流浪の敵王子:シャアと、精神の底にいるカミュウ


ガンダムORIGINをvol4まで観ました。やっとガンダムについて自分の中に整理できた。突き詰めるとシャアの魅力に尽きる。「流転の王子」を骨格としたストーリーはギリシャ神話を筆頭に数多い。けど、敵の王子が流転するという構成は珍しい。ジオン公国なのに支配しているのはザビ家。なぜザビ公国じゃないのか、初心者が素直に思う疑問こそが、ガンダムの真の骨格。ロボットアニメとしてのガンダムの良さは今回は省く。あくまでもストーリーとしての良さを突き詰めたい。それぐらいにORIGINは感動したから。

 

 

同時代で見たガンダムが、その人の人生に影響を与える

とまで言ったら言い過ぎ?いや、僕らの世代は最後に発狂したカミュウが衝撃的すぎて・・・・世代が抱えるトラウマだよ。ナイーブな男の子が多いのも、カミュウがナイーブだったから。Zガンダムの放映時(1985)は小学3年生。全部観たけど、殆ど記憶が無い。百式のプラモデルを買ったこと、オープニングソングの「水の星へ」が物凄く良かったこと、そして最終話の最後に主人公のカミュウが発狂=精神の底に沈んだこと。

 

まさかカミュウがロダンの2番目の妻:カミュウ・クローデルから命名されているとは・・・

殆ど話題になってないけど、wikipediaで知ったときは衝撃だった。発狂というエンドも同じだから。日本でこれだけカミュウ・クローデルに拘っている人も少ないけど、ロダンを突き詰めればカミュウなんだよ。最近、横浜ではロダンの接吻のポスターが沢山飾ってあるけど、「おまえ、男女の恋愛について本気で考えた事あるか?」と思う。あれはポーズも含めて誰でも思いつくレベル。フギット・アモールこそロダンしか造れないレベルの作品だし、彼のSoulが込められている。

 

誰がZガンダムの主人公:カミュウ・ビダンの名前をカミュウ・クローデルから名づけたのかは分からない。

けど、その人は僕と同じくらいの認識にいるんだね。全く別の分野で本気で気に入ったモノが実は繋がっていると知ったときの喜びは言葉に代え難い。あの当時、カミュウのラストが己のコアに刻印された同世代の中で、何人がカミュウ・クローデルまでたどり着いているか。今からでもいいからぜひとも突き詰めて欲しい。

 

ZZガンダムはクソ

カミュウの衝撃的なラストの次の年に始まったZZガンダム。そのオープニングソングが「アニメじゃない、アニメじゃない、ほんとのことさ〜」で始まった瞬間、「つくったやつはクソ」だと思った。本当はあのときTVを叩き割りたかったんだね。それだけのレベル。アホとかバカとか頭悪いとかそんなレベルじゃない。魂がクソのレベル。確かにこの歳になると、「Zガンダムはやりすぎた。ZZではバランスとらないと」という思考も分かる。けど、さすがに「アニメじゃない」はダメだろ。。歌もジャニーズアイドルのような軽さ。五反田君なら「クソが干からびてる」と言うレベル。

 

|かがリスクをとって勝負をかける

△修療時は明確な成功にならない

その後、バランスをとって逆に振る

 

どんな世界でもありえる話だけど、10年20年経過すると真の答えは出る。歴史に残るのは,世院どんな分野の仕事でも,鯡椹悗紘要がある。もちろんを担当する場面もあるけど、,汎韻献譽戰襪料曚いないとはクソに成り果てる。それだけは確かなんだね。

 

いくらZZに失望しても、F91は映画館に行きました。悪くは無いけど、凄い感動もなかった記憶がある。以降、ずっとガンダムシリーズから離れていた。そして2010年に静岡でファースト・ガンダムの再放送。全部観ました。凄く良かったです。だから、Zガンダムを全部借りてきて見直して、「逆襲のシャア」を見て、やっとORIGINをVol4まで観た。それが一昨日。

 

ちょっとカミュウについて熱く書きすぎたけど、同年代なら皆同じ想いだと思うな。

 

「逆襲のシャア」は絵がありえない。もうちょっとZの時のシャア:クワトロ大佐とタッチを同じにしろよ。髪形が変わった以上に、変になってないか?アニメだとそういう基本的なところで躓くこともあるからなぁ。ORIGINの良いところは絵。幼い頃や学生の頃のシャアの絵が良い。それ以上に歌の良さ。やっぱり「水の星へ」世代としては、ここは要チェックポイント。どれも良いけど、一番気に入ったのは「星屑の砂時計」です。メロディーも歌手も良い。引退したのにわざわざお願いしただけの透明感がある声。なにより歌詞の深さ

 

千億の星屑が 私に降りかかる
   自分の小ささに すくむの心が
   運命の箱船が 旅立つ時間(とき)の海
   音のない序曲が ひびき始める

 

この歌詞を作った人は才能ある。「千億の星屑が私に降りかかる」「音のない序曲がひびき始める」の部分は才能が必要。ありえないレベル。歴史に残る。だからこそサビの部分について文句を言いたい。

 

 

ねえ私 この世に
   生まれてよかったの?

 

これは態度の問題だけど、これは発してはいけない種類の問い。もちろん誰だって思うときはある。けど、「何故生まれたかを問うのでなく、どう生きるべきかを問え」というのが至言だから。

 

答えのないまま 月は
   欠けて 満ちて
   私のなかの 少女が
   大人になってゆく 

 

という部分は良いと思う。アルテイシアの気持ちが良く表現されてる。そんな点では、2番目の歌詞は良い。

 

なぜ人間(ひと)は愛し合い 傷つけ憎み合う 

孤独な星たちが 引き合うみたいに 

でも今は信じたい 夢という遺伝子が 

苦しみも涙も 越えて行くって 

 

ねえどんな あしたが 私を待ってるの?

