ラブストーリーとしての3億円事件

「3億円事件の犯人は私」小説投稿サイトに掲載された告白文が話題

    ・小説投稿サイトに掲載された「告白文」が、ネット上で話題を呼んでいる
     ・3億円事件の実行犯を名乗る人物が、事件の「真相」を告白するという内容
     ・ネットでは、「本当に本人なのかな」と期待をかける声も上がっている

というニュースをみて、気になってついつい深夜1時までかけて読んでしまった。一気に読ませるという意味でもナイス。

 

こちらです。純粋に読み物として面白いよ。

だから、これについて感想を書きたくなった。そもそもこれが本当の話なのか創作なのか、ラブストーリーとしてのポイントはどこか。そんな諸々。

 

・最愛の妻、京子が交通事故で死んだからこそ、事実を伝える気になったという心の動きは納得
 ・省吾が自殺した理由が三角関係、というのも腑に落ちる
 ・事件が起きたとき、三神は犯人が誰かわかるハズ
   ⇒三神は主人公を庇って警察には言わなかった?

・ここまで密接に交流していれば警察が省吾の交友範囲を洗うなかで、主人公も見つかるのでは?アリバイはどうしたの?
   ⇒京子が省吾から白田に乗り換えただけであり、省吾と白田は知り合いでなく、

   省吾は京子と犯行をする予定だった。この場合、省吾の自殺と、真犯人が捕まらないことが両立するから。

・本当に三神は実在するのか。小説上の登場人物ではないのか。三神がいなくても全ては成り立つ。三神の存在自体が文学的装飾かも。

 

ここら辺が冷静に分析した時のスタンスです。以前にも3億円事件はwikipediaで読んだ事がある。自殺した青年(省吾)こそがキーマンだと誰でも分かる。この小説は省吾の自殺の理由が恋愛(三角関係)になっていて、それが面白い。恋愛小説で三角関係はありがちだけど、その描き方。どこまで腑に落ちるか。これだけ本を読んでも小説は全然読まない。特に恋愛小説は。村上春樹以外の小説は全く読まない。今回、これだけ読んでしまったのは、妙に似てると思う。主人公(白田)の立ち位置が特に。

 

\い涼罎砲麓膺邑のような、「相手が別の人と付き合いだして初めて好きだったことがわかる」タイプの人が一定数いる
   ⇒人が本気で動くきっかけ、そもそも自己の本気に気づくトリガーは多様であり、相手を失う(相手が他の人と付き合う)形でないと気づけない人もいる

付き合うのに相応しい人と、結婚するのに相応しい人は別。ヒロインにとって省吾は前者であり、主人公は後者。
主人公が抱える自己への想い・焦燥感はある種
の共感を生む。一言でいえば「天井の低い部屋で住む感覚」

ぞ霰をかける対象(人・もの)に出会ったことがないか、情熱をかける勇気がないか。誰もがいつか自身の天井を突き破る必要がある。

 

何のとりえも無い人生。小学校〜高校までにクラスで賞賛されたことがない。そういう感覚。それをずっと「天井の低い部屋」だと思っていた。高さ1mの部屋で常に背を丸めてる。現実には中二階か屋根裏の物置ぐらいしかこんな場所はない。人が住むには異常すぎる空間。けど、精神的にはこういう空間に住んでる人は多い。小学校のころは何一つ得意が無かったから、体感として良く分かる。

 

,發修Α「好きという自覚」は誰もが自然にできるワケでもない。そもそも「好きになる」という事自体が手探り。小中学校のころなんて、特に独自の価値観もないから、なんとなく人気者をなんとなく好きになっているだけの状態の人も多い。分かりやすいのが高校時代の同級生。高1のころに同じクラスだったけど「中学時代に16人から告白された」という伝説を持ってた。凄いイケメンではなかった。高1のクラス文集では「カッコいい男性」のTOP3ではなかったような(3位タイかも)。もちろん最終的にSonyに入社したぐらいだからデキルのは間違いないけど、大学は地方国立大だったような。「凄い仲良し」でもなかったから、突っ込んで話したことはない。けど、中学時代に16人から告白されたことについて、ブームみたいなモノとして冷静に理解してたのは確か。それぐらいの人間的魅力は当然あった。結局、彼は高校時代に彼女を作ったんだっけ?近くの女子高に通う娘と付き合ったという記憶が、この文章を書きながら思い出し始めている。

