JoJo第4部の魅力とは

 

ちょうど今週は第5部のアニメ放映が総集編。なので4部のアニメを見返してました。dTVは3月末までの配信なので。ずっと4部の魅力が分からなかった。4部を絶賛している人の意見をみてもチンプンカンプン。けど、今日、アニメを通して見てやっと理解できた気がする。

 

 

 

冒険好きな男子は第3部と第5部が好み

学生時代に海外放浪をする/憧れる人にとって日常に潜む恐怖を描いた第4部は苦手。特に中盤で吉良を追い詰めたあと、鉄塔だったり宇宙人なのか最後までわからずじまいのミキタカだったり、日常的な回が入ることでリズムが悪くなる。もちろんシンデレラの回は良いんですよ。山岸由花子のあのキツイ性格に惚れたという康一くんはナイス。ハイウエイスターもじゃんけん小僧もエニグマの回も面白い。料理人のトニーはどこで活躍したのか良く分からないが・・

 

色々なジャンルで全て狙って3番を取る凄さ

と賞賛しているサイトを見つけて、やっと吉良の性格が分かるようになってきた。平穏無事で過ごしたい。「会社で偉くなったっても気苦労が増えるだけ」と最終回で上司との電話の後に言ってる。悪という意味ではDIOも吉良も同じだが、悪で世界征服を目指すDIOと違って、吉良はあくまでこっそりとした悪。この「こっそり感」こそが全然分からなかった。マンガで4部を読み返したときも分からなかった。けど、やっぱりアニメだと伝わる範囲が広がる。アニメで見返してやっと分かった気がする。端的にいえばプライドの場所。何があっても街から出ない。杜王町で暮らし続けるのがプライド。どこかのサイトに「丈助の家のドアを爆弾にしておけば良いのに」と書いてあった。ほんとその通り。飛んできた火の粉は払う。自己の衝動でどうしても殺人をする。けど、それ以外の戦いは自分からしない。闘ったら勝てる自信はあっても戦い自体を無意味だと思ってる。

 

周囲に変人〜犯罪者が住んでいる恐怖

幼年時代にこういうのを痛感している人ほど4部が好きになるのかもね。この画像のとおり、郊外の街で高校生とサラリーマンが流血しながら戦っている絵。こんな日常の中の非日常感にどこまで惹かれるか。世の中には色々と価値観があるけど、一番苦手な部分が理解できれば、それはひとつの成長。第4部は99年だから、20年近く経過してやっと分かった気がする。吉岡ネタとか吉良の同僚とかりおちゃんパティのネタもリンク先のように話題になるんだから、4部のファンの多さだよね。個人的には、いくら時間が巻き戻ったとしても、魂があの通路の上空を駆け上がった描写があったら、最後に生きてたという結論は・・・。露伴が死んだときのあの描写だけは違和感ですが。。

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当時は仙台に住んでいたから、杜王町グランドホテルの元ネタになった江陽グランドホテルの前とか良く歩いたけど、あのホテルは高級すぎて実際に中のレストランを使ったのも社会人になってから。ホテルの入口にギリシャ風の彫刻があったりと、往年の名ホテル感は当時からあった。いまだに出張で行くときも、ついつい向かいのスーパーホテルにしてしますが。。

 

それにしてもアニメ版だと「7月15日(木) その1〜その4」ってやたら7/15を推すんだよね。7/15って作者にとってもなにか特別な日なのだろうか

 

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4部の良さが今まで以上に分かってもいちばん好きなのは3部で次が2部。やっぱり敵で一番好きなのはワムウだから。3部以降にジョジョを知った人ほど波紋編をバカにするが、12歳前後で波紋編を読めなかったのは可愛いそうだと思ったりも。

 




ホラッチョ男子

 

https://matome.naver.jp/m/odai/2145811936827969301

ひざびさに爆笑してしまった。

経歴詐称疑惑はしってたけど、「ホラッチョ川上」って単語がバズってたのを知らなかったです。

 

https://president.jp/articles/-/17653

ホラッチョ男子の判定方法があるなんて!今後の道徳の時間に取り上げるべき。

 

特に以下の部分が感動

どこか繊細さを漂わせて、物腰が柔らかなのがホラッチョ男子の特徴。人たらしというか、悪い人には見えなくて「こんなすごい経歴なのにフレンドリーで良い人かも」と思わせます。本当は自信のなさの現れかもしれません……。瞳にはナルシスト的な沈んだ輝きが宿っています。《略》ショーンさんも、英語の流暢さには定評がありました。たぶん英語を話している時は別人格になれて高揚感が得られるのでしょう。有能な自分に酔える瞬間です。英語と嘘の相性は良いのだと思います。




植物に知性はある。じゃあ三大欲求は?

先日、三大欲求について議論してる時、この本を教えてもらった。早速読みました。問答無用に面白い。TEDにも動画が有る。この本をベースに深堀していきたい。

 

■睡眠欲

動画でも本でも紹介されてる夜間に形を変える植物。確かに日光が無い夜に葉を広げておく必要はない。けど、これは寝てるのか? 結局、睡眠の定義で変わる。著者は「睡眠=夜中に形を変えること」に思える。マジ?これ。「夢を見る」「レム・ノンレム」まで話を広げるのは良くない。けど、動物はずっと光を与えていても寝るよね。植物はどうなの?オジギソウにずっと光を与えていても葉を閉じるタイミングがあれば「寝る」で納得。けど、そこまで書いてない。

 

えーここまで実験してよー

という気分。ウチの定義は「連続動作が止まった→休息欲」に近いかもね。植物だって成長して大きくなるのだから、その点は動作。ずっと動作してる中で一時的に止まるなら納得するけど。

 

