『言語にとって美とは何か』を2017年に読んでたけど、この本を読むのはずいぶんと遅れた。「お金」を定義するときに、やっぱり「共同幻想」から継承すべきだと思った。2020年にも同じことを言ってるね。当時は岩井克人の『貨幣論』だから。哲学をゼロベースで作りなおす。それに果敢に挑戦した結果がこの本だと思う。この本が全共闘の時代のバイブルとなったのなら、それは非常に良いことだと思う。
吉本は、意識、物質どちらかにすべてを還元しようとする唯心論、唯物論を拒否し、疎外という概念を使ってそれを乗り越えようとした心身二元論者である。
疎外の概念を用いて、各幻想を定義したら、
個人の身体という自然基底から疎外されたものが、自己幻想(自己意識)
男女の肉体的な性交渉という自然基底から疎外されたものが、対幻想(性的交渉)
市民社会(社会的国家・マルクス的にいえば下部構造)という自然基底から疎外されたものが、共同幻想(政治的国家・マルクス的にいえば上部構造)
となる。
wikipediaのこの記述が良い。「疎外」はマルクスの必須用語だけど、
ちなみに疎外とは、そこから派生はするが還元されないという意味である。肉体がないと意識は生まれないが、意識は肉体には還元されない。意識は肉体から相対的に独立して存在するのである。身体を引き裂いて一度死んだ人間を、また縫合しても生き返らないのと同じである。生命は機械とは違うのである。
意識と肉体は、炎とロウソクの関係に似ている。ロウソク(燃える物)が存在しないと炎は生まれないが、炎という燃焼現象はロウソクには還元されない。よって、いくらロウソクを調べたところで炎という燃焼現象の本質は理解されない。炎はロウソクから疎外された現象なのである。
この説明もシンプルで凄く良い。特に太字にした部分。この喩えは仏教理論における深い理解だから。
うちはオーブだし、唯心論物理学を紹介してるぐらいだから究極的には唯心論。けど、現実の世界は無視できない。なので、生きてる間は心身二元論だと思ってる。唯物論の人は即物的すぎると思うし、完全唯心論の人は悟りを開いたか、世捨て人だと思っている。ほとんどの人が無意識的に二元論者じゃないかな。宗教やまじないや占いとかを全無視な生活をしてない限り。
マルクスの上部構造を共同幻想、ジークムント・フロイトのリビドーを対幻想と言い換えれば、吉本はマルクスとフロイトの補完と融合(マルクスの上部・下部構造論は社会分析としては高度だが、人間が本質的に持っている性的要素を軽視している。フロイトは人間の性衝動を鋭く分析しているが、社会領域までリビドー論を無前提に拡張しすぎている。吉本は両者がカテゴリー錯誤を犯さないように整理し、補完、融合する形で自分の共同幻想分析に利用しようとした)という世界思想史に残る大仕事をやってのけたことになるが、逆に、フロイトを評価しない人間から見れば、ただの「フロイトかぶれ」に見える。
この解説の良さ。ほんとwikipediaもレベルが高い記述は凄いね。
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その上でうちの考察にいく。人工知能を作るとは、今までの哲学の中で大事な部分を百倍に圧縮することだから。
「自己幻想」という用語は分かるようで分からない。単純に「衣食住が満たされても、別の物足りなさがでる」のが出発点だと思っている。そうじゃない人もいる。あくまでもレベルの高い?高価な?衣食住を追い求める人。人類の3割ぐらいはこれに該当するのでは。引きこもりや自殺は反転。何があろうと、その場所から逃げて、最低限の生活をするために別の場所で働くぐらいなら、今の日本でそこまで難しくない。けど、そこに価値を見出すことができず、それぐらいなら何もしない・死ぬ方がマシだと思うだけの価値観だから。
なぜ人間がこんな回路になっているのかはうちも考察の対象外。「生きてる意味を求める」根源的な欲求があると大前提を置く。その先に「生きてる意味を求めた結果として、芸術作品が生まれる」という流れ。
その上で、対幻想。話をややこしくしてるのは親・兄弟姉妹関係と「近親相姦の禁止」なんだと思う。そこを一旦考慮外にすれば、対幻想は根源的な他者不可知論(相手の気持ちは完全に分からない)と同じになるのでは。この軸を使うと共同幻想は「良く知らない相手であっても幻想をもてる」異常事態と定義できる。ここがうちの立脚点。逆に、結婚の前段階でお互いのことをよく知ることが大切なのは誰でも知ってるよね。対幻想は、ある意味で「今日もピサの斜塔から玉が落ちる」ぐらいのシンプルな未来予想だけど、相手が人間だから内面が完全に見えないだけ。
原始的な国家の成立は、兄妹・姉弟の近親相姦が自覚的に禁止されたときに求められる。中上健次の「国家は白昼に突発する幻想化された性なのだ」と言う言葉は、このことを指している。
一番違和感を覚えるのはこの記述。これは国家でなく部族連合では。部族連合=国家の始まりとは思えない。NHKの番組を見ると、共同幻想に先祖連鎖からなる村落共同体が入っていて、余計に混乱のもと。先祖は部族連合よりも前の単一氏族であり、日本はいまだにその幻想の影響度がある。その幻想を壊す一番簡単な方法は天皇陵の考古学調査だと思っていて、GHQが指示しなかったのがびっくり。アメリカは歴史が極端に短い国だから、そういう発想すらなかったのかもね。
最初にあったのは宗教的な団体であって、そこから政治性が増えて(=秘儀が消えて規則が増えて)、国家になったのだと思う。
性を根源にするとカオスが入り過ぎる。社会は罰則の方をベースにすべき。「衝動」をベースに人間を語ろうとしている人が多い気がするが、「我慢」をベースにして語ったほうが実用性のあるモデルができると思う。最初は神と人間を仲介してた人も、ずっと予言が当たる訳でないし、そのうち堕落して人民は幻滅する。社会を動かすにはルールの整備がコアなんだと気付く。どうしても社会はフラットでなく階層性はできるからこそ、上の階層の努力と禁慾の維持だよね。日本はあるのかな。
