又吉「火花」 最後のオチに潜むもの

「10人が1回ずつ読む作品よりも、1人が10回読んでくれる作品を書きたい」と言ったのは誰だっけ? 
本当に読者の心を捉えた作品なのかは、売れた冊数や話題の量でなく、半年後のブックオフの棚を見ればいい。3冊以上並んでいたら、マーケティングと話題性の勝利であっても作品としての価値ではない。

又吉の「火花」を読みました。冷泉彰彦氏が好意的に褒めていた事もあるし、単に頼まれたから。「読んだけど全く良さがく分からないから、読んで分かるように説明してよ」と言われたので。純文学とお笑いの交差点にある作品だけど、僕自身が読み込んだ純文学は村上春樹だけ。村上春樹については以前に書いたが、お笑いならば、ピン芸人⇒バカリズム、漫才⇒笑い飯。ピースについては以前に相方の綾部のマザコンについてコメントしただけ今回は「火花」の話なので、バカリズムと笑い飯についてはこれ以上か書かない。お笑いに詳しい人はこの情報だけである種の判断をしてくれると思う。


「火花」について巷ですぐに手に入る情報はこちらが一番まとまってる。
その上で、タイトルが「火花」になった理由と、最後のオチについて考えたい。それ以外の部分は青春を漫才につぎ込んだ情熱と苦悩がよく描けている作品だから、誰も疑問も文句も言わないと思う。

タイトルが「火花」になった理由を「主人公と先輩の間の、まさに火花が散るような関係」と解説している事について、完全には納得してない。ベースが先輩(神谷)へのリスペクトだから、一般的に思い浮かぶ火花のような関係(ガチンコのライバル関係等)ではない。もちろん笑いについて、主人公(徳永)は最終的には先輩とは違う方向に進むのだから、「奥底にある」と枕詞を付けてくれれば良く分かるけど。

私自身はもっとシンプルに感じてる。熱海の花火のシーンから始まり、熱海の花火のシーンで終わるので、「花火」から「火花」というタイトルになったのだと。なぜ逆転したのか、そこはまだ上手く言えない。けど、もし熱海の花火を見た事が無い人がいたら、ぜひ行くことをオススメ。すり鉢状の地形が生み出す、背中から聞こえてくる花火の音。体感しないと真の凄さが伝わらない。あの感覚を味わうと、熱海の花火は音が背中から聞こえてくる。だから花火も火花で逆になる。という説明でも可能だと思えてくる。


最後のオチについて。読み終わった直後は意味不明というかグロテスクというか、吐きそうというか・・・
最後の章が無くて、主人公の決断(内容自体はネタバレになるから書かない)に対する先輩のコメント/アドバイスで終わるならば、凄く読後感の良い作品になったのだと思うし、ここについては読んだ全員が同意するだろう。けど、読んだあとに30分ぐらい考えて結論が180度変わった。こんなことは作者自身も百も承知で、わざと最後の章を持ってきたのだろう。

お笑い芸人として笑えないオチを最後に持ってくることで、彼は純文学に殴りこみをかけているし、結果として成功している
又吉は無茶苦茶なことをする。これが作品途中での「神谷さんは「いないいないばあ」を知らないのだ。神谷さんは、赤児相手でも全力で自分の笑わせ方を行使するのだ。誤解される事も多いだろうけど、決して逃げている訳でない」の成れの果てか・・・。赤児相手の蝿川柳ならばぎりぎり付いてこれた。けど、最後の章は殆どの人にとって無理だし、だからこそ逆に神谷という男の人間性が浮かび上がる。その悲哀感。笑いの文脈としては大失敗なのに、純文学の文脈としては大成功。最後の章がなければ、神谷という男はヒーローのままで終わる。色々と問題を抱えている人だけれど、主人公の最終決断に対するコメントを見ても、やっぱり理想の先輩でありヒーローなのだ。そして、純文学で一番存在が有り得ないのはヒーローだから。

この先も僕は火花という作品を思い返すたびに神谷という男が浮かんできて、彼の行き過ぎてしまった笑いへの態度が浮かぶのだろう。グロテスクだからこそ、その存在感が妙に腹にずっしりとくる。。こういうのを、人 に 持 た せ る な。
この言葉が火花への最大限の賛辞。

 



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