サルは自殺するのか?

 最近は色々で19:00前の帰宅が求められているので、家に帰った後も研究の時間がある。
で、今、ひょんなことから気になったけど、「サルって自殺するんだっけ?」

自殺といえば有名なのが「完全自殺マニュアル」
高校1年のときに発売されたら同級生が速攻買ったので借りて読んだ。クラスでも結構話題になってたなぁ。個人的には「本当に飛び降りは痛くないのかよ〜」と思ったけど、それは死ねた時のことで、運悪く?生きてたら病院で意識が戻った時点で激痛を感じるのだから。雑学知識では、確か上から飛び降り自殺の人が降ってきて、あたって二人とも死んだ事例があったような。これこそ悲惨な死に方だよね。たまに台風で電信柱が倒れて死ぬ人もいるけど、上から人が降ってくるなんてスゲー迷惑だ。

レミングスの集団自殺も有名
むかし、そんなゲームがあって遊んだことがある。結構面白いのだが解法が簡単に分かるので、やりこみ度数は低いような。基本的には「集団圧」というか、人口密度がストレスになると言われていたけど、今の解釈はやっぱり違うのね。

とりあえず、ネット記事ではこちらが良くまとまっているけど、やっぱり自殺するのは人間だけなんだよね。それはかなり大事な情報だなぁ。

結局、動物は感情をもってるか?という問いは大切な視点だし、AIのコアとも大きな関連がある。そしてAIというジャンルはこの問いから逃げてた。そのくせ「コンピュータは感情を持てるか」で20年近く不毛な議論をしてた。もうそろそろはっきり言うべきなんだよ、「不毛だった」って。

その上で、「動物は感情をもってるか?」の定義は当然ながら「感情」の定義で変わる。
じゃあ、感覚と感情を人間は明確に区別できるのか?といえば、個人的には「できない」と思う。だから、その方向で俺のモデル(HHAI)は設計してる。

で、今日、ふっと気づいたのだけど、「自殺するならば感情がある」という定義はどうだろう?
ファンキーでイケてそうな気がするのだけど。生存本能を越す位の強さを持って、初めて議論する価値があるんじゃないかな。

すると「人間以外は自殺しない→人間以外は感情が無い」になって、ペットを買ってる人は激怒かもね。まあそれはしょうがない。全員が綺麗に納得する世界は、定義と論理だけで押し通せる純理系だけで、AIは純理系じゃないのだから。

ここまで考えると、次の疑問として、「子供のために自らを犠牲にする行為」の解釈になるんだよなぁ。
これは後日で(笑






三大欲求を掘り下げる 

ちょっとHHAIの設計を見直す必要があって、改めて3大欲求(食欲・性欲・睡眠欲)を考えてみたい。

まず、根本的には別軸を同列にしていること。
食欲と睡眠欲は個体生存に関係するが、性欲は種の話だから。そんな意味では2大欲求なのでは?という疑問はそれなりに正当だと思ってる。これに「学校では3大欲求と習うでしょ」と言う人は、今後の日本では必要ない人材ともいえる。その上で、もっと掘り下げてみたい。

◆植物に睡眠欲ってあるの?
睡眠欲は拡大すると休息の欲求も含む。けど、これは根本的に行動する動物だからこそ持つもので、一番良い例は植物工場。そこで植物は「LEDで24時間光あてやがって、休んでやる」とはならないよね。だから個人的には睡眠欲は植物には無い。

◆植物に食欲ってあるの?
日光をもとめて、枝の伸び方が変わるから「ある」でいいんじゃない?が素直な気持ち

◆植物に性欲ってあるの?
これ、難しい質問。おしべとめしべがあって、昆虫や風で受粉したとしても、うーん無い気がするなぁ

◇無性生殖の生物に性欲ってあるの?
これも、難しい質問。彼らって「あーそろそろ分裂したくなってきた」って感じるのかな?ここら辺の大事な問題をもっと掘り下げるべきだと思う。個人的には無性生殖→分裂は一定量の栄養を取り込んだら、自動的に発生すると思うけど、違うのかな?農学部出身の友達に聞けばいいのかしらん?ここら辺って誰がマジメに研究してるんだっけ。


で、もうちょっと個人的な疑問

★呼吸欲ってなんで言わないの?
生存に必要なものは、酸素、水、栄養であって、この順番は不動。食欲は飲食欲として水分補給も含める場合があるみたいだけど、まず呼吸でしょう。こんなのは非摂取可能時間を比べれば一目瞭然。食事が無いだけなら人間は1ヶ月ぐらいもつ(それまでの体重等に当然影響されるが)。個人的な記憶では、水と食事が無い場合は3日間がMAXだったような・・・ 酸素は当然数分間だから。けど、呼吸の欲求なんて素もぐりでもしないと感じないよね。

そういう意味では「欲求の強さ」って満たされ度合いで決まるのであって、どれが一番強いかなんて、各自で違う。だからこの議論はオモロイけど、個人差でかすぎ。基本的に人類は呼吸で苦労することは滅多にない(火事の中とか?)から、呼吸欲という言葉は生まれなかったのだろう。いつか宇宙空間に進出したら、この言葉もメジャーになるのかな?

★じゃあ睡眠欲は?
やっぱり人間は寝るのは大変なんだよ。今でも仕事が忙しければ睡眠時間は削られる。大昔も寝る=無防備だから、どうしても寝る時間は少なかったしね(アマゾンの原住民を見ても一目瞭然。ピタバンという本はオススメよ) だから睡眠欲という言葉が出来た。

いや、逆の考え方もできる。
食欲・性欲・睡眠欲はストレスでなくなることもある。けど呼吸がストレスで無くなることってあるんだっけ?(過呼吸はあるけど) だから呼吸は別ものかもね。心臓手術で胸を切開しないと、呼吸なんて普通は拘らないわなぁ。