■性欲

知性は「生きているあいだに生じるさまざまな問題を解決する能力」と定義すれば、植物にその能力がないと考える事自体にむりがある。(P.10) この知性の定義は凄く納得。本を読むと植物に知性があるのも納得。そして、性欲も同様なのだと。性欲をどう定義するかできまる。子孫を残すのは生物の本質のひとつ。複数の活動の選択肢の中で、好ましい活動を選ぶために報酬体系がある。その報酬体系を欲求と名づけ、子孫を残すための報酬を性欲と名づければ、植物にあって当然なんだね。そしたら無性生殖であっても、やっぱり性欲はあるのかもね。

 

問題は、僕らが思う性欲と植物が感じる性欲が多分違う事なんだと。

改めて考えると、

 

欲求=衝動=したい&ダメの葛藤

というメンタルモデルが自分の中にあることに気づいた。だから「葛藤」ですよ、旦那。晩秋に銀杏並木を歩く。銀杏の匂い。そこで葛藤を感じる?うーーん。。葛藤自体が「行動を抑える」部分があって、見ればプルプル震える眉毛や握りこぶしで分かるから。そんな意味では、この定義も動物寄りすぎるのか。。

 

ランの一種であるオフリス・アピフェの花はいくつかの非社会性のハチ目の雌の姿形を完璧に模倣できる。それだけではない。形だけでなく、組織の硬さ、体表面の様子(体を覆う短い軟毛も)、もちろんにおいまでそっくりまねをする。さらには、交尾の準備ができた雌のハチが作るフェロモンまで分泌するのだ。《略》雄バチは、この魅惑的な花の虜になり、花と交尾してしまうのだ。《略》まさに現実をしのぐほどリアルで、雄バチたちは、開花の時期にはこの花と交尾しようとする。すぐに近くに本物の雌バチがいるときでもだ。そして、夢中で交尾しているとき、突然、花の仕掛けが作動して、雄バチは頭から花粉をかぶせられる。P.151

スゲーなこれ。昆虫の性欲を擬態できるなら、昆虫の性欲が分かる→植物の中にも対比できる性欲がある、も納得かも。。

 

■食欲

以前にも書いた通り、植物にとっての光は食欲でOKだと思ったけど、この本を読むと根なんだね。栄養素を求めて伸びる方向が違う。確かにこちらの方が食欲っぽいかもー。

 

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全ては「動かない」を選択したこと。捕食者から逃げるのでなく、モジュール性にして80%食べられても生存できること。だからこそ機能特化した器官を作らない。これこそが植物の基本戦略の全て。おしべとめしべは機能特化した器官だけど、数の多さでカバーなのかな。自家受粉する植物でも雄の生殖器官と雌の生殖器官の成熟する時期をずらして、自家受粉を避ける仕組みがあるとはね。。初めて知った。「自家受粉とマスターベーションを比較しながらマスターベーションをするとぶっとんだ世界に行く」と書いてたのは「親指Pの修行時代」だっけ? ついそんなことを思い出してしまった。

 

ちなみにP148の「訪花の一定性」の大事さは良く分かるけど、そんなに仮説立てるの難しいの?単に同じ種類の花の蜜が掛け算になればいいのでは? と思ったけど。

 

高速の次元に生きるエイリアンの種族が地球にやってきたが、人間の動きをまったく感知できなかっために、人間は「自力で動こうとしない物質である」という論理的な結論をくだした。そして容赦なく人間から搾取した

という序文の引用に一番感動した。。「惑星スカロスの高速人間」というスター・トレックの初期のエピソードらしい。若いときにこういう思考実験というか知識を持っていると、世界を見る眼が変わるかもね。。もしかしたら、植物だけでなく岩も生きているのかもしれん。そんなことを思った今日この頃

 

 




神社は《お願い事》をする場所ではない

2019年1月3日。

初詣も済ませて家でゆっくりTVを見てる人も多いと思う。私も色々とやることがたまっているのについつい隣の部屋のTVをチラチラみてます。ここんとこずっと毎年「芸能人格付けチェック」を見てます。ワインでも肉でも5000円を越すと差が殆どなくなる。もちろん新鮮さがウリの刺身とかは別。昔、本当に旨い肉のために銀座のうかい亭に行ったのにドヤ顔でホタテを出してきてショック。高級料亭ならば雄勝のホタテ以外で自慢しちゃだめ。あの番組を見てると「どんな物事にも上限がある」と実感できて良いね。音系は二順目の方が2組の演奏者がお互いを意識するから難しくなる。盆栽は無理。あの距離からじゃ絶対に区別できない。今年はGacktも外れてたと告白ニュースになっていたが、さもありなん。

 

いまは「プレバト」をちらちら見てます。俳句コーナーは面白いねぇ。日本文化の勉強になる。ずっと和歌には興味あったけど、あの添削を見ていると俳句の良さも感じた。ずっと第二芸術論に同意してたけど、添削前と添削後、順位毎のレベル差は明確にあった。東大王の鈴木光は凄い。たとえそれが「お勉強」じゃなくても、頭を使うジャンルで過去問もあれば、ばっちり仕上げてくるというべきか。さすが東大生というオーラは感じた。梅沢氏にも勝って素晴らしい限り。けど、あの場で誰も指摘しなかったけど、根本的に間違っている。というよりも、今の日本の常識が間違っている。山岳系パワースポットを突き詰めて新しい修験道を模索する身として、俳句としては非の打ち所がないからこそちゃんと書いておこうと思った。

 

 

神社は《お願い事》をする場所ではない。

パワースポットにハマっていることは会社の同僚も知っているから、飲み会とかで話題をふられる事もある。最初の定番ネタは浮世絵=安藤広重が東京スカイツリーを描いてた これはその場で画像検索して皆が驚く。ムーの記事=初級レベルな人は全員知ってるネタだが掴みには良い。どんなにマイナーなジャンルにはまっていても飲み会のネタは社会で生きていくためには必須。スカイツリーについては龍脈が悪くなったのか/良くなったのか、それは自分のレベルでは分からない。。個人的には武蔵小杉も気になっている。あの高層ビル群は遠くから見ると丘のよう。ここにも地形を変えるという意志を感じる。確かに大倉山、綱島、日吉、対岸には奥沢とそれぞれ丘があるから、小杉にも欲しかったのかもね。

