「自分自身を変えたい」と3日以上思うな

以前に「半年続かないことは人生において誤差」と書いたけど、その続きです

誰であっても、「このままじゃダメだ。自分自身を変えなくちゃ」と思うことはあると思う。
もちろん「人生」まで大きな話をする必要も無く、シンプルに「自分の今の現状」や「日常の過ごし方」といった事柄について。軽いレベルでは「大して面白くもないなぁと思いながらTVを見てたら数時間たっちまった」とか「負けると分かってても今日もパチスロやっちまった」とかになるのかな。重いレベルなら「なんでこんなにすべてのことが中途半端なんだろう。本気で向かい合わずに適当にやっているからか・・・じゃあ中途半端なのは自分の人生だ」とかになると思う。

個人的には自由になる時間が一番あった大学生時代に一番痛感した。あの頃の大学は出席チェックも厳しくなかったし、一人暮らしだったから家で何をしてて何時に寝ても誰からも文句を言われない。だからどんどん易い方に流れてしまって、時々「このままじゃヤバイ」と気づく。そんな事の繰り返しだった。「小人閑居して不善をなす」は深いね。改めて調べたら、原文と意味が違うとの指摘があった。このサイト管理者の意見は良く分かるけど、やっぱり「ちっぽけな人間は、暇な時に有意義な時間の使い方をできない。ならば働く方がまだマシだ」という意見は、世間の同意を得ているのだと思ってます。

「このままじゃダメだ。変えなくちゃ」
という意志は非常に大事だと思ってます。
けど、これまでの経験を振り返って、この意志だけじゃ何も始まらない事にやっと気づいた。「このままじゃダメだ。変えなくちゃ」という対象は時間がたてばたつほどあやふやになるんだよね。変えるために必要な努力や想定される結果といった《損得》を考えて、一番効率的な「変える対象」とかを考えるともうダメ。あやふやになった対象は最終的に「変えなくちゃ」という想い自体も対象として、変えなくちゃを変えなくちゃのドツボにはまる。その結果、「まあ変えるといっても○○とかで大変だし・・・」みたいな結論になる。3日間も思い続けるのは単に行動力が無い証左だと気づいた方がいい。結局、だんだんどうでもよくなってきて、今までと同じ生活パターンがこの先も続くだけなんだよね。

プリミティブな不快感を大事にする
「変えなくちゃ」と思う理由は自分自身でも不快だと感じているから。
たとえばダイエットでもそう。風呂に入る前に鏡に写った自分のわき腹を見て不快を感じる。そういうプリミティブな嫌悪感が出発点だから。

その上で「変えなくちゃ」という思いが高まっている状態で、すべきことを決める。数を多くしてもどうせ計画倒れになるから、最初は「1つのルール」でいいです。あまり自分自身の意志を過信しない方がいい(笑 その上で「1つのルール」を最低限1ヵ月は守る事。どんな状況になっても、とりあえず1ヵ月は守る。そんだけです。これが出来る人だけが前に進めるとやっと気づいた。

どうせさ、3日後には以下のような悪魔のささやき?が浮かんでくるんだよね。
,海諒法ってあまり効果ないかも。。
回数減らしても効果は変わらないのでは。。
もっと良い方法が思いついたぞ

大きく分類するとこの3種類かな。もちろんこれらの気づきが正しいこともあると思う。けど、正しさって結局は効率性だし、それは結局は損得だし、その結果として内容をコロコロ変えてると、最終的には何も変わらないよ。もし本当にその手法が間違っていたとしても、最初の自分の計画の甘さを痛感するためにも、間違っていると分かった手法を1ヵ月の残りの期間、続けるべきです。別に1ヵ月続けたら寿命が半分になるような手法を選んだワケでもないでしょ(笑 

1ヵ月という期間も大事だと思ってます。
本当に意味があることなら1ヵ月で何かしらの効果は出てくるから。もちろん他人が気づいてくれるレベルまで持っていくには3ヶ月〜半年は必要だと思ってます。けど、その手法が良い選択なら、1ヵ月で自分自身で良さを実感できると思ってる。もちろん英語の勉強とかなら一日5分じゃ1ヵ月継続しも効果ないよ。物事には最低限の時間ってある。英語なら最低一日30分、できれば1時間は必要です。それが語学という分野だと思ってます。

そして「間違ったと分かった後に続ける長さ」としても全部で1ヵ月は妥当だと思ってる。さすがに3ヶ月も続ける必要もないでしょう。

ー分自身へのプリミティブな不快感を大事にする《感性》
⊂錣頬瓩い討い《直感》
0貪抃茲瓩燭海箸蓮∈把禪1ヵ月はやり抜く《意志》

これらをすべて達成するのが1ルール1ヵ月であり、変えたいと3日間思い続けるのはドツボの道。今までを振り返って、やっと判明したので、ここに書いておきます。





就職先の選定基準 →実際何がポイントなのか?

