コミュニケーションにおけるメッセージの洗練が芸術

AIにおける美と聖と性について昨年末からドツボにハマってる。

以前にクリアしたと思っても、より前に進んで問題意識も深くなると、以前の解答の荒さに耐えれなくなる。こうやってゴールが遠ざかる・・・

 

 

「哲学の道」じゃなくて「登山道」ならばヒントが思いつくかもと思って金時山に行ってきたけど、そんなに世の中甘くないか。だからもうちょっとインプットも必要だと思い、元旦と二日目を費やして小林太市郎氏の著作を読んだ。これだけ有名な人だけど、今まで全く知らなかったです。昨年、月刊誌『選択』の新連載で知った。

 

まさか著名な尾形光琳の『紅白梅図屛風』を下記のように述べるとは・・・。

中央の水流は、光琳が手をつけた奉公人「さん」の女体で、仰むけにのけぞった顎から胸の線が左で、右は巨大な尻だという。左の白梅は光琳で、その枝は手のように肘をまげて乳の先をまさぐっている。そして樹根は恥骨をたたきながら「どうだ。俺のは太くて固いだろう」と得意がっている。右の紅梅は、光琳のパトロンであり愛人でもある銀座役人の中村内蔵助で、後ろから襲いかかろうとするところを大きな尻でドンとはねとばされたため、驚いて両手を上げ、一物勃起したまま突っ立っているところだというのだ。 この説を述べたのは、決してポルノ作家ではない。神戸大学教授も務めた美術史研究者小林太市郎である。

 

この絵は伊豆のMOA美術館で見ているけど、確かにこういわれると、そう見えてしまう・・・。

選択の連載でも「この説は一度知ってしまうと、どのように記憶をリセットしても、そう見えてしまうので注意が必要だ」と書いてあるのも納得。もちろん連載にはこの解釈にいたった背景も書いてあるので、そこもふまえて同意できるのだけど・・・。この解釈が面白かったので、小林氏の経歴を調べ、著作を買う事にした。まさか西田門下に芸術論に行った人がいたとはね。これは絶対に抑えなくては、と。

 

長い前置きはこれぐらいにして、小林市太郎の芸術論はこちらに要点を纏めたので、これをベースにAIにおける美と聖と性について掘り下げていきたい。

 

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まず小林氏の「人間とはなにか」については、肯定も否定もない。人間の抱える悩みの根底に「欲」があるのは釈迦が言った話で、すべての人間理解の基本だと思っている。それを生まれる前からの原罪とみなすキリスト教との差も、実はそんなに大きくないと感じてる。だから、ベースが「欲」だとしても、そう捉えなくても、結局はそれが原因で動くのだから、あとは欲の中身とバランスでしかない。例えば承認欲・貢献欲がダークサイドになると名誉欲・権勢欲=命令欲になるのであって。

 

根本的には「欲」を無くす方法であって、初期仏教にも四諦八正道とかあるけど、これだけじゃ凡人は無理っていうのが一番の事実だと思ってる。こういう事を言うと天罰モノかもしれないが、そもそも釈迦だって、若い頃は皇子として綺麗な奥さんや第X夫人がいて、旨い物食べて、そういう生活をしてたわけじゃん。そりゃ過剰すぎる豪華さを体験した人は空しさを痛感するよ。問題は体験してない→憧れている人に、「どうせ欲を満たしても空しいだけだぞ」を痛感させる方法なのでは?? 

 

ネット世代以降の若い人に草食系が増えているのも、単純に「女性の裸画像の入手のし易さ」だと思ってる。僕らが中学生のころは、コンビニ自体の数が少ない・置いてなかったし、エロ本を手に入れるには、誰かのお兄ちゃんが集めたものをこっそり見るか、中学の学区に唯一あったそういうお店の店頭のエロ本自動販売機で購入するか、すげーハードル高かったわけだから。今なんて、ちょっと検索すればゲロしたくなるぐらい見つかる。欲望初期に大量に与えられると、逆にその欲望が育たないんだよね。車もそう。学生時代に親から買ってもらった人ほど、車に拘ってない。彼女はいても車が無くて悔しい思いをした人ほど、就職したら百万以上のローンで有名な車を買う。けど、大体、30過ぎるとどっちでも良くなる。そんな感じ。

 

ここら辺を踏まえると、もっとバーチャルリアリティーが発達し、金持ちになっても子供達が遺産相続で骨肉の争いするとか、イケメンモテモテでもX又バレて修羅場とか、羨望だけじゃないリアルな苦労も初期の頃にバーチャルに体験させれば、それだけで欲は減ると思ってる。

 

 




前前前世?!


