「光凛」 〜冬の甲斐駒・9合目〜

4年前、白馬五竜でスキーしてたとき、ザックを担いでゴンドラに乗っている人がいた。頂上駅で降りた後、そのまま1人でドンドン上に登っていく。当時はそれを見ながら、意味不明というかアホだと思ってた。雪山を堪能したければスキー・スノボでいいじゃんと。

 

両方経験して初めて分かる。同じフィールドでも全く違ってる。

スキーはレジャー。冬期登山は"行"。

 

その証明こそがこの写真。「光輪」の写真はたまに撮れる。けどこの太陽の輝きは初めて。これを表現する一般的な用語はないから「光凛」と名づけたい。「凛」は単なる輝きではなく「厳しくひきしまった」という意味をもつ。冬空に青白く輝くこの太陽には「凛」こそが相応しい。

 

心の奥底が光になる

とでも言いたくなるほどの輝き。スキー場では絶対に撮れない。僕にとっての冬山の価値はこの写真に尽きる。グリーンシーズンの登山をあまた重ねて、3月の日帰り、4月最初の一泊二日の残雪登山もした。だから今回は12月の登山。なかなか有休がとれず、土日の二日で行ける最高地点は甲斐駒の黒戸尾根。グリーンシーズンでも一泊二日で登るのは辛いけど、これまでの経験と体力を信じて、行けるところまではいこうと思ってた。

 

登山中は何度か心が折れそうになったけど、本当に天気が良くて、風もそこまでは強くない。雪山のコンディションとしては最高。今日の条件で頂上まで登れなかったら、この先、一生このクラスの頂上までいけない、と心に言い聞かせて。

 

「最初に小金を盗んだ奴は一生大泥棒になれない」

といったのは石川五右衛門だっけ。これは確かに至言。もちろん経験値が溜まることでスキルもUPする。最初から高すぎる目標にチャレンジするのが完全に正しいワケじゃない。けど、一番最初に己に甘えた奴はそこで天井ができる。それが”行”というものだから。

 

この黒戸尾根は山岳宗教の行場としての深い歴史を持ってる。日本最高地点で発見された縄文土器は甲斐駒の頂上だから。以前に10月に北沢峠から甲斐駒に登ったけど、全然違う。同じ山とは思えないほど。そりゃ高低差も道の難易度も全然違うけど、もっと根本的な点が違う。一番ハードなのはこの写真のように最後の難関地点。一番上の大きな岩に剣が二本刺さっている。そこまでの登り。最後の気合でそこまで登って写真をとったら、太陽がざわついていた。

 

最初はあまりの寒さでカメラのレンズが結露したのかと思った。この数百メートル下には一本の剣が刺さる行場がある。こちらの時も不思議な写真だった。けど、ピントが合ってもやっぱり太陽がざわついている。太陽のエネルギーが溢れすぎた感覚で、、こんな太陽は初めて。用語も無いと思う。とりあえず暫定的に「ざわついた太陽」と名づけたい。

 

だから太陽に直接レンズを向ける。それが冒頭の写真です。二本の剣のうちの一本が画面の端にあるよね。同じ場所で撮ってます。不思議なのが、本当の頂上では光凛もざわついた太陽も撮れなかったこと。その理由は分からないけど、感じるのはある種の因縁。この写真を撮れる人が他にもいるならぜひ会いたい。ソウルメイト:類魂の判定としては一番分かりやすいと思う。今年の12月は仙丈に行こうと思う。そこでも光凛が撮れるのか結構楽しみ。

 

以前から感じているのは、山におわす神々は1000mごとに違う。1000m級の山と、2000m級、3000m級では撮れる写真の神々しさが全く違う。そして冬になると1000mはランクアップする。だから冬の3000m級の山はグリーンシーズンならば4000m、そう冬でしか撮れないレベルの神々しさになるのだと。というより3193m以上の山は富士山しかないし、あれだけ頂上が混んでいるから富士山の頂上ではこの神々しさをもつ写真は撮れない。

もしかしたら厳冬期の2月ならばプラス2000mになるのかもね。それは凄く興味深い。けど、厳冬期に3000mに行く実力は、遥か先。。

 

 




コメント
コメントする








   
この記事のトラックバックURL
トラックバック

categories

links

recent comment

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

みんなのブログポータル JUGEM