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宗教を相対化するには、その前段階にいかないと。本気で山岳オーブの世界を突き詰めると、現在の神社仏閣にも政治性を感じる。何度もいうように根源は岩。そこが出発点。
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前回の荒島岳登山記録からの続き。
現代において山岳パワースポットを極めるなら、深田久弥が定めた百名山が出発点。だけど、パワースポット視点では最初の妻である北畠八穂の存在の方が大きいと、この本『玉まつり』を読んで痛感した。巷にあふれる「深田久弥に小説家の才能が無かった」は間違い。深田久弥に足りなかったのは物語の骨格のデザインであって、北畠八穂の読み難い文章を深田久弥が手直ししたからこそ、昭和の初めに大ヒットした。現代的な視点でみると、深田久弥は小説家というよりは編集者に近いのかもね。
北畠八穂のwikipediaには大事なことが触れられてないと思う。そもそも小説家というよりも詩人に近い。それぐらいに言葉ひとつひとつの使い方が独特。
北畠八穂
父慎一郎は農商務省の青森大林区署(後の営林署)に勤める役人で、母いよは敬虔なキリスト教信者であった。1人の姉、3人の兄をもつ末娘である。《略》父方の祖父母、母方の祖母からも惜しみない愛が注がれた。後年、八穂の書いた作品には、祖父母たちから聞かされた多くの話が形を変えて繰り返し語られる。それは彼女の創作の源泉となったようだ。P.73
『透きとおった人々』は自分より先に逝ってしまった人たちを指す北穂独特の造語だ。《あなた方は透きとおってしまわれました。透きとおったままに、あなた方は、なおありありと見えてきたところがあります》と呼び掛けて、冒頭に若くして逝った中原中也をとりあげる。P176
深田久弥と小林英雄は親友で、二人での登山も多い。小林英雄と中原久弥は長谷川泰子を挟んでの関係性。中原中也と北畠八穂は似てると思う。この文章にはそんなシンパシーまで感じる。
八穂は幼い頃から母の感化を受けた熱心なキリスト教信者だ。《エス様とは胎内からのつきあい》と言うほどで、日曜学校で賛美歌を歌っていた幼い時、イエスが髪をさらさら撫でてくれたという神秘的体験をして以来、キリスト教については独自に勉強をしたようだ。どこの教会にも属さず、神父や牧師の指導も受けず、《エス様との直接取引》という信仰を固くもっている。そして心の中でエス様と対話する時にはひとりでに親身な津軽言葉で話すのだという。
「のうつてば、エス様、あのし、わ、今日の。」
エス様もまた、津軽言葉で答えてくれる。
「ヤ、マコか、おだしたば、ンガ(汝)」P173
この二つの引用だけで凄さは伝わると思う。ぶっ飛び度合いが半端ない。日本にキリスト教が伝導してから長いけど、初めて風土に根付いた感を覚えたかも。どこの教会にも属さず、直接対話するのも才能に近い。個人的には神仏習合の立場だから「エス様」という表現は「すげーな」ぐらいだけど、「透きとおった人々」という表現には心底感動する。
カッコウの鳴き声ほど、日本海ほどわかった
とあると、読むほうはエッとなる。この分かりづらさに馴れるのに苦労し、馴れたころに読み終わる。P168
この部分だけは著者に文句言いたいかも(笑) カッコウの鳴き声は「かっこう」って一番分かりやすく鳴くからね。まあカラスも「かーかー」だけど、さすがに「からす」とは言わない。インコや文鳥だって「ピョン」とかであって、鳴き声と名前は違う。カッコウだけは一緒。だから「カッコウの鳴き声ほどわかった」というのは一つの表現として不備はないのでは。逆に上手なレベルだと思う。
「日本海ほどわかった」はちょっと難易度高いけど、言われると納得。誰がどうみても太平洋と日本海なら、日本海の方が分かりやすいじゃん。小さいしシンプルだしさ。青森県は日本海と太平洋の両方に接する珍しい県だから、幼い頃から違いを意識して来たんだね。長野や群馬といった海無し県ならまだしも、海がある県に育てば、この表現も許容範囲内。
この本を読む前から謎だった深田久弥の不倫騒動に関しては、色んなことが重なってるんだね。
?木庭志げ子は初恋の人で、当時、深田久弥が惚れていたことは本人も知っていた。
?北畠八穂と木庭志げ子は外見がそっくりだった
?北畠八穂は子供を産めない体だった
九山(深田久弥の俳号)の顔と名前を何時度とはなしに覚えたのは、14、15年も前の事であるけれど、はじめて口をきいたのはこの5月のはじめ、鎌倉の弟の結婚披露の席であった。昔、学生時代にこの人のひたむきな眼を、私は受けとめようとはしなかった。《略》もう青春を過ぎての出会いから、運命のように大人のつきあいが生まれた。知らん顔をした昔の借りを返したい気持ちも幾らかはあった。
志げ子氏がこう書いているのなら、外野がとやかくいう話じゃない。家の経済状況もあって、弟3人を進学させるために婚期が遅れて独身だったなら、良いお姉さんだよね。もし経済状況が違っていたら、普通に14年前には付き合っていたのでは。個人的には、外見がそっくりという点も深田久弥に親近感がわくかも。
「津軽の野づら」が新潮文庫に入るとき、印税を折半する処置は誰もが納得。
この事実で十分だよ。小説家の才能を二人で分担していただけ。そして、山以外の分野においても深田久弥は間違ったことはしてないと思う。それが、僕の結論です。
そうあっても、荒島岳が本当に百名山に相応しいのか、まだ完全には納得いってないけど。冬季に登れば分かるのかもね。
戦争前の若者の心をつかんでベストセラーになったという『津軽の野づら』はいつか読んでみないとね。
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日本アルプスの百名山で最後に残っていた光岳(てかりだけ)に行ってきました。易老渡(いろうど)からの一泊二日コースはかなり疲れた。。せっかく1日目の小屋で「光岩は夕陽に当たると一番光るんです」と教えてもらったのに、光岳の頂上についたらもう陽が沈んでた。芝沢ゲートを7:40ぐらいから出発したのが遅かった。