 ひょうんな事から「これが働きたい会社だ 社員が教える企業ミシュラン」渡邉正裕著を知って先日読みました。企業を「評価・報酬→年功序列/成果主義」「雇用安定性→終身雇用/UporOut」「意思決定カルチャー→ボトムアップ/トップダウン」の軸でまとめ、各企業の特色をそこで働く従業員にインタビューして集めてる。給料が伸びる時期や伸び悩む時期も「キャリアパス」で比較しつつ書いてるから、なかなか面白い。ただ、個人的に重視すべきと思う点が別にあるので、11年目の率直な気持ちを書いてみたい。

★1.大事なのは給料でなく最終的に自由になる額
働いて最初の2,3年で痛感するのがこの事実。簡単に言えば補助の金額・年齢制限。住居費の占める割合は大きいし、自宅通勤だとしても結婚したらすぐに親同居は珍しい。給料が大事なのでなく、そこから生活に必要な額を抜いた「自由になるお金の額」が一番大事でしょう。たとえば、寮はあっても光熱費が個人持ち/会社持ちとか、寮に無料の食事までつくかとか、その食事は旨い/不味い等。ここら辺になると個人の好みも大きいから、正確な議論はできない。

けど、客観的な指数として補助の年齢制限は入社5年間/30歳まで/40歳まで とか実は差が大きいんだよね。独身寮・家族寮が整備されている会社であっても、「わざとボロイままにしておくことで、寮の絶対的な少なさからくる入居できなかった人の不満を抑える」仕組みを採用している会社も多いと、この本からも伺える。一応、電機業界に属しているが、電機連合という労働組合の組織によって、一見、大卒初任給とかはかなり似てる。けどこの補助についてはかなり違うし、学生時代にその全貌を知って比較するのは不可能なのでは?? それに補助って会社が赤字になると一番最初に削減されるからなぁ。

★2.大事なのは、給料でなく残業代の天井
かつ、注意すべきなのは、同じ会社の中であっても、サービス残業に対するスタンスは違うんだよね。「どれだけ残業をつけれるか」は「部門の会社の中での位置づけ」や「部門の業績」や「上司や先輩の考え」にかなり依存されるというのが実感。だから、入社前に「残業は全部つけてるよ」とリクルーターから聞いても安心できるワケじゃない。それに8年目ぐらいになると、見なし残業込みの扱いになって、ここら辺が関係なくなることもあるしね。

★3.やっぱり、休みのとりやすさも大事
いくら残業をぜんぶつけれても、100時間越えって3ヶ月以上は辛い。「お金はいいから、とりあえず休みが欲しい」っていう気分になるのは、周囲を見てても断言できる。で、実際、休みの取りやすさって、思った以上に所属している部署の方針なんだよね。いくらお客様対応で忙しくても、やっぱり社内の打ち合わせ等はあるわけで、本当に休みを取る事の大切さを意識している上司ならば、それを考慮して部内の予定を立てるから。ここら辺は★2.以上に運だねぇ。

★4.人間関係は大事だけど、完全に人のせいにはできない
個人的には会社内の人間関係では悩まないようにしてる。以前に紹介した「ボスマネジメント」もそうだけど、必要な人と必要な関係を結べるように努力すべきであって、完全に周囲のせいにして「自分は純粋被害者です」顔をするのは、なんかなぁ、と思うから。ただ、ある種の傾向はあるよね。それは「上司をさんづけでよべる」とかの会社内の文化で想定できる部分もあるとも思う。共通参加の行事も半年に一回レベルならば、個人的には参加しようとしてます。いまの部署では2月にイチゴ狩りが恒例行事になってるしね。いくら会社内の関係であっても、ある程度はお互いが歩み寄る気持ちになっているのは大事だし、飲み会等もそうだけど、適度な一般的基準をこなすことを苦痛に感じるメンタルだと、辛い部分はあるかもね。そういう人には秀吉の伝記でも薦めます。懐に草履は有名だけど、上司の信長に対して苦労してるから。こういうのは1000年前も1000年後も変わんないよ。