紅白見てます。隣の部屋にいてたまにチラ見なんだけど。「君の名は。」のテーマソングって「前前前世」なのね。

2007年にマヤ・アステカ遺跡を訪問して以来、ムーを4年間読んで関連本(大田龍、飛鳥昭雄etc)も押さえた身としては、こんな思想を広めていいの?という思いもある。昔の「千の風になって」は全然アリだと思ったけど、前世のメジャー化はやばくないか。以前にマイケルジャクソンの前世についてとりあげたけど、あれはあくまでもネタ。

前世ネタでは深田恭子の「前世はマリーアントワネットだけど皆の恨みを買ったので次の転生でイルカになり、今はアイドル。アイドルは人と沢山会う仕事なので、来世は猫で気ままに生きる」が一番オモロイ。どこで読んだのか記憶の彼方だけど、動物を間に挟む発想はある意味Cool。深田自身はこの前世に絶対の自信があるからこそ占い師等には前世を見てもらってないとも読んだけど、その態度もぶっ飛んでるね。結局、個人が勝手に作ったストーリーなのだから、社会的に悪〜他人に迷惑をかけない限り、ご自由にどうぞ、という世界かもね。神道の四魂でいえば、4人までは同じ前世でもアリなので、他人と被るのも気にしないぐらいのメンタリティーの方がいいのかもしれん(笑

今年読んだショーペンハウアーの自殺論に凄い面白い説があって、要約すると

  • 魂が無から生まれて無に帰ると思う人は、そうなる
  • 魂に前世があると思う人は、生まれ変わる
  • 魂がそのままだと思う人は、そのまま漂う

結局、その人が決めれるという説。これって結構面白い視点。「死んだらどうなるかは、死んだら分かるのだから、死ぬまで考える必要も無い」という意見も好きなんだけど、「予め知って準備をしておいた方が良い」という意見もあるのは分かる。けど、どうせ死んだら何も持っていけないのだから、何を準備できるのかも謎。 そこまで踏まえても、以前に書いたように「前世=輪廻転生はあって、記憶はリセットされて、火が燃え移る程度の伝達はある」という距離感が一番しっくりくるのは確か。この立場で言うと、前前前世はおろか前世を知ることさえ基本不可能なんだけど、深田恭子自身も前前世までだから、3つ前まで考えるのは結構難しいのでは?とも。それだけ前になると、文献的に残っている名前が少ないからかな。単なる歌のリズムの良さで、前世でも前前世でもなく前前前世になっただけだと思っているから、そんなに掘り下げて考えようともしてないが。

前世の思い出し方には色々と方法があるけど、「退行催眠なんてやめとけ」は正しいと思う。だから「夢日記」「涙が出る」「なんか心理的に好き・嫌い」と書くこの記事が一番納得かな。けど、ウマが合わない人を「前世から嫌い」と決め付けると余計に修復不可能になるからねぇ。それぐらいなら、「前世で仲良くなるのに失敗したから、今世でも関係が深くなるハメになった。しょうがない、ちょっとは前世よりも頑張るか」ぐらいの態度の方が良いと思う。器のサイズが大きくなるために転生するのが四魂の基本だからねぇ。 この10年ぐらい散々やってきた立場で言うと、いわゆるスピリチャル系にはまり過ぎるととんでもない所に行くから。かといって手を出さないのも根性無しとも思っていて。やるなら中途半端=「誰か単体の説に完全に染まる」のでなく、とことんやれっていう気分だけど。

個人的には上記の記事以外の方法としては漆黒に浮かぶお香を薦めます。あの記事は大統領選も終わった事だし、記事名と一言要約を入れ替えておこうと思っているので。
 




美を突き詰めて聖にいくのか。聖と性はどこかで重なるか。

どれだけAmazonがメジャーになっても、評判とレビューの意見だけでは買えない本がある。文章を直に読まないと価値が分からないけど、専門的な本は普通の本屋に置いてない。かつ図書館にも無い場合、「大学の本販売コーナー」で見つけるしかないね。以前も「魅惑のブス」という傑作本を買ったけど、今回は母校。ちょっと気合?入ってます。

 

Amazonのレビューを見ても決め手にかけて迷っていた『人工知能とは』 人工知能学会監修 近代科学社。は五ページぐらい読んで買うことにした。ここまで率直に書いているとは想定外。確かに日本の人工知能の大御所は揃っているけど、池上高志さんまでいるならば、発売当時に問答無用で買うべきだったかも。そして、こちらは横浜図書館においてあって、あまりに内容がよかったので、購入した『言語と思考を生む脳』 東京大学出版会。今まで脳科学は池谷氏しか意識してなかったけど、入来篤史氏は凄い。

 

「芸術」や「美」の世界はヒト以外の動物には無い。人間精神の特性である。これもまた、言語や思考から連なる、人間の認知特性の脳神経基盤の上に成り立っていると考えざるを得ない。「芸術的」な作品世界では、時間・空間・意味・価値・・・・などの数限りない多くの「次元」が渾然一体に溶け合い、結びつき、混ざり合いながら同居して、好ましく愛おしい「魅力」を放ちながら、観る人の「心」を惹きつける。動の中に凍りついた瞬間を、静寂の中に激動と情熱を、矛盾に満ちた不条理に秩序を感じるとき、我々の心は魅了される