で、もっと3大欲求を掘り下げる。ここら辺から18歳未満禁止になるのだが。

■根本的に性欲は作りが粗い
なぜかって、突き詰めれば特定患部への摩擦じゃん。だからマスターベーションが可能になる。逆に食欲って、なかなか難しいよね。たとえば食欲も特定患部のへの摩擦であれば、デブな人が痩せるために風船状のものを入れて胃の中で膨らませればいいのだけど、そんなギアはこの世に無い。今までに唯一あったのは、食べたらすぐ吐く方法。個人的な記憶ではローマ時代の金持ち貴族がやっていたような。けど、吐くのは苦しいからなぁ(胃に風船入れるのも苦しいとは思うが)

睡眠もそう。仮眠はできても、やっぱり性欲ほど簡単にだませるわけじゃない。「恋愛感情と性欲は違う」という高尚な議論もあるけど、もっと生物的に基本的なことを考える時間帯なのだから、とりあえず横に置く。

すると、理想的な性欲の満足方法ってのは????
うーん、女性だったら食欲の「消化の時点で満足」に見習うべきなのでは。すると精子が体内に来て初めて満たされるのがポイントなのでは。まあエロ本とかには「精子が○○〜〜」と叫ぶ場合もあるけど、あれは半分以上ネタでしょう。「そこそこ暖かいゼリー状の液体」であれば大体可能。「でかいのあたる」はとりあえず問題外。じゃあ、男性側は? 出すだけで終わりだから芸が無い。やっぱりここには根本的な設計ミスがある。お互いに交換しあって、それを体内に取り込んだ時点で初めて満足するような設計に何故ならなかったのか?

これが一番、考えるべき問題じゃないのか?
そう思っているのって、自分だけ?

いや、「現時点でも実は進化の途中であって、だからこそ、お互いに想いを交換しあって初めて満足するように人類は進歩していて、単なる体の摩擦の関係なんてサル扱いの風潮が強くなっている」という考え方もあるし、それはそれで面白い視点なのだが。


とりあえず、今日は疲れたので、これぐらいで




なぜこの世に意志が生まれたのか?

最近、スタンフォードの美人教授の意志力に関する本が話題になっているけど、こういう事いうと怒られると思うけど、西洋文明に属する人はダメなんだよね。この設問を本気で考えることをしないから。神の概念をベースにおく限り、「この世は神の意志でできた」という形になるから。

この設問が嫌ならこちらでもいい⇒ 「動物って意志ってあるの?」
たとえばゴキブリ。ゴキブリって意志ってあるの?ゾウリムシは?

個人的にはあいつら(とりあえずそう呼んでおく)は、単純な入力系⇒出力系の連鎖であって、意志はないと思う。そんなこというと、「本当は人間だって意志なんて影絵じゃないの?」とも言えるし、汎心論じゃないけど汎意志論を組み立てることもできる。「全ての生物に意志がある」と。

この両極端を却下すると、「意志の定義」こそが必要と誰でも気づく。
ところが、誰も意志の定義なんてちゃんとできてない。

2000年、M1の頃、この答えが分かっていたらあのままガンガンに教授と喧嘩できたのになぁ、と思う。「今のAIの理論はこういうコトを真面目に考えてないダメなんだ」と言ったら、「そんなのは有名になった研究者が考えればいい」とのたまった教授。

確かに社会に出て数年たつと、正しいのは教授であって、愚かなのは自分だったことが分かる。困難すぎる問題に人生を費やし、使えないオーバードクターになるぐらいなら、手に職就けて、人並みに就職し、人並みに家庭を築き、人並みに幸せに暮らす方が幸せと分かるから。すくなくとも学卒で就職した研究室の同期は、研究室でJavaをとことんやれた事について、教授に感謝してるから。「君は院にいかないのだからJavaでプロダクションシステム作りなさい」というのは、本人の将来を見据えたいいアドバイスだった。

そして、使えない人をドクターコースに行かせて、本人の将来もつぶし親御さんまで悲しませるのなら、「お前はセンスないからドクターに行くな」とはっきり言うことが優しさというのも、社会人5年もすれば痛感できる。

けど、さ、この世には「働きながらも忘れられないこと」ってあるよ。

ほんとは「センスないからやめろ」と言われた方が素直に諦めれたのかもね(笑 「考えなくていい」なんてアドバイスに従うような人生は100回生まれ変わってもごめんだ。確かに自分はコンピュータ系の中でも純数学系にちかいチャーチの定理とかは全くセンスは無かった。けど、AIやるのに仏典ひとつもまともに読んだ事が無い教授も論理以上のセンスはなかったよ。

結局、この「なぜこの世に意志が生まれたのか?」について答えを出せるようになったのは2008年だから卒業後6年間かかった。それが長いのか短いのかそれさえも分からない。けど、この答えには結構自信持ってます。どれくらいって、以前にも書いたようにR KellyのRぐらい(笑

けど、この答えはここには書きません(笑 ここら辺はHHAIの核になるから、特許とらなかん(笑

じゃあ、なんで、ここに書いたかって?
うーんと、そろそろ俺と志を同じくする若い仲間を見つけたいんだよね。あの頃と同じ位の情熱とセンスと持つ若い人が2名ぐらいほしい。そしたら3人でFacebookやAmazonやGoogleなんてメじゃない世界が目指せる(笑  




目的・目標・理想・夢・憧れ・願望・希望・欲望・欲求

 前回、幸せの個人的定義を書いたけど(以下再掲)、ちょうど今日のHHAIがこの上記単語群の分析になったので、今回はそれについてここに書きながら考えてみたい。

《幸せ》とは「しなければいけないこと」と「したいこと」が重なった地点

これについてもうちょっと掘り下げると、「しなければいけないこと」っていうのは理想だったり夢だったり憧れだったり、これらをとりあえずシンプルに「長期的なターゲット」と一言でまとめますが、この長期的なターゲットを達成するために、今しなくちゃいけないこと、という意味です。

親に食べさせてもらている時期が過ぎれば、「しなければいけないこと」って言うのは、本当は自分で決めたハズなんだよね。「家族のために会社で働く必要がある」にせよ、それは「家族をもちたい」と思ったわけで、「ごめんなさい。家族を養う気力が無くなりました。離婚してください。僕は一人分だけ稼いでつつましく生きることだけがしたいのです」と言えば、相手にとっては青天の霹靂だが、ひとつの説明にはなっているワケで。

