億円事件の犯人は私」小説投稿サイトに掲載された告白文が話題

    ・小説投稿サイトに掲載された「告白文」が、ネット上で話題を呼んでいる
     ・3億円事件の実行犯を名乗る人物が、事件の「真相」を告白するという内容
     ・ネットでは、「本当に本人なのかな」と期待をかける声も上がっている

というニュースをみて、気になってついつい深夜1時までかけて読んでしまった。一気に読ませるという意味でもナイス。

 

こちらです。純粋に読み物として面白いよ。

だから、これについて感想を書きたくなった。そもそもこれが本当の話なのか創作なのか、ラブストーリーとしてのポイントはどこか。そんな諸々。

 

・最愛の妻、京子が交通事故で死んだからこそ、事実を伝える気になったという心の動きは納得
 ・省吾が自殺した理由が三角関係、というのも腑に落ちる
 ・事件が起きたとき、三神は犯人が誰かわかるハズ
   ⇒三神は主人公を庇って警察には言わなかった?

・ここまで密接に交流していれば警察が省吾の交友範囲を洗うなかで、主人公も見つかるのでは?アリバイはどうしたの?
   ⇒京子が省吾から白田に乗り換えただけであり、省吾と白田は知り合いでなく、

   省吾は京子と犯行をする予定だった。この場合、省吾の自殺と、真犯人が捕まらないことが両立するから。

・本当に三神は実在するのか。小説上の登場人物ではないのか。三神がいなくても全ては成り立つ。三神の存在自体が文学的装飾かも。

 

ここら辺が冷静に分析した時のスタンスです。以前にも3億円事件はwikipediaで読んだ事がある。自殺した青年(省吾)こそがキーマンだと誰でも分かる。この小説は省吾の自殺の理由が恋愛(三角関係)になっていて、それが面白い。恋愛小説で三角関係はありがちだけど、その描き方。どこまで腑に落ちるか。これだけ本を読んでも小説は全然読まない。特に恋愛小説は。村上春樹以外の小説は全く読まない。今回、これだけ読んでしまったのは、妙に似てると思う。主人公(白田)の立ち位置が特に。

 

\い涼罎砲麓膺邑のような、「相手が別の人と付き合いだして初めて好きだったことがわかる」タイプの人が一定数いる
   ⇒人が本気で動くきっかけ、そもそも自己の本気に気づくトリガーは多様であり、相手を失う(相手が他の人と付き合う)形でないと気づけない人もいる

付き合うのに相応しい人と、結婚するのに相応しい人は別。ヒロインにとって省吾は前者であり、主人公は後者。
主人公が抱える自己への想い・焦燥感はある種
の共感を生む。一言でいえば「天井の低い部屋で住む感覚」

ぞ霰をかける対象(人・もの)に出会ったことがないか、情熱をかける勇気がないか。誰もがいつか自身の天井を突き破る必要がある。

 

何のとりえも無い人生。小学校〜高校までにクラスで賞賛されたことがない。そういう感覚。それをずっと「天井の低い部屋」だと思っていた。高さ1mの部屋で常に背を丸めてる。現実には中二階か屋根裏の物置ぐらいしかこんな場所はない。人が住むには異常すぎる空間。けど、精神的にはこういう空間に住んでる人は多い。小学校のころは何一つ得意が無かったから、体感として良く分かる。

 

,發修Α「好きという自覚」は誰もが自然にできるワケでもない。そもそも「好きになる」という事自体が手探り。小中学校のころなんて、特に独自の価値観もないから、なんとなく人気者をなんとなく好きになっているだけの状態の人も多い。分かりやすいのが高校時代の同級生。高1のころに同じクラスだったけど「中学時代に16人から告白された」という伝説を持ってた。凄いイケメンではなかった。高1のクラス文集では「カッコいい男性」のTOP3ではなかったような(3位タイかも)。もちろん最終的にSonyに入社したぐらいだからデキルのは間違いないけど、大学は地方国立大だったような。「凄い仲良し」でもなかったから、突っ込んで話したことはない。けど、中学時代に16人から告白されたことについて、ブームみたいなモノとして冷静に理解してたのは確か。それぐらいの人間的魅力は当然あった。結局、彼は高校時代に彼女を作ったんだっけ?近くの女子高に通う娘と付き合ったという記憶が、この文章を書きながら思い出し始めている。

