子供の育成? 極論から言えば「活字慣れ」「コミュ力」の伸ばし方

 

■行き過ぎた教育ママができるわけ

タイトルは『公立小中高で子供の教育費をカットしながら学歴社会で圧倒的にひとり勝ちする方法』だけど、主旨はこっちだと思う。このブログはポジショントークも多いが、今回は全てに同意。特に「なぜ人はお受験をするのか」「キラキラ女子は夫の金を使い切ることに異常に執着する」の考察は素晴らしい。その先に「多くの派手な女性の教育観は狂っている。原因は不明」と掘り下げているのも凄い。

 

「進化の過程で、なぜそのような母親の性質が淘汰されずに残ってきたのか、いまだによくわかっていないが、とにかく子育てにおいて、こうした女性の脳の欠陥は警戒すべき点である。」と書いているけど、これは当然のような。あまりに外部の制約条件が多ければ、ハメを外せる確率が限りなくゼロになって、淘汰する必要性がなくなると。
 

一つ前の記事の

受験勉強そのものだって、理論的にはもっと効率のいいカリキュラムを自前で組むことは可能です。なぜならば、塾や私立学校などの受験産業のカリキュラムは、受験での合格には完全には最適化されておらず、受験成功と塾や学校の収益最大化というデュアルマンデートになっているからです。
 しかし、もっと理想的なカリキュラムがあったとして、それを親がかかりっきりで子供にこなさせるのは労力的にも、子供が反抗期になって親の言うことを聞かなくなるなどの実務的な点でも現実的ではありません。家庭教師を雇って、カスタムメイドのカリキュラムを子供にやらせるなど、途方も無い金がかかるでしょうし、それが上手くいく保証もありません。なぜならば、子供の偏差値を上げることにおいて、カリキュラムの良し悪しは大きなファクターではないからです。やる気がもっとも大きなファクターで、塾で同じ目標に向かってみんなががんばっているという環境に放り込むことこそが、大抵の場合、もっとも上手く子供のやる気を引き出す方法だからです。

この部分も凄く納得。

 

ただ、根本的には「活字慣れ」と「コミュニケーション力」の両極端をどれだけ伸ばせるかだと感じてる。会社の新人教育担当として、「本を読む習慣」をつけさせることに四苦八苦している身からすると、テレビ系の映像メディアだけから情報を得ることの不十分さを最初にガツンと痛感させないと。私の現在の結論は以下

 

‘睛討亮莠料択の幅が狭い

続けることでレベルアップ(スピードアップ)にならない

B真瑤鯊仂櫃箸靴討い襪里如¬菊颪雰誅世砲覆蠅ち

 

TV番組は何チャンネルだっけ?スカパーとか入ってディスカバリーチャンネルとか見ればかなり取捨選択の幅は広がる。Youtubeなら無尽蔵。けど、学べる番組はまだすくない。大規模公開オンライン講座:MOOCとか揃ってきたから、今後は状況が変わる可能性はあるけど、まだ,詫効と思ってる。個人的には、最初から録画予約するモチベーションはもう無いのだけど、、全番組録画機を買って、本当に必要な番組だけ後から見たい気持ちはあるけどね。

 

△亘榲に本を読む習慣がある人は全員納得するんじゃないかな。別に速読法を学ばなくても、自然と読むスピードはあがる。ぺらぺらめくりながらつんどくするのも可能。これを映像メディアでやるのはホント不可能。早送り再生は特別に音声処理できる機能がなければ、1.5倍が限度。その機能があっても2倍がMAXでしょう。Youtube系はネットワーク帯域的につんどく不可能。

 

そして、本当に大事なのはだと思っている。結局、TV番組ではごく一部の尖ったもの以外、一般常識かプラスアルファぐらいしか学べない。「TV番組で話題になった企業を、その番組を見て株買うなんて遅すぎる」のは、ちょっとでも株やれば誰でも痛感。もちろん自分のメインジャンル以外なら、その遅さでもいい。けど、メインおよび周辺3,4つジャンルをTVから情報仕入れる時点で、このネット社会では遅すぎる。本であれば一般常識になる前の多様な見解が得られる。当たり外れも大きいからこそ自分の取捨能力が鍛えられる。結局、本当に大切なのは一流の人のブログやツイッターだろうね。僕が佐藤一郎氏のツイッターだけは毎週チェックしているのもその理由だから。

 

で、「活字慣れ」にもどる。こんなのはぐたぐた考えるより、

 

「幼い頃に同じ絵本を何度も読み聞かせる事に親の側が耐える」

「小学高校学年から大学生になるまでは、漫画以外の本・ハードカバーは自由に買っていい(こづかいとは別の特別予算)」

「トイレに小さい本棚置いて、面白そうな本を置いておく」

 

の3つ。理由は以前に書いたから省略。だから両親には深く感謝してます。「コミュ力」は親から学んでないから特に言う事ない。どうやって身につけたかは、ここら辺で散々書いているから苦手と思う人は読んでみれば?

 

公立だろうと私立だろうと関係ない。そんなことより「自分で設問を立てるセンス」「それをずっと(数年間)考え続ける力」が大事だと思っている。二十歳の頃から散々読んで、「西洋文明に属する人は神と意思をアプリオリとするからダメだ」と痛感した。年末から

 

善悪と正邪と聖と神の定義。本当に芸術の先なのか??

 

に拘っているけど、こんなのは唯一の絶対正しい答えなんて無い。どうしたいかだけ。個人的には芸術の先にこれらを配置するモデルがしっくりくる。やっと、その構成がおぼろげながら見えてきた。この設問がどれだけ意味があるのかなんて本人は分からない。お金になる仕事の遥か手前の状態。けど、俺は楽しいし、苦しいし、やりがいは何よりもある。本人がトコトンやりたいことを邪魔するような了見の狭い親にだけはならないように気をつけないとね。アインシュタインの言葉を噛みしめて。

 

快適な生活と贅沢こそが人生の主な必要条件であるようにみんな考えがちだが、幸福になるには何か熱心に取り組める対象があればそれで十分なのだ。
"We act as though comfort and luxury were the chief requirements of life, when all that we need to make us happy is something to be enthusiastic about."




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