『失楽園』

なんなんだ、この面白さは。

 

英文学の最高峰とも称されるミルトン作の『失楽園』だが、文章がオペラの台本みたいで3P読んで挫折してた。このお盆に白山に登ってやっと耐性がついた。西洋の最深部には聖書があるけど、聖書以上に大事な本と言われるのもダテじゃない。そもそも非西洋文明の人間からみると旧約聖書には困惑が多すぎる。「ヘビにそそのかされ、食べてはいけない知恵の実を食べてしまい、楽園から追放された」のは一般常識だが、そもそも「なんでそんな食べゃいけない実が楽園になってるの?」という疑問。やっぱりここから掘り下げないと、妄信の誹りをまぬがれない。

 

以前に三浦綾子の「旧約聖書入門」にはその解説が載っていて感激した。それだけでなく、アダムはイブにそそのかされたと言い訳し、イブはヘビにそそのかされたと言い訳した。神が激怒したのは、食べるなといった知恵の実を食べたこともさることながら、その言い訳なんだよね。ここら辺を若い頃に読めたのは感謝している。


この『失楽園』はルシファー(サタンの旧名)の反逆から人間創造までが一つのストーリーになっている。これこそが大事なんだとやっと分かった。なんで神様が人間を創造したのか? それは天使の1/3がルシファーにしたがって反逆して地獄に落とされて、だからこそ人数調整なんだと。これって一般常識なの? まじ? ほんと? この歳で初めて知ってショックなんだけど。。。

 

彼は復讐を企てて、残り少なになった天使の数を補おうとした。しかし、かつての創造力を消耗してしまい、新たに天使を造る事ができなくなったのか、《略》 それとも、われわれに対する面当てのためかはともかく、われわれのあとを土から造られた人間で補おうとし、かかる身分の卑しい人間を栄光のある地位につけ、これに天来の賜物を、本来われわれのものである賜物を与えようと決心するにいたった。(下巻93P)

この本は上記のようにルシファーの視点から書いている箇所もあって、その部分がすごく良い。心の弱い部分と、だからこそ隠すための尊大な態度の描写。

 

根本的には「なぜルシファーが反逆したか」だけど、こういうまっとうな疑問を持てる人はぜひこの本を読んでください。以前にR. Kellyで書いたように、知恵の実を食べて初めてしたことは、お互いの性器を葉っぱで隠す事 これは人類の共通知識とも言えるが、

 

神の御手によって導かれてきた彼女でしたが、無邪気さや、乙女らしい羞恥(はにかみ)や、美徳や、自分の価値の自覚が、つまり、口説かれたい、求められずに靡(なび)きたくない、それでいて大胆でも出しゃばりでもなく、いや、むしろ控え目で、だからこそいっそう望ましく見える―要するに、まだ少しも罪の思いに穢(けが)されていない自然の情そのものが、その心のうちに動いたらしく、彼女は私の姿を見るや否や、急に背を向けて逃げようとしました。私はあとを追いました。彼女は婚姻の尊さを知っておりました。そして、私の切なる願いを厳粛にしかも素直に聞き入れてくれました。夫婦の契りを結ぶにふさわしい四阿(あずまや)へと、曙のように顔を紅(あか)らめた彼女を私は連れていきました。(下巻73P)

 

「求められずに靡きたくない」というのは女性心理の一般的な面だが、「アダムに初めて会ったイブは逃げようとした」のは、それを端的に表しているというか、ちょっとびっくりというか、性器を隠すこと以上に大事な情報だと思える。そもそも性器を葉っぱで隠す前に淫らな欲望がわきあがって、木陰でSEXしていたのね。そりゃ子供用の聖書にはこういうことは書いてないか。ここら辺は中学の国語の時間にでも紹介したほうがいいんじゃないかな。

 

これで日本、インド、イスラム、西洋と、メインの神話・聖典は読んだことになるのかな。ヴァルキリーに代表される北欧神話やククルカンのマヤ神話とか全制覇の道は長いけど、この失楽園を読んだから比較宗教学のポイントは抑えたと思える。

 




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