 

個人的な体験でもそう。中1の頃に良く遊んでいた友達Aが、クラスの女子Yを好きと言った。そしたら、なんか妙にそのうち僕もその娘を気になるようになって、1年後に別の友達Cに聞かれたときにYの名前を言った。そしたら、今度、そいつもそのうちYを好きになって、付き合い始めた。CとYが付き合っているのを中3の卒業旅行で知ったAはその晩に泣いてた。その泣いてたAを見て、涙が出ない自分自身が妙にショックだった。そもそも第一印象はすごい美人ではなかった。だから僕がAから聞いたときは「へー」ぐらいだった。Cが僕の発言を聞いたときも「へー」だった。けど、一旦そういう視点で見ると良い点が見えてくるというか・・・。最終的にそれぞれ別の高校に進学したけど、高校時代にその娘はめちゃくちゃモテてた。練習試合に行った時に向うの選手と雑談してたら「えー○中出身。じゃあYさん知ってる?」から始まって、今は20人近くから告白されてると教えてもらった。

 

二十歳のころはたまに考えていた。本当にYのことを好きだったのは誰なのか。Cじゃないことは知ってる。Cとは幼馴染だし、二十歳の頃に飲んでるときも「Yの妹の方が美人」とか言ってたぐらいだから。僕じゃないのも分かる。それは中3のあの夜に痛感した。結局、Aなんだよ。そしてAがいなかったら、高校卒業までにYさんは告白されても1人ぐらいのレベルだったんだと。

 

そういう意味では、ある種のライン以上の顔の作りであるかぎり、モテル/モテナイは最初はちょっとした偶然から始まって、ウイナー・テイク・オール?収穫逓増?なループが発生しやすい、と思ってる。クラス文集で常にクラス1位になるような男女は別。あくまでも3位〜10位ぐらいの人達。その人達に顔の作りの差なんて無いのだと。

 

 

この小説の白眉は三神さんに告白されたときの主人公の言葉

 

「うん。三神さんが僕のことを好きでいてくれてるって初めて知った時、正直言うとどうして良いか分からなかった。

 だけど……。それと同時に、僕は生きてても良い人間なんだなって思えたんだ」

「おいおい、それは大げさじゃねえか?」

 呆れるように省吾は言いました。

 

 構わず私は続けます。

「今まで何かを成し遂げたり、誇れるものがあるわけじゃない僕だけど……。

 でもそれで良いんだって思えた。三神さんに好きになって貰えてる間は、僕は大丈夫なんだと思う」

 

 それは……、事実でした。

 三神と付き合っている時の私は、以前よりずっと自信が付いていたのです。

 その自信の根拠は彼女からの好意——誰もが羨み、目指し、憧れる人からの愛心は私に強烈な生への自負を与えてくれたのでした。

 ——まるで自分が、三神のような特優の人間になったかのように。

 

この文章を、村上春樹は書いたことがない。このコアをわざと書かずに周辺をとことん言葉にしている感覚。やっとコアを言葉にした文章を見つけた。これだけで、僕は満足です。だから、この小説が真実かどうかはどっちでもいい。「キスした瞬間に、自分のことを好きじゃないと気づいた」場面も凄く良い。本気で好きならば、キスしたら相手の本気は分かる。それがKiss Testだから。個人的には、京子じゃなくて三神と最終的に一緒になってほしかった。3億円の決行をやめて三神のところに行って欲しかった。どんな恋愛小説でも全員がハッピーになることはない。誰かがハッピーになって、誰かが深い傷を抱えて、終わる。

 

もし、この小説が全て真実ならば、三神は誰が犯人か絶対に分かるし、それを警察に言わなかった時点で、京子を選んだ主人公さえも庇った切なさがある。そして60歳を過ぎて、京子が交通事故で死んで、事件を告白する気になった主人公。ここには確かな主人公の気持ちがある。この交わることの無い二つの想いの存在がこの世の真の切なさ。

 