スポーツにおける練習の大変さもそうだけど、概ね「しなければいけないこと」っていうのは単独で取り出すと「したくないこと」になって、だからこそ「せねばならぬ」世界になっているわけで。じゃあ、シンプルに欲望や欲求といった短期的ターゲットのみを重ねた人生って、、やっぱりそれで35歳になったらどうなっているかは非常に分かりやすく思い浮かぶ。だからこそ、この両者をつなぐために「意志」があるんだ、という話だけど、そんなに意志は強くない(笑

もっと根が深い問題は、「しなければいけないこと」が「長期的なターゲット」と本当に関係があるか?であって、学生時代の勉強って、本当に関係があったのか?と言われると、それはそれで結構難しい。「受験勉強なんてアホの量産装置だ」という意見も正しい面があるけど、「受験勉強でつぶれるぐらいならもともとアホだった」というのも正しい面あるわけで、なんか高校3年の頃もこんなことばっかり考えていたような。。

大数の法則ってのはあるから、普通のことを普通にやっていたら普通の人生が待っていて、その普通の人生が、新興国とのボーダレス社会によって、「日本としての平均値」でなく「世界としての平均値」に寄っていくのが今の状況。じゃあ、成功確率は分からないけど、どっかで普通以上に頑張るというか、熱心に取り組む必要はあるわけで。ご飯を食べて子孫を残して、それだけ考えてればいい時代ってのは、ひとつの理想形だけど、そういうワケにもいかない。

意味の意味を欲望とか欲求におく人生は哀しくて、それはHHAIのコア言語でいえば、「短期的なターゲット」しかない人生となる。それ以上の意味の意味について、宗教を除外すれば「憧れ」しかないと喝破したのが、大学時代の僕の結論。けどね、ロールモデルが無いことをやろうとしたら、どうすればいいのか?それが良く分からんのですよ、憧れ方式だと。これが今の素直な気持ち。

正直に書けば、あまり難しいことは今日はやめて、図書館で借りてきた「企業ミシュラン 06年度版IT・サービス業編」を今から2時間ぐらいで読むのが、短期的なターゲット。それなりに時間もつぶせるし、社会人としても少しは役に立つし、何より読んでそこそこ考えるだけだから、楽なんだよね。。そうじゃなくて、短期ターゲットと長期ターゲットに分類した上で両者の違いと関連を明確化して、その二つをコア言語に採用し、タイトルの単語は全て派生語にモデリングを行うことは、しんどい。

素直に言うとかなりしんどい。「憧れが何から生まれるか」まで考えはじめるともっとしんどい。それぐらいなら気楽に3時間ぐらい桃鉄やってるのが一番楽なんだよね。何の意味もないけど。。先週は結局、2時間半桃鉄で遊んで、遊びながら後悔してたからなぁ。すると、落とし所として本を読むになるけど、それも・・・

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結局、先週は桃鉄はやらなかったけど、本に逃げた。まあ楽天とか新興IT企業の雰囲気がちょっと見えて楽しかったけど、Yahooジャパンもそうだけど、やっぱり新興企業の最初の100名に入らないと、旨みは無いんだね。シリコンバレーじゃCISCOの社内メール配達人が株公開後に数億手に入れたこともあったみたいだが、それはどれだけ早く参加できたかになるわけで。けど、早い時期=潰れる可能性も高いから。

パチンコ・パチスロ・コンプガチャにはまる人ってリスクをとるのに快感を覚える人だが、そういう人に後ろで確率いじってない、リアルなハイリスク・ハイリターンな世界を紹介するのは大事だと思うけどね。そういう人はポール・グレアムのサイト、一通り読んでから転職すべきだとは思ってる。

個人的には、休日に8時間ぶっとうしで研究できるようなメンタリティにならなくちゃいけないのだが、結構ね、感情系を突き詰めるのは大変な面がある。自分の感情を突き詰める以上には絶対に出来ないから。そして、自分の感情を突き詰めるって、かなり痛いよ。やれば分かる。今までの最高の幸せと最高の不幸を並べるだけで、一日終わるから。ひとって、そんなもんです。




(一般的な) 感情の理論

 「悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ」 by W.Jamesの情動の末梢起源説

最近、
「感情心理学・入門」大平英樹編
を読んでます。読みやすいし、コンパクトにまとまってて結構良い本だと思う。

上記の言葉は今までも何回か目にしたことがある。「表情フィードバック説」をP. Ekmanたちが提唱したとも書いてる。「その結果、表情が、経験される感情を強める効果は確かにありそうだと考えられている。しかし、その効果は表情筋を人為的に動かせば特定の感情が生じるというほど強いものではないこともまた事実である」というこの本の結論は同意する。

表情というのは感情の種を強める/弱める効果があるのだと思ってます。普段から朗らかな顔をしている人は、ネガティブな感情が生じても弱めるし、ポジティブな感情を強める。逆に、普段から気難しい顔をしている人は、ネガティブな感情を強め、ポジティブな感情を抑える。これだけでしょう。

涙自体は感情のために生まれたわけでない。眼球の保護。鼻水もそう。けど、顔で生じる事だから、感情表現にも流用されている。人間は爆笑する時も涙でるし、「涙出るほど笑わせないでよ(笑」ってのは一つの的確な表現だから。笑って涙出たからって悲しくなるワケじゃない。けど、辛い時に涙が出て、それを自己認識すれば余計に悲しくなるのも確かだから。

感情の個人差として「セロトニン・トランスポーター遺伝子」をあげているのも興味深い。P64では感情の核心として「快・不快」とし、Russellの次元理論として、快・不快と活性・不活性からなる説を紹介してる。快+活性=興奮、快+不活性=安堵、不快+活性=苦悩、不快+不活性=抑うつという組み合わせは確かに面白い。ワトソンとテレゲンの次元理論では、快・不快と関与・非関与からなる説をあげているしね。

誰が考えても、感情のコアに快・不快があるのは当然。だからポイントはそれ以外の軸になる。個人的には活性・不活性の方が関与・非関与よりも惹かれるけど、やっぱり活性・不活性も不十分だと思う。

