哲学としての言語に足りない視点。「ら抜き言葉」と「こそあど+な」

コンピューター学をマスターするこつは、「とりあえず分かった気になれば、それでいい」と考えることです。一度に何もかも理解しようとするのは、コンピューター学では失敗のもと。《略》その意味ではコンピューター学は英語の勉強に似ています。「なぜ同じBE動詞がI(私)が主語のときはAMになり、YOUのときはAREになるか」なんて疑問は「とりあえず」横に置いておいたほうが英語はマスターしやすい。それと同じことです。(P126)

たまたま坂村健氏のコンピューター入門書があることを知った。いままで入門書としてはこちらの本が最高だと思っていたけど坂村教授だからね。日本の偉人にしてノーベル賞(いやICT分野はチューリング賞)に一番近かった。(いや潤ちゃんの方が近かったかな。ここら辺は後述で)

 

これは正しくもあり、間違っている。

正しい点は、コンピューターにおいて実現ハードは時代と共に変化してるから。昔は歯車で作ろうとして失敗した。最初のコンピューターは真空管。別に素子を人間にしてもいい。北朝鮮もあんな完璧な行進パレードさせるなら、ON/OFFと書いた旗もたせて人間で8bitコンピューターを実現して欲しい。そしたら人類のコンピューターに関する理解度が上がる。以前に誰かかがそう書いてた記憶。完全同意。

 

間違っている点は、言語の奥の哲学を認めない風潮。

言語の奥には「この世界をどう認識するか?」という哲学がある。以前にも書いたウォーフを真に理解することだけど、「エスキモーの雪の色」までしか広まってない。日本語は色んな意味でアバウト。大学院時代に散々やって痛感した。受身と可能がおなじ形って、他の言語からみたらアホ丸出しだよ。日本人のイノベーションが改良どまりなのも、チャンレンジ精神が少ないのも、受身と可能が一緒だから。誰かに言われて嫌々受身の姿勢でやるのが日本人。生きていくには恵まれた自然環境の島に、たまの大災害。そしたら受身と可能が同じ助詞になっても当然。暴論というかもしれない。けど、無意識レベルで作用する。それが言語の奥にある世界認識の怖さ。そろそろそこまで議論すべきでは?

 

だから政府がイノベーションのために色々とやる前に、まずは「ら抜き言葉」を強制普及させた方が良いと思う。絶対に変だから。あれ以来、どれだけ上司に書類を訂正されても、ら抜き言葉を使ってきた。思想の闘いってそういうこと。周りからアホだと思われる。けど、思想レベルで闘えないのにイノベーションなんてありえない。みんなビジョンの大事さを言う。違うな。その手間に思想がある。

 

英語は「その場にいる、ある」という意味の存在詞も人称で使い分ける。「自分がいる」のと「彼がいる」のは違う。自分はいるのは意志だから。彼の意志は彼の頭の中だから分からない。けど、少なくとも自分は意志をもってここにいる。生き残るために。そういう風土に育てば人称で存在詞を変えるのは当然じゃん。

 

今は英語もコンピューターも小学校からやるんだって?

じゃあ絶対に「とりあえず覚えろ」はやめておけ。「世界の受けとめ方が違う」ぐらいは言え。英語は中途半端な文法書じゃだめ。これじゃないと。この本を読めば英語における世界認識が日本語よりもロジカルで詳細な事が分かる。理系な人はこの本で学んだ方が絶対に頭に入ってくる。もちろん突き詰めればこの世界という連続体を無理やり分割しているから、どこかに恣意性はでる。けど、aとtheと冠詞なしと複数形の使い分けについて、その分割意図を知ることは凄く大事。

 

「なんな」について。

あれ以来いつのまにか「そんななんな」という言葉を使い始めた。「そんなこんな」は一般用語。「あれこれ」ほどは多用されないけど。「そんななんな」はぐぐっても僕のサイトしか使ってない。昨日の記事はたまたま使った。そういう文章だから。そしたら「誤記? じゃないとしても読んでいる人にはそう思われているよ」と言われた(笑 だからちゃんと説明することこにした。

 

指示詞における「こそあど系列」って当然すぎて日本の学校では教えない。近接の「こ」、間接の「そ」、遠間接の「あ」、疑問の「ど」 これらによって指示詞ができてる。「この、その、あの、どの」「これ、それ、あれ、どれ」院で日本語処理をして始めて知った。当たり前なことに名前がつく快感ってある。そして僕も含めて日本人はフィーリングで使ってるから、「そ」と「あ」の区別はちゃんと言えない。言語って、いちばん奥にはそういう世界がある。

 

けど、疑問の「ど」は足らない。

「ど」は答えがどこかにあることが前提だから。答えが無いかもしれない問いは「な」系列なんだよ。これは無自覚だから指示詞になってない。「なぜ」はあるけど、「なの」も「なれ」もない。けど、この先、答えの無い問題に取り組んでイノベーションを起すなら、「ど」と「な」の区別は必須。ら抜き言葉については同じ意見の人もいると思う。けど、この区別まで訴える人は他にいないのかもね。ちょっと寂しい。。

 

たまに「そんななんな」と書きたくなることがある。

これが最大限の説明です。皆に馬鹿にされると分かってる(笑 けど、30年経過したらこちらの用語が広まるから。母語話者はフィーリングと思想があれば言葉を増やしていいから。それが時代に合わせて世界認識をアップデートすることになるから。

 

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坂村健の本は流石の内容。コンピューターを「無色透明な道具」と呼び、その仕組みはハードでなくソフトが本質。(担うハードは歯車、真空管、トランジスタと変化する)そしてそのソフト:理論部分はシャノンとブールの偉大さを説明する。やっぱりどれだけ分かりやすく書いても大学の先生だね。梅津氏の本より難解な部分はある。けど、坂村先生の視点こそが大事。そして、一番のポイントは人工知能において未だにシャノンもブールもいないこと。

 

「意味があるとはどういう意味か」にシャノンは答えてない。シャノンは情報の符号化と新奇性だけ。意味と新奇性は少ししか重ならない。ブールの論理式をAIの核とみなす。未だにそんなこと言ってる人がいるからAIの研究は停滞してる。様相論理は核にならないんだよ。そんなのは20年前から明白だったじゃん。うちの貴ちゃんは認めなかったけどさ。今ならはっきり言える。様相論理は中2病なんだよ。この一言で伝わらない人は哲学のセンス無いから、人工知能の中でも数学だけでやれるDeep Learningにした方が良いかもね。

 

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そういや潤ちゃんも死んじゃったんだね。一時代が終わった。坂村健以上にチューリング賞というよりノーベル賞に近かったのが西澤潤一。僕らは潤ちゃんと親しみをこめて呼ぶ。いや文系の連中は大学の予算の半分を工学部に振り分けていたから反発してたかも。けど、ぼくら工学部出身にとっては憧れ。そもそも入学のときは潤ちゃんが総長だったしね。大学4年のときには工学部向けの講演会があった。講話の最初に戦争の話を出して、「これだから戦中派はチートな話し方するんだよ」と思ったけど、日本が戦争で徹底的に負けたこととその後の発展には密接な関連があったのだろう。

 

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シャノンの不備に気づいたのは20のころ。けど、ブール代数に変わるものはまだ完全ではなかった。それが叩くに代表される動詞群の処理。10連休まるまるかかるかも。。




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