★5.分社化・子会社出向って油断できない
たとえば、大学時代の友達。HDで有名な研究室を卒業し、日立のHD部門で働いていたけど、子会社化されてHD部門自体が流転のような状況だから。今の日本の企業(特に電機業界)は部門ごとの切り離し・買収等が盛んだから、いつなんどきそういう状況になるか分からない。昔は子会社行きって、ある程度年齢を重ねた後の道だったけど、今は部門を子会社に移すってよくあるし、20代でも覚悟しておいた方がいい。最初は「親会社と全く同じ条件だから」と言うけれど、その保障は長くて数年と覚悟しておいた方がいいワケで。


★6.意思決定カルチャーって関係ないような
あの本は「給料」「雇用安定性」「意思決定カルチャー」の3軸で比較しているけど、給料よりは★1.の補助の有無、雇用安定性よりも★5.の子会社出向の有無の方がポイントになる。するとまだ言及してないのは「意思決定カルチャー」だけど、個人的にはトップダウンだろうがボトムアップだろうが、そんなに関係無いと思う。いくらボトムアップでも結局は上司を説得しなくちゃいけないし、トップダウンな方針が強くても、上司を説得できれば自分の意見・アイディアは通せるしね。大事なのはボス・マネジメントの考え方であって、生の声を集めて具体的な対策にまで落とし込めれば、意思決定カルチャーはあまり気にする必要ないかもね。一番、大事なのは「上司の頭の硬さ・新しい方法を試す柔軟性」だけど、これは就活時はいかんともしがたい。


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ここまで書いてきたことなんて、うちらの年代なら皆当然な事なんだと思う。それを上手く若い世代に繋げれるか、そういう話を聞ける人間関係をもてるか、そこら辺が大事で、結局は「従兄弟のお兄ちゃん」等から聞くぐらいしかないのかもね。いくら先輩、後輩の関係でも、10歳上から話を聞くのは結構難しい。フランクに話を聞ける先輩って長くて3,4歳差だから。けど、従兄弟と突っ込んだ話をする機会って、少なくとも自分は無かったし、今の日本では減っているんだろうなぁ、とは思う。


その上で、もうちょっと個人的なことを書くと・・・

★★一番良いのは伸びる中企業に入る事
これが一番のポイントだと思っているけど、これが一番の運なのかもね。たとえば、売り上げが1兆円を越す企業って、この先、30年間で売り上げが2倍3倍になることって珍しいんだよね。ある程度の規模の会社は、そんなに劇的にでかくならない。自分が一番知ってる例では、トヨタかな。中学校の学区内にトヨタの家族寮があったら、同級生で親がトヨタ勤務ってそこそこいた。けど、91年前後のトヨタって、日産や本田とそこまで劇的な差って、中学生では感じなかったから。確か、記憶が間違っていなければ、あの頃のトヨタって売り上げが5兆円ぐらいだったような。そこから、20兆円まで10数年。地元の名古屋に帰省するたびに、愛・地球博にせよセントレアにせよ、トヨタの影響度が大きくなっていることは痛感してた。けど、これだけの劇的な伸びが、あの規模の会社で起こることは珍しい。

すると、この企業ミシュランの本に取り上げられているような会社に入ると、「会社はこの先もそんなに大きくならないんだなぁ」がベースになる。同期も有名大学出身の見るからにデキそうな奴も多くて「自分のウリって何だっけ?」と痛感する事もある。それよりは2000年当時のニトリとか、今後伸びる中企業に入る方が、仕事のやりがい・権限や生涯的な賃金総額を考えても、一番ベストな選択になるんだよね。けど、一介の学生に「今後のびる中企業」がわかるワケもないんだよなぁ。それよりは、社会人3、4年目で転職するぐらいの心構えで過ごす事の方がいいのかもね。個人的にはそれを選ばなかったので、特に何か言える立場じゃないけど。

アルジェリアの事件で有名になっている「日揮」だけど、この会社がどれだけ凄いかって、そりゃ学生時代は分かんないって。B2Bの会社なんて知らなくて当然。自分は株を始めてから、そういう会社がある事が分かった。たとえば、「海外で働きたいなら矢崎総業が穴場」っていうのも、学生で知ってたら凄いよね。そんな意味では、スーパーニッチというか、CMはやってないけど、特定分野で世界一な会社を狙うのは、学生時代の就職先を考えるときには一つの有効な戦略だと思う。こういう会社って、親戚とか個人的な知り合いに薦められるんだよね。そこまで宣伝しなくてもそれなりの学生が応募してくれるから、CM的有名度の尺度しか知らない学生って世の中を甘く考えすぎだよね。