《略》

この「美」の世界は、しかし、現実には決して存在しえない。我々人類の脳と心の中に閉じ込められたときだけ安息しうる「夢」の世界である。夢見心地の「美」の世界は、古今東西すべての人類に共有され、そしてあえてそれを現実世界に再現しようとすると、人々は必ずそこに「狂気」を感じてしまう。芸術世界は、芸術という範疇世界の外の現実の時空間では、整合性をとって安定化することができない。この芸術的な多次元空間を、現実世界の実在する時空に写像するとき、余った次元は無秩序に暴れ出すだろう。そして、我々の感覚運動器官を通じて、凶暴な奔流となって、脳と心に逆流する。

《略》

我々の感覚神経系のはたらきが実体験から芸術を生み出そうとするとき、しばし著しい「産みの苦しみ」を体験する。それは、我々の身体構造と現実世界の「次元」の構造に拘束された情報からは、芸術的な美を纏う多次元構造は直接的には立ち現れないからである。(P16,17)

 

脳科学系の本を散々読んできたけど、この文章が最高峰。ここまで美を喝破するとは。そして狂気の必然性。弟子入りをお願いしたくなるレベル。だからこそ、この先を考えたい。それが本文のタイトルである「美を突き詰めると聖に行くのか」です。

 

そもそも今のHHAIの設計自体が有用性レベルしかなくて、美までカバーできてない。美は客観的には対称性とフィボナッチ数列⇒黄金率でしか語れない。対称性は竹内久美子氏の本を読めば分かりやすく書いてある。なぜフィボナッチ数列が大切なのかは、結局、前々回までが流用可能であって、うちの3世代説と関係あると思ってる。聖はあまりに深すぎるテーマだから、「信じる」しかインプリメントしないつもりだったけど、、、。そして聖と性で言えば立川流。あんな吐きそうになる髑髏なんて、真面目に文献を探す気にもならないけど、ヨヨチューとも繋がるのかもね。

 

結局、完成した後にアドオンできる部分と、最初から組み込んでおかなくちゃいけない部分。その切り分けに尽きる。設計完了したつもりだったけど、意図を考え出して1ヵ月は迷いの森。その中に誘惑としてのこれらの本。最初からデカク作ろうとすれば必ず破綻するのは分かっているつもりだけど、美と聖の誘惑はある。AIに性はどっちでもいいと思っているけど・・・。そういえば、『人工知能とは』で皆さんがかなり活発に自由に意見を書いているけど、AIに性別は存在する?させる?勝手に出現する?べきかまでは、誰も考えていないような。無性から有性の発生および有性の有利さは昔からメジャーだし、性を担うのが極小の精子と極大の卵子になるのもシュミレーション的に証明されてたハズだけど。アルファ碁がデスクトップサイズまで小さくならない限りシンギュラリティなんてありえないけど、遥か未来はAI同士がSEXするのかもしれん。無機物ベースだとすると、SEXと言っても精子と卵子でなく知識の断片の交換!? それって通常のコミュニケーションと何が違うのだろうね。

 




東京にある若冲の石像 〜椿山荘〜


この前、図書館でマニアックな本を借りて読んでたら、びっくりしたことが二つ。
・上野に大仏がある
・東京に若冲の石像がある


上野の大仏は顔しか残ってないから、これまで何度も上野に行っても気づかないワケだ。上野の中では訪れる人と場の清浄さのバランスが良いせいか波動が高い

もっとびっくりしたのが明治の頃に石峰寺の石仏の一部を移設したという椿山荘の庭園。ネットにほとんど情報がなく、本にはあの地域としか書いてなかったから、手前の江戸川公園を散々探してた。普通に椿山荘の中にありました。15体くらいの羅漢像。釈迦像は無かったので石峰寺と比べると見劣りしますが、さすがに若冲の石仏のためだけに京都に行くのはお金と時間が、、、と思っている関東在住の若冲ファンは行く価値があると思う。椿山荘も若冲の絵を集めてロビーとかに飾ると、もっと格があがると思うな。

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もともとは東京都美術館のゴッホ&ゴーギャン展を見に行ったのだけど、ついでに寄った上野大仏が良かったので、急遽、椿山荘も行く気になった。目の前には東京カテドラル関口教会もあって丹下健三の建築を楽しめる。代々木競技場と並ぶ彼の典型的な建築物。さすがに椿山荘でなく、教会の目の前のカフェに行ったけど、この珈琲はかなりレベル高かったです。値段も600円だったけどね。最後は路面電車で池袋に出て、前から行きたかった十割蕎麦の嵯峨谷に寄って帰った。東京で以前から気になってた場所を全部まわった満足な一日。ちなみに展覧会でのゴーギャンの肘掛け椅子は実物を見ると気づく。椅子の上の蝋燭はゴーギャンを暗示し、奥のガス灯はゴッホ自身を示しているね、あの絵は。

