生きるとは《苦》だから

『自分で選んだ苦労』
『押し付けられた苦労』
人生はこの中から選ぶしかない


帰依している宗教は無いけれど、釈迦の言う「苦の分析」についてはそれなりに考えてきた。この前も原始仏教の本を読んだけど、こちらのコラムが非常にまとまって書いてくれてます。

原始仏教の目指したものは人間の苦のメカニズムを解き明かし(この場合“苦”というのは上手くいかないことくらいにとらえた方がいいと思います)、その苦のメカニズムから脱却する考え方(フィロソフィー、無理に訳せば哲学ですな)を示したものなのである。
苦というと、苦悶、苦行、苦役、苦労、のようなネガティブなイメージなので、橋爪大三郎氏などは極端なニヒリズムととらえている(橋爪氏著「世界がわかる宗教社会学入門より」)。人生を苦と定義するので仏教をペシミズムという学者もいる。
たまたま中国語に訳したときに“苦”という文字をあてたので、仏陀は人生をネガティブに考えたと解釈する人が多いが、筆者は“苦”=思うようにならない、 うまくいかないという意味に解釈していて、この解釈から考えると、“一切皆苦”とは人生はうまくいかないことだらけだ。という意味になる。人生とは不幸な ことばかりだ。ともいえる。そのうまくいかない人生をどう生きるかというのがもともとの仏教のテーマなのである

ただ、このコラムの著者もなぜ苦になるか書いてない。「原始的かつ生存的に必須な欲求が苦を生んでいる」と釈迦が喝破したと個人的には理解したけど、もっとシンプルな話しだと思っていた。

「他の生物を殺して食べている時点で、のほほ〜〜んと生きる事は許されてない」

この説明が一番、心情的にしっくりくるんだよね。誰が許してないのか?といわれたら、やっぱりこの地球や宇宙や生物界をデザインした人なんだろう。そういう意味ではIDの立場に一番近いのかも。生物発生確率を考えると「たまたま偶然だ」というのは奇異に感じるから。この世は誰かが意図的にある目的でデザインしたのだと思っています。すると、ポイントはそのデザイン者が現在もどれだけタッチしているか?になる。それが今でも有形無形に影響を及ぼしているとみなすなら普通の宗教だし、全く影響を及ぼしてないと考えるのならば、この考え方は宗教でも無いと思う。はてなのIDの説明は、その点でネガティブすぎじゃないかな。個人的に思うIDは、「この世は偶然」か「誰かが意図した」かの違いであって、偶然でこれだけ精緻なものは出来ないと思っているだけなのですが。だれかちゃんとIDについて客観的にWikipediaに書いて欲しいかも。

個人的に信じている法則は、因果応報だけだし、これも宗教というよりも、この世は最初からそういう風にデザインされたんだと思っています。

よく「自分は誰にも悪い事してないのに、何故こんなに不幸なの?」という考え方を持つ人がいるけど、「肉たべてるでしょ?食べる毎に死んでる生物がいるんだよ」でOKな気がする。本当に誰にも悪い事したくないなら、ベジタリアンになるべきだと思う。個人的には普通に肉も食べる(焼肉はそんな好きじゃないけど)。ただ、ここら辺にも疑問があって、動物を殺すのは良くなくて、植物ならOKという説明もなんか納得いかない。

仏教は「殺す時に鳴くものは食べちゃいけない」から、にんにくの茎は曲げるとキュッと音がするから食べれないとも読んだ事があるけど、植物だって生きているわけじゃん。動物と植物で分けるのは正しいの?欧米では牛や鶏も「神様が人間のために作った」って思ってるんでしょ。これと「お米は食べるためにある」って本当に本質的に違うと言える? 確かに「血が出ない」は一つの指針。けど、植物だって切るときに樹液が出るしね。樹液と血はそんなに違う?よく日本の鯨と欧米の牛を比較するけれど、生きてると言う意味では全て等価だから。

だから他を犠牲にして生きるためのエネルギーを得ているモノは、肉食だろうと草食だろうと、やっぱりそれ相応の「生きているという業」を背負っているし、理想は平等な恵みである太陽光をエネルギーとする植物なんだろう。けど、動物として生まれた自分が植物になることだけは地球が逆転したって不可能だから(笑

そういう事を考えると「じゃあ、そもそも何で生まれてきたの?」という根本的な話しになって、そりゃ両親がSEXしたからに決まっているけど、別に子供として生まれてくるのが自分じゃなくても良い訳で、その発想は霊魂の独立性を認めることになる。個人的には死後の世界や霊魂の独立性は死んだら分かるんだから、今から焦って考えなくてもいいと思ってます。「死んだら考えられないジャン」という意見もありそうだけど、考えられないなら別にそれはそれでいいや、と思ってます。因果応報を信じている立場から言えば、現実で応報が十分に機能しない場合(そういう事はあるでしょう。いくら上手にデザインしてもこの世は《人の海》の中だから、うまく立ち回って散々酷い事しながらベットの上で死ねる人もいる)、死後の世界で応報になるだけだと思ってます。
この現実で因果応報としての決算をちゃんとつけてる人は、わざわざ死後の世界を気にする必要は無いハズ。

