新コーナーを始めます(Adage)

今まで生きてきて、自分自身の中で結論が出たことって沢山ある。
恋愛系については曲とセットでHPやBlog1に書いているけど、内容的に音楽とセットで紹介できない事ってある。だから、今後はこの新コーナーに書いていきたいと思います。HP時代のETC配下にも無かった取り組みだけど、たまに後輩とかに言って、「なるほどぉ」と言われることが続いたので、公開することにします。

って、そんなに大したものじゃないし、何件になるか不明ですが、自分自身の中で結論が出た「生きる態度」について書いて生きたいと思います。





最低半年間続かない事は、人生において誤差

 『最低半年間続かない事は、人生において誤差』

継続的な努力の必要性って誰でも言ってる。どんな本にも書いてある。どんな学校のどんな先生も言う。
けど、出来ない人って多いよね。私もそうです。だからこそ、この言葉をいつも自分自身に言い聞かせてます。

継続的な努力の必要性を知りたければ、最近だったらイチローの本がいいと思う。個人的には「|羈慇犬悩限納圓砲覆襪燭瓩謀慘呂靴燭海函廖岫▲リックス時代の2軍から1軍への昇格」「B腑蝓璽按戦」といったキーポイントの中で、,一番気になる。けど、あまり見た事ないような。。知ってる人がいたらぜひ教えて下さい。

もちろん、そこまで凄い例じゃなくてもいい。ただ、他人に見える成果を出そうと思ったら、最低でも半年の努力は必須です。それをしない人は、結局、何処にも行けない。もちろん自分の学業・職業分野では、イヤイヤでもやっているから、年数が経てばそれなりになる。けど、社会人にとってのTOEICとか、「アクティブに何かを始める→それなりの成果を出す」と思ったら、最低でも半年間の努力は必須です。

テレビ番組でもそう。単純に眺めているだけでは、単なる時間つぶしだから。映画や音楽でもそう。単にHITしているという理由だけで聴いていたら、その時々の感動は重なるけど、やっぱり《人生全体》で見れば何も変わらないよ。別にHITや流行ってるを毛嫌いしているワケじゃありません。ただ、もしHITという方向性が好きならば、「次にHITするのは何か?」を意識しないと、そりゃ伸びないでしょう。

恋愛系でも同じだと思ってます。カップルとして半年間続かない恋愛は・・・とまで言う気は無いけど、半年間続かない《想い》はやっぱり人生において誤差でしょう。女遊びもそう。誤差の積み重ねは誤差でしかない。

もちろん最初から方向性を絞る事なんて、絶対に出来ない。だから《広く探索する時期》は絶対に必要。けど、そこでちょっと興味が出たら、とりあえずその方向性に絞って半年は続ける。そんな「広く探索→狭く追求→広く探索→狭く追求」を繰り返すリズムを持てる人が、一番充実した人生を生きてるんじゃないかな。追求だけでも、結果にどうしても結びつかない時ってあるし、次の「広く探索」に移れないと、やっぱり辛いしね。

個人的には、以下の割合だと思ってます。
,修發修癲峩垢追求」が決断出来ないタイプ=50%
決断しても追求が中途半端で終わるタイプ=20%
D謬瓩之覯未鮟个靴織織ぅ廖15%
ぜ最圓靴晋紊亮,涼戯が出来ないタイプ=15%

結果が出てない時に、△覆里?それともい離侫А璽困飽椶襪戮なのか、そこが難しい判断だよね。個人的には、本気で追求するなら半年は最低、1年で当然、3年を越したら、やっぱり振り返りが必要になると思う。,鉢△琉磴と妙な部分だけど、「そんなに金/時間かけてやってるの?」って言われても気にしない勇気だとも思う。そんな意味ではまずは半年・10万円かな。値段と期間は学生or社会人でバランスが変わるけどね。

その上で、,凌佑縫▲疋丱ぅ垢噺世┐弌△泙差く探索する方法自体の問題です。
何気なくテレビ番組を1ヶ月見てても、「ちょっといいな」と思わないなら、その探索方法はやめた方がいいね。周りの趣味が強い人に、何か勧めてもらうとか、色々と探索する方法は他にもあるから。

その上で、「ちょっといいな」と思った時に、とりあえず次の一歩を踏み出す勇気?やる気?が大事です。そういう心の奥底から湧き上がる「ちょっといいな」を、何の行動にも結び付けないと、本当に好きな事が出来る人生、本当に好きな人と一緒にいる人生のスタートラインにすら立てない。


個人的に一番大事なのは△糧焦間の努力の内容です。努力が必ず成果に結びつくワケでは無いのはご存知の通り。たとえ浪人生であっても、一年間勉強しても、ほとんど成績が伸びない人もいる。そういう人は勉強の仕方自体が間違っている。間違っている方法で努力しても、成果には殆ど結びつかない。ただ、何が良い方法か?については、分野・内容毎に違うから統一的な議論はできない。

そうずっと思ってました。「人生において誤差」は20歳の頃に見つけたけど、31歳になるまでずっと、「統一的な議論はできない」と思ってた。けど、今はこれが違う事を知っている。

それについては、来週で(笑

 