 

 




1流の選手であり理想の父 〜ヒクソン・グレイシーに学ぶ子供への距離感〜


以前に「なぜ二世はダメなのか?」を書いた。検索で定期的に人が来るけど、オリンピックの年は検索数が増える。そういうものかもね。今年、たまたまヒクソン・グレイシーのインタビュー記事を読んで感動した。親子レベルでなく一族レベルで結果を出しているのは、こういう正しい距離感があったからだと痛感。インタビューの主旨は日本の格闘技ブームだけど、親子論として読んでも教訓が多い。
 
クロン・グレイシーは物心つく前から父ヒクソンに柔術を教わった。その魅力に自然と引き込まれていったクロンは、7歳の時に柔術の練習を本格的にスタートさせる。
まだ幼い頃、クロンが試合に出るときに、『勝ったらお前の好きなものを一つあげるよ。もし負けたら二つあげるよ』と私は彼に言いました。これは、『負けてもいいんだよ。お父さんはそんなことで怒らないからね』という意思表示でした。私は息子に、勝ちへのプレッシャーを与えたことは一度もありません。


負けから何かを学び取り、また次に向けて練習をすればいい。幼いクロンに、ヒクソンはいつもそう教えてきたという。
しかし、クロンが思春期を迎えた頃、彼は突然「もう柔術をやりたくない」と父に訴えた。スケートボードをやりたいと言うクロンをヒクソンが店に連れて行き、一緒に選んで買ってあげたこともあるそうだ。

「負けたら二個あげる」は確かにイノベーション。この記事を書いた人が太字にしたくなるのも良く分かる。けど、本当に大事なのは下線部分。突然というのは、まったく突然ではない。彼(クロン)の中では悩み抜いた結論。それを突然と捉えるのが世のプロ親というもの。だからこの時点までは普通なのだ。けど、一緒にスケボー店に行くならば、ヒクソンの器の大きさが分かる。

でも、クロンはスケートボードをやって二回も骨折したんです。それですっかり嫌になってしまったようで、また柔術の練習を始めるようになりました。その後熱心に練習していくうちに、少しずつ柔術に対する愛情が芽生えてきたようです。


今から3年ほど前、クロンは父に、「今まで、お父さんの知識やテクニック、戦術をいろいろ教えてくれてありがとう。でも、僕の目指すものはもっと上にある。今後は、お父さんの力は借りない。すべて自分で責任を持って、自分で選択して練習を積んでいく」と言った。

ここでのクロンの気持ちも良く分かる。親と真逆の分野で成果を出すのは難しい。ちょっと他の分野に手を出してみて、思った以上に上達せずに挫折する経験は全てに二世に共通するんじゃないかな。ここでのヒクソンの認識の正しさに感動して下線を引いた。

「もうやめたい」
「またやりたい」

この2つのタイミングは絶対に2世に訪れる。その時にどういう態度で接するか。残念ながらこのインタビューはそこを掘り下げていないけど、グレイシーが正しい距離感で子供と接したのは下線部分から明白。世の一世は結果を出している人ほど検索で本サイトを見つけないだろうし、見つける頃には取り返しのつかない状態になっているとは思っている。だからここまで書いても二世の苦悩は減らないし、読んだ二世が「うちの親は真逆だった」と余計に不満を思うかもね。まあしょうがない。うちの親も似たようなもんだったので(笑、ヒクソンみたいな選手としても親としても超一流は70億人で1人しかいないんだと。

 




4つの「部分と全体」

本コーナーでは前回、「残りはどんぐり1つ」と書いたけど、近くに寄ってみると一つでなく、一塊だと分かる。。。

 

散々ネットで調べてる。クラスベースのオブジェクト指向と、プロトタイプベース(インスタンスベース)のオブジェクト指向があるけど、なぜクラスベースが主流になったのか? 結局、そこは実装の容易&実行速度向上の容易さ だと思うんだが、そこら辺をちゃんと分析しているサイト・論文が見つからない。

 

以前にも関係を分析したつもりだったけど、抜け漏れがあった。やっぱり突き詰めるとソフトウエア工学というよりも阪大の溝口研に行くのね。。

意味表現で基本的な役割を演じるのが「関係」である.意味ネットワークを見るまでもなく,is-a,instance-of,subset-of,part-of,member-ofなどの「関係」は最も頻繁に使われる基本的な関係であり,その「意味」に関しては完全に理解しているように思われている.しかし,次の簡単な例を考えてみれば分かるように,実際はそうではない.