2日目は朝に日の出を見た後、光岩まで行ってきました。光岳は2500m以上の山としては日本の最南端というだけでなく、ハイマツの南限でもあり、この光岩がある。山岳パワースポットとしてはかなり重要な山だと思ってる。
この光岩の上に立つと分かる。この岩は金峰山の五丈岩、鳳凰三山のオリベスクに並ぶ。空木岳の頂上近くにある巨石も価値は高い。けど、やっぱりこの光岩の方が上だと思うな。
この岩は東北の有名な霊場である金華山の頂上近くにある天柱岩と由来が同じなんだと思う。以前に現地に行ったとき「神代の時代は高さが倍で全て水晶でできていた。しかし雷で折れて上半分は海に落ち、石灰岩になった」と。この光岩には同様の言い伝えは無いみたいだけど、両方行けば分かる。
それ以外にも見どころが多いのが良い。途中の面平(めんだいら)は鬱蒼とした杉と苔の庭園。京都の苔寺をもっと大自然に寄せた感覚で、さすが雨が多い深南部だけのことはある。椹島(さわらじま)から悪沢岳に行く途中も苔が映える場所は多いが、こちらの方が上だと思うな。いままで行った山の中で一番良い。
そして、静高平も良い。
湧き水が川となり、また下流で地面に水が全部しみこんで川がなくなるのも初めて見た。その川幅と水音がちょうど日本庭園っぽくて、目の前には聖岳も見えるし、あの場に茶室を作ると最高だと思います。時間の関係であの場で自家製コーヒー作って飲むことはできなかったが。。
イザルガ岳の頂上からは、東の方角には富士山はもちろんのこと、伊豆の天城山まで。西北の方角では中央アルプス&御嶽&恵那山はもちろんのこと、北アルプスに白山まで見えた。これが秋の登山の良さ。ほんと最高でした。
光岳は累積標高差が2000mを越す。2日目に光岩とイザルガ岳に寄ったら、累積標高差が-2400と+700で、合計3000mを越した。。1日経過した今日になってもまだ全身筋肉痛だが、それでも大満足です。
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これまで南アルプスの南部は聖〜赤石〜悪沢の周回と、悪沢〜赤石の周回の2回行ったが、全て天気が悪かった。太平洋に近いせいか雨が多く、富士山がまともに見えたときがない。やっと今回は綺麗に見えました。「北岳から見る富士山より大きい」とおもったけど、距離は北岳の方が近いのか。このサイトは個人的に神サイト認定レベル。富士山に一番近い日本アルプスは悪沢岳なんだね。塩見だと思ってました。光岳よりも雲取山や金峰山の方が近いとはびっくり。。勉強になりました。
いまは昔と違って百名山のサイトも多いけど、同じ著者のこちらのサイトと合わせて読むと、次の山を考えるヒントになると思う。一覧の良さってあるね。
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ずっと荒島岳に行くつもりはなかった。「百名山を定めた深田久弥が地元の山から選びたかった」のがそもそもの理由。冷静に見たら百名山に選ばれる価値があるのか謎。百歩譲って福井から選ぶとしても、まだ泰澄が選んだ能郷白山の方が良いのでは。
だからずっと行かないつもりだったのに、
百名山70座の誘惑に負けた。
69と70って何かが違う。70を越すと百が見える。60台は50に近くて半分に毛が生えた程度。とまで言えば言い過ぎだが、、しょうがない。大阪在住の後輩と一緒に登ってきました。勝原スキー場からの一般的なルート。登山開始すぐがコンクリの直登はあり得ない。もっとびっくりなのは2010年にスキー場が廃業。14年でここまで跡形もなくなるとは・・・。
標高1500m台を舐めてたけど、標高差1000m以上の日帰りで、しっかり筋肉痛になっていました。頂上近くの急登は、確かに山の形を良くするね。大野盆地から見れば一番良い山、というのは登ると納得。
下山後に荒島神社にも寄った。確かに式内社としての価値は感じた。登山しかしない人はこういう部分をスルーするが、山の頂上にも社があり、麓にも山体名の神社がある。ならば両方行くのが道。山だけに行く人は、日本における山という存在を舐めてるのでは。
ここまでが一般的な登山の話。ここらからは業の話。
山における業を掘り下げるとは、深田久弥の人生を俯瞰すること。
1932年(昭和7年)に発表した『あすならう』で文壇的評価を確立したが、実は『あすならう』も『オロッコの娘』もその他の作品も、北畠の作品の焼き直しであった。このことに気付いた小林秀雄や川端康成から厳しくたしなめられたため、時には深田自身が独自に作品を書くこともあったが、全くの駄作に終わった。
小説家としては才能がなかったんだね。
1940年(昭和15年)3月、北畠と結婚して正式に夫婦となる。だが、翌1941年(昭和16年)に初恋の女性・木庭志げ子(中村光夫の姉)と再会して道ならぬ恋に落ち、脊椎カリエスで寝たきりの北畠を差し置いて志げ子と逢引を繰り返す。
「初恋の女性」「妻の作品を焼き直す」「寝たきりの妻をさしおいて」の3つが揃えば、全人未踏レベルの道ならぬ恋。
1943年(昭和18年)5月、志げ子が深田の子を出産したことが北畠に露見する。それから4年後の1947年(昭和22年) に北畠と離婚の上、志げ子と再婚した。激怒した北畠に小説焼き直しの件を暴露されたため、作家としての深田の信用は失墜し、10年以上にわたる雌伏生活を余儀なくされた。
この結果は因果応報として道徳の教科書に載せて良いと思うぐらい。
己の中にここまでの慾があるからこそ、山に登らざるを得なかった。
自分は違う、と言える種類の話ではない。そして、百名山では地元の山を無理やり選ぶ。これら両方ともエゴといえばエゴだけど、両方とも初恋にこだわり続けたといえば、爽やかにも見えるのかもしれない。
雌伏生活の間に百名山の連載を始める。小説家としての才能はなくても、本気で山を愛してた。その想いは皆が認めるレベル。そして文学の才能は、彼の『百名山』を読めば分かる。単なる紀行文でない何かがあるから。
