やれたかも哲学

あれから1年。『やれたかも委員会』の2,3巻目がアマゾン読み放題になってるのに気づいて読みました。一年前に全作読まなかったのは、一巻だけで色々考える良いきっかけになったから。

 

やれたかもの回数の多さは幸せではないね。経験人数と一緒。零は寂しくても多すぎてもイマイチ。心の交差の質が大切。

 

3巻のあとがきにある。

「やれたかも委員会ってエピソードさえ集まれば、ずっとこのパターンで続けれるんじゃないですか?」とたまに人に言われるのですが、描いてみると意外とそういうわけにもいかず《略》 同じようなことをやっているようで実はもう少し内容に深みにといいますか、なんといいますか

の文書を読んで考えこんでしまった。

 

深く考えるのは哲学。

そのテーマが「やれたかも」でも深く考えれば哲学。勝手にそう決める(笑)

 

3冊も読めば結論みえてくるね。

作者もそれが見えているから、同じレベルのエピソードを書けない。もっと深いものを書きたくなる。分かる。同じレベルを作り続けて満足できるなら芸術家じゃない。確かに黄昏流星群はずっと同じトーンで続いてる。その良さもあるけど、あくまで島耕作があるから。メインの作品が同じレベルでの量産は悲しい。

 

女の子に振り回される男の子。これが8割以上。

男性に振り回される女性なんて2割いない。委員会で体験を言う人の割合が示してる。

 

遊び100%で振り回しているなら、いくら男でもやれたかもと思い出すことはない。「悪い女にひっかかった」ぐらい。だから当落線上のダンス。それに振り回される男。女性の性欲の儚さ。それは二巻のcase016:完全個室隠れ家レストランで一目瞭然。答えは「どっちでもいいんだよ」

 

けど、どっちでもいいという時点でゴールじゃない。

ここが男の分からない点。

 

 

答えは明智光秀の辞世の漢詩と同じだと思った。

極論、男はセックスがゴール。女性は違う。セックスしなくてもゴールが手に入ったら、わざわざする必要もない。男性側がいつの間にか女性にとってのゴールを渡すのが根本原因。けど、女性にとってのゴールを知らない男性は八割になると思う。残りは無意識で分かってる。分かってる男は当然セックスの前に渡さない。悪い男はセックスしても渡さない。多分、その二割の中の半分以上は悪い男だね。だから女性はゴールを知らない男性からゴールを奪った後でも、しょうがなくセックスしなくちゃいけない。じゃないと「良い男性」とは上手く行かない。結婚の先にある幸せはそこ。けど、ここまでは知らない女性が半分以上。だから結婚率が下がり離婚率もあがる。この漫画を読み終わってそんなことを考えた。

 

そして、そのゴールを言語化できる男は1%かもね。
けど言葉で表現すると二割嘘が入る。言語よりも下のレイヤーを無理矢理言語化するとそういう羽目になる。だから書かない。分からない男が答えだけ読んでも、case014がより酷くなるだけだよ。コンドームあったらやれた。でも多分、中折れしてた。と喝破する月女史は相変わらず凄い。作者は月女史のセリフを考えるなかで、「やれたかも哲学」をしている。塾長の発言は哲学じゃない。あれは文学。一巻のときは好きだったけど、三冊目までくるとちょっと飽きるかも。

 

やれたかも哲学の最終地点は言葉にしちゃだめ。だから漫画の1コマをおいておきました。この表情でこの発言。この画像をスマフォの待ちうけ画面にして毎日みてれば、いつかきっと同じモノが出せるようになる。その時心にうかんできたものが答えです。

 

 




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