「結果で判断したら他人」「他人に過程の考慮を求めるな」

『結果で判断したら他人』
『他人に過程の考慮を求めるな』

給料を年功序列とかでなく仕事の成果で決めるのが成果主義。
巷では富士通が率先して始めて他社にも広がり、最終的に日本に根付かない:「成果主義の崩壊」とも言われた。けど、個人的には成果主義の考え方は基本的には間違っていないと思う。野球だろうとサッカーだろうとプロ選手は基本的に成果で給料が決まるのだから。事務系の仕事は成果を計測しにくいのは分かるけど、根本的に問題なのは「種をまいた人」と「実を収穫した人」の区別が難しいのだと思ってます。

だから「成果で測れない仕事はプロでは無い」という言葉は50%ぐらい真実だと思ってて、残りの50%がこのタイムスパンに関する話だと思ってます。そもそもスポーツはルールが決まっているからこそ、その場で白黒の判断がつく。けど新しい事に取り組んだら、最終的な成果として計測できるまでに時間がかかる。すぐお金に変換できる仕事は、株のやり取りにせよ法律の解釈にせよ、根本的に新しいモノを生み出しているのだろうか?と物づくりが矜持の工学部卒としては、思ったりもする。

うちの会社でも一応、成果主義ということになっているけれど、実際は良い意味で柔軟・悪い意味で曖昧な運用がある。だからあまり気にしてないけど、やっぱり期末の成績評価面談においては「他人に過程の考慮を求めるな」と自分自身に言い聞かせてます。

根本的には他人 or NOTを分けるのは「結果で判断するかどうか?」だと思ってます。
血が繋がってるとか、一緒に共有した時間の長さとか、相手の事をどれだけ知ってるかとか、そんなことは全く関係ない。たとえ家族であろうとも結果で判断しているのならば、頭の中では「この人は他人だ」と思って割り切った方がいいと思う。

「なんなの!この成績は。勉強してたって言っても部屋でテレビでも見てたんじゃないの?」
って発言は、純粋に他人の発言です。どんな相手であっても必要に応じて距離感を調整する訓練を、幼い頃から行っている方が人生を強く生きれる。もちろんそんな能力は社会人になっても有効です。「聞く事」と「心に入れる事」を切り離し、相手の発言の中の感情部分を削ぎ落とし、必要な部分だけ心に入れる態度。部長に怒られて激凹んでる同僚とかを見るとそう思う。ただ、やりすぎると恋愛で失敗するから注意が必要です。無意識的に距離感を調整しちゃうレベルになっちゃうと、Soulを聴き込まないと治らないだろうね。

もちろん個人部屋で何やってるかは親は分からないし、チェックされるのも困りモノ。だから勉強に疲れて部屋から出てきた時の何気ない会話。そんな一言に対する感度が大事になる。最近は「子供の成績がよくなる家」みたいな方法もあるみたいだけど、あまり信用してません。そもそもこの「リビングで子供が勉強するように仕向ける間取り」は、仕事で疲れたお父さんにはきつい。子供は子供で学校で勉強して部活もしてるのに、子供だけ家に帰った後も勉強しなくちゃいけないって、なんかおかしいよ。子供にやらせるなら自分でもやれ=風呂&ビール&テレビでスポーツ観戦が出来ないって事だから(笑。リンク先にある「間取り自体が要因となって、家庭が悪くなることはあっても、良くなることはほとんどない」は名言だね。良くなるにはメンバー全員の心がけしかないでしょう。

本人が落ち込んでいる時に、過程における努力を認めてくれる人こそが、心を開いて相談すべき相手です。
けど、知らず知らずのうちに自己憐憫に陥ってる事もあるんだよね。どれだけ努力したにせよ、成果が出なかった事は受け入れるべき事実であって、そこから目をそむけても先は無い。周囲が「いや、お前もよく頑張ったよ」と言ってくれても、やりすぎたら甘やかしになる事もある。

基本は「過程の考慮」だけど、場合によっては他人視点で冷静に諭してくれる。

ここまでしてくれる人こそが、親友と言うべきです。

同じ釜の飯を食べたとか、そういう単純な話じゃない。本当の意味での相手の立場に立てば、やっぱりたまには「失敗をちゃんと受けとめようよ」という言葉が口から出るのだろう。振り返ってみても周囲からよく言われてきました。あの頃はちゃんと聞けなかったけど、今から見れば何が正しかったかは一目瞭然だから。

美しき日本の伝統においては?、とことん過程を考慮してくれる母親と、とことん他者視線の父親というシステムが機能していた。今の世の中じゃ流石に難しいだろうね。どちらを突き詰めるのも難しい。嫌われると分かっていても言うべき事が言える父親は、やはり尊敬に値するのだろう。


個人的なことを言えば、最近は「どうやって接しよう」とはあまり考えてない。「相手の現状を受けとめなくちゃ」とか、「必要なアドバイスをしなくちゃ」とか、なんか両方とも思わなくなってきた。昔はここら辺で凄く悩んでいたのにね。自分が出来ることと、出来ると思う愚かさと、相手への思い。そんな部分の結論が30歳を越して見えてきたからだと思う。

先日、今年の新人の飲み会に誘われて出席してたけど、仕事でうまく行かない状態になっちゃった恋人への接し方を悩んでいる人もいて、なんか妙に昔の事を思い出してた。そういう時期なんだよね。社会人1年目のこの時期は。「分かる分かる」って言いながら、その彼とここら辺の内容を話してました。

椅子の上に立って「クリスマスにプロポーズしてきました」「ボーナスで指輪買いました」って、皆でやんややんやで飲んでいた人が3名もいたのにもびっくりしたけど。僕らが新人の頃よりも多いな。時代の違い?