荒島岳は単なる山じゃない、深田久弥そのものを味わう場所
なぜに9月の連休でこれだけ暑いのか謎レベルだったけど、頂上から白山も見えなかったけど、大野盆地は見えた。下山後の荒島神社付近からは綺麗な荒島岳が全体見えた。あの綺麗な荒島岳の写真は撮れてない。写真撮らなくても心に焼き付くレベル。きっと同行の彼もあの風景は忘れないだろう。そういう山の形と空の色をしてたから。
ここまで深田久弥に踏み込むかずっと迷っていたけど、ならば『玉まつり』も読むか。そしたらamazonで-36%。3000円の値段にも躊躇してたので、2000円を切るなら読むしかないね。ポチりました。読んだら追記します。
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別班の本を読んだ。
読めば分かる。どうみても、自衛隊の中に別班は現実として存在してるし、中野学校からの伝統を受け継いでる。小平分校がポイントなんだね。
だけど、そんな別班までが米国の配下なら、属国問題も根が深いね。国が独立することと、軍隊を持つことと、スパイ組織を持つことは、全て同義だとは思っているけど、根本的には何を目指す国なのか、だよね。
今更、アジアの解放ではない。アメリカや中国と競って経済大国でもない。日本の経済が弱くなり、外国から見て、価格が安くてお得な国として、インバウンドが増えること。これは全然ネガティブじゃない。現地に来ないと良さは分からない花鳥風月はある。
ドラマでは「この美しい日本を汚すことは許さない」って言ってる。この言葉が結構じ〜んと来たりする。
この本の著者はこういう形で別班という存在が広まったことについて、どう思っているのだろう。ある意味、これがテレビの可能性なんだろうね。
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自家製パンの良さは感じるし、チーズハンバーグミートスパは好きだけど、コーヒはパス。いつもコーヒシェイクをセットにしてた。
けど、この、コメ黒は旨い。スタバぐらいあると思う。これぐらいのレベルないと珈琲屋って言えないと思う。
ーーー
登山に行かない休日の朝は気づいたら九時頃で、そこから行っても混んでる。モーニングの喫茶店で並ぶのも。。だからなかなか行けてなかったけど、今朝は昨晩の筋トレが上手く行って眠りが深くて睡眠時間が6時間未満で満足。30代はそれが普通だったけどコロナ以降のテレワークメインになって、睡眠時間が伸びてた。特に夏は毎日のジョギングする気がなくなるほどに暑く。。結果として運動不足の睡眠浅だったから。
]]>「〇〇だから」はよい。becauseと同じとしよう。
基本であるA→Bの→は ならば と言われる事が多いし、
ならば と だからは同一ではない。かなり近いけど、ならばの方が仮定要素が強く、だからは確定要素が強い
だけど、ために はほとんど違うのか。
そして ために と ためには も同一ではない。
ためには は係り結びに近くないか??
18のときに気づきたかった。こんな初歩的なこと。
ーーー
生きるために働く。
生きるから働く。
この2つはかなり意味が違う
雨がふったために濡れた。
雨がふったから濡れた。
こちらはほぼ同じ。
ため=から は常に成り立つわけじゃない。
そもそも生きるのは目的なのか?単に死の直前が不快なだけでは?
ーーー
うーん、コロナでダウンしてるときに書いたからかなり支離滅裂だなぁ。ちゃんと、正確に書かないと。
原因と目的は違う。目的が原因になることもあるから、厳密な区別は難しいけど。
目的=その行為によって達成したい未来像
原因=その行為の前に発生した事象であり、その事象がなければその行為も発生しなくなるもの
因果とはまず時間前後であり、因こそが原因だから。(果とは結果)だから原因は時間的に前である必要がある。
「ため」は目的と原因の両方で使われるけど、「ために」だと若干目的での利用が強くなり、「から」は若干原因での利用が強くなる。
うーん、どれもこれも微妙な差かも。「ためには」は係り結びなのは良しとしよう。
言いたかったのはこんだけです。
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WBC観ました。準決勝の村上のサヨナラも感動したけど、決勝最後のトラウトとの対戦場面は本当に映画・マンガ以上の筋書き。あの場面がやってくることが彼の持っているモノだし、あそこでトラウトに勝つのも凄い。アメリカでも「どこの星からきたの?」とか「ユニコーン」とか呼ばれているのは知っていたけど、いつも記事についてるYouTubeで見てただけだから、試合としてちゃんと見たのは初めてだった。
大谷翔平については平均的な興味はあったし、大リーグで最初に活躍したときにネットを探して、彼が日本ハムに入団を決めたプレゼンは見つけた。あれだけ最初から大リーグ志望だったのに、それでも強制的に指名して説得するって、ビジネスの分野からみても素晴らしい成果。おお、いま調べたらもうネットにないのね。アーカイブが無くなる前に見ておいた方が良い。
当時はそこまでだったけど、今回は韓国までが「大谷翔平の目標達成シートを真似してはどうか」といってる記事を見て探してみた。え、これってマンダラートじゃん。WBSぐらいかと思ていたけど、さすがにそんなワケないか。このメンタル、人間性、運をそれぞれ8分解しているのは凄い。これを高校生の時に作ったんだよね。半端ないね。今回の劇的なシナリオは彼のスポーツ面での積み重ねでだけでなく、このシートの左下3つの象限があったからこそだと思う。
運だけ良くするのは不可能で、人間性も高めなくちゃいけないし、そのベースになるのはメンタルの安定性だから
準決勝はさすがに負けるかも、、、と思って見ていたけど、メキシコの4番がバットを叩き折ったときに「これで野球の神様は離れていくな」とは思ってた。それだけでは勝てないけど、チャンスは巡ってくると。「運をよくするため」という方向性では昨年末にこちらの本も紹介したけど、説得力で言うならば、WBC決勝とこのマンダラートの方が伝わると思う。