たずねてみるけど 月は ほほえむだけ 

 

誰も知らない 未来へ 

砂時計 落ちてゆく

 

サビも良くなっている。「孤独な星」はガンダムの歌詞では必須のフレーズ。「夢という遺伝子」も一瞬亜然とするけど、考えてみると納得。「誰も知らない未来へ砂時計落ちていく」という情景描写は本気で凄い。このセンスはぜひ学びたい。


 

けど、大サビはまたがっかりなフレーズなんだよね。。結局、この作詞家は非常に才能があるけど、「やっちゃいけない問い」という指針が無い。「アルテイシアはそう思っているハズ」という言葉は無意味。真の芸術といえるアニメソングは子供に正しい道を教えるべきだから。「ねえ私、この世に生まれて良かったの?」は破滅の道。

 

「千億の星屑よ 私もきらめこう」も違和感。星達ならわかる。けど星屑は、きらめこうには合わない。逆に降りかかるならば星屑。星が降りかかるのはオカシイ。そういう意味では、曲の最初のフレーズが良くて、それをタイトルにしたから、ここでも使っちゃったんだろうね。全く。。

 

もっと厳密に書く。「私はこの世に生まれてよかったの?」は、「私はなぜ生まれたの?」よりも斜め下の問い。「なぜ生まれたか」は哲学の範囲だけど、「生まれて良かったのか」は良い・悪いという価値判断を含むから宗教レベルの問いだぞ、オイ。この問いを発していいのは、生まれた時から周囲に害悪を与える宿命(さだめ)をもつひとだけ。アルテイシアじゃない。シャアだろ。ORIGINでも復讐のために本当のシャアを身代わりにしてる。そんな意味では、シャアをメインした「風よ」歌詞としては違和感ない。言葉の組み合わせに感動は無いけど、違和感は零。

ただ、そもそも音楽がなぁ。ただ、そこは好みの問題だからいいです。

 

このアニメ、音楽への拘りがハンパないけど、それを痛感したのがJazzバークラブエデンの歌手ハモンの声。声優が歌ってみましたレベルじゃない。深みがしっかりある女性ボーカル。「紅の豚」での加藤登紀子レベルと言ったら褒めすぎ? 慌てて調べたら澤田かおりなんだね。ジオン・ダイクンの二人目の妻:アストライアはこのJazzバーの出身だからこそ、ここを拘ることがハモンだけでなくアストライアの魅力描写になり、それが母親と引き裂かれたシャアとアルテイシアの悲しみまで繋がる。細部まで手を抜かない。素晴らしい。

ついつい澤田かおりの父親もネットで調べてしまった。彼女自身も色々背負ってるね。じゃないと、あの声は出ないか。世の中には背負わないと出ないレベルの声がある。それを求めてBlack Musicを聴きこんでいる身としては、澤田かおりは全曲集める気になったぐらい気に入りました。星屑の砂時計を歌ったyu-yuもいいけど、良家のお嬢様すぎて、、、深部には届かない気もする。

 

---

いまやっとVol5を観た。戦争が激しくなりクラブエデンも閉鎖間際。そこでのハモンの歌の良さ。あまりに良いから、「え、これも澤田かおり?」と思いながら聴いてた。やっぱり名作映画に名曲と名歌手は必須なんだよ。前回のBy Your Sideよりもこちらの曲の方が哀愁があって澤田かおりの深さが良く出てる。素晴らしい。久々にファンになりそうな。

 

 




テントの冬改造(スノースカート)と、ワカン作成&失敗



冬期登山に挑むには体力だけでなく冬の装備も必要。特にテント泊の場合、テントを冬用にしなくちゃいけない。「いつかは冬期」と思って、冬オプションがあるテントにしたけど、やっぱり冬のテントカバー:スノーフライは高価。極論、風が隙間から入ってこなければいいのだから、スカートを履かせればいい。最初はブルーシートを思いついたけど、さすがにダサいから灰色のブルーシート。けど、商品を見ながらもっとシンプルに分厚いビニールで良いと判断。それがこのTRUSCO業務用ポリ袋です。通常の3倍の分厚さはダテじゃない。それを脱着式にするため、業務用のマジックテープも購入。ちゃんと接着するためにホチキスも使う。

 

完成したのがこの右の写真です。よくよく見ると透明なスカートがついてる事が分かるでしょ。こちらのアップの写真の方がいいかな。色々調べると通常期のフライシートは空気の交換が出来ないので、入口側だけはスカートをつけない。これで12月の甲斐駒・黒戸尾根に行ったけど、非常に活躍してくれました。隣でテントしてた人たちに「おっいいね」言われた。帰ってきて調べてみたら、こういう風にスカートをつけるのは色々と情報あるね。ブルーシートが多いけど、見た目的にはこの分厚い透明ビニールの方がオススメっすよ!

 

で、もう一つ自作にチャレンジ。もちろんアイゼンやピッケルの自作にチャレンジする人はいないと思う。個人的にもアイゼンに1万円以上払うのは分かる。あれだけの金属加工をしてるんだしね。けど、ワカンはどうよ。あんな単純な加工品なんて、大量生産したら3000円ぐらいじゃない? あれに1万円は無いわ・・・。けど、自作の情報も殆ど無い。こういうときほどDIYとしての腕の見せ所。もちろん家の家具だって色々と改造・作っているけど、そういうネタは自作スピーカー以外は当分投稿しない。けど、このワカンはすれ違う人全員から「え、なにそのギア」と言われたので、載せておきます(笑

■必要なもの

・ダイソーで売ってるネクタイハンガー4つ(100円x4)

・ホームセンターでうってるステンレスパイプ(直径0.6mm)

・ダイソーで売ってる荷物梱包バンド(青いやつね)

・針金

 

■特殊な工具

・金属のこぎり(ダイソーで売ってます)

 

 

 

■作業ステップ

.優タイハンガーのかける部分をグニグニ曲げると取れる

▲好謄鵐譽好僖ぅ廚魘眤阿里海りで切る。これも全部切るのは大変だから半分ぐらいであとはグニグニ曲げる。長さはパイプをつける場所によりますが、私の場合は、16cm、26cm、24cmが2セットです。不安ならホームセンターで切ってもらったら?