卑下慢の戒め

『 二つ目の自慢:卑下慢の戒め』

仏教では自慢を二つに分ける。『増上慢(ぞうじょうまん)』と『卑下慢(ひげまん)』である。

半年くらい前に知りました。いい言葉だね。知るだけでも価値があると思う。「頑張れ」とかなら誰でも言うけど、卑下慢は30越して初めて聞いた。振り返ると二十歳前後は増上慢と卑下慢の両極端しか無かった気がしますが、若い頃に『卑下慢はやめろ』と言われたら、それだけで人生が少しマシになった気がする。『器用貧乏になるな』とは中学二年の頃に祖母から言われ、随分と大事にしてきたけれど、『卑下慢』の方もそれだけ大事にする価値があると思います。

本人は自分の力を控え目に言ってるつもりなんだろうけど、聞く側からすると不愉快になるレベルってある。けど、そういう時ほど言ってる本人は気づかないんだよね。あくまでも自分は爽やかで善良な人だと思いながら言っているから。そんな時ほど
「自慢はやめろよ」
「はっ?誰が自慢を言っているんだよ」
「自慢には二つあるんだよ。そういうのを卑下慢って言う。聞いている方が不愉快だからやめな」

これぐらいガツンと言うべきであって、それぐらいガツンと言ってくれる友達を大事にすべきだ。ある種の事は、ウダウダと理由を言う余地がないぐらいガツンと言って、それでもウダウダ言う人とは距離を置いた方がいい事もある。

「・・・分かったよ。けど、どうしても自分自身が弱くて、ポロっと出ちゃうんだよ」
「それは分かるよ。僕も弱いしね」

こんな会話の流れになるのが理想だと思ってます。ぐぐっても少ないので、あんまり広まっていない単語なのだろう。けど、この卑下慢という単語は広まるべき言葉だと思って本Blogでも取り上げました。




生きるとは《苦》だから

『自分で選んだ苦労』
『押し付けられた苦労』
人生はこの中から選ぶしかない

帰依している宗教は無いけれど、釈迦の言う「苦の分析」についてはそれなりに考えてきた。この前も原始仏教の本を読んだけど、こちらのコラムが非常にまとまって書いてくれてます。

原始仏教の目指したものは人間の苦のメカニズムを解き明かし(この場合“苦”というのは上手くいかないことくらいにとらえた方がいいと思います)、その苦のメカニズムから脱却する考え方(フィロソフィー、無理に訳せば哲学ですな)を示したものなのである。
苦というと、苦悶、苦行、苦役、苦労、のようなネガティブなイメージなので、橋爪大三郎氏などは極端なニヒリズムととらえている(橋爪氏著「世界がわかる宗教社会学入門より」)。人生を苦と定義するので仏教をペシミズムという学者もいる。
たまたま中国語に訳したときに“苦”という文字をあてたので、仏陀は人生をネガティブに考えたと解釈する人が多いが、筆者は“苦”=思うようにならない、 うまくいかないという意味に解釈していて、この解釈から考えると、“一切皆苦”とは人生はうまくいかないことだらけだ。という意味になる。人生とは不幸な ことばかりだ。ともいえる。そのうまくいかない人生をどう生きるかというのがもともとの仏教のテーマなのである

ただ、このコラムの著者もなぜ苦になるか書いてない。「原始的かつ生存的に必須な欲求が苦を生んでいる」と釈迦が喝破したと個人的には理解したけど、もっとシンプルな話しだと思っていた。

「他の生物を殺して食べている時点で、のほほ〜〜んと生きる事は許されてない」

この説明が一番、心情的にしっくりくるんだよね。誰が許してないのか?といわれたら、やっぱりこの地球や宇宙や生物界をデザインした人なんだろう。そういう意味ではIDの立場に一番近いのかも。生物発生確率を考えると「たまたま偶然だ」というのは奇異に感じるから。この世は誰かが意図的にある目的でデザインしたのだと思っています。すると、ポイントはそのデザイン者が現在もどれだけタッチしているか?になる。それが今でも有形無形に影響を及ぼしているとみなすなら普通の宗教だし、全く影響を及ぼしてないと考えるのならば、この考え方は宗教でも無いと思う。はてなのIDの説明は、その点でネガティブすぎじゃないかな。個人的に思うIDは、「この世は偶然」か「誰かが意図した」かの違いであって、偶然でこれだけ精緻なものは出来ないと思っているだけなのですが。だれかちゃんとIDについて客観的にWikipediaに書いて欲しいかも。

個人的に信じている法則は、因果応報だけだし、これも宗教というよりも、この世は最初からそういう風にデザインされたんだと思っています。

よく「自分は誰にも悪い事してないのに、何故こんなに不幸なの?」という考え方を持つ人がいるけど、「肉たべてるでしょ?食べる毎に死んでる生物がいるんだよ」でOKな気がする。本当に誰にも悪い事したくないなら、ベジタリアンになるべきだと思う。個人的には普通に肉も食べる(焼肉はそんな好きじゃないけど)。ただ、ここら辺にも疑問があって、動物を殺すのは良くなくて、植物ならOKという説明もなんか納得いかない。

