『貨幣論』 岩井克人

圧倒的な名著ながら、いままではるか手前。やっと「お金」を知識としてインプリメントする状況に来たから読んだ。今日は喘息で通院して会社を休む。14時から20時まで途中で休みつつ読む。そりゃ一気読めるほどの楽な本じゃない。

 

この本だけは発売当時に夕食で親が興奮しながら喋っていた。珍しかったから、なんか今でも覚えている。これが家がもつ無形文化財であり、プロ野球の選手が息子の前で素振りするのと同じ。「この世には物質不滅の法則があるから、モノが無くなったと言ってはいけません」も同じだが、あれを小学生で聞かされると人生イヤになるぞ・・・この本は確か高校生ぐらいだった。そういう時期にこのレベルの名著を読ませればガツンと伸びる。居間に転がってて何十個と付箋がついてた。それにビビッて当時に読まなかったのは後悔してるけど、あのときアウトラインは教えてもらったような。課題意識が無ければ内容はすぐ忘れる。いつか読まなくちゃフラグが立っただけだが、それが一番大事なんだろうね。

 

ビットコインなどが出現して、いまはフェイスブックのLibraまで出現しそうな時代だからこそ、あらためて貨幣の本質を真正面から考える必要がある。こちらに特集あるから、まずはこの記事から読むのをオススメこのインタビューも

 

古代ギリシャにおいて、世界で初めて人々が日常的にお金を使うようになりました。ひとつの抽象的な価値で多様なモノを表現している貨幣を毎日使うことによって、まさに「雑多な世界の背後に統一的な法則があること」を日常的に理解できるようになったと。それによって、近代の科学や哲学にそのまま通じる考え方が古代ギリシャで生まれたと、シーフォードさんは言うわけです。

抽象のベースは、ものを遠くからみたら点になること。けど、それは人間以外の動物でも見えている世界のはず。まだここには謎があると感じているが、お金がないと統一的な法則性を感じないという事実はオモロイ。

 

専門家と非専門家の間の契約や、経営者と会社の間の契約は自己契約になるという指摘は滅茶苦茶オモロイ。

自己契約とは、元旦の禁酒の誓いと同じで、法的に強制することはできませんから、経営者や医者が自己利益を追求することを許されると、契約の名の下に、会社や患者を一方的に搾取できてします。例えば、自分の報酬を超高額にしたり、患者を人体実験に使ったりできてしまう。それを防ぐためには、経営者や医者に、自己利益は抑えて、法人としての会社や無力な患者の利益にのみ忠実に仕事をするという「倫理的な義務」を負わせなければならないのです。

倫理といっても最終的には罰則のデザインだと思う。正義感とか、もっと掘り下げるとミラーニューロンとかをあてにしない方がいい。サイコパスっているから。この人の考察は素晴らしいから

 

でも、もしわたしが哲学や倫理学をやっていたら、一生をかけてヴィトゲンシュタインやアリストテレスの解説者で終わっていたかもしれません。なぜならば、言語と世界の関係、法と社会との関係は大変に複雑で、主として西欧において思考されてきたからです。だから、西欧言語を母語としない人間にとって、哲学や倫理学をすることには、本質的なハンディキャップがあります。

そう?今までの哲学の用語の上で哲学をやろうとするからでは? 零ベースで作り直せばいい。言葉で言葉を語るのは出口の無い世界。出口の無い世界は腐る。人工知能はプログラムとして表現して動かす。これこそが出口。プログラムで表現できる哲学をやっている。そして、やっとやっと貨幣まで来た。そりゃそうだ。貨幣の前に所有権とかあるから。

 

言葉と貨幣を同じ地平に載せるのはこの本のあとがきで見た。面白い。この対談では法律までのせてる。ほんと? 法律ものせちゃうのは、自国で生まれたからといって勝手に国民とみなして勝手に法律が縛ってくるからでしょ。生まれたらすぐに勝手に洗礼するのと一緒。どう考えても再洗礼派の方が誠実。

 

とまあ、すべてに同意してるわけじゃないのですが。

逆に、この本の価値は下記。

 

■貨幣になれるのは皆が欲しがるもの:87P

家畜や金銀。保存するにも餌もいらないし腐らない金銀の方が使い勝手が良い

 

■取引ごとに金銀の重さを測るのでなく、計測結果を表面に刻む

  ⇒ 使うたびに金属は磨耗して重さが減る それでも刻んである重さだと見なす これが商品の価値と貨幣の最初の分離:P117

 

■兌換紙幣において、実際に変えてくれと言ってくる人は僅か。だから地下金庫に保管分以上に発行できてしまう:P139

 

■交換用の道具のはずの紙幣は、タンス預金みたいに保存されることで自らが商品化してしまう:P169

 

■商品の価値は自分の欲望がベース。けど、貨幣は他人の欲望の存在が必須。他人の欲望は他人の他人に依存。これが循環性。それ自体に価値が無いお金は、最後の審判の日には無意味。するとその前日でも無意味。それを皆が想定すると前日の前日も無意味。こうやって考えていくと、未来が無限であることをやめたら貨幣は崩壊:P196

 

ここら辺は滅茶苦茶面白かった。そして、これぐらい簡易な表現にすれば中学生だって理解できる。この本も最初はマルクスの説から始まって哲学分野寄りの難解な記述。こういう書き方をしていると専門家しか読まないと思う。恩送りを心がけている身として、今回は正確な引用を無視して書いてみました。

 

---

もともと価値はないのに、他人も価値を感じることを前提として流通の連鎖が起こる。

 

これってバブルと一緒では? バブルは、土地でもチューリップでもベースとなる価値はある。紙幣には無い。バブルにおいて膨れ上がった価値に上限はない。紙幣は1万円なら、1万円の価値以上にはならない。そこら辺がミソ。ものさしの目盛りが勝手に長くなったら困るからなぁ。それと同じだと言っていいのか? 色々と考えるべき点は多いな。

 

 




コメント
コメントする








   

categories

links

recent comment

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

みんなのブログポータル JUGEM