この本=「これが働きたい会社だ 社員が教える企業ミシュラン」の実際については、アマゾンのレビューを全部読めば分かると思う。個人的にも「大まかな傾向はあってるけど、誰にインタビューしたかでかなり変わる(それが大きな会社というもの)」っていう意見に一番同意するけどね。


で、「実際何がポイントなの?」の個人的な答えは・・・

「幸せの定義」できまる。

けど、実は幸せの定義って人によってかなり違う。個人的にはハネムーンでカリブの島で散々ダイビングやっている時に痛感した。一般的には「カンクン」がリゾート地で有名なのだけど、そこから船で移動した先にある「コスメル島」は色んな意味で楽しかった。仕事のせいで新婚旅行が結婚式の1年後になってしまった代わりに10日間も休みをもらって、前半はセノーテ(洞窟ダイビング)も含むダイビング三昧。後半はチェチェンイッツアやティオティワカンといった遺跡観光だった。

幸せといえば最高の幸せかもしれないけど、何か違和感あって・・・。
その答えが、自分の「幸せの定義」からずれていたこと。楽しい事をすることが幸せではない。

《幸せ》とは「しなければいけないこと」と「したいこと」が重なった地点

南国ダイビングやメキシコ遺跡観光は「したいこと」ではあっても、「しなければいけないこと」じゃないし、まあハネムーンは「しなければいけないこと」のような気もするけど(ケチると一生恨まれる・笑)、やっぱりなんか違うわけですよ。前者10%、後者100%ぐらいだったなぁ。

じゃあ、今の仕事は??? うーん率直には、前者90%、後者50%ぐらいかな。仕事の種類によって「したいこと」は10%〜70%ぐらいで変動するけど、平均すると50%ぐらいだから。こんな態度で仕事でいいのかしらんと思うが、やっぱり「生活の糧」なんだしねぇ。ちなみにサイト運営は前者20%、後者100%かな。そういう意味では、自分自身の幸せの定義は、「学生時代から意識の片隅におく」ぐらいのスタンスは必要だと思ったりも。こちらの議論は楽しいけど、うちの部署でも釣りバカ日誌の主人公じゃないけど、仕事ほどほど・趣味気合な人もいて、幸せそうだからさ。やっぱり給料増や出世だけじゃ、それもさびしいじゃん。

 



名選手は名監督か。銀時計と知の「三冠王」。そして頭を使うべき場面。

最近のドラゴンズは面白いなぁ。
名古屋出身として気にしているけれど、これまでの高木監督時代はスルーだった。GMとして落合監督が戻って、2013年の厳冬の契約更改で俄然面白くなってるぞ。年末に帰省したら友達に地元の雰囲気を聞いてみたいと思ってる。

もともと30代中盤の僕らにとって10.8はトラウマだし、「生きてる間にドラゴンズが優勝できるのか?」と思うぐらいだから、落合監督には凄く感謝してる。名古屋の経済界のご老人達が不平不満なのは分かる面もあるが、「スポーツはいい試合をしてなんぼ」がこの2年間で明確になった。立浪については色々と裏を言われているけど、結婚自体が相手から押し切られた話で、立浪自身は「遊びたい年頃」だったならば、ちょっとは同情している部分もある。「死んでも離婚してやらない」というメンタリティーもあまりシンパシーを感じないので、そこまで立浪にネガティブを感じているわけではない。ただ、谷繁は生粋のドラゴンズではないから(落合監督もそうだけど)、ちょっと寂しい気分はある。指導者になるには外の世界も見てきて欲しい部分もあるので、山崎武司とかは期待しているけどね。

井端が退団となったのはファンとしてはショック。けど、いつか若手に道を譲る時は必要だし、年棒も起用方法(ショート・スタメン)も両方とも譲らないのは自身の状況を見えてないとは感じる。そういう意味で、今の落合GMには大賛成。信賞必罰の契約更改は新たな時代を作ると思う。さっそくこういうまとめサイトが出来ているくらいだから。「落合監督は名GMになれるか」という方向でこちらこちらの記事が出てるしね。個人的にはこれだけコストカットして、選手のやる気を下げなければ、今の時点で名GMだとも思う。

で、そろそろ本題。

「名選手は名監督あらず」とは一般的に言われるけど、このルールは反例も多い。
ただ、野村監督にせよ落合監督にせよ、甲子園のヒーローでは無いんだよね。イチローもそうか。ここが一番大事なポイントだと思う。10代からチヤホヤされるのが一番良くないんじゃないかな。三冠王は早くても20代後半だから、そういう点では安心だし、やっぱり監督になった時も実績の重みってあると思う。