ーーー
「波をつくらない」「応援される人間になる」が一番ずっしりくる。
「波を激しくすることでウエーブに乗る」「周囲は気にしない」でずっとやってきたからなぁ。見れば見るほど落ち込む面も。
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ずいぶん前にファッションについて書いた時、下記のように書いた。
■ ジーンズについて
マイナーな意見ですが、オレッチはジーンズが苦手です。夏に暑く、冬に寒いと思うから。だから、夏は白系の薄手のパンツ、冬はコーデュロイをはいてます。多分、両親が毎日ジーンズを洗濯するようなタイプで、ジーンズが変に色落ちしてて、ジーンズに良い印象がなかったのもあると思う。けど、履き潰したジーンズを持ってるのは大事。そこら辺は、今となってはちょっと後悔してるなぁ。
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と言ったらどれだけ同意する人がいるかな。まだこっちの方が同意する人は多い?→家で座って小してる男性全員が該当とか。
焼印はアウトドア好き/DIY好きのロマン
の方が同意する人が多いかな。夜の焚火の傍に焼印があると絵になる。作った木製家具などに焼印があるとカッコいいし、お菓子屋や料亭などでも効果的に使われてることが多い。数ヶ月前に『今半』に行ったときは豆腐にも焼印が押してあってちょっとびっくり。
これまでの焼印は手作業で彫るから1万円が最低ライン。当然の価格だと思っていたけど、さすがにこの値段だと気軽に買えない。金属3Dプリンターを使ってもっとコスパよく作れるハズと思っていたけど、あまり情報が無い。このサイトはアメリカ?のサービスの紹介でちょっと敷居が高かった。こちらは中華企業での印刷。先方のサイトの使い方まで紹介してくれていて凄くありがたい。試してみる気になった。ただ$51は予算外。もっともっと薄くして使う金属量を減らしていきたい。
するとポイントは持ち手なんだよね。結局2mm厚の板と、3mmの文字の厚み。それだけに絞った形にしたら上記の中華企業では1000円程度になった(5cm×3cmぐらい)。送料も安いのを選ぶと500円ぐらい。マジか、スゲーぞチャイナ。日本勝てないじゃん。ならば色々なデザインでどれぐらい細かく作れるか試してみよう。
1月末にサイトにデータを登録したら、ちょうど旧正月で2月以降にやりとり。「線幅が足りない」といわれるが「ノープロブレム」と回答。実際届いてみたらビビった。白峰三山スタンプの解像度、山裾の雪もかなり細かい部分まえ実現できる。これなら家の3Dプリンターを軽く越す。金属の粉をレーザーで焼き固めているから、03mmでプラスチックを積みあげるより原理的に解像度は出るハズだが、ここまでいくとは。(これが元の画像だから)
持ち手は耐熱300℃の金属用ボンドでつけようと思ってた。焼印自体は280度ぐらいでだから、先だけうまく火で加熱できるんじゃないか。ところがそんな甘い世界じゃない。コンロで熱していたら300℃は越してポロっとれる。。「あーあ。しゃーない、溶接ワークショップでも申し込むかなぁ」と落ち込んでふと壁をみたらトングがかかってる。「お、この百均トングでいけるのでは?」やっぱりこうやってDIYの神が降りてくる瞬間だよね。生きててよかったと思うのは(笑
あとはトングを適度に曲げたら完成。試し印刷ばっちり。ついつい餅やホットケーキにも印刷してしまた。
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金曜夜は久々に飲みすぎて吐く寸前だった。。ここまで酷いのは10年近くない。あのときは生まれて初めて布団で吐いて(寝ゲロ)、朝起きたら奥さんがキレてて、そのまま新しい布団を買いに行く羽目になった。。今回は下記ノウハウで対応できたけど、土曜日はずっと体調不良。吐いた方が逆に治りは早いのかもね。けと吐くときの不快感を考えるとまだマシ。
■アルコール分解には水が必要
「お冷」も一緒に頼むのは基本だが、ずっと「胃の中で薄めてる」と思ってた。。数年前にどこかの記事で見て以来、これが一番大事だと痛感。飲み終わった後に500mlじゃたらない。1Lぐらいを無理やり飲む。体は乾きを訴えてこないけど、これだけアルコールが多い今の世界が異常なのだと。昨日も家についたらコップ二杯、夜中にトイレで起きたらまた水、朝も水ってぐらいに飲んだから。二日酔い=アルコール分解が不十分→水が足らない。薄めるでなく分解という化学反応のため。
■体内に回ったアルコールが皮膚呼吸を妨げる
教えてもらった情報じゃない。これまでの色々なインプットから薄々と気づいていたけど、昨晩やっと実感できた。「全身に漆を塗ると人は死ぬ。かなり酷い拷問になる」ってのがスタートライン。この世の一番酷い拷問は漢の呂太后がやった「便所豚」だと思っているけど、全身漆も窒息感が凄いらしい。飲んで数時間後に分解されたアルコールが肌の表面にたまるんだよね。お風呂に入るとそれが溶け出す。シャワーじゃ無理だと思う。お湯につかって10分は必要。深夜3時ごろに風呂に入ってリアルに感じた。
センスの根本って、普段使う視覚や味覚や聴覚の鋭敏化でなく、滅多に使わない触覚こそがポイントで、「肌感覚」の奥には皮膚呼吸があるんだね。ここまでを二十歳頃に先輩から教えてもらっていたら、人生が変わったと思うから、ここに書いておく。古武術の先輩たちはほんとお酒との付き合い方が深くて、だから今でも感謝してるけど、やっぱりプラスアルファして後輩に伝えないとね。
