目的死体と色即是空

『前向きな空しさ』の先へ

 

座禅がブームでオシャレになるなんて想像すらできなかった。若い頃は工学部のくせに大学の図書館の仏教コーナーを読破して、一人暮らしの部屋でとことん座禅してた。その結論が色即是空=「前向きな空しさ」。暗記じゃなくて、自分の言葉で表現できること。それだけが理解の証明。表現の適切さは本人では分からない。他の表現を見ると浅い/深いを感じるし、それすら分からないときもある。ここ数年改めて般若心経を読んでる。色不異空が前にある。不異と即是。「異なってない=同じ」なのに、わざわざ両方言う。そこがポイントなのかもね。

 

先日、南直哉氏の『老師と少年』を読んだ。

若い頃に読んでたらハマっただろう。さすがにこの歳になるとストーリーや文学的装飾は要らない。けど、色即是空と四文字でいわれると短すぎて腹落できない。短すぎても長すぎても響かない。この前、目的死体という言葉を作ったから、それを使って色即是空を掘り下げることにする。

 

幼い子の「なぜ」を三回繰り返すと現代の最先端の問題になる以前に書いた。

「なぜ太陽は赤いの?」「燃えているからだよ」「なぜ燃えているの」「核融合がおこっているからだよ」「なぜ核融合がおこっているの」 その理由は誰も分からない。(水素と自らの重力によってとかは答えれるが
 

同じ様に「何のために?」を3回繰り返すと「意味なんかない」になる。意味はこの世の表面に張り付いた膜みたいなもの。3回問えば破れるぐらいの厚みしかない。「何のために勉強するの?」を3回もやれば明白。だから本当は誰しもが「目的死体」。そこに気づいているかどうかだけの違い。

 

全ての物事に前向きな態度と後ろ向きな態度がある。けど、前向きな態度の方が良い理由を当時説明しなかった。突き詰めると「周囲の快・不快」。けど反省ゼロの前向きは不快だから、これでも説明が足らない。人生のどんな場面でも前向きになれるなら、それはひとつの才能。努力だってそう。普通は結果がでなくてやめる。結果がでるまで努力を継続できるのはひとつの才能。自分も含めてそんな才能は持ち合わせて無い人の方が大多数。

 

意味なんて、重ねて問えばすぐになくなる。

本当は誰しもが目的死体。目的を問わずに生きれる人はひとつの才能。

どうしても目的を意識してしまう人は、とことん目的死体になるべき。

 

目的死体と思う感覚が一番大事だから。

死体同然と感じる奥にある嫌悪感。

それが親や教師や社会といった外からの押しつけでなく、本人の素直な感覚だとすれば、

そこが地面であり、出発点。

 

----

「欲を捨てたいという欲」を痛感して座禅はやめた。学生時代はその壁を越えれず、やめるしか方法がなかった。社会人になったらこういうことを考える余裕も減る。1年に1日あるかどうか。家族ができるとそんなヒマもなくなる。心を病むほど喜怒哀楽に振り回される必要もないけど、目的死体のまま生きるのも哀れ。蘇るシーンが明確で、言葉になった感情が突き刺さるとき。何が理由かも分からなくて全てがぼんやりしているのにむしゃくしゃするとき。この両端を自由に行き来できるようになれば、それだけでひとつのスキル。

 

生きるのも、ほんとうはスキルやコツの集合なんだよね。

世間一般の上手く生きるスキルやコツに興味ゼロでも、

自分なりのスキルやコツを見つければいい。

 

 

『死ぬ事以外はかすり傷』が流行っているんだって? ある意味、正しいよね。

大事なのは自分が腹落ちする言葉を見つけるだけだから。僕は当時、「前向きな空しさ」で満足したけど、単に色々と恵まれていたからこその結果なのだと、、やっと気づいた。

 

ここまで読んだ貴方は、どんな言葉ならば腹落ちするか、それは興味がある。

いまのところ、これぐらいです。

10年経ったら追加できるかな。

 




コメント
コメントする








   
この記事のトラックバックURL
トラックバック

categories

links

recent comment

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

みんなのブログポータル JUGEM