仏教は「殺す時に鳴くものは食べちゃいけない」から、にんにくの茎は曲げるとキュッと音がするから食べれないとも読んだ事があるけど、植物だって生きているわけじゃん。動物と植物で分けるのは正しいの?欧米では牛や鶏も「神様が人間のために作った」って思ってるんでしょ。これと「お米は食べるためにある」って本当に本質的に違うと言える? 確かに「血が出ない」は一つの指針。けど、植物だって切るときに樹液が出るしね。樹液と血はそんなに違う?よく日本の鯨と欧米の牛を比較するけれど、生きてると言う意味では全て等価だから。

だから他を犠牲にして生きるためのエネルギーを得ているモノは、肉食だろうと草食だろうと、やっぱりそれ相応の「生きているという業」を背負っているし、理想は平等な恵みである太陽光をエネルギーとする植物なんだろう。けど、動物として生まれた自分が植物になることだけは地球が逆転したって不可能だから(笑

そういう事を考えると「じゃあ、そもそも何で生まれてきたの?」という根本的な話しになって、そりゃ両親がSEXしたからに決まっているけど、別に子供として生まれてくるのが自分じゃなくても良い訳で、その発想は霊魂の独立性を認めることになる。個人的には死後の世界や霊魂の独立性は死んだら分かるんだから、今から焦って考えなくてもいいと思ってます。「死んだら考えられないジャン」という意見もありそうだけど、考えられないなら別にそれはそれでいいや、と思ってます。因果応報を信じている立場から言えば、現実で応報が十分に機能しない場合(そういう事はあるでしょう。いくら上手にデザインしてもこの世は《人の海》の中だから、うまく立ち回って散々酷い事しながらベットの上で死ねる人もいる)、死後の世界で応報になるだけだと思ってます。
この現実で因果応報としての決算をちゃんとつけてる人は、わざわざ死後の世界を気にする必要は無いハズ。

そんな意味で、個人的に大事な事は、「他の生物を食べている時点で、それにまさる何かしらの貢献を求められている」という一言につきる。もちろんすぐに貢献できるほど人生は甘くない。けど、その方向い歩いている限り、人生の決定権は自分にくると思ってます。「人生はなんで苦労ばっかりなんだろう?」と考えるよりも、「苦労して成長するのが正しい道で、生きている価値はそれしかない」と考える方が正しいと思う。そういう意味で、God sent her the challenge that would change her lifeアルバムの冒頭にもってきたSyleena Johnsonと同じ立場だね。救いじゃなくて試練を与えるのが真の神。

だから「ID&初期設定条件のみ」という中の初期設定に「人生における必要な苦労の量」が決まっていると思ってます。ただ、苦労の内容ぐらいは選ぶ権利がある。その権利を使わなかった人は、誰かが勝手に決めた内容で苦労する羽目になる。今、不本意な苦労をしていると感じる人は、今までの生きてきた間にその決定権を使ってこなかったんだよ。それがシンプルなこの世の答えじゃないかな。見返してごらん。泣きたくなると思うけど、気づく場面はあるでしょう。

そして苦労自体の量を減らしたければ、菜食主義者というのは一つの方法だと思ってます。今の自分はまだそれを選ぶつもりは無いけど、食事の無駄は非常に罪が重いと思ってます。そういう意味では昔の一般的な日本の教えのところに戻ってくる。

「感謝して食べなさい」「食事を粗末にしてはいけませんよ」

単純に伝統に価値を置く事は無いけど、シンプルに考えを突き詰めていくと同じ場所にくる事がある。食べるという行為の重さは、食事に恵まれず、直接、動物を殺めてきた先祖の方が痛感していたのだろう。自分たちが殺して、食べて、だからこそそれらを祭ったのが、日本の祭祀の一つであり、アイヌの人々も同じように熊を祭っていると読んだ事がある。「神様が人間が食べるためにつくった」よりも、殺めて食べる動物自身への感謝の念の方が良いと思うのだけど。そんな伝統というか日本的な感性の土壌の上に、やっぱり自分もいるんだなぁ・・・とたまに痛感する事がある。

30年も生きてきて、自分と周囲と上の年代を見てこれば、「結局の所、人生は平等なんだな」と痛感すると思う。もちろん生まれた場所は千差万別だけど、それは単なる初期バリエーションであって、どんな場所にも幸福も不幸もあり、幸福を増やす生き方をする人もいれば、不幸を増やす生き方をする人もいる。これだけだと思ってます。30過ぎても不平等だと思っている人は、苦労してきた中にどれだけ身から出た錆びがあるか真面目に考えた方がいい。振り返ってみても、これまでの苦労の半分以上は身から出た錆びだと思ってます。高校時代があんなんだから、大学時代に二度も入院する羽目になる。

現在の立場はそれなりに恵まれている部分が多いけど、ここでお気楽に生きていると、絶対に「押し付けられた苦労」がやってくるんだよねぇ。だからこそ心を締め直さないといけないと最近つとに思ってます。

あ、そうそう一つだけ。
会社の先輩でベジタリアンの人がいる。日本じゃ珍しいんだけどね。そしたら、たまたま先日のお客様との飲み会で、お客様の一人がベジタリアンだと知った。宗教的な信条とかでなく、本人たちは「なんとなく」と言っていうのだけど。前々からベジタリアンは気になっているので、色々と調べてます。