 

「じゃあ神社は何するところなの?」

「感謝。初詣もそう。昨年は家族全員が無病息災で、、、と感謝する場所」

昔の日本はお願いをするならば、褌で水をかぶったり、断酒をしたりと、少なくとも何かを差し出していた。それがお賽銭のつもりなのかもしれないけど、5円10円〜千円は釣り合わないでしょう。もちろん大切なのはお金の大小ではない。生活習慣を変えること。

 

じゃあお賽銭に意味無いかって、そんなワケない。神社の維持管理のため必須。とくに年末年始は年に一度のお参りの人も多いから、駐車場を別に用意したり道路に誘導する人が立ったり。こういう人を雇うのためにも。

 

パワースポットとして神社仏閣に訪れる人も多いけど、オーブ撮れないぐらいじゃ観光と同じだし、健康・安全であってもお願いしてる限りダメ。せめて「前向きに取り組んでいるので見守っていてください」じゃないと。こういう分かっていたらあの句にはならない。美人で頭も良くてあれだけテレビ出てれば下手なアイドルよりもファンも多いのだろう。逆さにしてもアナウンサーにはなれると思っていそう。その未来像は否定しないけど、だからこそ早めにこういうことに気づいた方がいいと思う。その上でもっと掘り下げる。

 

金運に関するお願いは一番レベルが低い

お金を手に入れて何したいの? 美味しいもの食べたいならそう祈ればいい。世界中を観光したいならそう祈ればいい。高額医療してでも治したい病気等があるなら健康的な生活を祈ればいい。家業の継続ならばそれを祈ればいい。お金は何にでもつかえるけど、だからこそ欲しいものがお金どまりの人は本当に欲しいものが分かってない。根本的に金運アップを売りにする神社こそ一番邪気(=欲望の淀み)が多い。これが事実です。ここまで気づいて、かつアウトドア派の人はパワースポットでも自然中心になるし、いつか冬山に行き着くと思うよ。厳粛さでは類を見ないから。

 

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今年の初詣は神奈川の大雄山最乗寺。さすが天狗。素晴らしい天狗の像が多くて大満足。なのでその写真を置いておきます。高尾山も天狗だし、あの山並み全部が天狗を祭ってる。そしてあの山々を真に統括しているのは八菅神社。八菅神社のことを知っていたら少なくともムーのレベルではない。行けば分かる。ムーでも絶賛の幣立神宮と同じ気に満ちた神社だから。

 

本当に大事な神社は隠されている。願い事のために神社に来る人が多くなればなるほど気が淀むから。そういう意味では最寄り駅からガンガンに臨時バスが出ている状態だったけど、それでも大雄山最乗寺は楽しめました。本当に気に入ったらそのまま奥の道を登って明神ガ岳にも行くべきだが、、、この名前ならば統括しているのは穂高山塊の明神岳でしょう。明神岳という名前では最高峰だから。けど、一般登山の対象では無いので、私のレベルでは絶対に無理ですが、いつか行かなくちゃいけないのかも。。

 




白峰三山の盟主は「間ノ岳」


今年も白峰三山に行った。2011年から毎年行って8回目。けど、天候やメンバーの兼ね合いで北岳だけのときも多い。間ノ岳・農鳥岳まで行ったのは4回目。今回の間ノ岳頂上で三角点の名前が「相ノ岳」になっていることに気づいた。百名山を選んだ深田久弥も著書で熱く語っている。「この名前はこの山に相応しくない。そもそも春の雪形が鳥に見えるのは農鳥岳だけでなく間ノ岳も一緒」だと。

 

4回目にして頂上で30分ぐらい過ごしながら夕日を眺める。

こういう時に答えは降りてくる。白峰三山を統括しているのは間ノ岳。

毎年登るべきだったのは北岳でなく間ノ岳なのだと。

 

確かに北岳は3193mで間ノ岳は3190m。けど、wikipediaにもあるように間ノ岳はもっと高い時期があった。富士山は山の中では新しい山なので、過去のある時点(最終氷河期)において日本の最高峰は間ノ岳。山体を見れば誰だって分かる。北岳と穂高は原理的にあれ以上高くならない。間ノ岳は頂上が「丘」というぐらい、どこでも山小屋つくれるぐらいにい広いから。なのにこんなテキトーな名前はオカシイ。それは以前からずっと思っていた。

 

白峰三山の次の週、木喰展に行く途中の道の駅「とよとみ」で地元の銘酒を見つけた。登山に行ったらそこの水で仕込んだ日本酒を買うのが楽しみだけど、白峰三山でやっとやっと見つけた。飲みながらよくよく見ると、このラベルは北岳じゃなくて間ノ岳じゃん。確かに小さい字で「北岳からみた間ノ岳」と書いてある。きたよ、当たり判定。

 

そういえばGoogleマップに載ったのも北岳は広河原農鳥岳は農鳥小屋の先、けど間ノ岳は頂上だった。あの時、気づくべきだったね。そしたら、ずっと間ノ岳メインで行っていたのに。。高さと名前に惑わされてた。去年だって台風後の氷点下の風が寒すぎて北岳のみの登山だったけど、知っていれば顔にフリース巻いてでも行ったぞ。

 

穂高・槍でなく白峰三山を選ぶ時点で変わってる。その上で、北岳でなく間ノ岳。変人二乗ぐらいになっているけど、己の中には道理がある。こうやってハマっていく。他人からはドツボに見える場所まで(笑 そんなの気にせず掘り下げる。間ノ岳という名前は仮。真の名前はちゃんと別にあるハズ。それを見つける事ができれば本当の山開き。ここまで書いてインスピレーション。このお酒の通りだよ。『大冠山』もしくは『白冠山』だね。冠という字は必須。あの3つの山は遠くからみれば冠に見えるから。両側が北岳と南岳なのだろう。他の山で冠という字を使ってないのも大事な点。お酒は「太」という字だが、「大」か「白」な気がする。ここら辺はまだ確信がもてない。冬季登山しないと判断できないかもね。結構ハードでびびってます。。この酒倉には何か言い伝えが残っているのかもね。

