東洋思想を掘り下げて 「関係の束としての個」

18歳の頃から意識的に東洋思想に取り組んできて、ここ1,2年は集中的に仏教系の本を読んでいた。西洋哲学系も個人的にはそこそこ読んだと思っているけど、最終的には東洋思想の方に親和性があった。もちろんこれらを大上段から語るなんていうのは、もっと著名な人に任せるとして、ここは個人的に素直な感想を書きながら、自分の思考を整理したく。ちょっとでも東洋思想に興味がある人の参考になればと思い、新コーナーの「Oriental」を作ります。
この単語は西洋から見た東洋であり、オリエンタル急行というか、サマルカンドな感覚を受けるから個人的には好きじゃないのだが、まあしょうがない。


「我思うゆえに我有り」といったのはデカルト。西洋思想は基本的に我=自己がベース。
もちろんその我は一神教における神との対比なんだろうけど。


個人的には一神教は合わない。そして、我という概念を再検討していく方向性を持った思想を選んでいたら、東洋思想に辿りついたのが二十歳の頃の華厳経。このお経の志向性を一言で述べれば、「自己とは関係性の束である」 それ以外のことは情景描写と専門的分類における解説であって、そこまで美味しくない。

個が主体となって他者と関係を結ぶのが西洋的なモデルだとすれば、関係が基本であって、その束としての個があるというのが、東洋的な理解モデルなんだと。超シンプルに言えば。

自己についてある線以上まで悩んだら、さっさと、「これまでと、そして今の関係性の束が自分なんだ」と見つめなおした方がいい。頭では分かる話だけど、実際やるのは結構ハードだし、自分自身も数えきれないぐらいに部屋で1人で座禅をしたけどさ。


そうだ、写経をしよう
と思ったのは、いつだっけ?25歳ぐらいかな。ちょうどブームになってて、100円ショップで般若心教の写経用の冊子があったのでやってた。

そうだ、有名なお寺が何を写経の題材に選んでいるか調べよう
これ、思いつきだったけど、やってみると結構楽しい。殆どが般若心教。たまに観音経ベースの感謝の言葉。その中で法相宗だったかな、唯識三十頌があったんだよね。だから早速調べて、本も買った。三島由紀夫の豊穣の海もそうだけど、唯識は精神分析としてもかなり面白いんだよね。

けど、最高に面白いのは龍樹の伝記。やっぱりさ、最初から完成している人は嫌いなんだよね。若いうちは「女の子と楽しくやりたい」でいいじゃん。仏教を学ぶ前の龍樹はその部分が一番ファンキーでナイス。面白みの無い世親とかと違う。高校の歴史の資料集レベルなら、これぐらいちゃんと書かないと。そしたら男子高校生の半分以上が龍樹のファンになるぞ。

理系分野ならブルーバックス、文系ならフォービギナーズだから、まずはこのシリーズから興味あるもの読んで、その次のステップが龍樹の伝記かな。それに楽しめたら、角川ソフィア文庫の仏教の思想シリーズでしょう。私はほぼ全巻をこの2年で読みました。分かりやすいし、内容のレベルも高いし、非常にオススメ。

大学時代は大学図書館の東洋哲学コーナーを全部読破しようとして、眠たい目をこすりながら、気づいたら20分ぐらい時間がたってるような生活だった。。誰かにちゃんとこうやって最短コースを教えて欲しかったなぁ、と今更ながら痛感しているので、ここに書いておきます。

そして、ここまで行けば、空海が書いた般若心教秘鍵が楽しめる。般若心教の解説はそこらじゅうにあるけど、密教的観点から空海が解説した内容は一番Good。


その先にあるのが、華厳経と法華経の比較の世界。
理論的な部分が一つも無いような法華経だけど、日本の殆どの宗派の基本経典なんだよねぇ。これを読んでも「新たな角度からの物事の捉え方」って殆ど無いような気もしているので、自分の中では未だに法華経の価値が分からない部分もある。


そして、ついに山折哲雄のディープゾーンに入っていく。
先日の「仏教のゼロポイント」以降、改めて読んでます。ぶっ飛んでるなぁ、この愛欲の精神史◆嵬教的エロス」は。大日経と金剛頂教の根本的矛盾点とか非常に面白いのだが、ベースとなる部分がね。そこら辺のガキでも四十八手をネットで調べる現代ならば、この本が紡ぎ出す仏教および日本文学の最高峰の視点からの性の解題こそが現代に一番必要とされているとは思うのだが、流石に正面から紹介するのは気が引ける種類の本ではある。

特に「とはずがたり」を取り上げた3冊目。清少納言とか紫式部とか高校で取り上げるヒマあったら、こちらを題材にすべきじゃないか。自分が生んだ子供の父親が分からないぐらいの乱れた関係の奥底で息づく何か。この何かこそが、人が生と性について抱える根源的な業。1冊目のガンジーを取り囲む女性達についての考察は、非常に思うことがあった。ガンジーの非暴力は誰でも知っている。そして、非暴力と禁欲はセットで、その禁欲に巻き込まれた女性達。その切なさ。

通しのタイトルの「愛欲の精神史」はキツイから「愛の精神史」ぐらいに変えるべきだと思うけれど、この3冊はどれも確かに名著です。これを名著と思わない人の方が多いと思うけど・・・。この3冊を楽しめるような精神性と業の深さを併せもつ人と、とことん語り合いたい気分大。

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それにしても解説を増やすことで、どんどん分かりにくくなるのは何でなんだろうね。仏教の理論一つとってもそう。
新しい差を見つけて、新しい名前を与え、複雑化していく。

その分野の中にいる人ならいいけど、外から見ると改悪じゃんこんなの。
もっとシンプルでいいんだよ。もっとシンプルで。変なもんふやすな。

その点で、山折哲雄の本は信頼できると思う。

ただ、根源的な理解フレームは変更するのに非常に大変だから、それを実践する手引きというか、手法論は欲しい。

現代だったら、もうちょっとCGとかバーチャルな映像とか音とか、浮遊感のあるゲーセンの大型筐体とか使って、体感できる手法は無いのかな、と思うこともある。3000年前からずっと座禅一本やりというのも芸無いなぁ、と思いつつ、休日の空いた時間は座禅している今日この頃。

関係の束として個を捉えなおす事は23の時に出来るようになったし、それ以来、根本的な部分で悩む事が減った。けど、仏教が示す悟りについては、物体と認識の根源的変更を求めるから、ずっとできていない。せっかく昨年、京都で仏門に入ったのにね。サラリーマンとしての日常生活を重ねていると越えれない線を明確に感じる。休日に法華経あげても心を整えるぐらいの効果しかないような。。それなら3000m登山の方がいいんだけどね。会社をサバティカルで休んで、1ヵ月ぐらい参禅したい。それが一番素直な気持ちかも。

 



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