知の三冠王
という言葉を、夏に始めて聞いた。どうやら東大の中だけの言葉らしい。
・東大入試(院試)TOP
・司法試験TOP
・国家公務員試験TOP

「江田五月は知の三冠王として、学生時代から有名だったなぁ」と親父が言ってたから。ウチの親父は院試はTOPだったらしいが、東大入試も公務員試験も十番台ぐらいで、理系だから司法試験はなかったから、まあ一冠王’ぐらいのノリ。「官僚にはなる気は無い」で研究所で働いて、最年少主管になってたけど、結局、仁科賞も無理だった。そんな親父とは今では気軽に色々と話しているから、たまたまこの話を知ったのだけど。

この知の三冠王って、恩寵の銀時計に近いと思う。
こちらについては東大の先生してるこちらのブログが面白い。
そして第一次世界大戦が始まり、戦争後期にいたるまでの19年間、東大では銀時計が下賜され続けたわけですが・・・あまりに弊害のほうが大きいので廃止されてしまった。これがどれくらい酷い弊害をもたらしたか、いろいろ伝説が残っています。例えば、銀時計を得るべく苛烈な勉強をしすぎて死んでしまった大学生、卒業時、 僅差で銀時計を逸し、この先ずっと一番にはなれないと悲観して自殺した者、銀時計組として社会に出た者が伸びきったゴムのようになってしまったり、あるい は鼻持ちならないエリート風を吹かせてロクでもなかったり・・・なんであれ、マイナスのほうが大きかった。

野球の三冠王はそれなりに参考になるが、知の三冠王はあまり参考にならないというのが、自分の結論。
そもそも頭の良さというのもBlog1に書いたように、万能じゃない。

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そもそもまず「知性的」を測る尺度が問題。学校の勉強の出来では当然ない。もちろんTVのクイズ番組の回答数でもない。いくら知性的だからといって、いつも難しく考えて眉間に皺が寄っている人は、男だろうと女だろうと魅力は少ないのだから。個人的に現時点ではっきりといえることは

 崚えが見つかるまで考え抜くのが必要な状況」
◆崚えが見えないからこそActionするのが必要な状況」
この2種類の判定と、そこで適切な行動が取れるかどうかだけなんだよね。前者の方はもちろん知性がベースではあるけど単純な学校勉強だけの範囲ではない。後者の方は勇気に近い話だから。

本質的に,両況なのに△鬚垢訖佑鬟丱という。
本質的に△両況なのに,鬚垢訖佑鬚いじなしという。

じゃあ今の状況が本質的に,鉢△里匹舛蕕なのか?

これが根源的な大問題。かつ、これは頭でやるとメタ問題になるから、頭では本質的に解決できないと悟るべき。これを分かってない頭のイイ人が多すぎるのだが・・・。結局、この答えが「感性」なんだよね。まあ直感でも山勘でも言葉はなんでもいいですよ。感性。ここでの感性が合うのが本質的に大事。好きな食事なんてどっちでもいいんだよ。ほんと。大事なのは人生の分岐点での態度だから。男が,世隼廚辰討い討眤Δ砲い觸が△世隼廚辰討い譴弌△笋辰僂蝓屬いじなし」で終わる。男としては辛い評価だね。
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最近、勇気が足らないと痛感しているので、なんか書きたくなった。
いや、勇気というよりも、根拠無き楽観かも。昔は走りながら考えるのが苦じゃなかった。処理系自体を作る試みって、自由度を高めれば高めるほどワケ分からん世界になる。以前に作ったLisp in Rubyをいじっていきたいのだが、プログラミング言語の知見は30%ぐらいしか使えない。これまでのAI専用処理系も個人的には参考にならない。だから、「Actionする方法を考える」というプリミティブな世界。それがイヤで、イヤということをBlogに書くというAction。オイオイ(笑 唯一の希望は、HHAIを書いてた以前に比べて、桃鉄やAOCがなくなった事。頭も悪い。前にも進めない。でも退路と横道は絶たなかん。Blogと本はまだ続いている。「トラウマ恋愛映画入門」は激面白かった。そんな週末。
 