 

 

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木喰展で身延まで行けば、当然足を伸ばして奈良田に行く。2013年に縦走したときの終着点だけど、あの時は温泉の凄さも孝謙天皇の伝説も知らなかった。奈良田のすぐ手前に世界最古の温泉旅館として有名な西川温泉の慶雲館があるんだね。車で前を走りながらびびった。あのサイズの旅館で部屋数が35室ってありえない。そして藤原鎌足の息子が見つけたというならば、孝謙天皇の伝説は正しいよ。撮れた赤いオーブが答え。レンズが汚れているとか言う人もいるけど、ならば2枚連続で形が変わらない。。このレベルぐらいが間ノ岳の頂上で撮れるようにならないとね。そりゃもちろん今年も北岳山荘に行く途中で撮れたけど、何かが違うから。おっと、最後に大事な情報。奈良田温泉の秘密は尿素だね。肌クリームでは必須成分。あの温泉の良さは溶けてる尿素につきる。




富士山頂 幻の「コノシロ池」 



年に2回も富士山に登るとは、自分自身でもびっくり。

GWに登ったあとに調べていたら、山頂に幻の池があると知った。見るためには雪解けから7月前半まで。グリーンシーズンの富士山は10回登ったので、もう行くつもりは無かったが、池は見たい。何よりも「池の周りに経典が埋められていた」というのが気になる。名前の由来もかぐや姫どんぴしゃだから。

 

 

富士山火口内にコノシロ池という池がある。ここにはコノシロという魚がすんでいたという。ある時、風神に見そめられてしまった木花開耶姫は、この魚を焼いて自分の葬儀の煙と風神に思わせ、諦めさせたとの話が残っている。コノシロ池の魚を焼くと人を焼く臭いに似た煙を出すという

こちらではコノハナサクヤヒメになっているね。求婚を諦めさせるという点で同じ。かぐや姫自身がコノハナサクヤヒメの生まれ変わりなのだろう。

 

 

 

行く前からネット情報で「泥池にしか見えない」とは知っていたけど、この写真のように現物を見てみるとちょっとショック。ブルドーザーのキャタピラ跡が池を突っ切っているのもショック。上手に撮ればこちらのように逆さ富士になったのかな。。画像検索すると良い写真も結構あるね。

 

今回の登山は、、、弾丸登山で初めての昼11時に頂上。体験して分かった。弾丸登山は昼の12時までに5合目下山してバスの中で寝ないとダメ。下山中に睡眠不足から高山病になるとは。。これだけ何度も富士山に登って、あれだけの高山病は初めて。結局、夕方の最終の新宿直行バスに間に合わず、富士吉田駅に行き、タクシーで富士急ハイランドに行って、そこで30分だけ温泉入って、新宿行きのバスに乗った。同行者のペースを考えると前日18時ぐらいから登山開始すべきでした。5,6合目を丁寧に登ったので6人全員が登頂できたけど、皆が下山中の高山病で散々だったので。

 

 

 




スタートアップ思考と自分探しの旅

 

スタートアップ思考とは、第一ステップとして人生をかけれる目的を見つけること。
  自分探しの旅もそう。自分が打ち込めるモノを探してる。

 

1.2〜10年を費やしてもやりたいことがあって、

2.それがスタートアップという手段でしか実現できず、

3.タイミング的に今が最善だと思ったとき、

 

こう並べてみると、一目瞭然。前回、スタートアップ思考について書いたけど、自分探しの旅と似ている。自分探しの旅を否定的にとらえる人も一定数いるし、その典型的な意見はたけしの本に端的に書いてある。けど、サッカーの中田選手が引退後に「旅人」になったこと。同じ猿岩石時代としても、やっぱりちゃんとまとめたいと思っていた。

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手元に1万円あるとする。
  この金額を自由に使えるならば、結構な場所にいける。新幹線だと300kmぐらい。バスや青春十八切符を使えば日本横断まではいかなくて半横断ぐらいは移動。買い物だってそう。ブランド品でもなければ、色んな種類のモノが買える。

だから1万円の可能性って、モノ・移動レベルなら、かなりあるんだよね。
  ところが、手元に自由になる1万円があるとして、僕らはそんなにワクワクしない。1万円でワクワクできるのは小学生?中学生までかもしれない。

その一番の理由は、モノ・行動レイヤーでなく、意味レイヤーで判断しているから。東京から1万円で、名古屋/仙台/長野/新潟に行く。これは場所としては複数だけど、「同じ日本で本質的にどれだけ違う?」という問い。現地で名物を食べる。それぞれ旨い。けど、「名物を堪能したい」という目的レベルでは一緒。
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「毎日がつまらない」「休日にすることがない」等の感覚を持つ人は目的レベルでの喪失感を抱えてる。もっとキツク言えば、目的レベルで死んでいる。恋愛とか旨い食事とかに喜びを見いだせる人は良い。けど、「いつも恋人が欲しいワケでもない」「食えりゃーいいんだよ」「これとこれなんて本質的に違いないじゃん」が口癖の人ほど、目的死体になりやすい。けど、人間は全員が目的レベルで生きる必要があるワケでもないし、そもそも目的の衝動が強い人なんて一部。何よりも、超大前提として、目的レベルは衣食住が満たされた上での欲求だから。そこは最初に明確にしないとね。

 

そのうえで、たけしの意見の主要部分について考えて行きたい。

 

■「ああ、俺は日本に生まれて良かった」なんていうつまらない自己肯定でしかない
自分探しの旅では外国が選ばれることが多い。それは違う価値観・生活を知るため。もちろん日本の中でも都会・田舎では価値観が違うことが多い。けど、海外の方が明確な違いを感じることができるから。生まれた時からずっと与えられ続けたものは一度無くしてみないと感謝は生まれない事が多い。自己満足というからネガティブに感じるだけで、感謝の念を持つために一度海外に行くのは悪いことではないよ。ある意味、必須。戦後すぐに生まれて空腹感に悩まされたような世代がうちらをバカにするのも分かるけど、しょうがないじゃん、という気持ち。