P76の感情の進化心理学では「ジョストン(2001)は、コンピュータを用いて架空の生物の進化をシュミレートする実験を行った。その結果、生物が世代を重ねると適応に重要な感覚系評価(感情に相当)が急速に進化し、感覚の強さが刺激の強さを増幅するようになることが示された」と書いてあるけど、感覚と感情の区別をしない理論は意味ないと思う。もちろん明確に線なんて引けない。だからこそ、どこで線を引くかがセンスになる。2010年の本だし、2005年ぐらいの研究も紹介されているってことは、2005年までにこれ以上のイケてる感情の進化心理学は無いのね。

ヾ恭个抜蕎陲琉磴
感情が生まれた理由
どの生物から感情があるといえるのか
ぐ媚廚生まれた理由
ゴ蕎陲離灰▲灰鵐檗璽優鵐
これらにHHAIは全て答えているから。もちろんモデルを検証しようと思ったら、色々なジャンルで10年以上かかると思う。けど、そんなのは興味がない。純粋にAIのための作業モデルとして作っているだけだから。



「感情の起源」ジョナサン・H・ターナー著も読みました。 類人猿と比較しつつ人類の感情を進化の観点から語っていて凄く興味ぶかい。特にP94の「どの感情が原基的か」の章では色んな説を紹介してる。これは圧巻です。このジャンルに興味ある人は絶対に読むべき内容。このP96の原基感情を言明した代表例の表では、全ての人が恐れと怒りを原基的としているけど、喜び・幸せ・快感や、悲しみ・失意は説が割れてる。いやーー面白い。HHAIのモデルに一番近いのは、これがびっくり無いんです(笑。ということは、普通の視点で見ればHHAIのモデルは出来損ないってことだね。そういう世界は結構好き。この追い込まれ感がいいわ〜。独創ってこういう事ジャン。誰一人歩いてない道を切り開く。99%は迷うか崖に落ちる。こういう状態じゃないとアドレナリンでないのは悪い癖なんだけど、R. Kellyと一緒で、だからこそやる価値がある。

ちなみに、怒りと悲しみは、怒りの方がコアコンポーネントです。悲しみは複合概念ではないけど、コアじゃないです。それがHHAIのモデル。

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ちなみにこの「感情心理学・入門」では巷でも良く聞く嫉妬の違いを取り上げます。男性は相手の身体関係の不貞に嫉妬感情を持ち、女性は相手の精神関係の不貞に嫉妬感情を持つと。進化論的に、男性にとって一番問題なのは、他の男の子供を自分の子供だと勘違いして扶養することであり、それを防ぐには相手のSEXの有無が大事。女性にとっては、男が他に子供を作ろうと、そちらに食料等を渡さず自分の子供を優先してくれればOK。だからSEXの有無よりも、精神的な手助けの方が嫉妬の対象となると。

この説、個人差も多いけど、大まかにはあってる気がします。こういう性別の違いを本能的に分かっている人が浮気上手なのも確か。別に上手になる必要も無いけど、性差に気づかず相手も同じ観点で考えるだろうと思い込むと、結構悲惨な羽目になるよ。浮気ではないけど、お互いが喧嘩して別れた状況。やり直す可能性がその当時は半々ぐらいのとき。実はこういう状況でも上記の性差はあるんだよね。それは、知っておいた方がいいよ。




意志とは何か 目標と誘惑と気分屋


 以前にも書いたように、意志に関して最近一番売れてるのが「スタンフォードの自分を変える教室」です。先日、本屋にいったらヨガDVD付きまで発売されててびっくりした。そこまでヒットしてるのね。

けど、本の中身自体は、結構普通。アマゾンのレビューで「精神的に深い知見は、この本では得られません」と書いてる気持ちは分かる。「欲求が強くなったらX分間でも座禅」とか、「呼吸をコントロール」とか意外とありきたり。「意志は筋肉のようなもので鍛えると強くなる」というのも、昔から言われていることだしね。

「罪のライセンス」は新しい知見だけど、大ヒットする理由としてはちょと足りないような。結局、昔から言い古されてきたことだけど、「何を言うか」でなく、「誰が言ってるか」の方が大事なんだよね。特に「やる気」を喚起するジャンルは。

この本はやっぱり著者の顔の作りも売り上げのXX%ぐらいに影響しているような。。個人的にはヨガDVDでの髪型がツボにはまって、「ここで買ったらアイドルファンと同じになっちまう」と思って意志で止めてます(笑。本人の理論・文章にはそこまで惹かれてないのに、DVDつきを買うってそりゃヤバイ。男性教授or女性教授でもおばちゃんなら、迷わず買わないのだから。


この本の前に意志系の本でヒットしたのが、その名もずばり「誘惑される意志」です。こちらは双曲線割引という点を始めて一般本で提示したんじゃないかな。美人本(以下、こう略します)でも「時間割引」で出てくるけど、それが双曲線型になってるというのがポイント。

けど、残念ながら文章が読みにくい。その点では美人本の方が読みやすい。こちらの白熊本(以下、こう略します)は、訳者のあとがきが一番読みやすいので、そちらを最初に読むのがオススメ。





で、両方を踏まえて書いていきます。

「今日もついついスナック菓子を食べてしまった」というのは誰が見ても意思が弱い。けど、「年末のお開き軽食パーティの時ぐらいはスナック菓子も食べるよ」を意志が弱いとするのか、それは結構難しい。年に1度ぐらい、状況に応じてルールを柔軟に運用する方がいいのも確か。そんな点を白熊本は結構書いてる。

両方の本に書いているように、意志とは誘惑されるものなんだよね。けど、魅力的な女性の誘惑に彼女と別れる決断をした男を、一般的に「意志が弱い」とは言わない。だから、本当のポイントは「誘惑」じゃない。問題は「今の彼女が大事」というルールはそのままで、一時だけズルっと行くのがダメ。

ここら辺までは皆が納得してくれるでしょう。
すると、理論的な組み合わせとして、

意志が強い気分屋

が存在することになる。けど、イキナリ言われると、この言葉は「スカートを履いた男」以上に違和感がある。だから、意志を真面目に掘り下げると「気分屋」を掘り下げることに伝播する。こんな事を考えているのは世界で俺だけかもしれないけど(笑

「気分屋」って、「気分でコロコロ変える人」だけど、何を変えるの?
そりゃ「評価基準」であり、「目標」なんだよね。意思が弱いとは、「目標は変わってないのに、目標から遠ざかる行動を選ぶ。直近の《快》に負けて」が正式定義だから、意志が強い気分屋は、やっぱり存在する余地がある。「意志が強い人」って、ネガティブイメージでは「堅物(かたぶつ)」だから、軽薄な感じのする気分屋と矛盾する。それが一般的な違和感の正体。

結局、両方の本とも「意志がなぜ生まれたか?」について正面から答えてない。白熊本は答えてるつもりみたいだけど(訳者あとがきにいわく)、シンプルにもクリアにもやってないと思う。個人的には、答えは一年生の動物と比較すれば出てくるんだよね。

じゃあシンプルにクリアに意志を定義したら、意志が強くなるのか?