自殺したら地獄に行くのか − 輪廻と業

この話題は以前からたまに書いているけど、まとまってなくて断片的だった。

昨日、Blog1で輪廻転生を歌った和歌:「闇の夜に 鳴かぬ烏の声きけば 生まれぬ先の 父ぞ恋しき」紹介したし、心斎橋の飛び降りニュースも気になっていて。「長い休みが明けた初日は学校に行くのがストレスなって学生の自殺が増える」とは良く聞くけど「冬休み明けはその後の受験シーズン等のストレスも感じるから自殺が多くなる」とは始めて知った。中央線の自殺と列車の色の関係は個人的にも同意するけど、シンプルにオレンジ色をやめて銀色にでもしたら?と思う。


「死んだらどうなるか」について世の中には色んな説・態度がある。これまで哲学・宗教・オカルト系まで散々読んできたので、そろそろまとめたくて。

 Щ爐鵑世虧気砲覆襦それだけ。
◆Щ爐鵑世蘚傾颪地獄に行く。A:天国だけ。B:地獄だけ
:死んだら生まれ変わる A:階層移動あり(人⇔他の生命体[動物・植物]とか) B:階層移動なし
ぁЩ爐鵑世藺召寮韻帽圓


大きくはこの4種類かな。仏教およびインド発祥系の宗教は伝統として輪廻転生だからが基本だし、キリスト・ユダヤ・イスラム教は終末論だから基本△砲覆襦 世の中、科学万能な人ほど,梁崚戮鬚箸襪海箸多いが、どんな状態で無になっていくか? 無に向かう時にスゲー痛みを伴うのか、スゲー幸福感に包まれるのか。それは大きな違いだと思ってます。シンプルに死ぬ時の状況(病気で苦しみながら死ぬなら「痛み」、すやすや眠るように死ぬなら「幸福感」)だとしても、そもそも「無」とは気持ち良いのか気持ち悪いのか、それも謎。「どちらでも無いんだよ。無だから」とか言う人もいるけど、仕事だろうと作業だろうと「無意味さ」を痛感したら、普通は気持ちよくは無い。素直に「興味ない」と言えばいいのにカッコウつけて,琉娶を言われると、もっと真面目に考えろと思う時もある。「今の常識の中には現代の天動説がある」という視点が無いから浅いんだよね。


あと注意すべきは「臨死体験報告」。いつも「ベットで寝ている自分を部屋の天井の方から眺める」→「大きな光」「幸福感に包まれて」→「君はここにきてはダメ」 みたいな流れなんだけど・・・。臨死体験を否定する気はない。ただ、臨死体験者は本当に死ぬ時とは違う道を通っているのでは?という疑問。ここをまともに指摘した文章を読んだ事がないけど、この世でも良くあるジャン。同じ店に入ってもお得意様は特別な部屋に案内されて、初見の人は一般の部屋に案内される。まあ、ここら辺まで疑問符をつける人はそもそも臨死体験自体を眉唾だと思っているのだろう。

天国を思わせる臨死体験ばっかりなのも不満。地獄に行きそうな臨死体験って聞いたことない。もちろんダンテの地獄めぐりとかあるけど、文学作品じゃなくてリアルな臨死体験で地獄に行きそうだったって、あるのかな? 調べたらあるんだね。これは興味深いサイトだから、あとでゆっくり読んでみよう。


そもそも何故こんなにも拘っているかというと、18の時に心臓手術をしたんだよね。人工心臓につないで胸をあけて15時間ぐらいの大掛かりな手術を。その時、結構ドキドキしてた。もしかして・・・と。
 



運動オンチを直すには

「運動神経がいい」という言葉のアバウトさが昔から嫌いだった。体育はずっと苦手だった。50m走8秒を切った事がないくらいに運動オンチだった。家系的なものもあるから、ある意味諦めてた。大学時代に5年間古武術をやりこんで、やっと人並みレベルになれた。その結論として、運動オンチを直すには3つのポイントがあることが分かった。

この結論をそのうち書こうと思って、ずっと伸びていたけど、ネット話題となっている武井壮の理論は面白い
これこそが3つのポイントのうちの一つ=「自己の体の動きと自己のイメージが一致しているか」

残り二つは、時間が出来たら書きます。
 



1流の選手であり理想の父 〜ヒクソン・グレイシーに学ぶ子供への距離感〜


以前に「なぜ二世はダメなのか?」を書いた。検索で定期的に人が来るけど、オリンピックの年は検索数が増える。そういうものかもね。今年、たまたまヒクソン・グレイシーのインタビュー記事を読んで感動した。親子レベルでなく一族レベルで結果を出しているのは、こういう正しい距離感があったからだと痛感。インタビューの主旨は日本の格闘技ブームだけど、親子論として読んでも教訓が多い。
 