「最近の若者は免許やパスポートを持ってない人が多い」というニュースはしばしば取り上げられる。うちらの世代からみたら異常だし、ネガティブを思うときもゼロではないけど、
々盥察疎膤悗里箸には既にネット社会でなんでも情報が手に入った
月に7000円程度の通信料を払う。
この二つの全体の時点で全然違うから。△了点で1年間で10万円近く。安い東南アジアなら行けるお金だから。そういう意味では、技術によって社会は大きく変わっていることは常に頭の片隅においておかないと。


■はっきり言うと、「やりたい仕事が見つからない」ではなくて、やりたくてもそれに見合った実力がないだけ。
これって、ほんと正しい。たけしに完全同意。というよりも、極論は以前にも取り上げたように「お金をもらえなくてもやりたいことがあるなら、空いた時間を使ってやれ」「努力は夢中に勝てない」

上記リンク先のスライドにポールグレアムの「他人には仕事に見えて、自分にはそう見えないものが、自分にとって最適な仕事だ」が記載されている。ホント名言。逆は悲惨だよね「他人には遊びに見えて、自分には仕事に見える」感謝も対価零で体と心に披露が溜まる。


これらを踏まえて、夢中になれるものの見つけ方について掘り下げていく。

 

■ちょっといいな、と思ったき「めんどいし次の機会でいっか」でスルーするから目的死体
こういう態度の人って「情熱100%でやりたくなる事にいつか出会える」と思ってる。そのくせ、本人はこの思いを言語化できないことが多い。そんなワケねーよ。今、情熱100%で取り組んでいる人も、そのテーマに最初に出会った時に「これは、俺の、100%だ」なんて思ってないって。みんな一歩ずつハマっていくんだよ。

自例で申し訳ないけど、珈琲で商売してないポジションではかなりやりこんでるけど、最初から自作焙煎機を作って週に600g焙煎したワケでもないしね。登山も上から順に2800mまで45座を登って、今は雪山にも行くようになったけど、最初は富士山登山のみだしね。

 

かつ「楽しいだけの世界はありえない」
楽しさを売りにしてお金をとる遊園地は別よ。それ以外はめんどくさいとセットなんだって。遊園地だって待ち行列長いこのご時世なのに「めんどいし次の機会でいっか」とか言われると、「もったいない」よりも「呼吸は面倒?」と言いたくなることも。

「ちょっといいいな」のレベルの出会いですら、年に1度も無いよ。特に社会人になって仕事メインになると、それ以外のやる事に出会う時間も費やす時間も減るから。それに、常に良い体験ばかりではない。散々なこともある。たとえば登山。最初の富士山が絶景でもそのあと3回登山すれば、確率的に一回は絶対に雨。だから一番大切な態度は「ちょっといいなと思ったら、一定時間と一定金額をかける決断をその場でする」ことにつきる。


この時間と金額は学生〜社会人で割合が変わる。今なら5万〜10万円と土日で4日間ぐらいかな。たとえばカートを趣味な人が同僚にいる。ちょっと興味がある。もし最初にやってみて「お」と思ったらこれぐらいは費やす。じゃないと2,3回目にやってくる「うーん」の体験で、結局やめるから。まるで体験○○の積み重ね。それだけじゃ体験人生になっちゃう。


■目的レベル中級に行くためには、ハマった理由の掘り下げ
一定数の経験を重ねて趣味欄にかけるようになったとしよう。次のステップに行くには、「なぜそもそも自分はハマったのか」の掘り下げ。「なんでやってるの?」「楽しいから」以上の答えは、どこかの場面で絶対に必要になる。じゃないと越せない壁があるから。

 

■目的レベル上級に行くには、XXX
このXXXはまだ分からない。そもそも自分が体験してないことは理論化できないし、自分が目的レベル上級にいるかどうかも謎。そりゃ珈琲だって登山だって音楽だって後進育成は心がけてる。それなりにコスト・時間を費やしてちょっと興味がある人に良い出会いを提供しようとしている。けど、これは俺が思う上級ではない。上級はもっとアバブな世界。


■ちょっといいな、はどこから生まれるか
掘り下げ方を変えて、この問いを考えたい。僕の結論は下記。

 ―藉値の微妙な違い
 ⇔匹ぢ慮海鬟札奪謄ングしてもらえた
 心の欠損

 

,亮例は飲料だね。なぜかわからないけど、食後のお茶をおかわりしてたのは家族の中で僕だけ。中学校のころだ。そして高校の時は貰い物の紅茶を飲み比べてF&Mに落ち着いた。大学はとことん飲んだ。だからこそ自家焙煎珈琲屋で気合いが入った。この道には誰も先達はいない。疑問点を聞く人もいなくて、常トライ&エラー。けど、そのきっかけはほんと些細なこと。最近は口の中の乾燥度合だと想定してるけど。

△砲弔い禿仍海世茲諭ホント仁藤さんにつきる。感謝してます。

はBlack Musicだね。詳しくはBlog1のここに素直に書いた。

 

そして、,話でも持ってる。△呂曚鵑判于颪い留燭世ら。けど、ゼロの人は絶対にいないよ。もしゼロだと思うならば、周囲に心を閉じすぎじゃないかな。は無い人も多い。いいよ、なくていい。無理してまで持つもんじゃない。糞男(だめンズ)と別れなかったらすぐには達成できるけど、分かれた方がいいです。どうせ、人生は、どうあがいても、どれだけベストをつくしても、いつか傷つく場面はある。だから、むりに傷つかなくていい。

 

毎年、新人教育を担当していても、やっぱり学生時代に打ち込んできたモノが有るか無いかの差は大きいと感じるから、なるべくなら若いうちに見つけておいた方がいいよ。

 

 