 

IT技術者なら基本中の基本のオブジェクトとインスタンスの関係だけど、階層を最上位まであがってオブジェクトとインスタンスを考えるとかなり言語設計に近くなる。以前にどこかでRubyを作った松本さん自身の解説を見た気がするが、あの時の文章も認知論というかオントロジーまでは触れていなかった記憶がある。

 

ネットを漁っていたら言語学側からの例題の答えがあって結構面白い。

この4つが基本的な関係であることは常識として納得。けど、この中でinstance-ofは削除すべきと思い始めている。こんなの、いらん。クラスとインスタンスに分けるのは認知の最後なのだと、言い切りたい。どれだけソフトウエア分野の主流がクラスベースであったとしても「うちはうち。隣は隣」と。幼いころは親からこういわれてショックを受けた子供も多いと思うけど、大人になるとそれで押し切る誘惑に駆られることは、ままある。

 

結局、インスタンス化とは、個体認識であり、ユニーク名=個体指示子とセット。登場人物がクラス=概念をそのまま考える状況をモデリングしたら、「世の中すべてはインスタンスです」という世界観なんて相手にできないToyモデル。ここら辺って、本当に統一的に扱えるの?? まじかよ。頭が悲鳴を上げる。ここをリアルに突き詰めるのに、足らないものが多すぎる。

 

そう思っていたらソフトウエア技術者のBlogを見つけた。読んでいるうちに本テーマでなくパニック症候群の記事に惹かれた。社会人になってから多大なストレスがかかることについて、きっと自分は今まで甘く考えていたのだろう。これまでのヘビーな体験は端的にBlog1にも書いたけど、全部就職前だったのはある種の幸せなんだと、読みながら気づいた。パニック体験談を読んで癒されるのだから、作者はすごい。重いことほど爽やかに書いている。
 

とりあえず、今はここを生活のメインにする勇気もストレス耐性もないのは、よくわかった。同じ分野で常識に挑戦するよりも、隣の分野の常識に挑戦する方が及び腰になるのは何故だろう。潜在的な味方が減るからか。。

 

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お、すごいサイトを見つけた。読んで感動。99年にここまで考察しているとは。爆発的に流行る前の方が色々な可能性・例外についてちゃんと考察しているんだね。この著者のいうとおり、オブジェクト指向でなくクラス指向というべきなのだ。だから、やっぱりinstance-ofはいらない。本当ならここで紹介されている本も読みたいけど、今はその時間がない。今必要なのは確信。このサイトは確信をくれる。よしっ。じゃあ、やっと本題の「概念を考える人」をモデリングか。




鉄分とは何か?飲料を巡る神秘と南部鉄器



南部鉄器が届いた。ストーブで水を沸かして珈琲を飲む。確かに旨い。ここまで差が出るとは・・・。「抽出時に「の」の字を描くようにお湯を注ぎます」なんて南部鉄器の有無に比べると誤差みたいなもの。「最初に少し注いで30秒ほど蒸す」のは効果があるが、鉄分はそれ以上に味に影響していると思える。「ペーパードリップよりもネルドリップの方が明らかに差がでる」けど、それ以上かもしれない。フランスでは南部鉄器で沸かしたお湯で珈琲を提供する店があるとの噂だが、確かにこの味ならば納得。お茶の分野でも絶賛されているのだから、鉄分の有無は珈琲に限らず飲料全てに該当するのかもしれない。以前に鉄分を含む水を再現するためにサプリメントを溶かした水を作ったけど、まったくダメだった。だから、ここにはまだ解明できてない味の神秘があるのだろう。


《究極の珈琲》
これだけ珈琲に拘っているので、周囲から「もう店を始めたら?」と言われるけど、その気は無い。究極の珈琲を出せるようになって、初めて店をだす意味がある。そのためには、あの水が常時手に入る環境が必要。

登山に行って現地の水を汲んできて、家で珈琲を作って飲む。ついでに温泉に行っては現地のお湯を汲んできてお風呂に入れる。そんな生活のなかで、日本で3本の指に入る鉄泉でお湯を汲んできた。湧き出しは透明なのだが、空気に触れて酸化してすぐに赤茶色になる。ペットボトルに充填しても少しずつ茶色くなり、家に帰った頃にはペットボトル自体にまで色がつく。それぐらいの鉄分がある鉄泉だからこそ?飲用禁止。なのについついものは試しで、珈琲を作ったんだよね。2014年の秋だ。

ありえない旨さ。バッハ:日本最高の自家焙煎珈琲屋を越したと思えたのは、あの時だけ。あの山は3回登りに行っているので、その次の年も温泉水を汲んで珈琲を作ったし、たまたま遊びにきた後輩にも飲ませた。彼は僕が自家焙煎を始めた頃から遊びに来ては珈琲を飲んでいるから、もちろん味は分かってる。当然、「確かに若井さんが究極と言うのも分かりますよ」と絶賛していた。