そんな意味で、個人的に大事な事は、「他の生物を食べている時点で、それにまさる何かしらの貢献を求められている」という一言につきる。もちろんすぐに貢献できるほど人生は甘くない。けど、その方向い歩いている限り、人生の決定権は自分にくると思ってます。「人生はなんで苦労ばっかりなんだろう?」と考えるよりも、「苦労して成長するのが正しい道で、生きている価値はそれしかない」と考える方が正しいと思う。そういう意味で、God sent her the challenge that would change her lifeアルバムの冒頭にもってきたSyleena Johnsonと同じ立場だね。救いじゃなくて正しい試練を与えるのが真の神。

だから「ID&初期設定条件のみ」という中の初期設定に「人生における必要な苦労の量」が決まっていると思ってます。ただ、苦労の内容ぐらいは選ぶ権利がある。その権利を使わなかった人は、誰かが勝手に決めた内容で苦労する羽目になる。今、不本意な苦労をしていると感じる人は、今までの生きてきた間にその決定権を使ってこなかったんだよ。それがシンプルなこの世の答えじゃないかな。見返してごらん。泣きたくなると思うけど、気づく場面はあるでしょう。

そして苦労自体の量を減らしたければ、菜食主義者というのは一つの方法だと思ってます。今の自分はまだそれを選ぶつもりは無いけど、食事の無駄は非常に罪が重いと思ってます。そういう意味では昔の一般的な日本の教えのところに戻ってくる。

「感謝して食べなさい」「食事を粗末にしてはいけませんよ」

単純に伝統に価値を置く事は無いけど、シンプルに考えを突き詰めていくと同じ場所にくる事がある。食べるという行為の重さは、食事に恵まれず、直接、動物を殺めてきた先祖の方が痛感していたのだろう。自分たちが殺して、食べて、だからこそそれらを祭ったのが、日本の祭祀の一つであり、アイヌの人々も同じように熊を祭っていると読んだ事がある。「神様が人間が食べるためにつくった」よりも、殺めて食べる動物自身への感謝の念の方が良いと思うのだけど。そんな伝統というか日本的な感性の土壌の上に、やっぱり自分もいるんだなぁ・・・とたまに痛感する事がある。

30年も生きてきて、自分と周囲と上の年代を見てこれば、「結局の所、人生は平等なんだな」と痛感すると思う。もちろん生まれた場所は千差万別だけど、それは単なる初期バリエーションであって、どんな場所にも幸福も不幸もあり、幸福を増やす生き方をする人もいれば、不幸を増やす生き方をする人もいる。これだけだと思ってます。30過ぎても不平等だと思っている人は、苦労してきた中にどれだけ身から出た錆びがあるか真面目に考えた方がいい。振り返ってみても、これまでの苦労の半分以上は身から出た錆びだと思ってます。高校時代があんなんだから、大学時代に二度も入院する羽目になる。

現在の立場はそれなりに恵まれている部分が多いけど、ここでお気楽に生きていると、絶対に「押し付けられた苦労」がやってくるんだよねぇ。だからこそ心を締め直さないといけないと最近つとに思ってます。

あ、そうそう一つだけ。
会社の先輩でベジタリアンの人がいる。日本じゃ珍しいんだけどね。そしたら、たまたま先日のお客様との飲み会で、お客様の一人がベジタリアンだと知った。宗教的な信条とかでなく、本人たちは「なんとなく」と言っていうのだけど。前々からベジタリアンは気になっているので、色々と調べてます。

「卵、牛乳、魚」の取り扱いでベジタリアンもレベル分類されるって知ってるかな?
うちの先輩はかなり魚も食べない人です。奥さんとお子さんは普通だから、まあよく奥さんはそんな旦那の口に合う料理を作っているなぁと、そちらの方を尊敬している部分もあるけどね。上でも仏教についてなんちゃって理解で書いているけど、宗教家のベジタリアン率も興味があって調べています。すると有名な宗教家は見事に皆がベジタリアンなんだよね。そういう意味では、ベジタリアンこそが正しいし、いつかそちらに行かなくちゃなぁと思っているのは事実。
その上で、

「ベジタリアンじゃない人は宗教家じゃない」って明言すべきだと思うな。
凡人が普通に持つ欲望を抑えるからこそ宗教家なのであって、食欲・性欲・睡眠欲のうち、食欲と性欲はトコトン抑えるべきでしょう。それでこそ人格の高潔さを尊敬できるのだから。釈迦も30過ぎて子供もそれなりに育ってから出家したらしいから、個人的にはそういう生活に憧れてもいるんだけどね。

今までの宗教の根本的な間違いは「若い頃に欲望を抑えすぎ」なんだと思う。それが人間原理的に無理だから、東洋でも西洋でも寺や教会で男色に走ったんだと思っています。いや、どちらもこっそり女性を連れ込んでいたんだ。ここら辺を全く知らない人は、織田信長とチョーザレーボルジアを読めば伝わると思うよ。
若い頃の性欲なんて完全に抑えるのは不可能なんだから、若い時に十分経験させて、逆に30過ぎてからの宗教的な生き方を、今後は広めていくべきなんだと、そう思っているのも事実。年取れば、性欲も減るし、肉を食べたいという気持ちもへる。それは自分の10代と30代を比較すれば一目瞭然だからね。