うーん、あんまりショックを与えたくないけど、あんまり強くなりません。魔法の杖なんて無いよ。ただ、上記の両方の本を読んでも「自分が変わらない」と痛感する人にはアドバイスできるけど。そのアドバイスこそが「後悔が足らない」です。

なんで意志を強くするのに後悔が必要なのか?それこそが意志の生まれた理由につながるから。
こんなマイナーな意見は俺ぐらいだと思うけど、飯のタネじゃないんだから、その自由度は最大限に生かさないとね。誰の意見にも同意できなければ、自分で考えるしかない。それだけだから。

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意志を強くしようと思ったらこちらの本に書いてあるように、つまらないぐらいのルールを守ることだよね。1週間以上。だいたい1ヶ月に近いぐらい。一番ダメなパターンは、うすうす守れないのが分かってるから、その分だけ最初のルールを厳しくするタイプ。それって、「守れない」が重なってどんどん自己フィードバック系がネガティブになるから。白熊本はここら辺にせっかく言及しているのだから、もっと分かりやすく書けばもっと売れたと思う。

こちらの本ではやる気を出すための4つの点を上げているけど、別に意志だろうとやる気だろうと、実際に行動に結びつくならどちらでもいい。


そして、これら4つの本に書いてない本当に大事なことは、「習慣化するためには毎日やれ」なんだよね。

「休日は走る」はダメ。なぜかって、リズムにならないから。毎日やってこそ体にリズムとして染み込む。もちろん運動する事がリズムとして染み込んでいる人が「休日は走る」という目標を立てるのは全然OK。自分がやりたいことならば年に1度だろうと、月に1度だろうと問題ない。けど、それって意志もくそも必要ないじゃん。

だから、体重が気になる人は「毎日○○する」が大事。なんでもいいです。腹筋だろうと何でも。そして、絶対に守れる数から始める。ただ、1日1回って、それはリズムにならんぞ。最低でも5分、できれば10分、本当なら30分は欲しいけど、流石に零時回って家に帰ってもできるのは5分ですね。そこら辺で私は嘘はつきません(笑


もうひとつ大事な事は、「しないという目標はダメ」

何故ダメって、そりゃ、ダメといわれたら余計に心が執着するのが人間だから。だから、あの傑作ダイエット本では「ポテチ食べてもいい。けど一枚だけ」ルールを作ってた。「もったいないなんて糞食らえ」という叫びもいい。けど、ちょっと食べる方が欲求は強くなる(笑  結局、ダイエットって食べる量(カロリー)を減らすしかなくて、「しないという目標はダメ」といわれると、結構手が無いのだけど。

だから、「家に帰ったらついつい深夜まで○○してしまい、会社でウトウトしてしまう」状況で説明します。たとえば、ゲームとかね。最近はスマフォでゲームが流行ってるから、長時間ゲームをやりこむ人は減ってるかもしれないが。

こういうときに「やらない」よりも良い目標は、「したいなら、早く寝て、朝やれ」です。「するな」じゃないからルール的には穏やか。で、実際やれば分かるけど、朝は寝てるほうがいい。え、そうじゃなくて朝5時にでも起きてやりたい? そこまでやりたいならば、それはしょうがないよ。やるべき。

ただ、このルールにもうちょっと追加して「朝9時までならOK」としてます。すると、休日はちゃんと平日並み(7時台)に起きたら出来る。平日はできない=というよりも寝る方を選んでしまう。これぐらいの距離感が一番いいから。白熊本にもあるように完全に否定するのはある意味貧しい人生だから、適度に楽しめる距離感をKeepするのが「おとな」です。

とういうことで、ずいぶんと具体的にうちのノウハウを書いたつもりだけど、参考になったかな?

「毎日じゃないとダメ」っていうのは、恥ずかしながら最近やっと分かりました。ずっと休日に古武術の稽古が出来なくて、意志の弱さを痛感してたけど、2,3週間前に色々あって、「あーわかったよ、もう毎日やるよ。やりゃーいいでしょ」ぐらいの状況になって、やってみて気づいた。
理想は歯磨きや風呂みたいに「やらないで寝るとなんかイヤ」レベルまで習慣化することだから、それはやっぱり毎日しないとね(笑

俺は以下の一時間強のメニューが毎日。ゲームは朝9時までなら可。休日はAOC難5v2(自+味方com)で遊んでます。

プッシュアッパーで腕立て10回x2
腹筋ローラで10回x2
体幹運動 50回x左右
・風呂から出たらヨガ(約20分)
・古武術稽古:二十一ヶ条x左右(約20分)

そんな感じ♪

と嘘をいってはいけません(笑 これが目標ですが、半年間の実施率は40%強。3日に1回はサボってるぐらい。大きく、筋トレ、ヨガ、稽古に分かれるけど、それを順繰りに実施してるというのが、一番の事実かもね。。3/15に稽古を入れるまでは筋トレも適当にやってたので、3/15以降では60〜70%ですが、とりえあえず実施率80%を目標にしていこうと思ってます。





プログラミング言語比較 知識処理言語の野望とは


とりあえず、意志の詳細分析は前回で終わり。感情もあれ以上は作りながら考える必要があるので、今後は実装フェーズ。すると、多分、誰も興味を持たないような話題になってしまうのだが。。そもそもコンピューター言語の比較って、最低でもCとかの手続き型と、Lispに代表される関数型を触った事がある人じゃないと、スタートラインに立てないから。