あとはそれらを繋げるだけ。ポイントはステンレスパイプの中に針金を通す形で止めること。私は3回は通してます。強度的にこれぐらいは必要なのでは?

 

 

実際の使用結果ですが、面積的に足裏の倍。だから、雪に埋もれる深さが半分になる。このネクタイハンガーの小円の多さが浮力を生むと思ったけど、その想定はそこそこの結果。一回つかってちょっと湾曲したけど、普通に問題ない状況。もっとハードに使ったらどうなるかは謎。ぜひこの投稿を見て、ワカンの自作にチャレンジする人が増えることを望んでいます〜

[2018.1.23]

----

 

3月17,18日に常念岳行ってきました。テントスカートは活躍してくれたけど、このワカンは壊れた。。道に少しでも岩が見えていたりして、力が斜めにかかると、このステンレスパイプの太さと、このネクタイハンガーの金属の太さでは、支えきれない。最終的には針金を3本通したパイプ自体が外れてしまったから。何かのタイミングで全体重が中央のステンレスパイプ一本に掛かると、曲がるし、針金も切れる。やっぱりワカンも買うしかないか。。もっとステンレスパイプを太くしてもいいけど、このネクタイハンガーも一つじゃだめだね。最低でも二つを重ねないと。。




道理と感性の糖衣構文


以前にこう書いたけど、

そもそも感覚と感情を明確に分離できるかどうかも謎。どこかで線を引かないと区別はできないと感じてる。「感性」は一般用語だけど、感覚と感情と感性の三つの違いを明確化することすら大変。感覚は感覚器で感じるけど、感情と感性はそもそも何で感じるのか、まずこの問いから答えないと。 《略》「感覚」と「感情」は採用するけど「感性」はいらない。感性を捨てるのは勇気がいるけど、やっぱりいらないな。 

 

感性を捨てるといってもコア単語に採用しないだけ。もちろん派生語としては認める。巷の文章に「感性」って言葉は良く使われるしね。派生語自体もコンピューター言語分野では糖衣構文:syntactic sugarと言われる。大学3年で研究室に入った頃、初めてこの単語を知って意味不明だった。いくら分野特有の専門用語といっても、もうちょと想像しやすい言葉にしてくれよ、、、今でこそこの画像のように、コア単語がピーナッツで、派生語を砂糖コーティングに喩えていることは分かるけどさ。。

 

最近やっと道理と感性についてHHAIなりの定義づけが終わったのでメモ程度に書いておきます。

 

感性=感覚+決断

道理=心情(主観)+論理(客観)

 

一般的には「鋭い感覚」を感性の定義とするみたいだが、個人的には納得して無い。たとえば、匂いに敏感なだけで感性が優れているって言う? 感覚がどれだけ鋭くても、それが決断に結びつかないかぎり感性とは言わない。決断=「リスクを覚悟した判断」 レストランでメニュー選ぶのだって一つの判断だけど、そんなのは誰も決断とは言わない。いくら感覚が鋭くても、その感覚に自分の人生を預けることまで出来て初めて感性。複雑な場面において決断しないで様子見をしていると、確かにどちらかに状況は流れていく。それはそれでリスクを減らす生き方だけど、突き詰めれば「周りに流された人生」でしかない。決断といえる判断をどれだけ下してきたか、それは結構大事なポイント。決断ポイントでとことん情報集めに走る人もいるけど、それじゃあ感性は磨かれない。リスク重視派の人って、感性を磨いてないことすら気づいてないんだよね。周囲でも2,3名いる。そういう人ほど俺の事をテキトーとかアホだと思っている(笑 けど、前回に書いた甲斐駒はホント良かった。リスク重視してたら一生、見れない風景がある。

 

道理を認めるとは、主観的にも客観的にも納得した状態。「心情的に納得する=腹落ちする」ってのは誰しもが認めるでしょう。客観的というのは論理だし、この世の論理は全て共起確率に落とし込めばいい。

 

 

主観的に納得できないのは 銑イな。

〃い=自己の価値観に合わない

意味が無い=効果がない

スキルが無い=失敗への不安

せ間/ヒマが無い

ヌ滅鬚澆無い

 

この中でイ世韻HHIのコア言語じゃない。楽しいって、シンプルな感情なんだけど、突き詰めると結構難しいと思ってます。そんな今日この頃。

 

-----

感覚→感性→芸術/美

ある本を読んでいたら、こっちの定義もあることに気づいた。こちらの方が皆の同意かもね。この形式化の難しいところは、芸術/美の明確化。以前も散々に考えた

藝術によって、人は満たされない過剰欲望の苦悩を、ふしぎな享楽にかえる事ができる。

それで藝術の作品は必ずそれに相当する現実の行動を消している。その消却のうえに、その抹殺の上に作品が立っている。そこにまさしくその迫力がある。すなわち消されて無くなったものの抵抗、いわば抹殺されたものの執念が作品の中にこもっている。うごめいている。それがその迫力になる。

ここら辺が最高峰である小林市太郎の核心部分。改めて考えると、この理論は欲望を消すことがメインだけど、逆に魂の鼓舞とでもいうべき行動を促す芸術もある。そこの掘り下げが甘いんだね。

 

芸術と感動はセットで定義すべきで、芸術により感動し、感動させるものが芸術なのだ。以前から動詞と名詞の関連をとことん考えているけど、それは山は名詞でも川は動詞では?というレベルの問題だけではない。芸術と感動のようなセットもある。そして、感動は二十歳の頃からとことん考えてきた。結論は「作品に手を引っ張ってもらって一瞬だけ階段を登れている」

 