クロン・グレイシーは物心つく前から父ヒクソンに柔術を教わった。その魅力に自然と引き込まれていったクロンは、7歳の時に柔術の練習を本格的にスタートさせる。
まだ幼い頃、クロンが試合に出るときに、『勝ったらお前の好きなものを一つあげるよ。もし負けたら二つあげるよ』と私は彼に言いました。これは、『負けてもいいんだよ。お父さんはそんなことで怒らないからね』という意思表示でした。私は息子に、勝ちへのプレッシャーを与えたことは一度もありません。


負けから何かを学び取り、また次に向けて練習をすればいい。幼いクロンに、ヒクソンはいつもそう教えてきたという。
しかし、クロンが思春期を迎えた頃、彼は突然「もう柔術をやりたくない」と父に訴えた。スケートボードをやりたいと言うクロンをヒクソンが店に連れて行き、一緒に選んで買ってあげたこともあるそうだ。

「負けたら二個あげる」は確かにイノベーション。この記事を書いた人が太字にしたくなるのも良く分かる。けど、本当に大事なのは下線部分。突然というのは、まったく突然ではない。彼(クロン)の中では悩み抜いた結論。それを突然と捉えるのが世のプロ親というもの。だからこの時点までは普通なのだ。けど、一緒にスケボー店に行くならば、ヒクソンの器の大きさが分かる。

でも、クロンはスケートボードをやって二回も骨折したんです。それですっかり嫌になってしまったようで、また柔術の練習を始めるようになりました。その後熱心に練習していくうちに、少しずつ柔術に対する愛情が芽生えてきたようです。


今から3年ほど前、クロンは父に、「今まで、お父さんの知識やテクニック、戦術をいろいろ教えてくれてありがとう。でも、僕の目指すものはもっと上にある。今後は、お父さんの力は借りない。すべて自分で責任を持って、自分で選択して練習を積んでいく」と言った。

ここでのクロンの気持ちも良く分かる。親と真逆の分野で成果を出すのは難しい。ちょっと他の分野に手を出してみて、思った以上に上達せずに挫折する経験は全てに二世に共通するんじゃないかな。ここでのヒクソンの認識の正しさに感動して下線を引いた。

「もうやめたい」
「またやりたい」

この2つのタイミングは絶対に2世に訪れる。その時にどういう態度で接するか。残念ながらこのインタビューはそこを掘り下げていないけど、グレイシーが正しい距離感で子供と接したのは下線部分から明白。世の一世は結果を出している人ほど検索で本サイトを見つけないだろうし、見つける頃には取り返しのつかない状態になっているとは思っている。だからここまで書いても二世の苦悩は減らないし、読んだ二世が「うちの親は真逆だった」と余計に不満を思うかもね。まあしょうがない。うちの親も似たようなもんだったので(笑、ヒクソンみたいな選手としても親としても超一流は70億人で1人しかいないんだと。

 




子供の育成? 極論から言えば「活字慣れ」「コミュ力」の伸ばし方

 

■行き過ぎた教育ママができるわけ

タイトルは『公立小中高で子供の教育費をカットしながら学歴社会で圧倒的にひとり勝ちする方法』だけど、主旨はこっちだと思う。このブログはポジショントークも多いが、今回は全てに同意。特に「なぜ人はお受験をするのか」「キラキラ女子は夫の金を使い切ることに異常に執着する」の考察は素晴らしい。その先に「多くの派手な女性の教育観は狂っている。原因は不明」と掘り下げているのも凄い。

 

「進化の過程で、なぜそのような母親の性質が淘汰されずに残ってきたのか、いまだによくわかっていないが、とにかく子育てにおいて、こうした女性の脳の欠陥は警戒すべき点である。」と書いているけど、これは当然のような。あまりに外部の制約条件が多ければ、ハメを外せる確率が限りなくゼロになって、淘汰する必要性がなくなると。
 

一つ前の記事の

受験勉強そのものだって、理論的にはもっと効率のいいカリキュラムを自前で組むことは可能です。なぜならば、塾や私立学校などの受験産業のカリキュラムは、受験での合格には完全には最適化されておらず、受験成功と塾や学校の収益最大化というデュアルマンデートになっているからです。
 しかし、もっと理想的なカリキュラムがあったとして、それを親がかかりっきりで子供にこなさせるのは労力的にも、子供が反抗期になって親の言うことを聞かなくなるなどの実務的な点でも現実的ではありません。家庭教師を雇って、カスタムメイドのカリキュラムを子供にやらせるなど、途方も無い金がかかるでしょうし、それが上手くいく保証もありません。なぜならば、子供の偏差値を上げることにおいて、カリキュラムの良し悪しは大きなファクターではないからです。やる気がもっとも大きなファクターで、塾で同じ目標に向かってみんなががんばっているという環境に放り込むことこそが、大抵の場合、もっとも上手く子供のやる気を引き出す方法だからです。

