自殺したら地獄に行くのか − 輪廻と業

この話題は以前からたまに書いているけど、まとまってなくて断片的だった。

昨日、Blog1で輪廻転生を歌った和歌:「闇の夜に 鳴かぬ烏の声きけば 生まれぬ先の 父ぞ恋しき」紹介したし、心斎橋の飛び降りニュースも気になっていて。「長い休みが明けた初日は学校に行くのがストレスなって学生の自殺が増える」とは良く聞くけど「冬休み明けはその後の受験シーズン等のストレスも感じるから自殺が多くなる」とは始めて知った。中央線の自殺と列車の色の関係は個人的にも同意するけど、シンプルにオレンジ色をやめて銀色にでもしたら?と思う。


「死んだらどうなるか」について世の中には色んな説・態度がある。これまで哲学・宗教・オカルト系まで散々読んできたので、そろそろまとめたくて。

 Щ爐鵑世虧気砲覆襦それだけ。
◆Щ爐鵑世蘚傾颪地獄に行く。A:天国だけ。B:地獄だけ
:死んだら生まれ変わる A:階層移動あり(人⇔他の生命体[動物・植物]とか) B:階層移動なし
ぁЩ爐鵑世藺召寮韻帽圓


大きくはこの4種類かな。仏教およびインド発祥系の宗教は伝統として輪廻転生だからが基本だし、キリスト・ユダヤ・イスラム教は終末論だから基本△砲覆襦 世の中、科学万能な人ほど,梁崚戮鬚箸襪海箸多いが、どんな状態で無になっていくか? 無に向かう時にスゲー痛みを伴うのか、スゲー幸福感に包まれるのか。それは大きな違いだと思ってます。シンプルに死ぬ時の状況(病気で苦しみながら死ぬなら「痛み」、すやすや眠るように死ぬなら「幸福感」)だとしても、そもそも「無」とは気持ち良いのか気持ち悪いのか、それも謎。「どちらでも無いんだよ。無だから」とか言う人もいるけど、仕事だろうと作業だろうと「無意味さ」を痛感したら、普通は気持ちよくは無い。素直に「興味ない」と言えばいいのにカッコウつけて,琉娶を言われると、もっと真面目に考えろと思う時もある。「今の常識の中には現代の天動説がある」という視点が無いから浅いんだよね。


あと注意すべきは「臨死体験報告」。いつも「ベットで寝ている自分を部屋の天井の方から眺める」→「大きな光」「幸福感に包まれて」→「君はここにきてはダメ」 みたいな流れなんだけど・・・。臨死体験を否定する気はない。ただ、臨死体験者は本当に死ぬ時とは違う道を通っているのでは?という疑問。ここをまともに指摘した文章を読んだ事がないけど、この世でも良くあるジャン。同じ店に入ってもお得意様は特別な部屋に案内されて、初見の人は一般の部屋に案内される。まあ、ここら辺まで疑問符をつける人はそもそも臨死体験自体を眉唾だと思っているのだろう。

天国を思わせる臨死体験ばっかりなのも不満。地獄に行きそうな臨死体験って聞いたことない。もちろんダンテの地獄めぐりとかあるけど、文学作品じゃなくてリアルな臨死体験で地獄に行きそうだったって、あるのかな? 調べたらあるんだね。これは興味深いサイトだから、あとでゆっくり読んでみよう。


そもそも何故こんなにも拘っているかというと、18の時に心臓手術をしたんだよね。人工心臓につないで胸をあけて15時間ぐらいの大掛かりな手術を。その時、結構ドキドキしてた。もしかして・・・と。
 
ところがどっこい。手術の間、何も覚えてない。全身麻酔から覚めた瞬間、「あれ?休日朝7時〜9時のニ度寝から覚めた気分。すぐ手術終わったの?」と思った瞬間に激痛。。息をするたびに胸が裂けそうになる。呼吸といっても機械が勝手に空気を送りこむしかできないけど、なんであんなに痛いんだ? おいおい麻酔もうちょっと効かせてくれよ。。結局、前世も未来も何も見えなかった。

ただ、あれ以来、三年に1回ぐらいの割合で正夢をみるようになった。けど、それも人類の未来とかカッコいいもんじゃなくて、単に自分の近未来。それも、見た瞬間に「ありえねーだろ」と思って忘れて、数年後にその状況になって、「あ、これ昔、夢に見たわ」と思うだけ。あんまり意味無いスキル・・・・個人的な話はこれぐらいで。


「〇爐鵑世虧気砲覆襦廚糧消爾気六愿Δ靴燭里如↓△飽椶蹐Αなぜか今まで「A:天国だけ。B:地獄だけ」 Bの説は見たこと無い。あんまりうちらを絶望させたくないのか、それともビジネス的に天国と地獄の両方が無いと誰もお布施を出してくれないのか、、、個人的には「Bもありじゃん」とは思う。もしBが正しいと人類が気づいたら、ぎりぎりまで長生きしようとして、戦争も自殺も減ると思っているのだが・・・ 逆にAだとしたら、ちょっとでもこの世でイヤなことあったら、さっさと自殺する方が勝ち組になる。それもブルーな結論だよね。出産する時にあれだけ女性は苦労してるんだから。昔は出産時に母親が死ぬ確率は30%はあったとも言うしね。Aならそもそもこの世がある意味ないじゃん。結局、「なぜこの世はあるのか」も一緒に考えないとダメなんだけど・・・。