そんな意味では、結局は似ているのだと思ってきた。行動を消すでも行動を促すでも結局は同じこと。その手前だから、決断でいいのだと。




浄楽寺不動明王 2018年3月

角度によっては「泣き顔」に見えてくる。それが最高傑作の証


仏像の顔が変わった。

足掛け4年、4回目のご対面にして一瞬、固まってしまった。数秒経過して台座が新しくなって仏像の位置が少し高くなったことに気づいた。この仏像は角度によってこんなにも表情が変わるのか・・・。だから、今まで以上に色んな角度から眺めた。今回はお土産コーナーが外に移った関係で建物の中が広々としている。閉館間際の時間だったので人が少ない状態。

 

仏像に向かって左側に立ち、

右手に持つ剣で右半分の顔が隠れる場所から、

左側の表情だけを眺める。

「憂い」というよりも「奥悩」、いや「泣き顔」にさえ見えてくることに気づいた。慌てて仏像の正面に立ち、自分の顔の前に指を立てて、片方ずつの表情を見る。こんなにも左右の顔が違うのか・・・この仏像が持つ深みをこれで客観的に証明できたのかもしれない。剣の奥で泣いている左顔の写真が広まれば、運慶の最高傑作かつ不動明王の最高傑作という事実が、やっと皆に伝わるかもしれない。

 

 

昨晩気づいて慌てて今日、御開帳に行ってきました。

ご開帳は3/3と10/19の年2回のみだけど、今年は3/1〜3/5までの特別開帳なんだね。というよりも、昨年秋の東博の運慶特別展に出展していたとは。。ポスターに浄楽寺の運慶仏が載ってなかったら行く気にすらなからなかったけど、流石に浄楽寺も揃えるのか。それは安心。けど、未だに運慶の最高傑作を晩年の無著・世親菩薩像にしている点はどうにかして欲しい。「迫真の写実は個性描写を超越し、普遍的な精神性を感じさせるまでに昇華されている。この無著、世親の両像は、運慶がどのうような信仰心を抱いていたかを代弁してくれるものとも言われる。それほど祈りをこめたリアリズムが際立っている」

 

この文章を否定するつもりはない。ただ、あの仏像を最高傑作と思う人は、同じ道を歩んでいる人だけでは? それって日本人の何%になるのだろう。確かに運慶自身の歩みの終着点とも言えるかもしれない。けど、悟った表情って、実はあまり伝わらないんだよ。それは大日如来や阿弥陀如来の仏像を見れば一目瞭然。あまりに感情を超越しすぎて、僕らの今とかけ離れすぎるから。その点、不動明王の良さ。普通は怒っているだけだから、反省心の薄い人には伝わらない。けど、この仏像だけは別。以前にも書いた通り、

 

憤怒の表情の奥に慈悲があるのが真の不動明王だし、それに唯一該当するのが浄楽寺の像。
お前がお前なりに苦労してきた事は分かっている。
 けど、お前はやっぱり愚かだったのだ。

という言葉が聞こえてくるほどの表情になっているから。

 

---

今回は土産物が増えた。東博の運慶特集で新たに作ったのだろう。この不動明王をピックアップしていて良かった。けど、アップの画像は右目が半分で切れている。せっかく若冲は鳳凰が一番良いというコンセンサスになりつつあるのにね。檀家の人?がお土産コーナーでレジをしていて、購入する時に雑談した。

「お土産ふえたんですねー。それも不動明王が。凄く嬉しいです」

「そうなんですよ。(略) 住職も不動明王が一番っていってます」

「不動明王以外は伊豆の願成就院が上ですが、不動明王は間違いなくこちらが上。これは国宝に戻すべきですよ」

「不動明王以外はあちらが上ですか・・・・」

「もっとこの不動明王のポスターカードの種類を増やして欲しいなぁ。このアップはいいけど、目が半分切れてるからもったいない」

 

ということで、ちょっとお姉さんを悲しませてしまいましが、ウソは言えない。。ほんと、あの泣き顔にみえる角度は、ちゃんと写真を撮って広めないと。そういう意味ではクラウドファンディングをやっていたのを全く知らなかった。そりゃ当然1万円ぐらい出しますよ。フラッシュ禁止でいいから自由に写真を撮らしてくれるなら2万だって痛くない。4年前に比べてお寺のサイトできて嬉しい限りだけど、もっといける。写経もいいけど、あの収蔵庫で座禅も企画してほしい。絶対行くよ!!

 

あ、あともう一つ。

前島密がこの運慶仏像群についてどう言っていたのか。せっかく運慶仏像群と前島密でアピールするならば、もっと両者の関係を掘り下げて良いと思う。

 

----

前回のときにみた「頼朝の守り本尊」という説明板が無くなったことについて。どっかから「いい加減なこと言うな」と突っ込み入ったのかもしれないし、そもそも守り本尊ならば銘札の内容と矛盾するから。この点については、勝長寿院跡に行くしか無いね。鎌倉五山と合わせて、そのうち行きます。




「光凛」 〜冬の甲斐駒・9合目〜

4年前、白馬五竜でスキーしてたとき、ザックを担いでゴンドラに乗っている人がいた。頂上駅で降りた後、そのまま1人でドンドン上に登っていく。当時はそれを見ながら、意味不明というかアホだと思ってた。雪山を堪能したければスキー・スノボでいいじゃんと。

 

両方経験して初めて分かる。同じフィールドでも全く違ってる。

スキーはレジャー。冬期登山は"行"。

 

その証明こそがこの写真。「光輪」の写真はたまに撮れる。けどこの太陽の輝きは初めて。これを表現する一般的な用語はないから「光凛」と名づけたい。「凛」は単なる輝きではなく「厳しくひきしまった」という意味をもつ。冬空に青白く輝くこの太陽には「凛」こそが相応しい。

 