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昨日、今年の選抜研修の事務局で出勤してたけど、NPO/NGOセッションは興味深かった。仕事の中で一番勉強になる。今年は特に倉辻さん。大学生のときフィリピンのスモーキーマウンテンに行って決心。卒業後はリクルートで修行してNPO設立か。ほんと凄い経歴。今やアメリカのトップスクールでは卒業後に金融業とかでなくNPOを選ぶ人が増えてると聞くけど、零から立ち上げる方がもっとすごい。それを日本で達成するか。。


ますば外の世界をみること。大学時代は南米〜中米をバックパッカーで歩きたくて、だから第二外国語もスペイン語専攻したのに、二度の入院があって、古武術にはまって。

 

けど、やっぱり勇気も器も無かったんだね。だから今でもそういう人に会うと、あの当時の不十分さを痛感してかなり落ち込む。結局、2008年に新婚旅行でメキシコ。なんか一世代前の感がするね。。単に嫁の趣味がダイビングで、モルジブ等にも既に行っていたからカリブ海が希望⇒カンクンとコスメル島。


仕事が忙しく一年後になったので二週間(現地約10日)残りの5日間は旅行会社から提案されてマヤとアステカのピラミッド。「そうじゃん中学時代からずっと中米・南米古代文明に興味あってスペイン語専攻にしたんじゃん」と即決。最初の想定から随分と遠回りしたけど、やっぱり縁がある場所というのは、いつかは訪れるようにプログラミングされているのかもね。

 

ちょうどマヤの暦が終わる件で盛り上がっていたからムーを読みだして、3年で話題がループするのに飽きて、ネットでもっと興味深い情報探して今の場所にいる。位山も分杭峠も他のパワースポットも色々行ったなぁ。国東半島の核はほんと良かった。不動明王も東北〜九州まで主要作品は見た。今年も木喰の展覧会に行って、岐阜に円空の足跡尋ねて。笠ヶ岳は円空開山だからこそ、冬に行きたかった。。せっかく誰もいない登山だったのに。あそこで頂上に立てれば、かなり前に進めたのにな。。今回は生きてるだけ感謝というべきか。

 




発達障害とスタートアップ思考=マイルドなカルト

就活サイトで見つたときから気になってた借金玉さん。なんと最近、著書がアマゾン読み放題になってるじゃないですか。さっき見つけていま読んでます。ひさびさの胸アツ。スゲーためになる。1%でも発達障害ある人は全員読んでいい。

 

戦前は今の数倍の個人事業主がいたから、その中のある程度の割合の人は今日のような会社勤めが合わなかったと思う。こういう病気はそもそも病気なのか、できる人の方が異常でないのか?、単に生まれた時代や社会とのミスマッチでしかない。とも思ってる。

 

僕はジョブスではない

と気づく大切さ。確かにジョブスも特異な性格。凸凹の凹がなくなったのはアップル追放されてネクスト立ち上げて、アップルに復帰出来てからでしょ。だから他の発達障害の人が凹を埋めれるようになるのが30才であっても当然だと思うし、埋める作業の一つとして借金玉さんはこの本を書いたのだろう。

 

自分と照らし合わせても、その気持ちスゲーわかる。音楽レビューサイト作ったら、定期的に読む人ができて、その中の誰かがYahoo!に推薦してくれた。今となっては想像つかないと思うけど、Googleが広まる前はYahoo!に登録されることがステータス。喩えるなら、お姉さんが勝手に写真送っていつのまにかジャニーズのオーディション受かってたレベル(笑)

この出来事があったから、まともな社会人になれた。なかったら本当、途中で失敗してたと思う。望外な良いことがあったら、初めて自分の欠点と真に向き合える。自己評価マイナスの時に欠点に向きあうって、経験上不可能。。対人関係のスキル改善には数年かかるし、仕事でもコツが見えてきて評価されて、ご褒美旅行でアメリカ研修行ったのが29だったから。

 

 

そしていま、再び思考をスタートアップにしていかなくちゃいけない。ピーターティールは言った。「スタートアップはマイルドなカルトに近い」と。大学生で1人暮らしの頃は生活自体がマイルドなカルトだった。テレビなんて年に10時間程度、ネットなんてベッコウアメしか無い時代。それでも片っ端から本借りて浴びるように読んでた。頭疲れたら古武道の稽古か、音楽聴いて。


もちろん今でも凸の部分はキープしたいから、富士山に12回、二位の北岳に8回行ってるけど、やっぱり普通の社会人生活をする中だとエッジをKeepするのは半分もムリ。体感的には頑張って15%ぐらい。

 

借金玉さんは発達障害の人が普通の社会人生活を送るための方法論を書いた。それの逆も必要なのでは? 普通の社会人生活を送れる人がマイルドなカルトぐらいに突き詰めるための方法論。

 

 

あたまの片隅でそんなことを考えながら、本読んでます。

この本読んでたらヒントがみえてきそうな予感。




15の夜にGEB:ゲーテル・エッシャー・バッハ

ホフスタッター(著者)はこの本(GEB)をどんな人たちに読んでもらいたいかという質問に、

「わたしが15歳の頃に興味を持っていたような事柄に関心のある、15歳の頭のいい連中」


おいおい。。15でこの本を理解できたらペイジとブリン(Google創業者)を越せるだろ・・・

 

圧倒的な名著です。20年前、僕が20の頃から名著の誉れ高かった。これを15で読むには幸運も必要。この本が転がっているような家に育った子供にとっては日本の大学受験なんて歯磨きぐらいの難易度かもね。本の名前のとおりこれだけ複数の領域(数学・絵画・音楽)にまたがる内容だから、文系とか理系とかそんな乱暴な分類に己を規定する人は絶対に手をとらない。

 

Deep Learning狂騒曲を冷静に見れず、「G検定とりたい」とか思っている人達はどっちでもいい。ちょっとでも調べれば、ニューロコンピューティングには二つの超えるべき山があり、Deep Learningはそのひとつにしか答えてないことは分かるから。それについて書いてない時点で、巷のDeep Learning関連本は問題外。松尾先生もまずここから書くべきじゃない? 期待値コントロールとか言う前に。Deep Learningの創始者のヒントン先生は、最近チャンクと言っているんだって? 直感的に狙いは正しいと思う。けど、チャンク構造にマッピングすることと、記号が立ち上がってくることの間は、かなりの距離があると思うけど。