「食べるのは自分で絞めた肉だけ。基本的にベジタリアンになったんだ」
米SNSフェイスブック(Facebook)の創業者マーク・ザッカーバーグ(Mark Zuckerberg)氏(27)が食べる肉は、自ら絞めた動物のものだけ―― このような記事が26日の米経済誌フォーチュン(Fortune)に掲載された。
というニュースを先日見たけど、これってベジタリアン??? けど、殺す場面に立ち会うのは非常に良いことだと思う。以前に品川の港南口を歩いていたけど、見学コーナーって無いんだよね?もし仮にあっても、いく勇気は僕は無い・・・。YouTubeとかにはとさつの映像があるのも知っているけど、見る勇気も無い。勇気は無いし、肉は食べるし、だらこそせめて他の苦労ぐらいはしょうがないと思ってます。

そうそう、もう一つだけ。

一番正しい生命が植物だとしたら、そもそも、なぜ動物が生まれたのか?
初期デザインの中に生命だけでなく、いつか動物が生まれるようになっていたんだと個人的には思ってます。昔、色んな本を乱読している時に、「神様はいつか自分自身を認識できる存在を作りたい」という説を読んだ。なんかこの説って、全知全能の神様でも一人ぼっちで寂しいのかなぁっていう気分になって、結構好きです(笑 こういう事でも誰か一人ぐらいは真面目に考えてもいいのかもねって、あの頃、素直に思えたなぁ。

植物は非のうちどころの無いエネルギーの摂取をしているけど、残念ながら出来る事が少なすぎる。一部の動物もそう。変温動物は基本的に日光浴しなくちゃいけないから。普通の哺乳類もそう。基本的に必要最低限だけ食べて、後は寝てる。僕らから見れば「気楽そうだなぁ」と思うけど、必要以上を食べようとしない、実は正しい態度なんじゃないかと思ってます。

そんな意味において、人間だけは食べて寝るだけでは満足できず、それ以上の何かをしようとする。だかこそ、苦しいし、辛い面もあるし、もっと食べようとして太る。。けど、そのプラスアルファが持つ可能性が大事なんだと思ってます。神様も勝負に出たというべきか。最低限の衣食住だけじゃ満足できない生物を作る事は、かなり勇気がいると思うけどね。けど、真の未来はその先にあるというのも、よく分かる。そんな意味では、プラスアルファの可能性を高価な服、広い家、豪華な食事の方向に歩く人は、根本的に理解が足らないと思ってます。

起きて半畳、寝て一畳
やっぱりこれが一番のプリミティブでしょう。そのベジタリアンの先輩は、会社に入った時に荷物がボストンバック一つだったから、そういう意味でも尊敬してます。僕なんて、CDの山・紅茶の山で、ルームシェアの同期がびっくりしてたからなぁ。ホント、エゴが多い。


以前に神様は苦労がお好き?と書いたけど、そんな意味では、こういう態度は二十歳の前ぐらいからだから、もう15年は経ってるね。この文章にもIDちっくな発想があるでしょ。あの頃はIDなんて言葉を知らなかったけど、この考え方は使い方によっては非常にナイスだと思ってます。仏教の本を乱読してた時の感想はこちらです。

もし、引きこもっている人が何かの縁で此処に来てしまったのなら、一つだけアドバイス。

引きこもるのは全然構わない。
けど、肉は食うな。
姿勢は気にしろ。ネットはやるな。
そして、自分が気になる事をとことん真正面から考えろ。
昔の人も、偉人ほどそうしてきた。
達磨大師が洞窟で引きこもってた時のように、部屋で引きこもれ。
そこまで行けば憧れの人生の一つだ。

 




コメント
こちらには初めてコメントさせていただきます、丸山健太です!
僕も音楽が仕事にならない時期、ほぼ引きこもりみたいな人生を歩んでいましたが、
気軽にネットをやりすぎなければ、もっと深みいけたかもなぁ……なんて思っていたりします。

食と善悪についてですが、
藤子不二雄さんの短編「ミノタウロスの皿」
はご存知ですか?非常に考えさせられる短編で、とてもお勧めです!

若井さんのブログ、毎回滅茶苦茶楽しみにしてます。
これからも宜しくお願いします!
  • MARUKEN
  • 2017/03/01 3:05 AM

こちらにコメントくれるとはびっくり(笑 しかもこの記事。ありがとうございます!

いやー、wikipedia見るだけでもこの、ミノタウロスの皿は惹かれる。ちょっと満喫で探してみますね。

「気軽にネットやりすぎなければ」という文章は、そういう面はあるかもね。気晴らしはどれだけ集めても気晴らしだからなぁ。
  • 若井寛
  • 2017/03/01 11:58 PM

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