心の奥底が光になる

とでも言いたくなるほどの輝き。スキー場では絶対に撮れない。僕にとっての冬山の価値はこの写真に尽きる。グリーンシーズンの登山をあまた重ねて、3月の日帰り、4月最初の一泊二日の残雪登山もした。だから今回は12月の登山。なかなか有休がとれず、土日の二日で行ける最高地点は甲斐駒の黒戸尾根。グリーンシーズンでも一泊二日で登るのは辛いけど、これまでの経験と体力を信じて、行けるところまではいこうと思ってた。

 

登山中は何度か心が折れそうになったけど、本当に天気が良くて、風もそこまでは強くない。雪山のコンディションとしては最高。今日の条件で頂上まで登れなかったら、この先、一生このクラスの頂上までいけない、と心に言い聞かせて。

 

「最初に小金を盗んだ奴は一生大泥棒になれない」

といったのは石川五右衛門だっけ。これは確かに至言。もちろん経験値が溜まることでスキルもUPする。最初から高すぎる目標にチャレンジするのが完全に正しいワケじゃない。けど、一番最初に己に甘えた奴はそこで天井ができる。それが”行”というものだから。

 

この黒戸尾根は山岳宗教の行場としての深い歴史を持ってる。日本最高地点で発見された縄文土器は甲斐駒の頂上だから。以前に10月に北沢峠から甲斐駒に登ったけど、全然違う。同じ山とは思えないほど。そりゃ高低差も道の難易度も全然違うけど、もっと根本的な点が違う。一番ハードなのはこの写真のように最後の難関地点。一番上の大きな岩に剣が二本刺さっている。そこまでの登り。最後の気合でそこまで登って写真をとったら、太陽がざわついていた。

 

最初はあまりの寒さでカメラのレンズが結露したのかと思った。この数百メートル下には一本の剣が刺さる行場がある。こちらの時も不思議な写真だった。けど、ピントが合ってもやっぱり太陽がざわついている。太陽のエネルギーが溢れすぎた感覚で、、こんな太陽は初めて。用語も無いと思う。とりあえず暫定的に「ざわついた太陽」と名づけたい。

 

だから太陽に直接レンズを向ける。それが冒頭の写真です。二本の剣のうちの一本が画面の端にあるよね。同じ場所で撮ってます。不思議なのが、本当の頂上では光凛もざわついた太陽も撮れなかったこと。その理由は分からないけど、感じるのはある種の因縁。この写真を撮れる人が他にもいるならぜひ会いたい。ソウルメイト:類魂の判定としては一番分かりやすいと思う。今年の12月は仙丈に行こうと思う。そこでも光凛が撮れるのか結構楽しみ。

 

以前から感じているのは、山におわす神々は1000mごとに違う。1000m級の山と、2000m級、3000m級では撮れる写真の神々しさが全く違う。そして冬になると1000mはランクアップする。だから冬の3000m級の山はグリーンシーズンならば4000m、そう冬でしか撮れないレベルの神々しさになるのだと。というより3193m以上の山は富士山しかないし、あれだけ頂上が混んでいるから富士山の頂上ではこの神々しさをもつ写真は撮れない。

もしかしたら厳冬期の2月ならばプラス2000mになるのかもね。それは凄く興味深い。けど、厳冬期に3000mに行く実力は、遥か先。。

 

 




前前前世?!と3年差の謎

[2016.12.31]

紅白見てます。隣の部屋にいてたまにチラ見なんだけど。「君の名は。」のテーマソングって「前前前世」なのね。

2007年にマヤ・アステカ遺跡を訪問して以来、ムーを4年間読んで関連本(大田龍、飛鳥昭雄etc)も押さえた身としては、こんな思想を広めていいの?という思いもある。昔の「千の風になって」は全然アリだと思ったけど、前世のメジャー化はやばくないか。以前にマイケルジャクソンの前世についてとりあげたけど、あれはあくまでもネタ。

前世ネタでは深田恭子の「前世はマリーアントワネットだけど皆の恨みを買ったので次の転生でイルカになり、今はアイドル。アイドルは人と沢山会う仕事なので、来世は猫で気ままに生きる」が一番オモロイ。どこで読んだのか記憶の彼方だけど、動物を間に挟む発想はある意味Cool。深田自身はこの前世に絶対の自信があるからこそ占い師等には前世を見てもらってないとも読んだけど、その態度もぶっ飛んでるね。結局、個人が勝手に作ったストーリーなのだから、社会的に悪〜他人に迷惑をかけない限り、ご自由にどうぞ、という世界かもね。神道の四魂でいえば、4人までは同じ前世でもアリなので、他人と被るのも気にしないぐらいのメンタリティーの方がいいのかもしれん(笑

今年読んだショーペンハウアーの自殺論に凄い面白い説があって、要約すると

  • 魂が無から生まれて無に帰ると思う人は、そうなる
  • 魂に前世があると思う人は、生まれ変わる
  • 魂がそのままだと思う人は、そのまま漂う

結局、その人が決めれるという説。これって結構面白い視点。「死んだらどうなるかは、死んだら分かるのだから、死ぬまで考える必要も無い」という意見も好きなんだけど、「予め知って準備をしておいた方が良い」という意見もあるのは分かる。けど、どうせ死んだら何も持っていけないのだから、何を準備できるのかも謎。 そこまで踏まえても、以前に書いたように「前世=輪廻転生はあって、記憶はリセットされて、火が燃え移る程度の伝達はある」という距離感が一番しっくりくるのは確か。この立場で言うと、前前前世はおろか前世を知ることさえ基本不可能なんだけど、深田恭子自身も前前世までだから、3つ前まで考えるのは結構難しいのでは?とも。それだけ前になると、文献的に残っている名前が少ないからかな。単なる歌のリズムの良さで、前世でも前前世でもなく前前前世になっただけだと思っているから、そんなに掘り下げて考えようともしてないが。