 

この本は20の頃に買った。学生に5500円は高かったが・・・。自力でこの本の存在を知り、そして買っただけでも褒めて欲しいという思いもちょっとあるぐらい。読んだ。何ヶ月かけたかも忘れた。そして本棚に仕舞い、、、、10年に一度ぐらい読み返していた。気づいたら、著者がこの本を書いた年齢(34歳!)を超していた。げげげげ。落ち込むわー。それに、未だに全部理解できないんですけど。。

 

と思っていたら、昨日の仕事関連で行ったカラオケで「15の夜」を歌っているのを聴いた。曲を全部通して聴いたのは初めてかも。15歳前後のときヤンキーしてたA(前回の記事の登場人物)が教室で鼻歌してた記憶しかない。「盗んだバイクで走り出す」なんて、ほんとそっち寄りの少年の心わしづかみ。Aも同じ様なことやってた記憶。もし、あの時、僕がこの本を手にしていたら、今頃はベンチャー作って成功してたのだろうか。

 

と、夢想してしまった。。

それぐらい15歳という時は、何かのターニングポイントなのかもね。アメリカでも日本でも。

 

----

落ち込んでもしょうがない。

この本を完全に理解して、その先に行かないと先は無い。Deep Learningにおけるテンソルとか数学理論なんていいわ。そりゃ理解できてないけど、理解する必要性すら感じない。どっちが山の頂上に近いか。そしたら間違いなくこの本。この本の先に道は続いている。

 

やっと分かった。

 

・意識があるから自己言及できるのか

・自己言及できるから意識が生まれるのか

 

自己言及の具体化としてGとEとB。それらの相似性。けど、この本のコアはここ。そして、まだ本は最後の90Pあるけど、これがこの本を超すための視点なんだと、やっとわかってきた。。

 

同時という答えもあれば、スパイラルという答えもある。けど、スパイラルであったとしても、基点はどっち? この本にもちょっとだけ書いてあった。自己言及の前に自己の範囲の確定だろ。そっちが先。物理的には自明だと皆が思ってる。

 

違うんだって。自分が持っている道具は自己になるんだよ。たとえば車とか。だからこそ、事故を起すような老人から車を取り上げるのが難しいんだって。もうひとつ。なぜ自己言及するか。食物連鎖の上にも下にも自己言及は必要ない。そんなのする前に食うか食われる。したら結果が良くなるワケでも無くて単なる無駄。結局、自己言及は同種間におけるSEXと闘いのため? やっぱり自己言及の必要性も追いかけないと。

 

 

 

尾崎豊の「15の夜」に惹かれる15歳の少年がこれからも沢山いることと同じぐらい、GEBに惹かれる15歳の少年も沢山いるだろう。同じ少年が両方に同時に惹かれることは、金メダルとノーベル賞を両方取るぐらい難しいとは思うけど。15の夜を褒めるネットの情報と同じぐらい、GEBを褒めるネットの情報も必要。それが、産業立国として日本が世界で戦う基盤になる。

 

 

 

とおもって、まずはここまで。

 




ラブストーリーとしての3億円事件

「3億円事件の犯人は私」小説投稿サイトに掲載された告白文が話題

    ・小説投稿サイトに掲載された「告白文」が、ネット上で話題を呼んでいる
     ・3億円事件の実行犯を名乗る人物が、事件の「真相」を告白するという内容
     ・ネットでは、「本当に本人なのかな」と期待をかける声も上がっている

というニュースをみて、気になってついつい深夜1時までかけて読んでしまった。一気に読ませるという意味でもナイス。

 

こちらです。純粋に読み物として面白いよ。

だから、これについて感想を書きたくなった。そもそもこれが本当の話なのか創作なのか、ラブストーリーとしてのポイントはどこか。そんな諸々。

 

・最愛の妻、京子が交通事故で死んだからこそ、事実を伝える気になったという心の動きは納得
 ・省吾が自殺した理由が三角関係、というのも腑に落ちる
 ・事件が起きたとき、三神は犯人が誰かわかるハズ
   ⇒三神は主人公を庇って警察には言わなかった?

・ここまで密接に交流していれば警察が省吾の交友範囲を洗うなかで、主人公も見つかるのでは?アリバイはどうしたの?
   ⇒京子が省吾から白田に乗り換えただけであり、省吾と白田は知り合いでなく、

   省吾は京子と犯行をする予定だった。この場合、省吾の自殺と、真犯人が捕まらないことが両立するから。

・本当に三神は実在するのか。小説上の登場人物ではないのか。三神がいなくても全ては成り立つ。三神の存在自体が文学的装飾かも。

 

ここら辺が冷静に分析した時のスタンスです。以前にも3億円事件はwikipediaで読んだ事がある。自殺した青年(省吾)こそがキーマンだと誰でも分かる。この小説は省吾の自殺の理由が恋愛(三角関係)になっていて、それが面白い。恋愛小説で三角関係はありがちだけど、その描き方。どこまで腑に落ちるか。これだけ本を読んでも小説は全然読まない。特に恋愛小説は。村上春樹以外の小説は全く読まない。今回、これだけ読んでしまったのは、妙に似てると思う。主人公(白田)の立ち位置が特に。

 

\い涼罎砲麓膺邑のような、「相手が別の人と付き合いだして初めて好きだったことがわかる」タイプの人が一定数いる
   ⇒人が本気で動くきっかけ、そもそも自己の本気に気づくトリガーは多様であり、相手を失う(相手が他の人と付き合う)形でないと気づけない人もいる

付き合うのに相応しい人と、結婚するのに相応しい人は別。ヒロインにとって省吾は前者であり、主人公は後者。
主人公が抱える自己への想い・焦燥感はある種
の共感を生む。一言でいえば「天井の低い部屋で住む感覚」