そこまでが描けているならば、作品として一流といっていいのだと思う。これが、うちのサイトの結論。

AとCとYのこと。そして天井の低い部屋にいる感覚。僕は天井を突き破ったというよりも床が抜けただけだが、そこで四苦八苦してたらある種の個性なんていつのまにか勝手にできてた。そんな部分はずっと書く気がなかったのにね。引っ張り出された感覚。

 




ラズパイNASでレグザと繋げる

2011年にLANDISKのハッキングに失敗して7年間。家のレグザもHDDが一度死んで復旧できず、撮り貯めておいた山岳TVやファーストガンダムを全部無くした。ガンダムはDVDレンタルでもいいけど、山岳TV番組は数年後に再放送とか無いからさ。。それ以来、かなり丁寧に運用していて、先日HDDが満杯になったのでラズパイを買ってNASにしてデータを移動させた。思った以上に時間掛かった。結構大変。。色んな方のサイトを参考にしたので、御礼の意味を込めてメモしておきます。

 

 

■Sambaとレグザの連結

今のラズパイはSamba4が入ってる。けど、これとレグザ(37Z7000)の相性が悪すぎる。ネットには色々と設定方法が書いてあるけど、全てが上手く行っても転送途中にいきなりコネクションが切れる。エラーも出ない。意味不明。やっとわかったのは、当時のレグザはSMB1での接続。なので下位互換が不十分という結論。最終的には以下の設定になりました。

---------------------------------------------------- 

[global]
dos charset = CP932
unix charset = UTF-8
workgroup = WORKGROUP
wins support = no
dns proxy = no
server role = standalone server
map to guest =  Bad User
unix extensions = no
#nullpasswords = yes
wide links = yes
guest account = nobody
ntlm auth = yes
#interface 192.168.10.0/24 eth0

max protocol = NT1
ntlm auth = yes

#log level = 2
debug timestamp  = yes

 

keep alive = 300

deadtime = 5

 

load printers = no
printing = bsd
printcap name = /dev/null

 

[smb]
        path = /media/samba

        force user = root

        browseable = yes

 

        read only = no
        guest ok = no
        writable = yes
        #public = yes

---------------------------------------------------- 

太字は探せば出てくる大事な情報。けど、最終的には赤の行が無いと1時間番組を移動中にコネクションが切れる。。普通のLinux上でSamba動かせばいいのかもしれないけど、ラズパイは100MのLANだから。ネットではわざと以前のVersionのSambaをインストールしている人もいるみたいだけど、この設定をすればSmaba4でも普通に動く。

 

 

■レグザで必須のファイル

ある程度、保存したい番組(グレートトラバースとか)を移動させたあとにハマった。誰だよ、3つのファイル(dtv,meta,rat)があればOKって言ってる奴は。。ちゃんと探すと「.toshiba〜〜〜」が必須な事が分かる。結局、この人が一番正しい。このファイル、ログしかないと思って消したのが命取り。。この中の did.binとalkf配下のalc0000000.bin が必須。ここに復号?のキーが格納されているっぽい。フォルダつくってファイルを整理できるけど、ルート直下の.toshiba(ドット東芝)フォルダが必要だから。

 

気づいた時には一度消して、新しい.toshibaが出来ていた。単に消したファイルならリカバリソフトで復元できるけど、上書きファイルというか、一度消した上で新しい同名ファイルができているど、全然復元できない。昨日の夜からずっとこの対策中。。せっかくJoJoの第4部を撮り貯めていたのに。。グレートトラバースも。。かなりショック。

 

 




北岳含む白峰三山が東京:川崎で見える場所

以前に家から北岳が見えると書いたけど、深田久弥の『日本百名山』を読んだら、普通に書いてあった。ずっと知らなかった。。

「六郷川鉄橋を渡るあたりで、もしキリッと空気の澄んだ日であると、眼を北の空へやることをわすれなかった。そして彼方の青空に、純白の山が三つ並んでいるのを見逃さなかった」(新潮文庫P416)

戦前から有名なんだね。深田久弥の先輩にあたる木暮理太郎の『望岳都東京』にも書いてあるのか。こちらは青空文庫で読めるのでLink張っておきます。「見える」とはいっても、富士山みたいに目立つわけでなく、こんな感じで手前の東京・山梨国境の山々と同じぐらいの高さ。だから、ちゃんと知らないと全く気づかない。