前世の思い出し方には色々と方法があるけど、「退行催眠なんてやめとけ」は正しいと思う。だから「夢日記」「涙が出る」「なんか心理的に好き・嫌い」と書くこの記事が一番納得かな。けど、ウマが合わない人を「前世から嫌い」と決め付けると余計に修復不可能になるからねぇ。それぐらいなら、「前世で仲良くなるのに失敗したから、今世でも関係が深くなるハメになった。しょうがない、ちょっとは前世よりも頑張るか」ぐらいの態度の方が良いと思う。器のサイズが大きくなるために転生するのが四魂の基本だからねぇ。 この10年ぐらい散々やってきた立場で言うと、いわゆるスピリチャル系にはまり過ぎるととんでもない所に行くから。かといって手を出さないのも根性無しとも思っていて。やるなら中途半端=「誰か単体の説に完全に染まる」のでなく、とことんやれっていう気分だけど。

個人的には上記の記事以外の方法としては漆黒に浮かぶお香を薦めます。あの記事は大統領選も終わった事だし、記事名と一言要約を入れ替えておこうと思っているので。
 


[2018.01.03]

ちょうど今日、初の地上波放映中みたいだね。

先日、家で見ました。療養中は寝床から出れなく、年末年始用の本も風邪を想定してないので量が足らない。どうせならと。見た後、色々と考えてしまった。まさか映画最後のエンドロールに 「監修 月刊ムー」と入っているとは。たしかに最初の夢での入れ替わりの後に、オカルト好きのてっしーが言ったコメントはムーを読み込んだ人が見ても納得行く部分。早口だし、全部で3秒ぐらいの内容だけどね。根本的には「過去に戻って違う選択をする」=「別の未来が出来る」のか「未来が書き変わる」のかだけど、この映画はどちらの世界観に成り立っているんだっけ? まあそれは別に個人的にはどっちでもいいのだけど。。

 

唯一気になったのは、やっぱり3年の時間差。これってなんで必要?

巷でも話題になっているし、だからこそ「休日に学生服を着ている」描写が映画の中でもある、みたいな擁護論もある。入れ替わりがあるなら3年差もあってもいいし、そもそも「未来や過去も隣の部屋みたいなもの」というのが本当の4次元思考らしいしね。3年差の不自然さではなく、必要性のほう。入れ替わりの方は誰が見ても必要性は十分ある。けど、3年差の方は無くしても問題ないんじゃないの?同い年にしたって伝えたいメッセージは全部伝えれるのでは?

 

「3年前の過去であっても、悲劇的な結末に立ちむかうことができる」というのを訴えたいなら必要性分かるけどねぇ。企画段階で「新海さん、3年の時間差って必要ですか?」って聞く周囲の人はいなかったのだろうか? そして新海誠の答えが発表されているなら凄く知りたい。そりゃもちろん「同学年にしたら以前の転校生と同じになるから」っていう意見は分かるけど、今回は隕石墜落もあるのだから、3年差までプラスする必要ある? そもそも描写は誤解させるぐらいに同級生としているし、登場人物の本人達もそう誤解している。

 

ここら辺は、明日、うちの会社の新海誠オタクに聞いてみるけど、あれこれ考えて、こういうときは逆なんだと思えてきた。意外と芸術作品って僕らが思うほど自由度無いのかも。何故って、製作者本人がSoulをこめれる状況って、自己の体験からくる僅かなパターンのみだから。

 

そういう点から見ると、奥寺先輩のことも妙に示唆的。奥寺先輩とヒロインの二つに仮託したんだよ。

こう考えたら、一番、個人的に腹落ちした。すると確かに、

 

「奥寺先輩って、なぜ先輩って設定にしたんですかねぇ、同級生や下級生じゃダメなんですか?」

という設問にも価値が出てくる。映画見終わった後にこんな質問されたら純粋なアホだと思ってしまうけど、「あほ、うなもんどっちでもいいんだよ。先輩にした理由?そんなもん大した意味ねーよ。というか新海誠の初恋が先輩だったんじゃないの? 同級生や下級生じゃなく」ぐらいが一番ありそうな答え。そして、これと3年の時間差の必要性も答えは一緒。必要性なんてない。単なる監督の拘り。譲れないほどの強い拘り。

 

そして、最後の2人のシーンでも明確に年齢差を意識できるようにしていた。社会人直後の主人公と、何年間か社会人経験を積んだ雰囲気のヒロイン。お互い大学生時代なら、1年と4年でもあそこまで差は出ない。再開をあのタイミングにしたこと。これが拘りを更に感じる部分。

 

そして、この作品にフルコミットするには、こういう部分なんだよね。

 

僕は先輩派ではないから、なんかフルコミットできなかったなぁ。そんな事言い出したら、世の中の作品の1/3にはフルコミットできなくなるかもしれないけど、普通はここら辺はどっちでもいい。けど、この「君の名は」だけは、3歳差がちょっと無理やり入っているから、最後に響いてくる感覚。

 

wikipediaに海外の批評家が「数年後には宮崎駿と同等の評価を得るだろう」とまで絶賛したと書いてあった。その感覚は良く分かる。そこまで偉大な監督だからこそ、それが宮崎駿のような完全異世界でなく、あくまでも現実社会を舞台に高校生・大学生が主人公の作品だからこそ、フルコミットするときに妙に最後まで引っかかってしまった。

 

こんなこと書くと、かなりネットで叩かれそうな気がするけど、まあいいや(笑

君の名は。以前に新海誠の作品を全部観ていた人、が真のファンの前提条件だから、身近にいるのは嬉しい。明日の会話は楽しみ〜

 

---

「東北大震災の3年後に作られた作品だから、3年後なのでは?」が最初の答え。先輩派の説を喋ったら、「新海誠の他の作品はヒロインが同級生派が多い」とは言っていた。新海誠自身が3年差のことについて説明したり書いてたりは無いと思う とのこと。なるほどね。




ストーブで2時間かけて焙煎

以前にストーブ生活を紹介したとき、ストーブの上で珈琲焙煎をしてみたいと書いたけど、普通にナベ一つでできました。クルクル回す部分なんて必要ない。5分に1回ぐらいナベを振るぐらいで、それを1回忘れたぐらいでも大した変化無い。