「卵、牛乳、魚」の取り扱いでベジタリアンもレベル分類されるって知ってるかな?
うちの先輩はかなり魚も食べない人です。奥さんとお子さんは普通だから、まあよく奥さんはそんな旦那の口に合う料理を作っているなぁと、そちらの方を尊敬している部分もあるけどね。上でも仏教についてなんちゃって理解で書いているけど、宗教家のベジタリアン率も興味があって調べています。すると有名な宗教家は見事に皆がベジタリアンなんだよね。そういう意味では、ベジタリアンこそが正しいし、いつかそちらに行かなくちゃなぁと思っているのは事実。
その上で、

「ベジタリアンじゃない人は宗教家じゃない」って明言すべきだと思うな。
凡人が普通に持つ欲望を抑えるからこそ宗教家なのであって、食欲・性欲・睡眠欲のうち、食欲と性欲はトコトン抑えるべきでしょう。それでこそ人格の高潔さを尊敬できるのだから。釈迦も30過ぎて子供もそれなりに育ってから出家したらしいから、個人的にはそういう生活に憧れてもいるんだけどね。

今までの宗教の根本的な間違いは「若い頃に欲望を抑えすぎ」なんだと思う。それが人間原理的に無理だから、東洋でも西洋でも寺や教会で男色に走ったんだと思っています。いや、どちらもこっそり女性を連れ込んでいたんだ。ここら辺を全く知らない人は、織田信長とチョーザレーボルジアを読めば伝わると思うよ。
若い頃の性欲なんて完全に抑えるのは不可能なんだから、若い時に十分経験させて、逆に30過ぎてからの宗教的な生き方を、今後は広めていくべきなんだと、そう思っているのも事実。年取れば、性欲も減るし、肉を食べたいという気持ちもへる。それは自分の10代と30代を比較すれば一目瞭然だからね。

「食べるのは自分で絞めた肉だけ。基本的にベジタリアンになったんだ」
米SNSフェイスブック(Facebook)の創業者マーク・ザッカーバーグ(Mark Zuckerberg)氏(27)が食べる肉は、自ら絞めた動物のものだけ―― このような記事が26日の米経済誌フォーチュン(Fortune)に掲載された。
というニュースを先日見たけど、これってベジタリアン??? けど、殺す場面に立ち会うのは非常に良いことだと思う。以前に品川の港南口を歩いていたけど、見学コーナーって無いんだよね?もし仮にあっても、いく勇気は僕は無い・・・。YouTubeとかにはとさつの映像があるのも知っているけど、見る勇気も無い。勇気は無いし、肉は食べるし、だらこそせめて他の苦労ぐらいはしょうがないと思ってます。

そうそう、もう一つだけ。

一番正しい生命が植物だとしたら、そもそも、なぜ動物が生まれたのか?

初期デザインの中に生命だけでなく、いつか動物が生まれるようになっていたんだと個人的には思ってます。昔、色んな本を乱読している時に、「神様はいつか自分自身を認識できる存在を作りたい」という説を読んだ。なんかこの説って、全知全能の神様でも一人ぼっちで寂しいのかなぁっていう気分になって、結構好きです(笑 こういう事でも誰か一人ぐらいは真面目に考えてもいいのかもねって、あの頃、素直に思えたなぁ。

植物は非のうちどころの無いエネルギーの摂取をしているけど、残念ながら出来る事が少なすぎる。一部の動物もそう。変温動物は基本的に日光浴しなくちゃいけないから。普通の哺乳類もそう。基本的に必要最低限だけ食べて、後は寝てる。僕らから見れば「気楽そうだなぁ」と思うけど、必要以上を食べようとしない、実は正しい態度なんじゃないかと思ってます。

そんな意味において、人間だけは食べて寝るだけでは満足できず、それ以上の何かをしようとする。だかこそ、苦しいし、辛い面もあるし、もっと食べようとして太る。。けど、そのプラスアルファが持つ可能性が大事なんだと思ってます。神様も勝負に出たというべきか。最低限の衣食住だけじゃ満足できない生物を作る事は、かなり勇気がいると思うけどね。けど、真の未来はその先にあるというのも、よく分かる。そんな意味では、プラスアルファの可能性を高価な服、広い家、豪華な食事の方向に歩く人は、根本的に理解が足らないと思ってます。

起きて半畳、寝て一畳
やっぱりこれが一番のプリミティブでしょう。そのベジタリアンの先輩は、会社に入った時に荷物がボストンバック一つだったから、そういう意味でも尊敬してます。僕なんて、CDの山・紅茶の山で、ルームシェアの同期がびっくりしてたからなぁ。ホント、エゴが多い。


以前に神様は苦労がお好き?と書いたけど、そんな意味では、こういう態度は二十歳の前ぐらいからだから、もう15年は経ってるね。この文章にもIDちっくな発想があるでしょ。あの頃はIDなんて言葉を知らなかったけど、この考え方は使い方によっては非常にナイスだと思ってます。仏教の本を乱読してた時の感想はこちらです。

もし、引きこもっている人が何かの縁で此処に来てしまったのなら、一つだけアドバイス。

引きこもるのは全然構わない。
けど、肉は食うな。
姿勢は気にしろ。ネットはやるな。
そして、自分が気になる事をとことん真正面から考えろ。
昔の人も、偉人ほどそうしてきた。
達磨大師が洞窟で引きこもってた時のように、部屋で引きこもれ。
そこまで行けば憧れの人生の一つだ。




二世はなぜダメなのか?

