Lispの勇気が欲しい - モデリングの谷間に落ちて思う事

Lispの設計の綺麗さ。プログラミング言語というよりも数学に近いとポール・グレアムは言った。
データ構造はリストしかない。あの時代にはありえないレベルの清々しさ。普通はヒヨって色々追加する。だから結果としてぐちゃぐちゃになる。

モデリングとは捨てる決断を重ねること。ジョブスがFDイジェクトのボタンまで拘ったことについては、今でもその意義が良く分からない。結局、初期のMACのようなマウスのボタンが一つという世界は続かなかった。けど、ノートPCで一番最初にCD/DVDを外したのも、LANコネクタを外したのもジョブス。

それぐらいのレベルのモデリングをしたくて、その勇気がなくて、昨日はずっとモデリングの谷間に落ちてた。思考と感情が絡まって、最小構成が生み出す恐怖に耐えれなくて逃げ出したくなってきた。そんな時、マッカーシーやジョブスの事を思う。真にデザインしたことないゲイツはいい。エリソンもいい。IT3大有名人の中で、やっぱり「削るモデリング」はジョブスの真骨頂。そこは結構好きなんだよね。

感情だけの世界や思考だけの世界ならば35までに色々と対応策を学んできた。けど、こういう思考と感情が絡まる時は、まだダメだね。頭だけでも進めても先に行けないし、感情だけで進めても先に行けないから。

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Lispの設計に本当に勇気があったのか、それは分からない。
Lispは数学的な世界に己の価値を負っていた。

いまHHAIのモデリングを行うにあたって、同じように裏打ちしてくれる分野がない。言語学じゃない。ソシュールは構造主義の元祖だけど、最小構造について述べてない。チョムスキーは文章が長くなる事に主眼が行き過ぎて、短い文章が何からできて、それが何個あるのか述べてない。一番期待できたのはエスペラント語だけど、単語が多すぎる。

生活言語として設計するなら、人間の記憶力を多用する代わりに伝達時間を短くする方向に言語が発展するのは当然。すると単語数が増えすぎて解析が重くなる。重くなるだけでなく、そのうち派生語同士が連結しだして新たな意味を生み始める。すると、もう昔の最小数が見えなくなる。そもそもエスペラント語はヨーロッパ語族の影響が強い。接尾辞多用の設計は賞賛するけど。


結局、無いなら作らないとね。もし時間があれば、最小時間と最小空間についてはちゃんと調べたい。湯川博士の見果てぬ夢らしいけど、これはある種の裏打ちしてくれる分野になってくれる気がする。けど、今はその時間が無い。


最近、形容詞の分析を始めて、途中で躓いてた。
五感で感じる内容を最小語数の中に入れようとしたけど、誰がどう考えてもN/S極もプリミティブ。人類はわからん。渡り鳥は分かるらしい。そんな事言い出したら、電子のスピンもそうじゃん。もっと科学が進めば、もっと根源的な属性が見つかる可能性は多大なり。

この時点でつまって、その結論が「プリミティブな形容詞なんてない」

この怖さ。

いいたかったのは、そんだけです。

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コンピュータのソフトならマッカーシー
コンピュータのハードならジョブス

ジョブスのデザイン感覚は本人も言うとおりカリグラフィーから。カリグラフィーって本質は字体でなく空白じゃないのかな。すくなくともこれがTeXでのクヌースの結論のハズ。座禅もそう。思考が本質じゃなくて、思考の間(ま)が本質だから。少なくとも、俺はそう思って座禅してきた。最少数を求めれば求めるほど、碁盤が浮かんでくる。全てを均等におけばいいわけじゃない。何かの構造が先にあって、それに対応する必要がある。碁では四隅がある。オセロだって角がある(笑

じゃあこの世は?
本当に空間と時間が一つになるのか、それは分からない。

なぜ、時間が後ろ向きに流れないのか?

最近、列車に乗ってるとANAのCMで見かける。
昔からこれ系統の本は読んできたけど、多分違うんだよ。

「なぜ、時間が後ろ向きに流れないのか」じゃなくて、前向きに流れるのを「時」と僕らは名づけたんだよ。

だから、正しい問いは「なぜ、僕らは、後ろ向きに流れるものが見つけれないのか」なんだと、そう思う。そして、超能力と同じぐらいの確率で後ろ向きに流れる何かもあると思ってるのかもね(笑

 



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