美食と美酒と美 〜ホヤと三木成夫と吉本隆明〜

ホヤを食べる。

生まれて初めてホヤを食べたのは2014年の女川の漁船の上。

会社の復興支援プログラムの漁業体験で、メインはホタテの殻掃除だったけど、漁師さんが厚意でその場で捌いてくれた。めちゃくちゃに美味かった。

 

ホヤ自体はいつからか知っていた。匂いが凄いらしい、珍味だと。生物学上、大切な位置づけにいることは大学時代に進化論を乱読している時に知った。ホヤの幼体から魚に進化したと。

 

そして今年。ホタテが貝毒で手に入らず、代わりにホヤを買った。思った以上に捌くの楽だった。内液は確かに味噌汁に入れると美味い。けど、ホヤのクリームスパゲティの美味さはウニスパを越すね。

 

今日は内液をクリームスパゲティにしたあと、冷凍保存していた身を刺身で食べる。解凍してもけっこう、いけるじゃん。たまらなく日本酒が飲みたくなる。

 

学生時代に、日高見で初めて日本酒の本当の美味さが分かった。はっきり言って飲み放題のアルコール入り日本酒で満足できるのは味音痴。純米酒じゃないと米から作る意味がない。それ以来、美味い日本酒を探している。久保田も越乃寒梅も、 獺祭、飛露喜、十四代、田酒と美味いと言われる日本酒は殆ど飲んだけど、最終的には「愛宕の松」に落ち着いた。同じ系統として「瞑想水」と「ねぶた」がある。ほとんど水のようなお酒。甘くもなく辛くも無い。瞑想水という名前が示唆的。このお酒は1時間の座禅を30分にするぐらいの良さがある。けど、関東のスーパーで手に入るのは「ねぶた」だけ。コストパフォーマンスとしても申し分ない。(愛宕の松は川崎町のふるさと納税で手に入れてる)

 

 


そして、食事後に吉本隆明の『言語にとって美とは何か』を読み始める。

わたしはやっと今頃になって表現された言葉は指示表出と自己表出の織物だ、と簡単に言えるようになった。《略》たとえば、「花」とか「物」とか「風景」とかいう言葉を使うとき、これらの言葉は指示表出のヨコ糸が多く、自己表出のタテ糸は少ない織物だ。

 

《略》いま眼のまえの絶景(たとえば松島)を眺めて、あまりのいい風景に「松島やああ松島や松島や」と芭蕉の句のように感嘆するばかりだったとする。このばあい「ああ」は文法的には感嘆詞と呼ばれている。《略》おおきな自己表出性と微弱な指示表出性の織物だといえよう。

 

《略》たとえば眼前の風景をみて「美しい風景だ」と言ったとする。この「美しい」は指示表出性と自己表出性が相半ばしているといえる。風景の状態を「美しい」と指し示しているとともに、じぶんの心が美しいと感じている自己表出性もおなじ位含んでいるからだ。

 

《略》指示表出性が一番大切な言葉は人間の感覚器官との結びつきが強い言葉だ。それは感覚が受入れたものを神経によって脳(大脳)につたえ、それによって了解する。自己表出性の強い言葉は、内臓の動きの変化、異変、動きなどに関係が深い。《略》わたしはこれを解剖学者三木成夫の遺された業績と、わたし自身の言語論の骨組とを関連づけることで考えるようになった。言語のタテ糸である自己表出性は内臓の動きに、ヨコ糸である指示表出性は感覚(五感)の動きと関係が深いと見なされると言っていい。

(文庫本まえがきより)

 

あれだけ進化論を本を読み漁ったつもりだったけど、三木成夫を知ったのは西原克成氏の本。三木成夫を継いだのは間違いなく西原克成。いま学生ならば、その間にこれらの本は読んだ方がいい。美は感情であり内臓なのだ。そこを文系と理系で分けているから教養が片手落ちになる。まさか吉本隆明が三木シンパとはね。超一流ならば当然か。三木を踏まえて美を語る凄さ。

 

今日は久々に点と点が全部繋がった。もう三木成夫も吉本隆明もこの世にいないけど、この本を理解しAIに載せること。今の改・マズローをどこまで変更する羽目になるのか逆に楽しみになってきた。昨日までの登山にもって行ったら雨で大変なことになって、透明テープで応急処置した本。内臓まで開いたかのような状態になったけど、まるでホヤの中身のようで、これこそが幸せなのかもね。

 

--

リクエストがあったので、お店はこちらです。女川には年に計6日間は行っているので、ある意味、実家よりも多くいるなぁ(笑

 




コメント
コメントする








   
この記事のトラックバックURL
トラックバック

categories

links

recent comment

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

みんなのブログポータル JUGEM