コミュニティデザイン、その前に。

佐渡島庸平『We Are Lonely, But Not Alone』


今日は20年ぶりに本の断捨離をしてた。50冊近く捨てるから今後は電子書籍にしないと。未だにお金をだすなら紙だが、読み放題は活用してる。2018年の本が読み放題になる良さ。時代の先端で考察している本は5年後とかに読み放題になっても価値が下がっている。いや、この本は本質的なことを掘り下げてるから、価値は下がらないと思う。それぐらいに感動した。

 

パレートの法則で説明される、2割の主要な顧客が8割の売上を支えるというものがある。ほとんどの産業がこの仕組みで動いている。レストラン、飲料、アパレル、アミューズメント施設などなど。しかし、世の中の広告のほとんどは、この仕組みを無視している。たまにしか買ってくれない顧客、もしくは全く買ってくれない顧客のために広告宣伝はされている。《略》同じことを出版でやろうとすると、どうすればいいのか?『ドラゴン桜』を好きな人が何冊も買うことは無い。『ドラゴン桜』のコミック売上の8割を、熱心なファン2割が占める、といことは絶対に起きない。では、CDでそれを起すためにどうすればいいかと考えて、握手券をつけるというアイディアで大成功したのが、AKB48だ。CDの売り方としては珍しかったが、ビジネスの手法としては、実は王道中の王道だった。

 

おそらく本全体では、本好きの2割が8割の売上を支えている。しかし、作家においては、ファンの2割が、8割の収入を支える仕組みになっていない。それを実現するのが、僕のやりたいことだ。

 


■ファンコミュニティをデザインする
ファンクラブだと運用者はメディア型で、出す情報をコントロールしていく。ファンコミュニティーだと、ほぼすべての情報をオープンにして、ファンの人たちが自発的に動けるようにファシリテーションをしていく。

コミュニティは、無数にある。僕らは、無意識にそのコミュニティに参加している。だから、そのコミュニティをコミュニティたらしめている要素を言語化できていない。

 

人が亡くなったとき、初七日、四十九日といった法要を行う。これは、コミュニティを維持する上では、非常に重要な行為だ。初めの7日間に、やらないといけないことがたくさんあり、悲しみに浸る余裕が無い。悲しみに浸りすぎることなく時間を過ごすことで、少しは癒える。その後、49日経って、日常に戻れているかどうかを確認するために、親しい人が集まる。

法要は、死者のためではなく、生き残った人が鬱にならずに社会復帰できるように繊細な設計がなされた行事だ。だが法要を、生き残った人のために行うと行ったら、「私は大丈夫」といって行わずに、周りから気づかれずに体調を崩す人がいる。それを避けるため、また心理的な抵抗感をへらすために、死者の魂がこの世に彷徨っているのを鎮めるために法要が必要である、という優しい嘘がストーリーとして作られる。


■熱狂を生み出してもいいのか?
一枚目のドミノはたった一人の熱狂だと書いた。《略》僕の熱狂に伝染してくれた人は手伝いにきてくれる。しかし僕のそばにいればいるほど、その熱狂は長続きしない。自分が、僕ほどの熱狂を持って関われていないことに、無力感を覚えてしまうのだ。かといって僕が自分の熱狂を押し殺すのは、本末転倒だ。熱狂とは、太陽みたいなもの。遠くまでその熱を伝えることができる熱狂は、身近な人を焼き殺してしまう。それも仕方がないことだと割り切っていた。元来のマスコミを使ってヒットを出そうと思えば、必ず熱狂している人が中心にいなければいけなかった。

 

《略》しかし、コミュニティの中で熱狂している人が脱落する様子を見て、何か仕組みが違う、熱狂は善だけではないかもしれないと感じ始めた。

《略》
熱狂→拡大→熱狂を繰り返すと、どこかで破綻する。そうではなくて、安心安全の確保→熱狂→拡大→安心・安全の確保を繰り返すのが重要だ。大事なのが内容よりも順番だと気づいたとき、コミュニティマネージャーの仕事は、かぎりなく編集の仕事に似ていて、編集者ができることだと思った。
編集とはどんな仕事か? 究極的にシンプルにいうと「集めて・削って・並べ替えて・補足する」この4つの作業を延々と繰り返して、情報を伝えやすくする行為だ。

 

■あとがき
コミュニティについて考えると、外と中という概念にたどり着く。すると、免疫学がまるでコミュニティについての話に聞こえてくる。「唾は口の中にあるときは、汚いと思わないからいくらでも飲み込める。でも、一度口の外に出ると、飲み込む事が急に汚く感じる。コップにだした唾をもう一度飲み込むことはなかなかできない」人のこの生理的な反応は非常に不思議だ。唾を、人に置き換えてもおそらく成立する。同コミュニティ内での振る舞いであれば許容できたものが、外のコミュニティになった途端、許せなくなったりする。

 

 

個人的には「体外に出る」ことだと思う。唾が汚くなると感じるのは。空気に触れるのもあるね。粘り気があるものは躊躇するのが基本的反応だしね。けど、ぶっちゃけ、今日はコミュニティの遥か手前の「助ける」の定義で一日が終わった。。

 

「助ける」って具体的な動詞じゃない。黙って見守る事が助けることになる場合もあるから。うちらが動詞だと思っているし、そう習う単語(=英語でも動詞扱いの単語)の中で、現状の整理と理解では30%前後が具体的な動作を示してない。「探す」もそう。見て回ることもあれば、聞いて回ることもあるから。「助ける」の定義を具体的な動詞でやろうとして、これまでのAIは失敗していたと思ってる。それを論理型でやろうとしてもっとドツボにはまっていたと。

 

相手から「ありがとう」といわれたら助けたことになるし、「ありがとう」といいたくなったら助けられたことになる。これが一番正しい定義。人間はこうやって生きている。だからAIが難しいのだ。僕が学生のころはこういう説明を誰もしてなかった。今はミラーニューロンが広まったおかげで、それと絡めてAIの困難性を説明する。けど、助けるとありがとうの関係はミラーニューロンだけじゃ説明できない。

 

とりあえず、助けるの定義については、暫定解は作った。これがどこまで使用強度があるのか、それは分からん。最終的にはありがとうに落とし込めないから、どこかでズレは残ってる。今の時点で完全なものは作れない。そう諦めて、夕方からこの本を読んでた。

 

「コミュニティーの基本は助け合い」だよね。

それがこの本の一番最初の議論である自由と安心の両立の難しさなんだよね。

なんか無理やり関連づけてますが、、、コミュニティーを真面目に取り扱う地点まで到達する日は、かなり先だと痛感したなぁ。




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