澄み切った狂気 −伊藤若冲−


2006年のある日、出張が早く終わって15:00に東京駅で手持ち無沙汰にしてた。このまま新幹線で帰って事務所に顔出すには遅い時間帯だったから、「皇居ぐらい行ってみるか」と軽く思いついて、てくてく歩いていった。入口の近くに美術館があって、何気なく入ったら伊藤若冲の企画展をやってた。

な、なんなんだ、この絵は・・・
伊藤若冲という名前を全く知らなかったけど、ガツンと衝撃を受けた。
「奇想の画家」が公式な画家像だけど、はっきり言って頭のネジが3本ぐらい飛んでる絵を描くんだよね。プライスレスコレクションのきっかけとなった、あの絵もそう。枝の伸ばし方や節々がなんか異様。「構図が非現実的」ともよく言われるけど、部分部分は緻密すぎるほどに書き込んでいるから、長く見てるとそのギャップに頭がくらくらしてくる。

平日で人もまばらだったから、絵の数よりも人の数が少ない状態。この状況で伊藤若冲の、それも動植綵絵を見ること。純粋にありえないほどの衝撃。だからこそ、2009年の東京国立博物館での企画展も、2010年の静岡美術館での企画展にも行った。東博の時は土曜日だったのもあってめちゃくちゃ混んでた。。静岡では動植綵絵が無かったから、ちょっとショック。


まだ金毘羅さまとか見て無い若冲の絵は多いけど、やっぱり老松白鳳図の、白鳳の瞳が最高。

今回「伊藤若冲 動植綵絵 ArT RANDOM CLASSICS」を買ったけど、この本では白鳳の羽をアップしてる。おいおい、瞳をアップしろ! このイッっちゃってるけど澄み切ってる瞳を。09の東博では人を掻き分け、この絵の、この瞳だけ数分間無心に眺めてた。一番最初は、若冲が描く「波」や「雪」での白の配色の仕方が衝撃だったけど、突き詰めていくとこの瞳がコアにある。

数多く描いている鶏の瞳は「ギョロ目」で、そこまで惹かれてない。今回見た、鯨象での、象の瞳はちょっとユーモアが入ってる。だから瞳を味わいたかったら老松白鳳図です。間違いない。若冲に瞳を求めている人は殆どいないかもしれないけど、この瞳は何かがある。

非現実的なんてヤワイ言葉じゃなくて、狂気でいいんだよ。この人はベースに狂気がある。狂気=破綻と捉える人は、構図の凄さをもって見失うだろう。けど、狂気は破綻とは全く関係ない。ダレた狂気が破綻につながるだけ。

「自己の狂気を飼い慣らす」ことを目標とする、全ての人が、この瞳に惹かれると思う。
若い頃は抑えようとして失敗し、歳を重ねて溶け込ませる方法を覚えるとしても、この絵で表現されているような、狂気を澄み切った方向に伸ばす事ができるとはね。。その事実が一番ショックかも。

> 若冲は「山川草木悉皆仏性」の思想を、観音経にある「三十三応身」になぞらえて描き出したと考えられる
三十三応身と鳳凰の関係から調べてみるかな。


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こちらのサイトの若冲の取り上げ方が、個人的には一番しっくりくる。

> なお僧籍にあった若冲は生涯独身であり、酒や芸事など世間の雑事には全く興味を示さなかったと伝えられる。

> 妻を娶らず、生涯独身を貫いた若冲であるが、本作の妖艶な鳳凰には若冲の秘めた性的嗜好や欲望、画面右上の旭日の下方へ配された白鳳を見つめる山鳩の姿には若冲自身の投影がしばしば指摘されている。

うーんと、個人的には江戸時代に本人の意思で僧籍なった人は、「女に興味が薄い」のを他人に説明するのがメンドクサイからなんだと思う。西行法師みたいな恋愛の後かもしれないけど、若冲の絵を見てると、違う気がする。そもそも男女の恋愛の枠には収まらない感情があるような。





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