これだけIT系企業が増えても関数型言語をやったことあるのは、情報系出身の中でも一部だろうなぁ。それに加えてPrologに代表される論理型言語までやったことがある人って、うーん日本に毎年1000人以下だと思う。

この「コンピュータプログラミングの概念・技法・モデル」(以下、青本と略)が複数のコンピューター言語を比較するのには一番良い市販本だと思う。

後、大事な情報としてはポールグレアムの分類があって、整理したら以下になる(引用はこちら)
Algolが解決: アセンブリ言語は機械語に近すぎる。
 →Pascalが解決: Algolにはデータ型の種類が足りない。
 →Simulaが解決: Algolはシミュレーションにはそれほど向いてない。
  →Smalltalkが解決: Simulaには実はオブジェクトでないものもある。

Fortranが解決: アセンブリ言語は機械語に近すぎる。
 →Cobolが解決: Fortranはおっかない。
 →PL/1が解決: Fortranにはデータ型の種類が足りない。
 →Basicが解決: Fortranはおっかない。
 →APLが解決: Fortranは配列操作がイマイチだ。
  →Jが解決: APLは独自の文字を要求する。

Adaが解決: 今までの言語はすべて何かが抜けている。

Cが解決: アセンブリ言語は機械語に近すぎる。
 →C++が解決: C言語だって機械語に近すぎる。
  →Javaが解決: C++はやっつけ仕事だ。それにマイクロソフトは私たちをやっつけるつもりだ。
   →C#が解決: Javaはサンに支配されている。

Lispが解決: チューリングマシンではプログラムがまともに書けない。
 →Schemeが解決: MacLispはその場しのぎだ。
  →Tが解決: Schemeにはライブラリがない。
  →Dylanが解決: Schemeにはライブラリがないし、Lispの文法はおっかない。
 →Common Lispが解決: Lispには方言が多すぎる。

Perlが解決: シェルスクリプトやawkやsedは、プログラミング言語ほどには良くない。
 →Pythonが解決: Perlはその場しのぎだ。
  →Rubyが解決: Perlはその場しのぎだし、Lispの文法はおっかない。

Prologが解決: そもそもプログラミングなんて論理みたいなものと言えるほど十分じゃない。


この青本は並列性とか知識処理と関係ない(と一応おもってる)内容もあるので、知識処理に絞って考察していきます。結局、以下の二つの分類がスタート。

.團絅関数型言語と手続き型言語の違い ⇒状態をもつか/全て引数で表現できてるか
▲團絅関数型言語と論理型言語の違い  ⇒手続き(メソッド)を逆向きで使えるか

この内容をシンプルに言ってるので、非常に分かりやすい本だと思う。けど、その先を書いてないの不満。手続き型(この本では命令型と読んでるが)よりも関数型言語の方が好ましいのは、影響を与える因子が全て引数になっているから。すると、この条件は知識処理的にはかなり対象の分析が終わった状態なんだよね。

たとえば、南太平洋の島にいってその民族を分析している。彼らは祭りをたまに行うが、その周期がわからない。この場合、祭りの周期を関数型として表現できるのは、ものすごく分析が終わった後だから。関数として表現できる途中段階の状態を表現する能力が言語として必要になるんだよね。

一部の関数型は高階によって関数自体を変更できる。でも、その前に大事なポイントして、引数も二つに分類する視点だと思う。

○「単なるオペランドとしての引数」
○「分岐に関連する引数」
ここら辺を概念的に別に扱う仕組みって無いよね。知識処理としてはここがポイントだと思うのだが。結局さ、「新たな事実が判明する」→「手続きを変える」→「場合分け(分岐)が増える」の流れだから。単にオペランドが変わるだけなら、手続き内の定数を引数化するだけ。


△竜娶きで使えるというのは、「メソッド(A,B)→C」という記述方法を、「メソッド(A,B,C)」と答えまで引数化して記述することで、メソッド(1,2)→3という処理でなく、メソッド(A,2,3)という逆向きの呼び出しが自然に行える。このためには、全検索する仕組みが内部で必要。その検索を効率化するために制約プログラミングがあるという、青本の意見は非常にクリアで分かりやすい。

制約プログラミングの考え方自体は非常に面白いし、僕の修士1年はずっと制約プログラミングの研究だったけど、はっきり言って無駄だった。そもそもこの本では「論理型言語は非常に応用がさかん」と書いているけど、これって研究者ベースで見た場合であって、実際のビジネス視点で見れば、殆ど使われてないような。

ポールグレアムの以下の文章は個人的には凄く納得した(こちらから引用)。
最も顕著な例はProlog流のパターンマッチングなのだが、『追加』や『削除』などにしか有効ではなかった。Prologはappendを書くためにはすばらしい言語だが、その以上のことになるとダメになる。

論理型言語がダメなんじゃなくて、知識処理を論理でやろうとする思想がダメ。なぜって、論理は関数型ほどではないけど、やっぱりまだ厳しい条件だから。知識処理言語の一番のポイントって、論理じゃないんだよ。それを論理だと勘違いしたのが西洋人のミスだと、そろそろはっきり言った方がいい。論理が使えるのは最後の方なんだって。

★|亮韻鮗集する
★⊆集した知識の整合性を維持する
★収集した知識を組あわせて推論できる

この3つ。これらを別にやる。ここが論理型言語の隠れた野望であり、知識処理に必須の内容。その環境で必要な全ての知識が判明しているなら、知識処理って必要ないの! と訴えておこう。

今後、HHAIの知識処理部分はこの方針で作っていきます。






Lispの勇気が欲しい - モデリングの谷間に落ちて思う事

Lispの設計の綺麗さ。プログラミング言語というよりも数学に近いとポール・グレアムは言った。
データ構造はリストしかない。あの時代にはありえないレベルの清々しさ。普通はヒヨって色々追加する。だから結果としてぐちゃぐちゃになる。