の生まれ変わりについては、以前にも書いたように「前世の記憶は無くなる」のがセットじゃないと意味無いし、「赤ん坊が言葉を覚えるまでは前世の記憶を覚えている」という説も興味深い。上記に引用した「火が燃え移るようなもの」という考え方も面白い。Aのように「悪い事したら畜生道に落ちる」とは良く聞くけど、そもそも動物と人間のどちらが生きるの大変なんだろうね。「殺される可能性が少ない」という意味では人間の方が楽なのかな。いいところの家で飼われているペットが一番勝ち組?な気もするけど、自分が生まれ変わり先を選べる立場になったら選ばない気もする。

生まれ変わりで一番のポイントは「社会改善活動のモチベーションが下がる」こと。 「前世のせいでこういう状況に生まれたんだよ。しょうがない」って究極を越した自己責任だから滅茶苦茶だよね。本人がしたことなら自己責任だけど、した事じゃないことに責任を取らされるんだから。輪廻の考え方が一番強いインドだからこそカースト制度の残滓がゼロにならないとも聞くしね。


「ぁЩ爐鵑世藺召寮韻帽圓」は初めて聞く人も多いかもしれないけど、「地球に拘らなくていいじゃん」という発想。天国のような環境の星も考えれるし、地獄のような環境の星も考えられる。だから△砲盒瓩なるし、地球に似た星ならにも近くになる。これってある意味、ハイブリッド?? もっとぶっ飛ぶと「木星人がイルカ、金星人がクジラ」になる。あれ、逆の組み合わせだっけ? 昔読んだから忘れてしまった。まあ、い鰐滅鬚い韻鼻掘り下げると△だから。


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ここまで各論を見てきたけど、最初の疑問に戻る。「自殺したら地獄に行くのか?」 
これは自殺を思いとどまらせるための言説の気もしてて、単純には信じて無い。たとえば「末期癌の患者の尊厳死ならばセーフ」とか言い出すと、「今の僕の状況は末期癌みたいなものだ」という意見も出てくるから。

そこも踏まえた上で、今の自分が信じている・決めているのは2点だけ。

(i).『意識零→時間無限大」
(ii).『唯一認められている自殺はその場で息を止めるだけ』


(i)は初めて見た人も多いかな。これは,離丱螢─璽轡腑鵑箸盡世┐襪韻彪觜酋縮深い。そもそものポイントは「意識の状態によって時間感覚は変わる」ことを掘り下げた点。普段の生活でもあるじゃん。詰まらないと時の流れが遅く感じるし、楽しい時間は早く過ぎる。周囲から見たら「死んだら無」だけど、実際の本人は「死ぬ瞬間の意識で無限大になる」 単純な,凌佑蓮屬匹鵑幣態で無に行こうともすぐ終わるでしょ」と思って真面目に考えない。けど、違うんだよ。無になる瞬間が自己の中では永遠になるんだよ。だから、笑顔で死ねる人は天国とも言えるし、誰かを恨んだり後悔しながら死ぬ人はその状態が永遠に続く→限りなく地獄に近い。

天国も地獄も己の中にある。
これが色々と考えた二十歳前後から一番しっくりきてる。だから「笑顔で自殺できるならすれば?」とも思えるし、「脱出願望でないと言えるならすれば?」とも思える。けど、これは本当に弱っている時は言えない。だから(ii)がある。やれば分かる。この方法では絶対に自殺できないから。何度も試した俺が言うから間違いないです(笑 

僕らはもっと身体で考えるべき
体に忠実というと、食べ過ぎの食欲だったり、ぐたぐた寝る睡眠欲だったりするけど、これは違う。他の欲望の代替なだけ。野生動物は食べすぎもしないし、寝すぎもしないから。以前にたまたま見つけたこのサイトの言うように逃げたくても逃げる勇気も沸いて来ないときは確かにある。頭が勝手にシュミレーションするのは止めれないし、そこで全ての選択肢がバットエンドならば、本当に何も出来なくなる。

勇気よりも希望の方が先だから。
希望が無い状態で勇気は生まれてこない。そこをちゃんと認めると「今の状況に立ち向かえ」はおろか「がんばれ」も言えない時もある。

だからこそ、「本当はもっと生きたいんだよね」しかいえない。それをシンプルに感じるのが(ii)だと思っています。


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本当ならばあのサイトのように自分自身の経験ももっと書くべきなのかもね。心臓手術だけじゃなく。けど、家が理由の虐めは書けても、もっともっと個人的な理由で虐められたら、それは書けない。僕は未だに「空色の絶望感」以上は書いてないし、これ以上は親兄弟はおろか殆どの人に言って無い。

「今、自分自身に一番酷いことが生じた。けど、だからこそこの先は、これよりも酷いことは全く生じないということ。それはひとつの希望かもしれない。なら、僕ももうちょっと生きてもいいかもしれない」
当時、なぜあんな結論にたどり着いたのか分からなかった。けど、同じ小5の時に藤村操のことは知っていたんだよね。彼の巌頭之感も。
 
既に巌頭に立つに及んで、
胸中何等の不安あるなし。
始めて知る
大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。
 
年末に日光と青山霊園に行ってきた。この文章は巌頭之感を当時知る事ができた感謝に対する自分自身の返礼でもあり、もしこの世に輪廻と業があるのならば、やっぱり細切れの状態のままでなく、ここまで書くべきだと思ったから。  


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大事なことを忘れていた。

一般的にも有名な、死ぬ時に見る「走馬灯」。死後の世界を信じていない人でも、走馬灯だけは信じている人は多いと思う。この走馬灯、単に過去からの記憶が蘇るのでなく、

「自己のやってきた行動を相手の立場から追体験する」
という説を聞いたことがある。僕はこの説については信じる立場にたちます。
これを知って以来、自分自身、少しだけマシになった気がしてる。
 



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