「二世がなぜダメかって?そりゃ当然だよ。宝くじ一億円以上を二回連続で当選した人ってないだろ」

と言ったのは誰か忘れました。昔、この文章を見たとき「そりゃそうだ」と思ったのは事実。けど、世の中には溢れるほどのダメな二世と、極々わずかの出来る二世(一番は室伏親子かな)がいる。だからもうちょっとちゃんとした理由があると思ってた。個人的にその結論を見つけたと思ってたけど、特に周囲に聞きたがる人も多くないテーマだから(笑 

今日、森元首相の子息、森祐喜氏の死亡記事を読んで書く気になった。この文書を読んで、二世論にちょっとでも興味がある人が正しい接し方を少しでも意識してくれれば、二世にとって生きやすくなる世界になると思うし、もし二世のプレッシャーで悩んでいる人のヒントになればと思って。
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実は二世は以下に分類できると思ってます。

〕名度分類
■リアル二世
■なんちゃって二世

∋期分類
■アーリー二世
■レイト二世

〕名度分類はシンプルに親の有名度です。日本人なら全員知ってるような人の子供はリアル二世。一部の分野で有名だけど、一般的に知られてない(卑近に言えばテレビが取り上げない)人の子供はなんちゃって二世です。けど、実はこれは相対的に捉えるべきで、大事なのは「親の情報を自分でコントロールできるか」です。自分から親の事を言えば、「へーそんな親なんだ。すごいね」といわれ、以降、相手は二世として見てくる。けど、自分が黙ってれば相手は何もしらない。この区別がリアル/なんちゃっての世界。

たとえば、野球部で活躍している男の子の親が甲子園出場の経験を持っていたとする。その情報が最初から同級生の間で広まっていれば「リアル二世」になるし、同級生や監督が知らなければ、彼はその情報を言う/言わないを選択できる。ならば「なんちゃって」です。当然ながら、「なんちゃって」の方が二世病になりにくいです。


∋期分類も大事なポイントで、これは親が有名人なことを周囲が知るタイミングです。周囲と社会的な関係を作っていく12才-20才の間に親が有名人だと結構辛い。逆に社会人になった後でどれだけ親が有名になっても「自分は自分だ」という基盤があるから、そこまで二世病にならないと思う。そんな意味では、スポーツ選手のピークが30歳台のため、子供が中学生の頃には名声を得ている機会が多いからアーリー二世になりやすいと思ってます。同じようにアイドルや俳優の子供のアーリー二世になりやすいかな。遅さ咲きの芸術家とかならレイト二世になるけど。

政治家の息子でいえば、40歳で首相はありえないけど、偉くなる政治家は40歳の頃に1,2回は当選しててその地域では有名人だろうから、やっぱりアーリー二世になりやすいかな。学者の子供はノーベル賞という意味ならレイトだけど、教授という意味なら本当に有名な学者は40歳前で教授になる人もいるから、アーリーの場合もあるかもね。


そうそう二世病っていうのは、以下の症状を指します。もちろん該当する項目が多いほど重病

 崋囲は必要以上に親と自分を比較する」という被害妄想がある

△修鵑兵囲を「いつか見返してやる」と思っている
こういう態度だから上手くいかないし、幸せにもなれない
た討魃曚垢里鯆めて、やけっぱちで刹那的に生きている



もし皆さんがいわゆる二世に会ったことがあるのなら、こういう態度は比較的容易に想像できると思う。二世がこのように世の中を眺めてしまうのは、今までの周囲の態度の裏返しの部分もあるから、単純に本人が悪いとは思わない。もちろん親(一世)が悪い事も多い。一世はその分野で成果が出ているからこそ、それにかかりっきりになって子供のことまで意識が向かないのが一番の理由だろうね。けど、それ以上に自分自身と比べて「俺のようになれ」「俺が辿った道を同じように歩け」まで言い始めると、処置なしでしょう。ここまでアホな一世だと子供は冗談抜きで将来に引きこもり金属バットになるかもね。

>森元首相は27日午前、能美市内の自宅前で記者会見し、
>「父親としての私の存在が重いハンデになったのかもしれない。そういう意味ではかわいそうなことをしたと思う」と述べた
・なんでクソ野郎に育ったかよくわかるコメントだな
・プレッシャーじゃなくてハンデかよ ワロタ

この赤字で色つけたコメントを書いた人は非常によく分かっている。それに感動してこの二世論を書く気になった。この赤字の人たちが言うように、「プレッシャー」じゃなくて「ハンデ」というのは、《同じ道を歩け》という思想から出てくる言葉だから。この発言を読んで、色々と裏を言われる森子息に少し同情する気になったのは事実。


根本的になぜ二世がダメになるのか?
それは、褒めるタイミングと叱るタイミングが真逆になるからなんだよね
周囲がそうなってしまうのは、ある意味しょうがない。
だからこそ、一世はそこまで踏まえて子供に接する必要があるのだけど、
それが出来ている一世は1%もいないんじゃないかな。

