前前前世?!と3年差の謎

[2016.12.31]

紅白見てます。隣の部屋にいてたまにチラ見なんだけど。「君の名は。」のテーマソングって「前前前世」なのね。

2007年にマヤ・アステカ遺跡を訪問して以来、ムーを4年間読んで関連本(大田龍、飛鳥昭雄etc)も押さえた身としては、こんな思想を広めていいの?という思いもある。昔の「千の風になって」は全然アリだと思ったけど、前世のメジャー化はやばくないか。以前にマイケルジャクソンの前世についてとりあげたけど、あれはあくまでもネタ。

前世ネタでは深田恭子の「前世はマリーアントワネットだけど皆の恨みを買ったので次の転生でイルカになり、今はアイドル。アイドルは人と沢山会う仕事なので、来世は猫で気ままに生きる」が一番オモロイ。どこで読んだのか記憶の彼方だけど、動物を間に挟む発想はある意味Cool。深田自身はこの前世に絶対の自信があるからこそ占い師等には前世を見てもらってないとも読んだけど、その態度もぶっ飛んでるね。結局、個人が勝手に作ったストーリーなのだから、社会的に悪〜他人に迷惑をかけない限り、ご自由にどうぞ、という世界かもね。神道の四魂でいえば、4人までは同じ前世でもアリなので、他人と被るのも気にしないぐらいのメンタリティーの方がいいのかもしれん(笑

今年読んだショーペンハウアーの自殺論に凄い面白い説があって、要約すると

  • 魂が無から生まれて無に帰ると思う人は、そうなる
  • 魂に前世があると思う人は、生まれ変わる
  • 魂がそのままだと思う人は、そのまま漂う

結局、その人が決めれるという説。これって結構面白い視点。「死んだらどうなるかは、死んだら分かるのだから、死ぬまで考える必要も無い」という意見も好きなんだけど、「予め知って準備をしておいた方が良い」という意見もあるのは分かる。けど、どうせ死んだら何も持っていけないのだから、何を準備できるのかも謎。 そこまで踏まえても、以前に書いたように「前世=輪廻転生はあって、記憶はリセットされて、火が燃え移る程度の伝達はある」という距離感が一番しっくりくるのは確か。この立場で言うと、前前前世はおろか前世を知ることさえ基本不可能なんだけど、深田恭子自身も前前世までだから、3つ前まで考えるのは結構難しいのでは?とも。それだけ前になると、文献的に残っている名前が少ないからかな。単なる歌のリズムの良さで、前世でも前前世でもなく前前前世になっただけだと思っているから、そんなに掘り下げて考えようともしてないが。

前世の思い出し方には色々と方法があるけど、「退行催眠なんてやめとけ」は正しいと思う。だから「夢日記」「涙が出る」「なんか心理的に好き・嫌い」と書くこの記事が一番納得かな。けど、ウマが合わない人を「前世から嫌い」と決め付けると余計に修復不可能になるからねぇ。それぐらいなら、「前世で仲良くなるのに失敗したから、今世でも関係が深くなるハメになった。しょうがない、ちょっとは前世よりも頑張るか」ぐらいの態度の方が良いと思う。器のサイズが大きくなるために転生するのが四魂の基本だからねぇ。 この10年ぐらい散々やってきた立場で言うと、いわゆるスピリチャル系にはまり過ぎるととんでもない所に行くから。かといって手を出さないのも根性無しとも思っていて。やるなら中途半端=「誰か単体の説に完全に染まる」のでなく、とことんやれっていう気分だけど。

個人的には上記の記事以外の方法としては漆黒に浮かぶお香を薦めます。あの記事は大統領選も終わった事だし、記事名と一言要約を入れ替えておこうと思っているので。
 


[2018.01.03]

ちょうど今日、初の地上波放映中みたいだね。

先日、家で見ました。療養中は寝床から出れなく、年末年始用の本も風邪を想定してないので量が足らない。どうせならと。見た後、色々と考えてしまった。まさか映画最後のエンドロールに 「監修 月刊ムー」と入っているとは。たしかに最初の夢での入れ替わりの後に、オカルト好きのてっしーが言ったコメントはムーを読み込んだ人が見ても納得行く部分。早口だし、全部で3秒ぐらいの内容だけどね。根本的には「過去に戻って違う選択をする」=「別の未来が出来る」のか「未来が書き変わる」のかだけど、この映画はどちらの世界観に成り立っているんだっけ? まあそれは別に個人的にはどっちでもいいのだけど。。

 

唯一気になったのは、やっぱり3年の時間差。これってなんで必要?