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「新人のときに紹介してくれた「愛宕の松」は飲んでますよ。この店には無いけど、僕の地元の岩手の南部美人ですから」と言われてスイッチが入った。流石にどんな飲み方をすればヤバくなるか知ってるし、1次会はビールだけにしてたのに、このセリフと南部美人のせい。若手の同期新年会に声掛けしてもらって合計5名で飲んでいたけど、新人の復興支援で宮城沿岸部に行って、その夜の海鮮BBQで「これが本当の旨い酒だから」と愛宕の松を皆に飲んでもらったことを覚えていたのはその彼だけ。「次の日バスの中で、愛宕の松を見つけた経緯も説明したぞ。川崎の一番うまいトンカツ屋で知ったって」とまで言ったら、1名は「あ、とんかつ屋の事をしゃべってた記憶はあります」 これが教育的アプローチで伝わるリアルな数字で、100%なんてありえない世界。それでも復習が大事なように、こういう場面での再インプットの価値がある。
20代後半は仕事とプライベートの分岐点にいる事が多い
1次会で仕事の話を散々して、最後の最後でガチなプライベートの話題になって、じゃあ二次会。1名は結婚してて、1名は同棲してて、1名はクリスマスに振られ、1名は彼氏がいる女性と新年に初日の出みてる。こいうのもこの年代のリアルなプライベートの状況だと思う。「その状況なら距離は必要だけど振られてない」「キープを作る時点で今カレとは結婚しない。キープ1番目なら道はある。けど、彼と別れるのを待つのはダメ。5:5になったら勝負にでて良い」とか伝えてた。
「20代後半のタイミングで仕事とプライベートにアドバイスをする」これが一番僕のやりたいことなのかもね。単なるスキル教育なんてもうどっちでいいんだよ。最初の概念的なギャプさえ取り除けば、あとは自主的に学んでいけるから。ギャップを取り除く部分も、昔は学生時代の塾ぐらいだったけど、最近は学習系YouTuberとか色々増えてるから。
仕事が忙しい世代だから、20時から開始で23時過ぎまで。港南口の店も早く閉まるようになってた。入社2年目のときに半年間だけ品川勤務してたころが懐かしくなったと思う余裕もないほどの帰り道だったし、土曜日はずっとどんよりな体調だったけど、10年ぶりぐらいになって気づくことはある。
「体がだるい」は筋肉疲労と、内臓疲労
筋肉疲労なんてスポーツ後ぐらいだから、今のほとんどのだるさは内臓疲労。もっと内臓をケアしないとダメだと気づいた。イケメン・美人といった視覚世界は表であって、奥の本質がソウルであるように、味覚は喉元までであって、本質は腸内細菌。今後は内臓疲労の先の腸内細菌まで意識するようにしないと。
「長らく、胎児の腸管内部は無菌状態だとされてきた。僕も医学部でそう教わった。しかし最近の研究ではこれは否定されている。無菌状態どころか、胎児の腸内では、胎児の成長段階に伴って、その細菌叢がダイナミックに変化していく。
《略》
子宮に着床した胎児の腸のなかで、まず、バチルス(桿菌)綱が繁栄する。やがてガンマプロテオバクテリア綱(大腸菌など)が支配的になる。しかし最終的にはクロストリジウム綱が優勢となり、この状態で出産を迎える。産後、母乳を飲むようになるとビフィドバクテリア綱(ビフィズス菌など)が繁栄するようになる。
《略》
精神疾患の原因に、腸内環境悪化に伴う腸内細菌叢の”先祖返り”があるとすれば、、、治療法は、当然、腸内環境の改善である。進化的により進んだ腸内細菌(ビフィドロバクテリアなど)が住みやすい環境にするために、ハーブ(オレガノ、タイムなど)を摂取したり食生活を意識する。これにより腸内での硫化水素産生が減少し、症状改善の一助になると思う。
中村先生はほんと正しいことを書いてる。もともと文学部だったのに、医学部に入り直した経歴含めて好き。ずっとこのブログはウオッチしてます。文字をもってこれだけ長い期間が経過し、個人が自由に情報発信できる時代になって20年強。この世で必要な情報は全てもうどこかに存在してる。けれどグーグルの検索でもヒットしない。ChatGPTがどこまで行くのか、それはもう見えてる。知能の本質を突き詰めるために週末を過ごしたいのに昨日はずっとドンヨリ。だけど、布団買いに行くよりはマシかもね(笑
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[2024.03.03]
Black Musicの世界には皮膚感覚を鍛える傑作作品が1作だけあって、それを紹介するのをずっと忘れてました。。
この作品を百回聴けば扉が開く。男性で開いてるひとは10%いないと思う。せっかく本作があるのだから、トライする価値あります。
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18歳で親から授かった「王子様」という名前を自身で手続きして「肇」に変えた人のニュースを読んだ。さすがに「王子様」を変えたくなる気持ちは分かるけど、「ひろし」もそれに近いと思うのだが・・・。小学校の頃、同じ学年に「ひろし」という名前が4人いた。すると、一番「ひろし」っぽい人が名前で呼ばれ、それ以外は苗字。
これを勝手に「ひろし勝負」と呼んでます。この勝負に勝った試しがない。。。
そして、なぜだが僕の目からみてもひろし勝負に勝った同級生は「ひろし」っぽかった。何をもってひろしっぽいのか謎だけど・・・心が広くて明るいなのかな? 幼馴染だろうと僕の事を「ひろし」とは呼ばない。親兄弟ぐらい。親戚はみんな「ひろくん」だから。街で「ひろし」と呼ばれても振り向かない自信すらある。
ずっとこの名前に馴染めなかった。そもそも「ひろし」という名前でハッピーだと思ってる人いるのか?学校でもキャラ被りと名前被りはどっちが凹むのだろうね。ちびまる子ちゃんもクレヨンしんちゃんも「父=ひろし」なんだよね。これって嬉しいよりもネタにされてる感あるんだけど。海外のお菓子に「ひろし」もそう。世界でネタになってる。
なんで「ひろし」になったのか。それぞれの「ひろし」にそれぞれの理由があると思うけど、僕は生まれたときに母親が父親に名前の案を尋ねたら「豚平(とんぺい)でいい」と答えが返ってきて、「この人にこういうことを聞いちゃダメだ」と判断して、母親独りで考えて名付けたらしい。いくら研究者で世事に疎くても、むすこの名前にこの案だすか?