この部分も凄く納得。

 

ただ、根本的には「活字慣れ」と「コミュニケーション力」の両極端をどれだけ伸ばせるかだと感じてる。会社の新人教育担当として、「本を読む習慣」をつけさせることに四苦八苦している身からすると、テレビ系の映像メディアだけから情報を得ることの不十分さを最初にガツンと痛感させないと。私の現在の結論は以下

 

‘睛討亮莠料択の幅が狭い

続けることでレベルアップ(スピードアップ)にならない

B真瑤鯊仂櫃箸靴討い襪里如¬菊颪雰誅世砲覆蠅ち

 

TV番組は何チャンネルだっけ?スカパーとか入ってディスカバリーチャンネルとか見ればかなり取捨選択の幅は広がる。Youtubeなら無尽蔵。けど、学べる番組はまだすくない。大規模公開オンライン講座:MOOCとか揃ってきたから、今後は状況が変わる可能性はあるけど、まだ,詫効と思ってる。個人的には、最初から録画予約するモチベーションはもう無いのだけど、、全番組録画機を買って、本当に必要な番組だけ後から見たい気持ちはあるけどね。

 

△亘榲に本を読む習慣がある人は全員納得するんじゃないかな。別に速読法を学ばなくても、自然と読むスピードはあがる。ぺらぺらめくりながらつんどくするのも可能。これを映像メディアでやるのはホント不可能。早送り再生は特別に音声処理できる機能がなければ、1.5倍が限度。その機能があっても2倍がMAXでしょう。Youtube系はネットワーク帯域的につんどく不可能。

 

そして、本当に大事なのはだと思っている。結局、TV番組ではごく一部の尖ったもの以外、一般常識かプラスアルファぐらいしか学べない。「TV番組で話題になった企業を、その番組を見て株買うなんて遅すぎる」のは、ちょっとでも株やれば誰でも痛感。もちろん自分のメインジャンル以外なら、その遅さでもいい。けど、メインおよび周辺3,4つジャンルをTVから情報仕入れる時点で、このネット社会では遅すぎる。本であれば一般常識になる前の多様な見解が得られる。当たり外れも大きいからこそ自分の取捨能力が鍛えられる。結局、本当に大切なのは一流の人のブログやツイッターだろうね。僕が佐藤一郎氏のツイッターだけは毎週チェックしているのもその理由だから。

 

で、「活字慣れ」にもどる。こんなのはぐたぐた考えるより、

 

「幼い頃に同じ絵本を何度も読み聞かせる事に親の側が耐える」

「小学高校学年から大学生になるまでは、漫画以外の本・ハードカバーは自由に買っていい(こづかいとは別の特別予算)」

「トイレに小さい本棚置いて、面白そうな本を置いておく」

 

の3つ。理由は以前に書いたから省略。だから両親には深く感謝してます。「コミュ力」は親から学んでないから特に言う事ない。どうやって身につけたかは、ここら辺で散々書いているから苦手と思う人は読んでみれば?

 

公立だろうと私立だろうと関係ない。そんなことより「自分で設問を立てるセンス」「それをずっと(数年間)考え続ける力」が大事だと思っている。二十歳の頃から散々読んで、「西洋文明に属する人は神と意思をアプリオリとするからダメだ」と痛感した。年末から

 

善悪と正邪と聖と神の定義。本当に芸術の先なのか??

 

に拘っているけど、こんなのは唯一の絶対正しい答えなんて無い。どうしたいかだけ。個人的には芸術の先にこれらを配置するモデルがしっくりくる。やっと、その構成がおぼろげながら見えてきた。この設問がどれだけ意味があるのかなんて本人は分からない。お金になる仕事の遥か手前の状態。けど、俺は楽しいし、苦しいし、やりがいは何よりもある。本人がトコトンやりたいことを邪魔するような了見の狭い親にだけはならないように気をつけないとね。アインシュタインの言葉を噛みしめて。

 

快適な生活と贅沢こそが人生の主な必要条件であるようにみんな考えがちだが、幸福になるには何か熱心に取り組める対象があればそれで十分なのだ。
"We act as though comfort and luxury were the chief requirements of life, when all that we need to make us happy is something to be enthusiastic about."




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