それだけです。なぜ、真逆になるかって、たとえば有名野球選手の子供を考えてみよう。その子が6才?10才?ぐらいで子供野球に参加したとする。するとその子供のパフォーマンスは他の子供を越すのは当然なんだよね。その理由は単純に遺伝でもいいけど、個人的にはそれまでの生活の中で親を見ているからだと思う。たとえば、親が素振りをしてる姿を見るだけでも、そこら辺の教材の100倍の臨場感なのだから。もちろん小さい頃から何気なくキャッチボールをしたりバットを振ったりしてるだろうしね。そのときの何気ない一世のアドバイスが、すごく価値がある場合も多いだろうしさ。

だから、その状況での二世は「流石は〇〇の子供だ」と絶賛されるワケですね。けど、それは本人の努力ではない。遺伝と環境の結果。努力する前に褒められると、人はスポイルされる事が多い。ただ、この時の一世は「いや、うちの息子はまだまだです」と言うだろうし、実際にプロの視点から見れば、色々と直すべき点が見えてるだろう。この一世の言葉は本心からの言葉だし、周囲の悪影響のある賞賛を下げる価値がある。この点では一世は普通に接して上手くいく。

失敗するのは、普通の人なら褒められる場所になった時です。たとえば野球なら甲子園とか。甲子園で活躍したら賞賛されるよね。そもそも甲子園なら出場しただけで賞賛されるし、一世だってそこで賞賛されたでしょう。けど二世は甲子園出場が「当然」扱いになって、そこで活躍しても「君の親はもっと凄かった」と言われる。これが辛い。本人が努力して得た結果が自分に返ってこないってのは、簡単に言えば「盗まれた」ということ。こうやって当たり前の賞賛がないと、いったいどこまでいけば自分は正当に評価されるのだろう?」と思えてくる。ここら辺から二世病が始まるんだよね。

もちろん周囲には「凄いね」と言ってくれる人もいる。けど、一世のことを知った上で「すごいね」と言っても、その言葉を100%本心から言える人(そこまで人間が出来ている人)は、この世に5%もいないんじゃないかな。もちろん親子なんだからついつい比較するのは当たり前だし、そこで周囲を恨んでもしょうがないのだけどね。一番問題なのは、その時の一世の態度。自分より低いパフォーマンスに、口先だけでも「お前はよくがんばった」と言えればそれだけで賞賛できると思う。本心から言わなくてもいいよ。ある分野のトップクラスが全員聖人君主だったら世の中はとっくの昔に良くなっているから(笑 そこまで求めたら酷というもの。

たとえ口だけでもいいから褒めてあげる。けど、それが出来ない人が多いんだよね。。一番酷いのは自分よりも上のパフォーマンスの時にでさえ「俺の息子という立場上、これぐらい出来て当然だ」と言う一世。子供と張り合ってどうすんの?と純粋に思う。チンケな父親ほど子供と張り合うからなぁ。森元首相の発言を見てると彼はこれに近かったんだろうなぁと思ってしまった。


以上です。

二世が多い分野は衰退してる&本当の評価が出来ていないというのは正しいと思うし、政治家に二世が多いのは腐敗の証と思ってた。けど、最近は、本当に社会を良くしようと思ったら、一世代で出来ることはわずかなんだと思い始めた。そういうのは日光と安土城跡を見れば一目瞭然でしょう。3代までしっかりした人が出て、初めて社会と権力は安定して後世に残せる文化遺産も出来る。いくら一世が凄くても次が続かないと城跡しかない。そんな意味では、親コネ・アメリカ留学の麻薬覚えてくるボンクラ二世じゃなくて、正しい二世が多い国になるように、この文章を書きました。

市民運動出身の管さんの息子、源太郎氏が選挙に出馬したのは、最近は個人的には納得してます。世界を見渡すと親子二代でノーベル賞や親子で金メダルはあるけど、親と子がノーべ賞と金メダルは流石に無いんじゃないかな。まったく違う分野なら比較しようがないから、二世病になる確率も断然下がるし、逆に普通より褒められることもあるかも。

けど、「蛙の子は蛙」とはよく言ったもので、親とまったく違う分野で成功するのはやっぱり難しい。だから、同じ分野の方が辛いと分かっていても、どうしてもそれを選んでしまうこともある。その中で、結果を客観的に判断されるスポーツ選手の二世はがんばってるなぁと思う。環境的にはパーフェクトだっただろう一茂やカツノリを見ていると、彼らの結果こそが、遺伝と育てた環境で決まるものであり、彼らと親との差が、周囲が出来ることの証左なんだと思う。

プロにはなれる。けど、そこで偉大な記録が残せるかは、周囲の反応にかかってる

二世の人にアドバイスをするなら、中・高校生の段階で、親を知っても「がんばったよね」と本心から言ってくれる同性の友人と、異性の恋人を探せばいいんじゃないかな。周囲全員の人間が出来ていることは有り得ないけど、一人ぐらいならいるかもよ