 

北岳と六郷土手駅を線で結んで見ると、確かに家はその線から100m以内だから。ここに引越した時は富士山しか登った事無かったから、全く知らなかった。北岳に2回ぐらい登ってから、冬の晴れたある日、ベランダから「あれ?」と思ったのが最初。ポイントは間ノ岳から農鳥岳までの稜線だよね。ちょっと角度が急だから。

 

とりあえず線を羽田空港まで延ばしてみたけど、対岸の千葉でも見えるのかな?さすがにその距離になると肉眼では見えないかもね。 僕は毎朝起きたら部屋から富士山と白峰三山を見るのが日課。とはいっても富士山が年に30%。白峰三山は年に5%ぐらいしか見えないのだけど。。極稀に富士山は見えないのに、白峰三山だけ見える特別な空がある。そんな感じです。

 

東京と山梨の県境の平野部分が狭いから、東京の殆どの場所では北岳は見えない。この線のとおり、どちらかというと川崎市の方が見える場所が多い。けど、前に新宿から高速バスで箱根の金時山に行ったとき、用賀を過ぎたあたりで白峰三山が見えた気がしたんだけど。。高速道路の、それも高速バスの車窓からなので、それなりに高い建物じゃないとだめだと思うけど。興味ある方は二子玉川の高いビルからぜひトライしてみてください。

 

 




佐藤航陽 - 『お金2.0』

これが佐藤航陽の実力か。。びびった。

魚川さんのことは素直に認めれた。けど、ICTスタートアップの会社の方がコアに近い分だけ、エゴが邪魔する。40歳を超したら、どれだけ年下で尊敬できる人を見つけるか、だけなんだね。

 

数年前に田原総一郎が気合いれて日本のベンチャー企業をインタビューしてた。ホリエモン〜Gree、ドワンゴ、メルカリに続くベンチャー群の社長たち。その中で一番凄かったのが佐藤航陽。それ以来、ずっと気にしてたけど、ここまでとはね。。

 

佐藤さんと同じレベルの経験を重ねてここまでの結論に到達した人は日本に10人もいないだろう。それぐらいに凄い。精神面での新しい時代は魚川さんが作るけど、生の経済は佐藤さんが作る。

 

間違いない。

この前の坂爪真吾氏もそうだけど、、ほんと面白くなっているね。この3人の本を読めば、狭い世界で悩むのが超アホらしくなるよ。それだけのレベル。




山に登り、山で死ぬ。高さでなくルートで競う時代の危険さ

 

まさか会社でも聞かれるとは。それだけ栗城氏は有名だったのだろう。「死んじゃいましたよね」「え、ホント。あの栗城が?」とついつい仕事中の雑談時なのに、声のサイズが一回り大きくなってしまった。もしかして登山家としては一番有名なのかも。実績から野口氏や竹内氏の方がメジャーであって欲しいが。。。雑談している相手は感情理解力が高いから、「え、なんかありました?」と聞かれてしまった。

 

 

「栗城はねぇ、登山をガチでやってる人から見ると微妙な位置づけなんだよね」「え、そうんなんですか」

 なぜ微妙なのか説明するのは難しい。だから家に帰って探して、この記事を見つけたときは嬉しかった。

 

「登山をショービジネス化した」

といのは本当に素晴らしい一言要約。もちろんイモトもそうだけど、誰もイモトを登山家とは思わない。けど、栗城氏は登山家だから。無酸素登頂の意味をちゃんと調べれは、すぐに彼の謳い文句に「?」がつくことは分かるけど、登山に興味が無い人は調べないよね。もちろん00年代からの急激なICT機器の発展に合わせて、登山をダイレクトに届けたのは凄く価値がある。上の世代はこういうことに生理的拒否反応をする人も多いから。

 

別にショービジネス化が悪いことじゃないし、(山でゴミ捨てしないとかのルールさえ守れば)どんな人だって山に登っていいんだし、外野がとやかくいう話じゃない。それを分かっているからこそ登山界は基本的にスルーしてきた。その中で、あえて批判覚悟で踏み込んだ森山さんは素晴らしい。

 

やっと残雪期に富士山に登ったレベルの私ですが、ここからもう一歩考えたい。

 