「けど、とんぺいだったら絶対に改名できたと思うわよ」と母親に言われたのは15ぐらいだったかな。それいらい、とんぺいと名付けられ、15で好きな名前に改名できた人生の方が良かったのでは??と思った。けど20歳ぐらいの頃、Black Musicを聴きながら「寛」という漢字には感謝するようになった。
「博」「浩」「弘」「洋」とか「ひろし」と呼ぶ漢字の中から好きな字を選べ
と言われたら「寛」を選ぶ。好きな楽器=サックスならば絶対にそうなる。当時、母親は「戸籍は漢字しか登録してないから好きな読み仮名でいいのよ。あんたも「ひろし」が嫌いなら「かん」にしたら」と言ってた。法律の専門家だと妙なことが詳しい。本名寛で呼び名が「かん」といえば与謝野鉄幹。それかそのまんま「菊池寛(きくちかん)」。両方とも別に好きでもないからなぁ。
それから30年。出家に従って改名をもらった。理想であった漢字二文字のフリガナ4文字。これまで漢字1文字、フリガナ3文字が嫌いだったんだよね。だからもらった瞬間は嬉しかったけど、なんか妙にしっくりこなくて。寛という漢字が残らなかったことがショックだったのかな。。だから、いまだに改名した名前はあまり使ってない。結局、僕は「●寛=〇〇かん」か「寛●=かん〇〇」が一番良いのだろう。一番有名なのは山本寛斎だけど、「かんさい」は地名みたいだから、うーん、うーん、まあいいや。この話題をこれ以上考えてもしょうがない。
あっけど、ふりかけの「ひろし」は買ったよ。発売されたときは妙に嬉しかった記憶も。日本中のひろしが買ったせいですぐ売り切れたから、わざわざ発売元のオンラインで。10袋単位でしか買えなかったので、父ひろしの会社の人にもプレゼントしたら喜ばれた。けど、後から発売された「かつお」の方が断然美味しいのでもうひろしは買ってないが・・・。ふりかけは横に置いて、もし名前がひろしとかつおで選べたなら、うーん、ひろしを選ぶかな。それぐらいのひろしを愛ということで(笑)
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◆スピンする、しない
どちらかが正しいワケじゃない。プロだって両方いる。けど、個人的にはスピンをかけた方が良いと思う。その本質はブルと矢のサイズ。1投げごとに他の人が抜いてくれるならスピンはいらない。1投げごとに自分で抜くのはダメ。そのままの態勢で3回投げれるのは大事。けど前の矢は邪魔。これにつきる。
?ブルの中の両端に投げ分けできる
?ブルと20トリプルを3投の中で投げ分ける
ここまで上手ければスピンなんて必要ない。けど、そうじゃないなら、ダーツが上手くなって3本とも同じ場所に投げれるようになるほど、前の矢に弾かれる。それを防ぐのが重さorスピンで、スピンの方が良い。実際、スピンをかけるようになって前の矢の隣のビット(穴)に刺さることも増えたから。
◆スピンのやり方
これが全く意味不明だった。ネットの記事を見ても動画を見ても良く分からない。だから7月ごろはデコピンしてた。人差し指を折り込んで、投げる瞬間に弾く。これでも十分に左回転がかかるし、安定度が出ればセンターカウントアップ最高9900点までいった。けど一万点の壁を越せなくて。。
改めて試行錯誤して分かったのが、浅田選手の持ち方の正しさ。比較用に3つの写真を並べたけど、?親指を後ろ倒しするのがポイントなんだよね。なぜこれで回転がかかるのか半年前は不明だったけど、なげるときに親指がこの位置まで移動するから。脱力すると指はこの位置にくる。この親指の移動に従って回転がかかる。最初から?の持ち方だと親指で回転はかけれない。?でも回転はかけれるけど、?の方が良い。その理由が
スイングで投げてもプッシュに近くなる
どこのサイトにも書いてなかったけど、これは事実だと思う。スイングとプッシュもそれぞれ利点と欠点があるけど、?の持ち方だと、スイングで投げても途中の動きはプッシュに近くなるから。
欠点として、この3つの中で一番持ちにくい。だからこそ浅田選手もテイクバック時に絞りを入れてこの形にしてるのだと思う。けど、自分自身は安定しなかったので、テイクバック無しで顔の近くで構えてそのまま投げてます。
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今年の5月にダーツをやりこんでる会社の人に出会い、その影響で再度ダーツをやり始めた。上手い人と一緒にやると言語化できないコツも学べるね。2回目で効き目の大切さを知りスタンスを変え、4フィンガーを3フィンガーにしたらハットトリックが出来た。だからこれだけ練習もするようになったと思う。
その人は2フィンガーで?でもってプッシュで回転無しで投げてた。毎回同じところに飛ぶし、いつも前の矢に弾かれてた。けど、2時間ぐらいの中で一度は必ずセンターカウントアップで1万点を超すぐらいには上手だった。それでもAフライトの壁は高い。あの投げ方はどうみても完成形の一つ。じゃあ、回転をかけないとダメなんだと感じた。フライトもスタンダードやシェイプでなくスリムにした。フライト自体もスピンのタイプにした。けど、やっぱり一番効果あるのは矢の自体を回転させることなんだと思う。
このとき一番のポイントが親指の位置。矢の重心にしないとダーツが倒れそうなコマぐらいグラグラ?ブルブル飛んで刺さらないことが多いから。
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ここまで書いてもなかなか安定しない。浅田選手のように薬指か中指も使って持って、手放すときに矢先を上に向けながら親指で押しださないと無理だね。難しいのが親指の先で上で転がすこと。親指の第一関節の真ん中だと矢を横から押す形になって、矢が斜め向きにとんで刺さらないから。矢から離れる最後の指が親指で、かつ親指の一番上。そんな感じです。
ちなみにこの記事は凄く面白い。ピアノのプロは違うね。
人間の指は、私たちが思っているほど脳との伝達ができていないんです。だからなぜここが弾けないのかが、自分でも案外把握できていない。そこのトラブルシューティングをちゃんとしないと、100時間練習しても上手くなりません。
指を精密に動かすという面では似てるんだね。
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ドメイン駆動設計とは独自の型でビジネスルールを明確化すること
と喝破したこの記事は非常に面白かった。
これを突き詰めるとモデルと型の関係になり、直感的にはモデルの中身のうち60%ぐらいが型で実現できるし、それぐらい型の設計に拘るべきだと思ってる。
コンピューター言語における型は、数学的由来もしくはメモリ効率性から、アプリオリ(自然・当然として)に決まることが多い。けれど、独自にコンピューター言語を設計するなら、型の設計は非常に大事。そして、2001年の年末に気付いたのが、「深層格とは型に対比すべきであり、皆が同意する十分かつ完全な型セットは存在しない。ならば最小の格を明確にすべきで、フィルモアの源泉格はその視点から見ると答えに近かった。使役文の解析のために新たに格を作るのは愚の骨頂で、使役文は2つの文に分解すべき」 この気づきが修士に相応しいのかどうか未だに本人が良く分からないが、当時は達成感もあったし、貴ちゃんが認めてくれたならそれでOKとしよう。
