AIにおける存在と関係について

前回、Blog1に書いたけど、やっぱり納得いかん。恋愛と夫婦の違いは対外的な関係として認められているかどうかで、婚約自体も婚約破棄で賠償問題になるのだから、一部分は認知された関係ではある。どのタイミングで婚約成立かは揉めたら裁判沙汰(個人的な記憶では単純に婚約指輪でなかったような)。

そこまではいいとしよう。
問題は、「夫婦がお互いに死んだら、夫婦関係は存在しなくなるか?」
あの本(「オントロジー工学の理論と実践」)ではNOと言っているように見える。(「時間依存としているから」)

これってさ、正しい?
結局、従関係と主関係があって、組織と集団の違いは組織が主関係で、集団が従関係。従関係の一番分かりやすい例が夫婦=婚姻関係。家族になるとメンバーの交代が可能なようにも見えるので主関係かもしれん。だからこそ、夫婦について考える事が多いのだが、上記の指針は単純には納得できない。なぜって、基本、同じ墓だから。そして子供がいるから。

すると、子供がいない&別々の墓に入っている夫婦については、お互いに死んだら夫婦関係はなくなる?

こういう風に考えていくと、結構カオスというかDeepというか、価値観の違いというか、意見が割れるというか。。なんで、俺は休日にこういうことを延々と考えなくちゃいけないのか、避けては通れないけど正面から取り組むとさっぱり分からん。。

一見、当たり前のような関係もある線以上に掘り下げるとワケ分からん。もっと当たり前のような「存在」に関しても、単純な物体ならばいいのだけど、以下については本当にどうすんの?

・どこにも明記されてないけど、皆が守っている暗黙ルール
・誰も読めない太古の文字で書かれた本

この二つをちゃんと扱えるAIはどうあるべきか・・・今までここら辺のメンドクサイ部分はスルーしてきたからなぁ、やっとここに来たと言うべきかもしれないけど、先に進まなくてとにかく凹む。新年早々とことん壁にぶつかった投稿だけど、まあこれが2016年の幕開けとしては相応しいかもしれないな、と。

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[01/04]
こういう事を突き詰めると、「関係」自体の定義が必要で、これって基本的過ぎて恐ろしい世界。結局、哲学とプログラミングと実際のビジネスの3つでの成果では世界トップと思えるポールグレアムの言うとおり

哲学にとって不幸なことに、私はこれこそが哲学の中心的な事実だと言おう。ほとんどの哲学的議論は、言葉による混乱によって悩ましいものとなっているだけではなく、その混乱が議論を導いている。私たちは自由な意志を持つのだろうか? 「自由」が何を意味するかによる。抽象観念は存在するだろうか? 「存在」が何を意味するか次第だ。

一般に、「哲学論争の大部分はことばをめぐる混乱によるものである」と考えたのはヴィトゲンシュタインだとされている。しかし私は、どの程度、ヴィトゲンシュタインの貢献と見なすべきか疑問に思う。私の思うに、多くの人々もそう理解していたのだが、哲学の教授になるのではなくて、単に哲学を勉強しないことで自分の理解を示したのだ。


要するに、「あんま悩みすぎても余計に答えから遠くなる」という生活の知恵の方が正しいんだよね。二十歳の頃も同じ問いで悩んでいて、あの当時調べたら、大体の言語において「関係がある」=「セックスした」なんだよね。男と女の関係って。まあ、それがシンプルな事実なんだろうけど。あの当時から、ここら辺は考えはじめるとキリ無いと思っていたけど、18年経って、また同じ状態かよ。。すげー、「振り出しに戻る」感。こういうすごろくはマジやめて欲しい。

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[01/09]
とりあえず対処方法は決めた。こういう問題は悩んでもキリない。「決め」の問題。ただ、今までの設計が不十分なのが判明。出戻りはどうしても発生だね。。



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