 

もちろんストーブの温度から完全な焙煎は出来ない。最後はコンロと手網で仕上げる必要あるけど、途中までの処理としてはかなりいい。やっぱり弱火でじっくり焙煎した方が美味くなるね。どれぐらい味に作用しするかって?最初の30秒蒸すよりも効果あると思う。びっくりなのは、途中、凄く臭い匂いになる豆があること。普通にコンロで焙煎していると気づかないのに2時間かけてストーブ焙煎すると分かる。

 

もともとエチオピア産の豆は失敗するとウンコの匂いになったけど、エチオピアじゃないんだよなぁ。まだここら辺は色んな国で試してないので、正確なデータが溜まったら公開します。

 

均一性だけど、こんな感じ。わるくはない。厳密性を求めるので無い限り、どんな山小屋だってストーブはあるのだから、そこに「珈琲豆焙煎してます。5分に1度、ナベをふってください」って張り紙しておくだけでいいんじゃない?と思うほど。

 

ずっと回す仕組みをどう実現するか、色々と考えていたけど、ごれだけ弱火ならたまに手で振るぐらいでOKな事が分かった。。こういう情報は、どこにもないから、自分で試さないとダメだね。




ミニミニ灯油ストーブの自作2

前回から色々と試して大体分かった。

ウコンの缶を使った最小タイプも作った。上手く押し込むと単体で青白い炎がでる。けど、小さい分、すぐに缶全体が熱くなってコントロールができなくなる。。

 

 

 

理想は完全燃焼(煤が発生しない)、火力の調節だけど、両方ともこの単純な仕組みでは難しい。構造上の問題として「燃焼部分」と「灯油貯蔵部分」が近すぎること。だから燃焼部分の熱で灯油がどんどん気化して、芯が無意味に。すると炎が強くなりすぎる。一般的な石油ストーブはちゃんと分離してるから。ここれら辺を分かりやすくするために模式図を描きました。

 

そもそも芯は温度を上げるまでに必要な長さと、温度が高くなって青白い炎になったあとに必要な長さが違う。模式図では「芯上下ねじ」と書いているけど、この仕組みをミニサイズで実際に作るのはかなり大変。だから発想を変えて、二つが近接していても灯油貯蔵部分が温度上昇しない仕組み。簡単に言うと、外から冷やす →どうやって? →缶ごと水につける

 

外側の缶に水を数センチ入れて、そこに燃焼缶を置く。冷やすための水はどんどん蒸発していくので追加していく必要がある。。

 

ちなみに右の写真の外側はゴトクの変わりに軽量かつ通気性が良いものとして、100円ショップのアルミフックの四角いケースから、フック部分を外したものです。左右にねじれば取れるので、すると平坦になってナベとか置けるようになる。

 

 

ここまで試した上で冬期登山にもって行きました。燃焼缶も珈琲の缶の下側を二つ使う。燃焼缶の外側はスチール製の珈琲缶の下部にして耐熱性を高める。燃焼缶の内側はアルミ製の珈琲缶の下部を使う。芯は4つでなく8つとして、5mmも出さない。1mmぐらい。すると最初の点火に苦労する。だから、最初は灯油を内側の缶の凹んだ部分に貯めて、ホンノちょっとのティッシュを芯にしてつける。外側のミカンの缶との隙間には雪を詰める。ただ、やっぱり雪をどんど追加しなくちゃいけないし、失敗すると燃焼缶に雪が載って火が消える。。結構難しい。

 

1時間ぐらいテントの中で使っていたけど、煤が発生して、帰ってきてからテントを丸洗いする羽目に。。テントの中で使うためには、燃焼エリアも改善が必要と痛感。確かに一般的な石油ストーブは、穴の開いた金属を組み合わせて、空気の供給と温度上昇の二つを達成している。(模式図だと燃焼エリアの格子部分) これによって煤の発生を零にしてる。そこまでの加工は個人レベルでは不可能。だからそれに近いものとして、金たわしに注目。金たわしを適度に切って、延焼ある程度本格的になったら置く。こんな感じです。多すぎると空気の供給が弱くなって消える。少ないと赤黄色の火のままで煤が発生する。

 

金たわしのベストな量は大体分かったが、今度は金たわしのおかげで水が追加できない羽目に(笑 なので、最終的には外側のミカンの缶に穴を開けて、もっと大きな入れ物に入れることかな。大きな入れ物は深さはそんなにいらないから、クッカーのふたとかも使えると思う。模式図としては最終系はこんんな感じかと。

 

とにかく、今回はテントの丸洗いに疲れた。。屋外で薪の代わりに使用するなら良いけど、テントの中でも安定的に使う道は長い。そもそも氷点下10度近いから屋外で料理なんて有りえないない。結局、現地ではSOTOのガス缶イワタニのバーナーで料理もストーブも上手く行ったけど、これ以上の場合は、素直にガソリンストーブを買うべきかもね。。

 




ミニミニ灯油ストーブの自作


以前にストーブ生活を紹介したけど、先日は車に持ち込んで登山前日の車中泊で使った。一晩中アイドリングできないし、外はマイナス5℃だから。一酸化中毒対策にドアのガラスを少し下げれば特に問題も無い。お餅を焼いたりして好評だったけど、もっと小さいものが欲しいと思い中国産のキャンプ用石油ストーブを購入。評価が分かれている商品だけど、最初にちょっと調整が必要なだけ。この方の説明を見ながらなら調整すれば大丈夫。ネジが外れていたのはびっくりしたけど、単に締めるだけ。この値段なら文句はありません。移動中に漏れるのは困りモノだけど、輪ゴムでゴムパッキンしたらかなり改善された。慣れないうちは点火時に先の長いライターが必須だね。

 

けど、それでもザックに入れて高山に持って行くにはデカすぎるし重すぎる。だから自作に踏み切りました。ネットに情報がなく二時間ぐらい試行錯誤して成功したのでメモっておきます。

