浄楽寺不動明王 2018年3月
角度によっては「泣き顔」に見えてくる。それが最高傑作の証
足掛け4年、4回目のご対面にして一瞬、固まってしまった。数秒経過して台座が新しくなって仏像の位置が少し高くなったことに気づいた。この仏像は角度によってこんなにも表情が変わるのか・・・。だから、今まで以上に色んな角度から眺めた。今回はお土産コーナーが外に移った関係で建物の中が広々としている。閉館間際の時間だったので人が少ない状態。
仏像に向かって左側に立ち、
右手に持つ剣で右半分の顔が隠れる場所から、
左側の表情だけを眺める。
「憂い」というよりも「奥悩」、いや「泣き顔」にさえ見えてくることに気づいた。慌てて仏像の正面に立ち、自分の顔の前に指を立てて、片方ずつの表情を見る。こんなにも左右の顔が違うのか・・・この仏像が持つ深みをこれで客観的に証明できたのかもしれない。剣の奥で泣いている左顔の写真が広まれば、運慶の最高傑作かつ不動明王の最高傑作という事実が、やっと皆に伝わるかもしれない。
昨晩気づいて慌てて今日、御開帳に行ってきました。
ご開帳は3/3と10/19の年2回のみだけど、今年は3/1〜3/5までの特別開帳なんだね。というよりも、昨年秋の東博の運慶特別展に出展していたとは。。ポスターに浄楽寺の運慶仏が載ってなかったら行く気にすらなからなかったけど、流石に浄楽寺も揃えるのか。それは安心。けど、未だに運慶の最高傑作を晩年の無著・世親菩薩像にしている点はどうにかして欲しい。「迫真の写実は個性描写を超越し、普遍的な精神性を感じさせるまでに昇華されている。この無著、世親の両像は、運慶がどのうような信仰心を抱いていたかを代弁してくれるものとも言われる。それほど祈りをこめたリアリズムが際立っている」
この文章を否定するつもりはない。ただ、あの仏像を最高傑作と思う人は、同じ道を歩んでいる人だけでは? それって日本人の何%になるのだろう。確かに運慶自身の歩みの終着点とも言えるかもしれない。けど、悟った表情って、実はあまり伝わらないんだよ。それは大日如来や阿弥陀如来の仏像を見れば一目瞭然。あまりに感情を超越しすぎて、僕らの今とかけ離れすぎるから。その点、不動明王の良さ。普通は怒っているだけだから、反省心の薄い人には伝わらない。けど、この仏像だけは別。以前にも書いた通り、
憤怒の表情の奥に慈悲があるのが真の不動明王だし、それに唯一該当するのが浄楽寺の像。
お前がお前なりに苦労してきた事は分かっている。
けど、お前はやっぱり愚かだったのだ。
という言葉が聞こえてくるほどの表情になっているから。
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今回は土産物が増えた。東博の運慶特集で新たに作ったのだろう。この不動明王をピックアップしていて良かった。けど、アップの画像は右目が半分で切れている。せっかく若冲は鳳凰が一番良いというコンセンサスになりつつあるのにね。檀家の人?がお土産コーナーでレジをしていて、購入する時に雑談した。
「お土産ふえたんですねー。それも不動明王が。凄く嬉しいです」
「そうなんですよ。(略) 住職も不動明王が一番っていってます」
「不動明王以外は伊豆の願成就院が上ですが、不動明王は間違いなくこちらが上。これは国宝に戻すべきですよ」
「不動明王以外はあちらが上ですか・・・・」
「もっとこの不動明王のポスターカードの種類を増やして欲しいなぁ。このアップはいいけど、目が半分切れてるからもったいない」
ということで、ちょっとお姉さんを悲しませてしまいましが、ウソは言えない。。ほんと、あの泣き顔にみえる角度は、ちゃんと写真を撮って広めないと。そういう意味ではクラウドファンディングをやっていたのを全く知らなかった。そりゃ当然1万円ぐらい出しますよ。フラッシュ禁止でいいから自由に写真を撮らしてくれるなら2万だって痛くない。4年前に比べてお寺のサイトできて嬉しい限りだけど、もっといける。写経もいいけど、あの収蔵庫で座禅も企画してほしい。絶対行くよ!!
あ、あともう一つ。
前島密がこの運慶仏像群についてどう言っていたのか。せっかく運慶仏像群と前島密でアピールするならば、もっと両者の関係を掘り下げて良いと思う。
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前回のときにみた「頼朝の守り本尊」という説明板が無くなったことについて。どっかから「いい加減なこと言うな」と突っ込み入ったのかもしれないし、そもそも守り本尊ならば銘札の内容と矛盾するから。この点については、勝長寿院跡に行くしか無いね。鎌倉五山と合わせて、そのうち行きます。
- 2018.03.03 Saturday
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- 18:43
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