 

「なぜ山に登るか? そこに山があるからだ

と言ったのは私も調べないと分からないけど、この台詞は凄く有名。けど、山に登ればそれだけで前人未到のチャレンジになった時代じゃない。だからこそ、時期とルートを選ぶ事で前人未到になる。けど、それ自体がかなりヤバイよね。わざわざ危険な道を選ぶのだから。歩道があるのにわざわざ車道の真ん中あるくようなもの。まだ速度で競う方が危険度は少ない。それはすなわち山岳レースになるけど。

 

 

「エベレストなんてイモトもなすびも登ったのに」と別の人から言われた。そりゃルート毎の難易度の違いなんて普通はわかんないよね。僕だってエレベストのルートの難易度の違いなんて調べないと分からない。けど、行けば体感で分かる。富士山だって西側は結構ハード(登山道無いレベル)。日本2位の北岳もバットレスはやばい。そのバットレスを横目に登る 大樺沢 →八本歯のコースは好きだけど。

 

 

人工の厳しさと、自然が作った厳しさは違う。

車道の真ん中を歩く事に意味はないけど、自然が作った岩壁を攻略するのには意味があると思う。けど、僕はその気持ちまでは無い。

 

酸素濃度

富士山ですら10人連れて行ったら3,4人は高山病になる。8合目から登れなくなる人も1,2名は出る。何度か後輩を連れて行って、ポイントが5,6合名の休憩タイミングだと分かった。けど、8000m級はこんなもんじゃない。そこを酸素ボンベ無しで行くのはありえない。ある意味、素もぐりに近い。

 

時期は違う。とことん拘る。


時期の難易度には興味零だけど、冬の晴天は別物。澄み切った空気感と突き抜ける見晴らしの良さ。自己の内面まで同じ透明感で満たされる感覚は何ものにも代え難いから。

 

 

 

本当の山の高さって何?

今は海面から測る。けど、地球の中心部から測る場合もある。その時、最高峰はエベレストでなくチンボラソ。そして、これまでの登山経験からも、麓からの高さが一番相応しい基準。そしたら問答無用でデナリ。日本なら駿河湾からの高さになる富士山。麓の定義も実は難しいけど、頂上から裸眼で見える範囲で一番低い場所かな、一応。

 

「周りに高い山がひとつもない」というのも結構大事。西日本には2000mを超す山はないけど、だからといって日本アルプスの2500mぐらいの山よりは四国最高峰の石鎚山とかの方が格が上だと思う。

 

登山が趣味の人の中でも、途中まで車で行く人もいれば、麓から登ろうとする人もいる。

個人的には「使える道具は使えばいいじゃん。いけるとこまで車やロープーウェイで行けばいい」という気分。もちろん歴史がある登山道は別。富士山の1合目の馬返しから3合目まで登って、その価値がよく分かったよ。

 

 

高い所からの見晴らしならば、登る必要ないじゃん

という意見もある。飛行機の窓からの眺め。確かに良い。けど、あれは窓が小さすぎる。TVを見るのと大して変わらん。そしてあくまで別空間だから、頂上の空気じゃない。じゃあヘリコプターで頂上に下ろしてもらったら?

 

ここら辺まで来ると結構迷う。値段が高いなら金額的に無理だけど、「1万円で頂上までひとっとび」とか言われたら??

 

結局、「何かに向かって困難を乗り越える経験」だけなんだろうね。それが上に向かって歩く登山になっているだけ。そういうシンプルな部分から、随分と遠くに来てしまった人の存在。

 

10年以上前かな、栗城氏がデナリに登るために色々と苦労重ねて、、、という文章を読んだ記憶がある。あの頃が一番、彼にとって充実していたのかも。スポンサーがついても、分かりやすい基準を求めるし、分かりやすい基準が減っている登山だからこそ、デナリの先で道が分かれるような気がしてる。

 

僕はなんといっても山野井さんを尊敬してます。生き方を含めて。あの人には今からでもいいから8000m峰制覇をして欲しい。けど山野井さんには簡単すぎるんだろうね。セブンサミット(7大陸最高峰)の価値が減っている今、山岳グランドスラムまで言われても何かが飽和状態になっている気もするから。

 




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