 

個人的な体験でもそう。中1の頃に良く遊んでいた友達Aが、クラスの女子Yを好きと言った。そしたら、なんか妙にそのうち僕もその娘を気になるようになって、1年後に別の友達Cに聞かれたときにYの名前を言った。そしたら、今度、そいつもそのうちYを好きになって、付き合い始めた。CとYが付き合っているのを中3の卒業旅行で知ったAはその晩に泣いてた。その泣いてたAを見て、涙が出ない自分自身が妙にショックだった。そもそも第一印象はすごい美人ではなかった。だから僕がAから聞いたときは「へー」ぐらいだった。Cが僕の発言を聞いたときも「へー」だった。けど、一旦そういう視点で見ると良い点が見えてくるというか・・・。最終的にそれぞれ別の高校に進学したけど、高校時代にその娘はめちゃくちゃモテてた。練習試合に行った時に向うの選手と雑談してたら「えー○中出身。じゃあYさん知ってる?」から始まって、今は20人近くから告白されてると教えてもらった。

 

二十歳のころはたまに考えていた。本当にYのことを好きだったのは誰なのか。Cじゃないことは知ってる。Cとは幼馴染だし、二十歳の頃に飲んでるときも「Yの妹の方が美人」とか言ってたぐらいだから。僕じゃないのも分かる。それは中3のあの夜に痛感した。結局、Aなんだよ。そしてAがいなかったら、高校卒業までにYさんは告白されても1人ぐらいのレベルだったんだと。

 

そういう意味では、ある種のライン以上の顔の作りであるかぎり、モテル/モテナイは最初はちょっとした偶然から始まって、ウイナー・テイク・オール?収穫逓増?なループが発生しやすい、と思ってる。クラス文集で常にクラス1位になるような男女は別。あくまでも3位〜10位ぐらいの人達。その人達に顔の作りの差なんて無いのだと。

 

 

この小説の白眉は三神さんに告白されたときの主人公の言葉

 

「うん。三神さんが僕のことを好きでいてくれてるって初めて知った時、正直言うとどうして良いか分からなかった。

 だけど……。それと同時に、僕は生きてても良い人間なんだなって思えたんだ」

「おいおい、それは大げさじゃねえか?」

 呆れるように省吾は言いました。

 

 構わず私は続けます。

「今まで何かを成し遂げたり、誇れるものがあるわけじゃない僕だけど……。

 でもそれで良いんだって思えた。三神さんに好きになって貰えてる間は、僕は大丈夫なんだと思う」

 

 それは……、事実でした。

 三神と付き合っている時の私は、以前よりずっと自信が付いていたのです。

 その自信の根拠は彼女からの好意——誰もが羨み、目指し、憧れる人からの愛心は私に強烈な生への自負を与えてくれたのでした。

 ——まるで自分が、三神のような特優の人間になったかのように。

 

この文章を、村上春樹は書いたことがない。このコアをわざと書かずに周辺をとことん言葉にしている感覚。やっとコアを言葉にした文章を見つけた。これだけで、僕は満足です。だから、この小説が真実かどうかはどっちでもいい。「キスした瞬間に、自分のことを好きじゃないと気づいた」場面も凄く良い。本気で好きならば、キスしたら相手の本気は分かる。それがKiss Testだから。個人的には、京子じゃなくて三神と最終的に一緒になってほしかった。3億円の決行をやめて三神のところに行って欲しかった。どんな恋愛小説でも全員がハッピーになることはない。誰かがハッピーになって、誰かが深い傷を抱えて、終わる。

 

もし、この小説が全て真実ならば、三神は誰が犯人か絶対に分かるし、それを警察に言わなかった時点で、京子を選んだ主人公さえも庇った切なさがある。そして60歳を過ぎて、京子が交通事故で死んで、事件を告白する気になった主人公。ここには確かな主人公の気持ちがある。この交わることの無い二つの想いの存在がこの世の真の切なさ。

 

そこまでが描けているならば、作品として一流といっていいのだと思う。これが、うちのサイトの結論。

AとCとYのこと。そして天井の低い部屋にいる感覚。僕は天井を突き破ったというよりも床が抜けただけだが、そこで四苦八苦してたらある種の個性なんていつのまにか勝手にできてた。そんな部分はずっと書く気がなかったのにね。引っ張り出された感覚。

 




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