それから20年経過して、やっと当時の射程の9合目まで辿りついた。せっかく5月に前向きな割り切りで実装に入ったのに、当然のごとく詰まる。
?やっと実装できる→?モデルが不十分な場所を発見→?考察→?→?→?・・・
5月以降の半年間、このループに入ってた。2011年以来、いや、2009年ぐらいからずっとこのループ。唯一の良い点は、ループ毎に考察が深くなり、ループの期間は短くなること。それだけが心の支え。
改めてやっと?に戻って、今は疎結合か密結合のどちらで実装設計するかで悩んでいた。拡張性とか変更可能性を考えれば疎結合が良いに決まってる(現時点では速度はそんなに問題ではない)のだから、上流設計における疎結合のポイントを改めて調べてたらドメイン駆動設計に辿り着いて、冒頭の記事を見つけた。けど、まさかここで型が出てくるとはね。
ユーザ定義型とオブジェクトの違いを突き詰めるだけでもソフトウエア工学の院生レベルだし、そこに制約プログラミングを入れれば博士レベルになるのかな。今は誰も真面目に制約プログラミングなんてやってないだろうね。2000年の修士1年の時点で、分野自体が停滞してたから。けど、突き詰めると型は制約だから。商業ベースのソフトウエアも、そのうち制約までくるだろうけど、それよりはうちの実現の方が先だと思うな。9合目ってのはそういう場所だから。
最近はChatGPTが流行ってるけど、この記事が正しいし、この応用例が興味深い。
ディープラーニング側も「言語理解モデル」と言ってるといってるけど、僕が今作ってるものとは全く違う。同じモデルでも「ファッションモデル」と「プラモデル」ぐらい違う。
「ファッションモデル」と服の「型」の関連度は60%以上あるとは思うけど、ここら辺もフィーリングの世界だから。そのうち誰かがここら辺を掘り下げてくれると期待してる。
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大学時代は古武術もやっていたけど、うちの流派は珍しく型システムが明確だった。あれ、いま調べたら以前書いてあった型の事が無くなってる。。
7×3で21の型を延々と稽古する。相手と自身の位置関係・および相手の攻撃で7つに分かれ、自身の武器で3つに分かれる。
7つのうち、前面からの攻撃が5で、背面からの攻撃が2。なぜ側面からの攻撃が無いのか、師匠に誰か質問したんだっけ? 「90度動けば正面になる」が答えだった記憶もある。
この分野は、型が先にあるワケじゃない。実践が先にある。それを先人が型として整理した。デザインパターンもそう。実践が先。当時、型稽古をえんえんと繰り返してたことが、此処に繋がるのか。また稽古を再開しなくちゃね。最近は弓道の代わりにダーツばっかりやってたからなぁ。ダーツは距離も相手も固定だから、型は一つ? まあブルに刺さった前の矢をかわしつつブルに入れるときで、二つ? ブル以外の場所を狙う時で、左右上下のバリエーション? そういう意味ではダーツに型が何個あるのかも決めの問題かもね。
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夜中の23時回ってから家のソフトダーツボードでダーツ練習してたら隣の部屋から「うるさい、寝れない」と言われた。。「これ以上の静音化は無理」といったのにダメといわれる。。結局、どれだけ内部に粘土を入れても、当たる瞬間の矢のチップとボードのプラスチック同士がぶつかる音だから、原理的に消せない。それでしょうがなく、表側にも薄く粘土を置いた。するとハードダーツボードと同じぐらいの消音化が達成できた。「必要は発明の母」という言葉は正しいね。ここまでしてまで家錬する必要あるのか謎だけど、どうしても平日は仕事後も色々あるから、ダーツの時間が22時以降になることが多い。。
「表も裏にも粘土を詰めるなら、そもそも粘土だけでもいいのでは?」
とも思うけど、それだと矢が刺さたあとに下に傾いて最終的に落ちることも多いから。結局、もともとのプラスチックの穴穴が骨格みたいな役割をして、ダーツを保持してる。両側の粘土が吸音材&衝撃吸収の役割。さすがに真っ白の粘土だけだと狙いにくいので、絵の具を入れてこねて色付けした。これでも総量787g。ミニ型だからこそ各セグメントが小さくて、粘土がはがれてこない。この商品はここまで改造すれば無双では? この重さなら壁美人でなくて、簡易版でも耐えれる気もする。
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ちなみに家ダーツの練習方法だけど、3投に1回ぐらいブルに入るようになれば、ブル率のカウントだけでも練習になるけど、その手前のレベルだと、ほとんどブルに入らなくて心が折れる。練習量はすべてのベースだけど、練習方法自体を工夫するマインドは絶対的に必須。個人的には一週間かそこらで上達が感じられるぐらいの計測方法は欲しい。店での練習方法としてはダーツライブ3のセンターカウントアップ(CCU)が一番だと思っているので、家錬でもどれだけそこに近づけるか。
以前はネットの情報を参考にして、ブルの直径の2倍のところで囲って、この中に入った数を数えていた。写真をよくみると、白いチップで円を囲っているよね。けど、ある程度上手くなるとこの計測方法ではザル。なので、今はブル1点、ビックブル10点、それ以外を0点としてカウントしてます。8ラウンド24投でブルが10回超えたらビックブルの数と区別できなくなるけど、そこまで行けばブル数だけ数えれば良いと思う。2-5とかよりは25の方が覚えやすい。ダーツに集中しながらブル数も覚えるって何気に面倒。
それだけでなく、ラウンド数と点数を両方とも頭の中で数えるともうダメ。最初はダイソーでバードカウンターでも買おうかと思ったけど、もっとシンプルな方法があることに気付いた。それがダーツの数字のところにチップを刺しておいて、それを毎回ずらしておく。今は真下の3の文字の近くチップ(オレンジのやつ)をさして、毎回ラウンドごとに矢を抜く前にずらしていって、9まで。これで8ラウンドの数を数える。点数ぐらいなら、頭の中で数えれるから。
カウントアップは8ラウンドなので、同じく「1セット8ラウンドとして、8x3=24投だと大体平均15分」結構、区切りが良い時間。これを1日2セットが基本。こんな感じで練習してます。ハードダーツの方はラウンド計測用のチップをマグネットアクセサリーに変えていて、真ん中が使いすぎて膨れてきたので、横に的を作ってます。以前は針金で囲っていたけど、塗ったほうがシンプルで狙いやすい。家錬用なんだから、見た目に拘っちゃだめだね。
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