巷でも話題になっているし、だからこそ「休日に学生服を着ている」描写が映画の中でもある、みたいな擁護論もある。入れ替わりがあるなら3年差もあってもいいし、そもそも「未来や過去も隣の部屋みたいなもの」というのが本当の4次元思考らしいしね。3年差の不自然さではなく、必要性のほう。入れ替わりの方は誰が見ても必要性は十分ある。けど、3年差の方は無くしても問題ないんじゃないの?同い年にしたって伝えたいメッセージは全部伝えれるのでは?

 

「3年前の過去であっても、悲劇的な結末に立ちむかうことができる」というのを訴えたいなら必要性分かるけどねぇ。企画段階で「新海さん、3年の時間差って必要ですか?」って聞く周囲の人はいなかったのだろうか? そして新海誠の答えが発表されているなら凄く知りたい。そりゃもちろん「同学年にしたら以前の転校生と同じになるから」っていう意見は分かるけど、今回は隕石墜落もあるのだから、3年差までプラスする必要ある? そもそも描写は誤解させるぐらいに同級生としているし、登場人物の本人達もそう誤解している。

 

ここら辺は、明日、うちの会社の新海誠オタクに聞いてみるけど、あれこれ考えて、こういうときは逆なんだと思えてきた。意外と芸術作品って僕らが思うほど自由度無いのかも。何故って、製作者本人がSoulをこめれる状況って、自己の体験からくる僅かなパターンのみだから。

 

そういう点から見ると、奥寺先輩のことも妙に示唆的。奥寺先輩とヒロインの二つに仮託したんだよ。

こう考えたら、一番、個人的に腹落ちした。すると確かに、

 

「奥寺先輩って、なぜ先輩って設定にしたんですかねぇ、同級生や下級生じゃダメなんですか?」

という設問にも価値が出てくる。映画見終わった後にこんな質問されたら純粋なアホだと思ってしまうけど、「あほ、うなもんどっちでもいいんだよ。先輩にした理由?そんなもん大した意味ねーよ。というか新海誠の初恋が先輩だったんじゃないの? 同級生や下級生じゃなく」ぐらいが一番ありそうな答え。そして、これと3年の時間差の必要性も答えは一緒。必要性なんてない。単なる監督の拘り。譲れないほどの強い拘り。

 

そして、最後の2人のシーンでも明確に年齢差を意識できるようにしていた。社会人直後の主人公と、何年間か社会人経験を積んだ雰囲気のヒロイン。お互い大学生時代なら、1年と4年でもあそこまで差は出ない。再開をあのタイミングにしたこと。これが拘りを更に感じる部分。

 

そして、この作品にフルコミットするには、こういう部分なんだよね。

 

僕は先輩派ではないから、なんかフルコミットできなかったなぁ。そんな事言い出したら、世の中の作品の1/3にはフルコミットできなくなるかもしれないけど、普通はここら辺はどっちでもいい。けど、この「君の名は」だけは、3歳差がちょっと無理やり入っているから、最後に響いてくる感覚。

 

wikipediaに海外の批評家が「数年後には宮崎駿と同等の評価を得るだろう」とまで絶賛したと書いてあった。その感覚は良く分かる。そこまで偉大な監督だからこそ、それが宮崎駿のような完全異世界でなく、あくまでも現実社会を舞台に高校生・大学生が主人公の作品だからこそ、フルコミットするときに妙に最後まで引っかかってしまった。

 

こんなこと書くと、かなりネットで叩かれそうな気がするけど、まあいいや(笑

君の名は。以前に新海誠の作品を全部観ていた人、が真のファンの前提条件だから、身近にいるのは嬉しい。明日の会話は楽しみ〜

 

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「東北大震災の3年後に作られた作品だから、3年後なのでは?」が最初の答え。先輩派の説を喋ったら、「新海誠の他の作品はヒロインが同級生派が多い」とは言っていた。新海誠自身が3年差のことについて説明したり書いてたりは無いと思う とのこと。なるほどね。




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