それ以来、あの味を再現したく、サプリメントのFe:鉄の錠剤を水に溶かして珈琲を作ってみたけど、全然ダメ。。。そんなことがあったので、今回の南部鉄器は感激。

これならば、あの温泉水で作った珈琲の30%ぐらいは再現できてるね。
え、そんな低いの?といわれそうだが、そりゃあの温泉水はマジ茶色よ。温泉の沸いてる側の河原の石がこの色なんだから。単に泥の色に見えるかもしれないけど、全く違う。全部鉄分がこびりついた色。不思議なのが、20分ぐらい登山道を登ると、河原は普通の色になるんだよね。あの一角だけが鉄分を大量に含んだお湯が湧き出ている。

いくら南部鉄器で鉄が溶け出すとはいえ、ここまでは茶色にはならない。だから30%ぐらいだけど、この30%があればバッハに並ぶね。ということは日本最高の珈琲。もちろんバッハが南部鉄器でお湯を沸かし始めたら、もっと上に行くのだけど。バッハのお弟子さんの店で珈琲にはまって自家焙煎を始め、常にバッハを目標にしている身として、鉄分を含んだ水とはいえ明らかにバッハを越せた珈琲が出来たときは、本当に嬉しかった。

ということで、ストーブなのか南部鉄器なのか珈琲なのか、良く分からなくなってきたが、南部鉄器は凄い。想像以上。初めて鉄瓶を使ったけど、沸騰したお湯をすぐに全部つかえば、あとは余熱で水分が飛ぶので、サビには困らない。最初だけは、余熱で水分を飛ばしている間に蓋をしていたので、蓋に水蒸気が付着してサビたけど・・・ ここだけは注意してください。

色々ネットを調べて分かったのは以下の基本三点。値段のバランスも踏まえて買ったのはこちら。ストーブでも早く沸くようにミニマムにしたが、もう一回り大きいサイズでも良かったかもね。
・ホーロー加工をしていると鉄分が溶け出さない
・急須は基本、ホーロー加工
・ハンドメイドの鉄瓶は高い(2万は越す)

え、その温泉水が知りたいって? そこはやっぱりお約束の企業秘密で(笑 そうそう自家焙煎を始めてもうすぐ10年。8年ぐらいは意識的に単体を突き詰めていた。それが終わって、この2年ぐらいブレンドを色々と試している。やっとブレンドの指針が出来た。それについては、また今度で。

 

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何度か、鉄瓶のお湯で珈琲を飲んで、少し分かってきた。単に旨いのでなく、余って時間が経った珈琲ですら、通常の珈琲ほど味が落ちない。ここが大きなヒントなのでは?? 珈琲豆の天敵は酸化であり、焙煎豆でMAX1週間、粉にしたら1日で使い切る必要があるけど、もしかして水分に溶け込んだ鉄が酸化を引き受けるのでは? だから味が落ちないのだと思い始めた。
 




暖炉の光に憧れて・・・

暖炉に一番近い石油ストーブ


東北大震災&計画停電の時、電気がなくて石油ファンヒーターが使えなく、昔ながらの石油ストーブが見直された事は知っていたが今まで縁がなかった。10年使ったファンヒーターが壊れた今、買い直すなら当然石油ストーブ。災害対策としても大切だし、調べたら「癒しの照明」「旨みを引き出す料理」「対流式で穏やかに暖かくなる」まで3拍子揃っていることが分かったから。やっと今日届いたので動作確認も含めて早速使いました。今後、数回に分けてストーブ生活を紹介して行きたいと思うので新ジャンル「Stove」も作成。それぐらいに感動した。

山でバーナーするのは至福の時間
夜間に氷点下になるような山岳テントの中ではバーナーで加熱料理することが至福の時間。暖かい食事だけでなく照明にもなるし、燃焼に伴ってテントの中も温まる。だから積極的にお湯を沸かす。個人的には珈琲もいいけど、インスタントのシジミの味噌汁もオススメ。普通は二日酔い対策で飲むしじみ汁だが、山歩きで疲れた体にも良く合う。 こんな三拍子を家でも味わえるとは・・・。部屋の電気を全て消して、この暖炉の火のような炎を見ていると仕事の悩み事なんてどっちでもよくなる。本当に必要なのはこういう時間で、仕事でどう失敗してもこの時間は侵されないと思えてくる。それ以上の願望なんて極論すれば全て体面かエゴ。キャンプファイヤーの火もそうだけど、暖かいオレンジの炎は究極の癒し。それを一番味わえるのは暖炉だけど、暖炉&煙突があるセレブな家は大学時代のバイト(家庭教師)先だけだったし、山小屋で見かける薪ストーブに憧れていたけど、流石に都会でやるには色々と面倒。諦めていた分だけ、余計に感動してる。