 

成功といっても「屋外で暖をとる」「屋外のバーベキュー時の木材、石炭の代わり」にはなるけど、煤はどうしてもつくね。。灯油をためておく部分と燃焼部分が近すぎるから、最終的には灯油の温度が上がりすぎて火が強くなりすぎる。くれぐれも注意してください。ためすなら完全自己責任で。

 

 

,泙佐靄榲にストーブ自体の仕組みを理解すること。先ほどのキャンプ用石油ストーブを持っていれば仕組みが分かるけど、そうでないならまずはサラダ油でのランプを作る。私は米油でやったけど普通に上手くいく。オリーブオイルとか使えばロウソクの癒やし&匂いになるかも。

 

▲曠奪箸隆魅魁璽劼粒犬魘望の容器として灯油をそそいで、ライターで火を近づけても液体にはつかないことを確認。サラダ油でのランプみたいに芯を入れると火がつくが、比べ物にならないぐらい大きな炎になることを確認。(火が強いからこそ蓋のサイズぐらいで十分に動作確認になる。まちがっても,鯏油でやらないように)

 

4靄榲にはアルコーストーブの作り方と同じ。珈琲の缶をカッターで上下半分に切って上側を下側の中に押し込む。穴は開けなくていい。ペンチで捻るだけ。そこに麻紐か紙紐を芯として挟む。

 

4つぐらい芯が出ていればOK。芯を出しすぎると炎が強くなる。五ミリぐらいで大丈夫。ここら辺は△粘恭个鯆呂鵑任諭これで黄色の炎。照明にもなる。十分に湯も沸く。息を一気に吹きかければ消える。

 

ダ椎鬚け蠅鮟个靴堂硬戮鮃發するには、一回り大きな缶に入れる。缶の温度が上がり、熱で灯油が気化する。芯が無くても灯油に火がつく状態。珈琲缶の蓋を締めているのは芯のない真ん中からも火が出て火力調整が大変になるから。消火が大変。い醗磴辰MAXで息を吹いても消えなくなる。消す時はトングで缶全体を上に持ち上げて、外側の缶から半分取り出した状態で息を吹く。もしくは金属で外側の缶全体を塞ぐか。青白い炎がでてしばらくすると、缶の温度が上がりすぎて、灯油が全て気化し始める。するとかなり炎が強くなります。ここまできたら缶全体を塞ぐ以外に消化方法はなくなります。くれぐれも注意してね。

 

上手く作ると、外側の缶が無くても青白い炎はでます。最初にコーヒーの缶を横に切るときの場所と、上下を重ねたときの位置関係で決まる。缶コーヒーの飲み口が細いか太いかはあんまり関係ないね。あと、缶自体が高温になるから、写真みたいにベランダでやるときも直接置くと焦げるよ。

 




初冬の嵐の中、白い雷鳥に出会う

第一の使徒鳳凰、第二の使徒雷鳥



静岡在住の頃、毎年富士山に登ろうとして9年間で7回。行けなかった年はシーズン最後の予定に台風がきて断念。他の時は一緒に行く友達が仕事でドタキャンで単独する気になれず。北岳は今年で7回目。異常気象で10月末に台風が来る中、単独で行ってきました。

 

思った以上に普通の雨天。流石に慣れてるからハイペースで肩の小屋に行く。その手前で「雪が動いている」と思ったら、冬毛に生え変わった雷鳥だった。天気が荒れている時ほど雷鳥に出会って癒される。それだけが夏の暴風雨の救い。けと、まさか白い雷鳥に会うとは・・・神の使いと言われる鳥だけど、やっぱり白の方が神々しいね。

 

北岳山荘でテントを建てたら暴風雨になってテントが横に1mずれる。慌てて素泊まりに。再接近の時は山小屋だから、タイミングはドンピシャ。ゆっくり寝れた。台風一過の天気の良さに賭けて行ったのに、次の日(10/30)の朝はイマイチ。一瞬、日の出で富士山が見えたので最悪ではなかったけど。稜線はマイナス5℃の強風で、ニット帽を被っていても口の周りが寒すぎる。だから断念して下山し始めたら、最後の方では天気が凄く良くなっていた。。もうちょっと粘るべきだったかも。

 

 

登山バスと列車を乗り継いで、16時には神奈川の自宅に着いた。夕方の天気も良く富士山も綺麗に見える。それだけでなく日本2位4位の北岳・間ノ岳、その横の農鳥岳までの白峰三山が見える。片付けしているうちに陽が沈んだ直後の深い藍の時間帯に。

 

これだけ空のグラデーションが綺麗なのも年に数度しかないけど、この日は本当に特別。拡大したのがこちら。これこそが台風一過の良さ。

元の予定では会社の2年目新人達を北岳に連れて行くつもりが台風21号で断念。次の週も22号が来る中、本当に行くのか自問自答していたけど、「この場でルールを変えるのは単なる怠惰。もし状況が変わって10回行く必要が無いと決めるとしても、それは頂上で決めよう」と結論を出したら不思議とそれ以上悩まなくなった。ルールを決めることも大事だけど、ルールを変更するルールを決める方が大事だと痛感。

 

そして、北岳頂上で、やっぱり10回連続にトライすることを決定(笑)。今の生活では千日回峰行大峯奥駈道も出来ないけど、せめて北岳には10回連続で行く。改めてそう決心した登山だった。

 

----

これまでホームグラウンドは愛鷹山だったけど、七回登ったからそろそろ北岳をホームと言えるようになったと思う。何度も登ってる&家から見える が登山におけるホームグラウンドの定義だから(笑) 「一度決めたことは変えない」というのが一番美しいルールを変更するルールだけど、有効期間が10年ならばやっぱり見直すタイミングはあっていいと思う。今後も心が弱っているときに見直さないようにしなくちゃね。




<< | 2/16PAGES | >>

categories

links

recent comment

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

みんなのブログポータル JUGEM