ぞ霰をかける対象(人・もの)に出会ったことがないか、情熱をかける勇気がないか。誰もがいつか自身の天井を突き破る必要がある。

 

何のとりえも無い人生。小学校〜高校までにクラスで賞賛されたことがない。そういう感覚。それをずっと「天井の低い部屋」だと思っていた。高さ1mの部屋で常に背を丸めてる。現実には中二階か屋根裏の物置ぐらいしかこんな場所はない。人が住むには異常すぎる空間。けど、精神的にはこういう空間に住んでる人は多い。小学校のころは何一つ得意が無かったから、体感として良く分かる。

 

,發修Α「好きという自覚」は誰もが自然にできるワケでもない。そもそも「好きになる」という事自体が手探り。小中学校のころなんて、特に独自の価値観もないから、なんとなく人気者をなんとなく好きになっているだけの状態の人も多い。分かりやすいのが高校時代の同級生。高1のころに同じクラスだったけど「中学時代に16人から告白された」という伝説を持ってた。凄いイケメンではなかった。高1のクラス文集では「カッコいい男性」のTOP3ではなかったような(3位タイかも)。もちろん最終的にSonyに入社したぐらいだからデキルのは間違いないけど、大学は地方国立大だったような。「凄い仲良し」でもなかったから、突っ込んで話したことはない。けど、中学時代に16人から告白されたことについて、ブームみたいなモノとして冷静に理解してたのは確か。それぐらいの人間的魅力は当然あった。結局、彼は高校時代に彼女を作ったんだっけ?近くの女子高に通う娘と付き合ったという記憶が、この文章を書きながら思い出し始めている。

 

個人的な体験でもそう。中1の頃に良く遊んでいた友達Aが、クラスの女子Yを好きと言った。そしたら、なんか妙にそのうち僕もその娘を気になるようになって、1年後に別の友達Cに聞かれたときにYの名前を言った。そしたら、今度、そいつもそのうちYを好きになって、付き合い始めた。CとYが付き合っているのを中3の卒業旅行で知ったAはその晩に泣いてた。その泣いてたAを見て、涙が出ない自分自身が妙にショックだった。そもそも第一印象はすごい美人ではなかった。だから僕がAから聞いたときは「へー」ぐらいだった。Cが僕の発言を聞いたときも「へー」だった。けど、一旦そういう視点で見ると良い点が見えてくるというか・・・。最終的にそれぞれ別の高校に進学したけど、高校時代にその娘はめちゃくちゃモテてた。練習試合に行った時に向うの選手と雑談してたら「えー○中出身。じゃあYさん知ってる?」から始まって、今は20人近くから告白されてると教えてもらった。

 

二十歳のころはたまに考えていた。本当にYのことを好きだったのは誰なのか。Cじゃないことは知ってる。Cとは幼馴染だし、二十歳の頃に飲んでるときも「Yの妹の方が美人」とか言ってたぐらいだから。僕じゃないのも分かる。それは中3のあの夜に痛感した。結局、Aなんだよ。そしてAがいなかったら、高校卒業までにYさんは告白されても1人ぐらいのレベルだったんだと。

 

そういう意味では、ある種のライン以上の顔の作りであるかぎり、モテル/モテナイは最初はちょっとした偶然から始まって、ウイナー・テイク・オール?収穫逓増?なループが発生しやすい、と思ってる。クラス文集で常にクラス1位になるような男女は別。あくまでも3位〜10位ぐらいの人達。その人達に顔の作りの差なんて無いのだと。

 

 

この小説の白眉は三神さんに告白されたときの主人公の言葉

 

「うん。三神さんが僕のことを好きでいてくれてるって初めて知った時、正直言うとどうして良いか分からなかった。

 だけど……。それと同時に、僕は生きてても良い人間なんだなって思えたんだ」

「おいおい、それは大げさじゃねえか?」

 呆れるように省吾は言いました。

 

 構わず私は続けます。

「今まで何かを成し遂げたり、誇れるものがあるわけじゃない僕だけど……。

 でもそれで良いんだって思えた。三神さんに好きになって貰えてる間は、僕は大丈夫なんだと思う」

 

 それは……、事実でした。

 三神と付き合っている時の私は、以前よりずっと自信が付いていたのです。

 その自信の根拠は彼女からの好意——誰もが羨み、目指し、憧れる人からの愛心は私に強烈な生への自負を与えてくれたのでした。

 ——まるで自分が、三神のような特優の人間になったかのように。

 

この文章を、村上春樹は書いたことがない。このコアをわざと書かずに周辺をとことん言葉にしている感覚。やっとコアを言葉にした文章を見つけた。これだけで、僕は満足です。だから、この小説が真実かどうかはどっちでもいい。「キスした瞬間に、自分のことを好きじゃないと気づいた」場面も凄く良い。本気で好きならば、キスしたら相手の本気は分かる。それがKiss Testだから。個人的には、京子じゃなくて三神と最終的に一緒になってほしかった。3億円の決行をやめて三神のところに行って欲しかった。どんな恋愛小説でも全員がハッピーになることはない。誰かがハッピーになって、誰かが深い傷を抱えて、終わる。

 

もし、この小説が全て真実ならば、三神は誰が犯人か絶対に分かるし、それを警察に言わなかった時点で、京子を選んだ主人公さえも庇った切なさがある。そして60歳を過ぎて、京子が交通事故で死んで、事件を告白する気になった主人公。ここには確かな主人公の気持ちがある。この交わることの無い二つの想いの存在がこの世の真の切なさ。

 

そこまでが描けているならば、作品として一流といっていいのだと思う。これが、うちのサイトの結論。

AとCとYのこと。そして天井の低い部屋にいる感覚。僕は天井を突き破ったというよりも床が抜けただけだが、そこで四苦八苦してたらある種の個性なんていつのまにか勝手にできてた。そんな部分はずっと書く気がなかったのにね。引っ張り出された感覚。

 




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