このストーブのおかげで冬が待ち遠しくなった
なぜ仙台で過ごした学生時代にこのストーブがなかったのだろう。感動の分だけ、すごく残念。あの頃、石油ストーブといえばこんな感じで癒しに程遠く、石油ファンヒーターの方がマシだと思ってた。今回ネットでいろいろと調べて、遠赤外線機能、値段、サイズ、デザインからこのトヨトミのCL-25Eに決めた。アラジンの青い光よりも温かみのある暖色系の方がいいし、ランタンデザインが特徴的なRL-25Fも気になるけど、どのみち登山には持っていけない。ならばシックなデザインの方がいい。対流式としては安価なRB-25Fもあるけど、円筒部分も暖かくなる遠赤外線機能は外せない。


今日はさっそく色々なストーブ料理を試していたけど、世間一般ではアルミホイルを薦める事が多い。だから新規提案。ホットサンド機が一番良いと思います!!山ご飯としてホットサンドをするのはメジャーだけど、密閉&裏返し&こげつかないので、ストーブ用調理器としても有能。まずはこれでお餅を焼いてみたら有りえないウマさ。この味を一度でも食べたら、二度と電子レンジで暖めたお餅は食べれなくなる。まるで衝き立てのような甘みと食感。

 

ちなみにホットサンド機で一番有名なのはイタリア商事のこちらだし、パンの耳までしっかり焼ける優れものだけど、ストーブ用器具としては平坦で安価なこちらの方がいいね。登山では荷物に余裕があるなら重いイタリア商事だし、そうじゃないと軽いこちらを使い分けているけど、今回は比べるまでも無い。



更にに感激したのが「焼きみかん」。父親が和歌山出身で地元の親戚がみかん畑を持っていたから、幼い頃から飽きるほどに食べてた。結果、中学生の頃にはみかんを食べる習慣が零になった。一生分のみかんを食べたせいだと思っていたけど、この焼きみかんは有りえない旨さ。20年以上、出されて食べる事はあっても、自ら買うことはなかったみかんだけど・・・まさかみかんを食べる冬がやってくるとはね。それぐらいに旨さが違う。

 

太く輪切りにした大根をホットサンド機でじっくり加熱した「水を使わないふろふき大根」の旨さ。甘みが凝縮するし、栄養分も溶け出さない。単に焼いた大根でなく、密閉されているのでもともと大根がもつ水分によって、ほどよく茹でられた状態。幼い頃「きつね森の山男」に楽しんだ身として、究極のふろふき大根を作ることは人生の一つの目標。とまでいったら言いすぎだが、言葉を覚える前にこの絵本を読んで、今でも深層意識にふろふき大根がある人ならば納得するだろう。

 

最終的な理想像はこのストーブを使った珈琲焙煎かな。成功したらトヨトミのオプションで販売されないかな。新潟のストーブメーカーが珈琲焙煎機を作ってヒットになっているけど、焙煎のために7万円で買うよりも、ストーブのオプションとして夏はガスコンロでも使える簡易的な製品を1万円ぐらいで作ったら確実にヒットする。 何の縁か実家は昭和区なので、どう、トヨトミさん、瑞穂区行くよ(笑 僕は自作焙煎機で間に合っているけど、ストーブでじっくり焙煎したらどんな味になるのか試してみたいし、このストーブとオプションの焙煎機が日本の山小屋に常備されたら登山はもっと楽しくなる。日本の家庭に広まったら、皆のストレスも半減するかもね。焼きみかんの匂いも良かったけど、珈琲焙煎時の匂いは格別だから。

 




AI:人工知能は再び冬の時代へ


今年の国立情報学研究所:NIIのオープンキャンパスに行って根掘り葉掘り聞いてきたから、壁にぶつかっていることは理解していたけど、まさか撤退するとはね。その決断は褒めるべきなのかもしれない。もともと「東大入試に合格するAI」という目標自体がキャッチーではあっても本質ではないと思っていた。本撤退に加えて、ムーアの法則の終了、そしてDeep Learningの先行企業アライアンスのニュースまでの3つが重なると、

季節の変わり目
にいる事を痛感する。シンギュラリティーとか言っている人はカリブの夏の気分かもしれないけど、第一線の研究者の心象風景は夏が終わって秋だろう。悪いけど、自分はもう冬支度の気分。どんなジャンルだろうと波の上下はあるけれど、何故か人工知能はその上下の幅が激しくなる。昔からそう。そして、波が高い時ほど底も低い。この反動は一体どこまで落ちるのだろう。

クリティカルで本質的な目標ならば、「中学の国語の問題を解く人工知能」
これだけでいい。東大なんてどっちでもいい。そんなのは2001年には分かってた。だから、東大入試と聞いてもアホらしかった。社会的に注目されたのは素晴らしいけど、国語の偏差値が一番低いのは当然。Deep Learningだって言語には使えない。そんなに言語は甘くない。