モデリングとは捨てる決断を重ねること。ジョブスがFDイジェクトのボタンまで拘ったことについては、今でもその意義が良く分からない。結局、初期のMACのようなマウスのボタンが一つという世界は続かなかった。けど、ノートPCで一番最初にCD/DVDを外したのも、LANコネクタを外したのもジョブス。

それぐらいのレベルのモデリングをしたくて、その勇気がなくて、昨日はずっとモデリングの谷間に落ちてた。思考と感情が絡まって、最小構成が生み出す恐怖に耐えれなくて逃げ出したくなってきた。そんな時、マッカーシーやジョブスの事を思う。真にデザインしたことないゲイツはいい。エリソンもいい。IT3大有名人の中で、やっぱり「削るモデリング」はジョブスの真骨頂。そこは結構好きなんだよね。

感情だけの世界や思考だけの世界ならば35までに色々と対応策を学んできた。けど、こういう思考と感情が絡まる時は、まだダメだね。頭だけでも進めても先に行けないし、感情だけで進めても先に行けないから。

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Lispの設計に本当に勇気があったのか、それは分からない。
Lispは数学的な世界に己の価値を負っていた。

いまHHAIのモデリングを行うにあたって、同じように裏打ちしてくれる分野がない。言語学じゃない。ソシュールは構造主義の元祖だけど、最小構造について述べてない。チョムスキーは文章が長くなる事に主眼が行き過ぎて、短い文章が何からできて、それが何個あるのか述べてない。一番期待できたのはエスペラント語だけど、単語が多すぎる。

生活言語として設計するなら、人間の記憶力を多用する代わりに伝達時間を短くする方向に言語が発展するのは当然。すると単語数が増えすぎて解析が重くなる。重くなるだけでなく、そのうち派生語同士が連結しだして新たな意味を生み始める。すると、もう昔の最小数が見えなくなる。そもそもエスペラント語はヨーロッパ語族の影響が強い。接尾辞多用の設計は賞賛するけど。


結局、無いなら作らないとね。もし時間があれば、最小時間と最小空間についてはちゃんと調べたい。湯川博士の見果てぬ夢らしいけど、これはある種の裏打ちしてくれる分野になってくれる気がする。けど、今はその時間が無い。


最近、形容詞の分析を始めて、途中で躓いてた。
五感で感じる内容を最小語数の中に入れようとしたけど、誰がどう考えてもN/S極もプリミティブ。人類はわからん。渡り鳥は分かるらしい。そんな事言い出したら、電子のスピンもそうじゃん。もっと科学が進めば、もっと根源的な属性が見つかる可能性は多大なり。

この時点でつまって、その結論が「プリミティブな形容詞なんてない」

この怖さ。

いいたかったのは、そんだけです。

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コンピュータのソフトならマッカーシー
コンピュータのハードならジョブス

ジョブスのデザイン感覚は本人も言うとおりカリグラフィーから。カリグラフィーって本質は字体でなく空白じゃないのかな。すくなくともこれがTeXでのクヌースの結論のハズ。座禅もそう。思考が本質じゃなくて、思考の間(ま)が本質だから。少なくとも、俺はそう思って座禅してきた。最少数を求めれば求めるほど、碁盤が浮かんでくる。全てを均等におけばいいわけじゃない。何かの構造が先にあって、それに対応する必要がある。碁では四隅がある。オセロだって角がある(笑

じゃあこの世は?
本当に空間と時間が一つになるのか、それは分からない。

なぜ、時間が後ろ向きに流れないのか?

最近、列車に乗ってるとANAのCMで見かける。
昔からこれ系統の本は読んできたけど、多分違うんだよ。

「なぜ、時間が後ろ向きに流れないのか」じゃなくて、前向きに流れるのを「時」と僕らは名づけたんだよ。

だから、正しい問いは「なぜ、僕らは、後ろ向きに流れるものが見つけれないのか」なんだと、そう思う。そして、超能力と同じぐらいの確率で後ろ向きに流れる何かもあると思ってるのかもね(笑

 



深い感動って全て長期軸?

やっとここまで来たというべきか。システム上で「感動」を表現する地点まで。
思考フェーズと実装フェーズは違う。思考フェーズは常に3歩先ぐらいを考えている。けど、大まかな方針が決まっても、実装する状態になるには、もっと色々と決める事が多いから。

■「彼は感動した」という文章の意味を分かる人工知能はどんな能力を持つべきか?

「「深い感動」とは「自分の理想像が変わる」こと」と以前にも書いたけど、思考フェーズとしてはそれでいいが、「何によって感動するのか」という設問を立てた時点で森に迷い込む。「作品によって感動する」 じゃあ作品の定義は。「作品とは感動を与えれるもの」 感動を与えられない作品は製作物ぐらいでいい。品は使わなくていいでしょう。この単語分類も悪くは無いが、循環定義なんだよね。

この世は突き詰めると循環定義で成り立っているし、人工知能の設計とはミニマムな循環定義群を見つけることだと思って、18の頃から今まで18年間を費やしてきた。そんな立場でいうと、ここでポンポン循環定義を使いたくない。だから以前の考察を見ながら、何が感動を引き起こしたのかを考える。いや、もっと考えると、「なぜ理想像を変える必要になったのか」が大事なんだと。

たとえば「第一印象の大切さ」
昔はこんなの全く気にしてなかった。「毎朝、笑顔の練習をする」なんて時間というより人生のムダだと。「スマイル0円」なんてアホの極みだと。 けど、卒業間近にサムのハニーブラウンな笑顔を見て考え方が変わった。あれだけの人物が笑顔でいること。人生の苦労を体験したことない人の初対面の笑顔と、色々と潜り抜けた人の初対面の笑顔は何かが違う。そして、初対面で笑顔まで出せて潜り抜けたと言える事。「単なるイイ人」より「ちょっと変わっている深そうな人」の方が、第一印象としてマシだと思っていた自分がアホの極みだったこと。

この文章を理解したい場合、何が必要か? 感動⇔作品の循環定義では不十分。だからまず「最初の理想像は何で生まれた?」を考える 
 ‐亟蕕漏擇靴せにするもので、無理やりするものじゃない
◆〔詰やり笑顔でうそ臭さを振りまいても逆に違和感
 笑顔が欲しくてバーガー買ってるわけじゃない

