自己の同一性と記憶の関係


近年、人工知能がブーム化してる。Googleの碁については本当にびっくりした。ついにここまできたか・・・という感慨がある。けど、期待が先行しすぎると注意が必要。シンギュラリティの話題を見ていると、過去の人工知能バブルを思い出す。松尾豊氏と同じ意見で、「死ぬ事のないAIに真の感情は生まれない」が根本スタンス。電源OFFが人工知能にとっての死だとしても、電源OFFと人間の死はアナロジーレベルの同一性。2050年前後にシンギュラリティが実現するとは思ってないし、強いAI自体を眉唾と思っているのも事実。けど、2050年までには「自由に記憶を消せるようになっている」とは思ってる。記憶を自由に消せるようになった時、人間はどこまで変わるのか? ここ一週間ぐらい悩んでいるのがこの問題。

なぜ、意志の力で記憶を消せないのか?
当たり前すぎて誰も疑問に思っていない。けど、生物を設計するならば、一番上位にくる意志にはこれぐらいの力を与えても良かったハズ。これまでの膨大な読書結果から、一番同意しているのは、

自己の同一性とは記憶の同一性
突き詰めると自己の同一性の担保は外見ではない。外見は服や髪型や整形で変わる。身長だってシークレットブーツで5cmは変えれる。5cm変わったらそれなりに印象も変わる。身長を低くすることは難しいけど、ニーズ自体もないような。。痩せるのは大変だけどね。「多重人格(今はこの言葉は使っちゃいけないのだけど、分かりやすく書くために)とは、記憶の分割から生じる」という説を聞いたことがある。あまりに辛い記憶を追いやることが人格の分裂に繋がるという観点は正しいと思っている。

 
「自己概念は4つに分解できる」というのがHHAIのモデルだけど、実現するにはもっと詳細にするブレイクダウンする必要があって、ここんとこ延々と考え込んでた。もちろん今の人類が最終形態とは思ってない。進化の途中である可能性は高い。この先に人類が進化したら意志の力で記憶を消せるようになるのかもしれない。その場合、何がメリットなの?

記憶を消すよりは、記憶する方が楽。
記憶するには単語帳のように何度も繰り返す必要もあるし、忘却曲線の存在も当然かと。近年は上記に引用した画像のように記憶と海馬の関係もホットテーマ。だから池谷氏の本は面白い。けど、池谷氏は上記の問いと答えは発表してない。本当は考えている気もするけど、論文はおろか本にも書けないのかもね。個人的には、この世の人の苦悩のうち、40%ぐらいは過去の記憶が消せないのが原因だと思っている。もちろん「二度と繰り返さない」と言える状態なれば自然と記憶も淡くなってくる。だから、本人の内省が足らない面もあるとは思っているけど、これは虐待やレイプ等にも適用できる内容ではない。

過去の出来事は変更できないけど、(過去になっているから当然だね)、意味づけは変えれる。意味づけを変えたら記憶を消す以上の効果がある。けど、これは良い現実と結びついて初めてできることであって、ネガティブな現実としか結びついていない状態では雲を掴むような話。あんまり学問的な話から脱線したくはないから、議論を元に戻して、進化メリット的な観点で、意志の力で記憶を消せる利点か。

それって、シンプルに「過去のことで悩まなくなる」なんだよね。過去のことで悩む問題点は、「今の行動が引っ込み思案」になることぐらいなのか・・・。一度、手痛い目にあったら次は慎重になるのが当然。なのに、その慎重さがネガティブになるって、本当なのかな? ネガティブと決めつける今の価値体系に問題があるのかもしれない。たとえば引きこもり。一般的にはネガティブ。それって本当? 引きこもりを自宅警備員と表現するのは、その価値体系に挑んでいる部分もあると思っている。


そもそも自己は同一である必要があるの?
場当たり的な行動は、トータルとして何も変わらない。将棋の駒だってそう。前しか進めない歩は外して、四方八方に動ける駒が四方八方に均等に動いたら、同じ場所に戻ってくることもある。これって一般的には時間の無駄。もちろん、一定の方向に突き進むのはリスクもあるし、その場に留まるのが大事な時もある。けど、いつかは死ぬのだから、自己が使える時間は有限。それが根本的な制約だから。

自己像について、「言語」「イメージ」「情動記憶」から成立していると言う苫米地氏は面白い。けど、多分ワザとだと思うけど、このフレームワークには隠していることがある。ポイントはそこなんだよな。。。

そして根本的には「体で覚える」という言葉あるように、記憶は単純に脳だけが担っているワケでない。運動系記憶は小脳だとしても、脳がない生物であっても、ある種の記憶は持っている。それは細胞単位とでも言うべき仕組み。細胞の中には記憶できる場所はないのだが・・・。こういうことを考えると、一週間はドツボにはまる。

「寝てる間の夢は覚えるためにあるのでなく、忘れるためにある」という説もあって、実際、覚えるでも忘れるでもいいのだけど、夢によって記憶の整理をしているのは確か。じゃあ、小学校時代の夢を、二十歳を過ぎても見るのはなぜ? そんな古い記憶を今頃整理する必要あるのかよ。。。という面もある。精神病やメンタルの薬を開発している製薬会社は多いけど、記憶を人為的に忘却するための研究はどこまで進んでいるのだろう? 記憶の保持の仕組み自体が完全に解明されてないから、難しい面はあるのかな。

色々と脱線してしまったから、最後に一つ。


幸せとは、消したい記憶/忘れたい出来事が無いこと

今日はここまでかな。そして今の自分は幸せなんだろう。それはこの3日間の仙台旅行で振り返って感じてた。15年ぶりに見た黒伏山はやっぱりある種の威厳があった。その先の月山まで見れたのには感謝してる。わざわざ行ったかいがあった。
 



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