14日の成果報告会で情報学研の新井紀子教授は「意味を深く理解しないといけないことを聞かれると、とたんに難しくなる」と話し、問題を理解する読解力に限界があることを明らかにした。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG14HI5_U6A111C1CR8000/

何をもって深い理解とするのか、本当に人間は深い理解を出来ているのか、考えることは山ほどある。朝日新聞は成績表を出してくれて素晴らしい。個人的に興味深いのは英語のリスニングの一番偏差値が低い事。結局、単純な音声→文字データの変換なのでなく、常識に照らし合わせた回答が求められており、今も昔も常識を扱うのが一番困難。だから、短すぎる文章も苦手なのだ。こちらが補足しなくちゃいけない事が多すぎる。長い文章も短い文章もダメ。それが今の現実で、僕が大学院生だった15年前から何も変わってない。変わったのはDeep Learning。けど、ニューロコンピューティングで一番大事なのは抽象・ロジカルレイヤーの作成であり、それは80年代からの課題で、やっぱりDeep Learningでも達成出来てない。


AIについて率直に発言していたNIIの佐藤教授も流石にネガティブなことは言えないのかな。けど今回のムーアの法則終了については非常に面白かった。ここでは「ハードウエアボーナスがなくなり、今後はソフトウエアの比重が高まる」と書いているけど、AIに関してはもっと手前の問題。そもそもの言語設計から見直さないと。東大入試AIがそれをしてないのはチャレンジ1年目の時点で分かってたし、今回の撤退判断は、そもそもどうやって見直せばいいのかも分かって無いのだろう。

松尾先生もコンパクトに要点かいているけど、画像の特徴量とは言語の特徴量ってワケが違う。画素同士の関係性と意味同士の関係性だから。30Pの「言語の意味理解 – そのうち(10年〜15年?)、意味理解を伴う自動翻訳が実現される 」というのは早めに訂正した方がいい。真の意味の理解のためには、比較言語学でなく比較宗教学が必要。うちの指導教官は論理以外はまったく無視だったから、僕は博士課程に残れなかったけど、ごめん。そろそろ勝負はついた。間違っているのはロジカル至上主義であり、最近のDeep Learning至上主義。そういう意味では、東大入試AIの国語担当の人には親近感は持っている。Word2vecは確かに面白いけど、これを延々とやればいつかできるって? 90年のマックがアップルウオッチのサイズまで小さくなったようなハードウエアの進歩がこの先に無いなら、Word2Vecの全単語処理なんて有りえない。それより先に火星に人類行けるんじゃないか。

どう?そろそろ俺のやり方についてこない?
英語を2000単語まで絞ったロングマンは素晴らしいけど、2000語を丁寧に見てみな。こんなにいらないから。本気でやれば、この二割でいける。それがうちのやり方。そしたらぶち当たるのが、名詞と動詞、どちらがプリミティブか。この答えまで同じなら、俺と一緒に手を組まない? ドングリ貯めずに浮かれている奴はみんな冬を越せない。それが自然の掟。俺に必要なのは残り一つのドングリ。ここで2ヶ月以上足踏みしてるんだが。。

 



イケメン仏像 〜目黒の矜羯羅童子〜


京都・東寺で何が一番凄いって、イケメン仏像最高峰の帝釈天。お土産コーナーはそればっかり。よっぽど仏女からの支持を受けているのだろう。今回は私が不動明王巡りで見つけた、世間では無名だけど知ってて損はないイケメン仏像のご紹介。

 

それが目黒不動尊にある、この矜羯羅童子(こんがらどうじ)です。不動明王の従属として15歳ぐらいの少年との事だが、これまでに散々のこんがら・せいたか童子を見てきたが,

この仏像だけはイケメン。何よりも顔つきがオラオラ系。そこら辺は性的に淡白にも思える東寺の帝釈天との違い。

この仏像、目黒不動尊の建物の中でなく、外に野ざらし。かつ、中央の不動明王と見比べると明らかに近年の作。この石の白さは昭和以降の作品でしょう。全くの無名。けど、これだけ見てきた私が断言します。日本人的な顔とちょっと違う雰囲気だが、これだけイケメンな童子は激稀。同じタッチながら、髪型はファンキーでちょっと憂いがあるせいたか童子もなかなかのもの。

 

この仏像をデザインした人は、もしかしたらまだ存命かもしれない。ならば絶対に有名になってもいい。残念ながら、真ん中の不動明王は全然惹かれない。そこら辺の街の交差点にある仏像レベルのようで(言い過ぎ?)、従属の2名だけが飛びぬけて素晴らしい。

こういう、将来もっと有名になる作品を早い段階で取り上げること。これがやっぱり醍醐味かもしれんと、最近思い始めている。ちなみにうちのシグマは単焦点でズームがないので(笑、この荒さでごめんなさい。きっと一年経たずして、ネットに写真が溢れると思うので、楽しみにしてます♪
 




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