思い出は山に還る


ストレスフルな時の気分転換の方法は色々あると思うけど、個人的には屋上に行ってポケーと景色を見るタイプ。半年ぐらい前に行ったスカイツリーは非常に良かった。東京近辺の人ほどスカイツリーに行かないと思うけど、都心の高層ビル群を見下ろす形で眺めていると、「この一つ一つの明かりに人生のドラマと四苦八苦があるんだろうなぁ」と思える。自己の悩みがこれら沢山の悩みの中で一番重いワケもないし、まずは相対化できるかどうかだから。


登山が趣味の人って、自分が住んでる場所から見える一番高い山には登るのが基本中の基本。高校時代までは名古屋だったから御岳。社会人になってからは富士山。大学時代の仙台は蔵王:スキーで行く&頂上まで車でいけるし、3000mの山もないし、登山のモチベーションが零だった。逆に街の中心部に近い小山にキャンパスがあって、建物の屋上からの眺めが良かった。何度も行ったけど、どちらかというと街を見ることよりも、逆側の山を見る事の方が多かった。やっぱり雪山の厳粛さが好きなんだよね。住んだまちの中では、手に取るように雪山が見えたのは仙台だけ。

 

卒業後も出張があるたびに学生時代に行けなかった観光名所に寄っていたけど、今回、やっと仙台で登山をしてきました。あれだけ色々あった大学時代なのに留年もせずにちゃんと卒業できたのは、屋上から眺めていた山のおかげだと痛感しているから。
 

―保の奥の二口渓谷から登り始めて大東岳〜面白山を縦走し、仙山線の面白山高原駅に降りる日帰り縦走コース

∪凜岳〜船形山〜定義観音の一泊二日のコース

 

登山地図を眺めながら二回に分けて計画し、昨日は,帽圓辰討ました。マイナーな山&紅葉の季節でもないから殆ど登山者がいない。コースタイムで9時間だけど、バスの関係で登山口には10:30到着。だから日が長いこの時期じゃないと日帰り縦走は難しい。特に大東岳から権現様峠に下る道は地図でも点線扱い。マイナーな山のマイナーな登山道はこのレベルなのね。。年間で歩く人が数名程度なのだろう。ある意味、登山スキルは向上したと思うけど・・・。一応、18:45に面白山高原駅についたし、ヘッドライトも使わずに済んだけど、かなり疲れました。。

 

もともとは雨の予報だったけど、前日の夜から当日の朝にかけて降ったのでセーフ。最初の大東岳の頂上はガスでまったく景色が見えなかったけど、そのうち光も差すようになり、爽やかな風も吹き始めて、初夏の気持ちの良い登山。夕方についた面白山の頂上からは仙台も山形も両方とも見えた。こういう時は本当に山の神様に感謝する。

 

デキる人ならば部屋で座禅していても心を整流できるけど、僕みたいな凡人にはそれは無理。ある程度、肉体的にもハードなことをしないと雑念は消えない。なぜマラソンでなく登山なのかというと、都会の空気が嫌いで、山の方が癒されるから。別に山でなく海のアウトドアでも良いと思うけど、単純に山派なんだと思う。その選択に深い意味があるのでなく、血液型みたいなもので生まれた時には決まっている事柄なんだと。

 

学生時代にずっと眺めていた山を、当時聴いてた音楽を聴きながら登ること。色んなことが思い出されて、その全てを山で解放してくるような登山。古い日本では、人の魂は近隣の山に還っていくというけど、ある種の思い出もそうなのかも。

 

これだけ不動明王にはまったのも秋保不動明王がきっかけだけど、その奥宮が大東岳の頂上なんだね。頂上の祠で護符を見たときは凄く感慨深かった。最後の最後まで残っていたある種の思い出は今回でやっとあるべき場所に落ち着いたと思える。

 

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先日、仕事で落ち込んでる会社の後輩を見かねてラーメン屋に誘い、「昨日も新橋で人が立ち入って朝のダイヤが大幅に乱れたけど、ああいう事はやめてね。「気づいたら青森のホームに立ってました」ぐらいがいいと思う。なんか、西に行くよりも北に行ったほうがストレスの深刻さが伝わる気がするんだよね」と言ったら笑って同意された。自分なりのストレスの対処法は25までに確立しておく方がいい。30過ぎても持ってないと、その後の人生が大変だろうね。

 

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大学時代の指導教官はソフトウエア理論の分野で日本一を豪語していて、確かに外国人も含めた300名規模の国際会議を主催してた。事務局として会議の受付をしていたら、他の大学の先生達が「○○研の学生?頑張ってねー」と同情された。一番驚いたのは就職活動時のOBによる説明で、日立で課長してる40過ぎの先輩が「今までで一番大変だったのはこの研究室にいたとき」 あの時はマジかよ、と思ったけど、今になったら良く分かる。ストレスから肌が荒れて、夏でも長袖着ている人もいるような場所。そんな中でも、先輩達がヒヤヒヤするぐらいに僕は教授とぶつかってた。卒業して8年ぐらいたって教授を囲む会があった時に、「自己写の定義が単純すぎるからトポスはAIで使えない」と言っておいたけど、どれだけその意味が伝わったかな。当時は理論系は苦手だったけど、今はそのポイントは大体分かる。全ては素数の奥深さと美しさなのだと。その深遠まで繋がって無い理論なんて、クソぐらいの価値しかない。チャーチの定理はどこまで繋がっているのだろうね。

 

 




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