こういう立場。△凌佑紡山会ってきた経験も大きいとも言える。会社の新人教育でも痛感する。初対面での笑顔の大事さを分かって無い人はいる。もちろん彼らも入社面接はこなしてきたのだろう。配属されても最初のうちはそつなくこなすだろう。けど、仕事に慣れるに従って、笑顔は減るだろう。お客様の所にいっても△鰺燭┐訖佑砲覆辰討いと。

じゃあ、彼らにサムのDVDを見せればいいのか? 彼らはあの世界を共有できない。それは彼らの生い立ちに関連する話だからネガティブには思わない。人類全員に届く作品が無いことは、人類全員が帰依する宗教が無いのと同じぐらい真実 とまで言い切っていいのか分からないが。

サムの笑顔を見て何を感じたか?
[1] 何が生じても笑顔を失わない人がいる
[2] 背負った人ほどそこまで歩くべき
[3] 笑顔の深さの違いに気づけない人は多い。けど、だからといって、笑顔をしなくていいとはならない

こんな感じかなぁ。すると「深い感動」は単純に短期欲求→長期欲求でもないのか。
浮気とかは短期→長期の分類になると思う。「自分以外の全ての人が傷ついているのに、自分独りが満足しているのはオカシイ」と気づかない人はやっぱりオカシイだろう。できるのにやならないのは誰にとっても難しい。だからシンプルに短期欲求に従って動く。どこかのタイミングで気づく。走馬灯の時に気づく人もいるかもね。こういう部分を考えると、近年では一番好き勝手にやっただろう赤い皇帝:毛沢東が死ぬ間際にうなされていた内容が非常に気になる。あれだけ散々やってベットの上で死んだ人は毛沢東ぐらいだと思ってて、ユン・チアンの「マオ 誰も知らなかった毛沢東」も読んだけど、ここら辺は何もなかった。毛沢東の料理人が書いた「毛沢東の私生活」は非常に面白かった。

「もし私が殺されてもこの本は生きつづける」の言語を残し、著者は本書が発売された3カ月後、シカゴの自宅浴室で遺体となって発見された。また北京政府は 「事実無根の書」として、事実上発禁扱いにした。が、地下では密かに熱心に読まれている、と言われている。現代中国史はこの本の刊行で、見直されなければ ならないだろう。
人間の欲望と業と応報を考えるならば、この本こそが必須だと思える。

いかん、発散しすぎる。
結論として、全ての深い感動が短期→長期の気づきではない。有りえないと思ってた状態を目の前に出されないと分からない事がある。それこそが自分にとっての[1]〜[3]だから。で、ここら辺をどうやってモデル化すればいいんだ? オイオイ・・・この週末は、もう疲れたぞ。
 



マズローを掘り下げる

社会人となって驚いた事の一つにマズローの位置づけがある。ビジネス分野で言及される心理学ってマズローがトップじゃないかな。誰もフロイトやユングのことは話題にしない。どの本か忘れてしまったけど、「弱者の心理学」という言葉があった。「これまでの精神分析は問題を抱えた人のためであり、治療のためには必須であってもビジネスの文脈では参照しづらい」と。

この意見はある程度は納得している。困っている人を助けるためにこそ学問分野は生まれるべきだが、精神分析に治癒はあっても「やる気」は殆ど出てこない。そんな中でマズローはビジネスの世界に受け入れられる階層構造を作り上げたのだろう。
  1. 生理的欲求(Physiological needs)
  2. 安全の欲求(Safety needs)
  3. 所属と愛の欲求(Social needs / Love and belonging)
  4. 承認(尊重)の欲求(Esteem)
  5. 自己実現の欲求(Self-actualization)
  6. 自己超越 (self-transcendence)
ところがLv6の自己超越は誰も触れない。5段階としている。確かにLv6はマズロー自身の直感で作った面が強く、検証が不十分な面がある。悟りとかの世界にも近くてビジネス分野からは大きく外れる。だから5段階での参照が多い。けど、Lv1は三大欲求を全て含むからもうちょっと細かくしたい面もある。それに、それぞれの欲求のドライブ要因=根源が全部明らかじゃない。だからもうちょっとアレンジしたくて。
 
  1. 生きるために ← 生理的欲求(Physiological needs)
  2. 将来予想    ← 安全の欲求(Safety needs)
  3. 団体に属す安心 ← 所属と愛の欲求(Social needs / Love and belonging)
  4. 団体での上位   ← 承認(尊重)の欲求(Esteem)
  5. 死んでも名を残したい ← 自己実現の欲求(Self-actualization)
  6. 名を残したいを超越 ← 自己超越 (self-transcendence)
これが現在の私のアレンジ。Lv1の生理的欲求→「生きるために」は異論ないと思う。Lv2もそうかな。ただ、冬が来る前にどんぐりを集めるリスは「安全の欲求」に従っているのかな。あくまで本能であって、その行動は生理的欲求に属する話だと思う。Lv3も当然。将来何があるか完全には想定できない。不確定要素はゼロにはできない。そんなとき、「お互いに助け合う」関係があるのは心の安定になるから。愛より「助け合い」の方が奇麗事を抜いていると思う。

Lv4の承認とか尊重は奇麗事すぎる。もっとリアルな方がいい。どんな団体でも得する人と損する人はいる。全員が平等なんて有りえない。じゃあ、「損する人がなぜ属しているのか?」だけど、「無所属よりマシ」っていうだけ。「起業するよりはヒラの方が楽」という感覚。もちろん属するだけでなく、その中で上位/一目置かれる存在になった方が良いに決まってる。利益配分もしくは今後の方向の決定にどれだけ関与できるか。

Lv5の自己実現ってすごくカッコいいけど、個人的にはパス。「自分がいつか死ぬのを知ってしまった人間の業」の方がリアル。「生物というシステムは死があるけど、心というシステムには死がない」という達観は正しいと思うから。Lv5をこうやって再定義するからこそ、Lv6の納得性が高まるんだと思う。「自分の銅像を作りたい創業者」「自伝(日経新聞の私の履歴書も)」とかLv5の欲求であって、自己実現というより「名を残したい」の方がぴったりくると思うのだけど。

 



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