若冲の守破"離" − 石峯寺/石峰寺の石仏群

[2016.6.4]
関西地方に一度も住んだことがなくても、京都観光は8回目。これだけ通った観光地は京都だけ。金閣寺・清水寺、嵐山といった有名所、枯山水のための龍安寺・南禅寺、半跏思惟像のための広隆寺、お茶と日本精神のための高山寺。今回は有名すぎて後回しにしていた東寺、伏見稲荷に寄りつつも、一番のメインは若冲の最期の寺として有名な石峯寺/石峰寺。正式名称が常用漢字じゃないと、Web検索時代には辛いね。Wikiは正式漢字で、お寺の正式サイトは峰だから。

TV番組で若冲特集を見て以来、いつか石峯寺に行こうと思っていた。さすが黄檗宗。細部にいたるまで中国的な建築デザイン。若冲自体が伝統的な日本画からはみ出ているから、個人的にはマッチしていると感じる。この門も手すりの卍も良い。

石峰寺には晩年の有名な絵があるけど、一番の見所は間違いなく石仏群。現在は写真禁止なので、正式サイトか禁止前に撮影された写真を見てもらうしかない。裏山としては想像以上に広いし、五百羅漢というには狭い。仏像のデザインとも交じり合って凄く不思議な空間になっている。

ある線を超せる人は、普通の人には無い業を抱えている。
 画家もそう。次に生まれ変わっても同じく画家になるぐらいの業。
 殆どの著名な画家の絵を見ていると、来世も画家になると思わせる業を感じる。
 けど、この石仏群を見ていると、「若冲は生まれ変わったら次は画家を選ばないだろう」と感じた。
 それが、若冲の守破


この事実を体感できたのが一番の収穫でした。

結局、これだけ若冲を追っかけても、彼の心の奥にある狂気の源は分からなかった。あそこまでの禁欲生活をしないとコントロールできないものなのに。その狂気の片鱗はこの先でも見つからないかもしれない。 けど、この石仏の笑顔は、そいういう拘り方を溶かす力がある。この表情こそが若冲の到達地点ならば、来世は画家になる必要がない。この体感は、若冲を突き詰めた人が行けば自然に感じると思うよ。


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 守破離という言葉は有名になっているけど、この言葉が生まれた由来についてネットに情報が無い。だから
こんな解説になる。大量に読んできた本の記憶だから原典を明示できないけど、もともとは古代中国の弓の名人の話。独自の流派を立てるのは"破"であって、"離"ではない。本当の離は、その存在からもFly Awayすること。

 細部まで覚えているわけではないが、その名人は弓を極めて、一本の矢で複数の鳥を打ち落とすようになっただけでなく、最後は矢がなくても念だけで射落とせるようになった。そして、最期は弓という存在も射落とすという行為も忘れて死んで行った。これこそが真の離。この由来を「超能力なんて有りえない。最期はボケただけだろ」という人とは同じ空気を吸えないね(笑。 少なくとも、離が自己流派という浅い解釈だけは辞めたほうがいい。この石峰寺にくれば真の離が体感できる。京都に行ってよかった。


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[2018.4.21]

守破離の原典をやっと見つけた。僕は他の人が紹介していた原文を見たけど、中島敦が小説化しているとはね。記憶にある内容よりもビビットで読んでいて純粋に面白い。

 

紀昌の家にび入ろうとしたところ、に足をけた途端に一道の殺気が森閑とした家の中からり出てまともにを打ったので、覚えず外に顛落したと白状した盗賊もある。爾来(じらい)、邪心を抱く者共は彼の住居の十町四方はけてり道をし、い渡り鳥共は彼の家の上空を通らなくなった。 

原典にこの部分があったら絶対に記憶の片隅にある。だからこそ、これが中島敦独自の肉付けなんだね。いいじゃん! これまで『山月記』しか知らなかったけど、才能ある作家だとしみじみ思う。最後のくだりも感動した。この文章が皆に読まれれば、巷に広まった守破離の間違った解釈も無くなるだろう。国語の教科書は『山月記』でなくこの『名人伝』を収録すべきでは?と思うほど。




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