逆に二世の人が、「こんだけ色々書いてるお前はどうなんだ」というならば、こんな感じだけど、それは別UPで。





座禅ノススメ


 今日、コンビニに行ったら、手相占いとかの本に混じって「はじめての禅」という本があってびっくりした。中身をぱらぱらめくってたら、禅宗の紹介から始まっておうちで座禅のコーナーもあった。女の子がふっと手に取ってしまうカバーといい、時代はそこまで来ているのね。昔は座禅なんて変わり者の最たるものみたいな扱いされたけど、座禅自体にネガティブな印象が無くなりつつあるのは非常に良いと思う。もっと前からそんな雰囲気になってれば、飲み会とかで普通に「家でたまには座禅してるよ」と言えたのになぁ、、とさえ思ってしまった(笑 以前にも座禅をテーマに書いた身としては、ここで時代に乗り遅れない?ために、改めてちゃんと書いてみたいと思います。

ちなみに横の画像は若き日のジョブスです。ジョブスが禅:Zenに入れ込んでいたのは有名だけど、このTIMEの表紙はかなりいい。結跏趺坐の上にmacを抱えているポーズが堅苦しくない禅への距離感を見せていて、本論のイメージ画像として最適と判断したので、チョイス。

〆汰気箸蓮意識を保ちながら寝てる状態と同じ脳波を達成するのが目的。リラックス&発想力
完全に目を閉じないのも寝ないため
独特の手の形:印は寝てるかどうかをチェックするため。指が崩れたらそこで気づける

サイトなのか本なのかも忘れたけど、以前に上記のような文章を見た。非常にシンプルにまとまっていて素晴らしいと思う。今まで意味も分からず印を結んでいたけど、そんな意味があったとはね。。普通、印は臍の前で両手で組む形なんだけど、個人的にはいつも両膝の上にそれぞれ手を置く形にしてます。なんか、こちらの方がしっくりくるから。印の形とそこから導ける発想の違いについては、もうちょっと調べたいと思っているけど、密教みたいな複雑な印までするのはビビってます。

12歳前後の頃、漫画?で、「夢の中で、今自分は夢を見てると気づいたら、普通はその瞬間に目が覚める。けど、そこで目が覚めなければ、夢の内容を自由に変えれる」という話を読んで、非常に興味を持った。それ以来、何度かトライしたけど、一回だけ目が覚めずに夢の中にいつづける事が出来たときがある。その時は「じゃあ、空でも飛んでみるか」って飛んでたんだけどね。

そんな意味でも、瞑想状態というのは「意識がある&寝てる時と同じ脳波」と定義すればいいでしょう。ただ、個人的には座禅中に寝るのは全然構わないと思う。自分自身も座禅中に眠くなったらそのまま布団に入って寝るしさ。座禅なんて、必要性があって初めてすればいいのであって、寝ちゃうぐらいの問題意識の時はすぐに寝ればいい。個人的に座禅というのは「何も手がつかない」「寝付けない」時にするものだから。もっと根本的に考えれば、

そもそも何故、人が座禅をする必要があるのか?
座禅とは「複数の感情がぶつかった時」や「感情と意志がぶつかった時」の解法だからだと思う。意志の強さで抑えれる位の出来た人には座禅は必要ない。寝付けない夜、ムシャクシャした気持ち、そんな時ほど座禅。もちろんそこでお酒を飲む人もいる。気分転換にゲームとかする人もいるし、オヤツとか食べ物に流れる人もいる。

けど、あれこれ考えて寝付けない夜の一番の最短ルートはとことん正面から考え抜くことで、
そのための戦闘モードこそが座禅。もちろん戦う相手は自分自身の弱さと愚かさ。それこそが座禅だ。


これまでの個人的な結論として、座禅をしないと結論が出るまでに3ヶ月ぐらいはかかる。そして、その間は迷ってて効果的な行動がとれない。結局、結果は運任せになる。座禅をすると悩む期間が3日程度になって、その後は的確な行動がとれる。もちろん、いつも座禅をするわけじゃないです。2ヶ月に一回ぐらいかな。


先日、大学時代の友達が遊びにきて色々と話し込んでた。
部署が変わって、上司と仕事に悩んで寝れない日もあるらしい。「俺はチャレンジ精神が無くて・・・」と言ってた。そこまで冷静に自己分析してるなら、あと一歩なんだよね。その一歩こそが座禅で得られると思う。
「え、大学時代におまえそんなことしてたの?」
「あれ、言わなかったけ?別に隠してたわけでもないんだけどなぁ。けど、いまの君の状況なら座禅でもしてもうちょっとその先を考えてみたら?」
ということで、ここに書いたようなことを喋ってました。そんななんなでここに書いてます。


座禅のフォームとは?
座禅の足の組み方は、股関節の柔らかさと関係あるから、無理して結跏趺坐は必要ないと思ってる。椅子の上に座るのも個人的にはアリだと思う。そのコンビニの本も椅子での座禅を紹介してたしね。個人的には半跏不座をもっと崩してます。ただ30分以上してると、段々足を引っ張りあげて半跏不座に近くしていきます。時間が長くなるほどちゃんと体重を分散できるフォームが必要になるから。座禅用の布団はミニバランスボールを使ってます。そこら辺はこちらに書いたとおり。

一回の座禅の長さは?
考えるテーマによって違うので10~45分ぐらいの幅があります。流石に一時間以上は出来ないです。もちろん一回で決心できない時もある。けど、大体3回ぐらいすれば、次の手までの決心は出来るから。その迷いの無い行動こそが、一番必要。

座禅中に集中できない人は?
正式回答は「呼吸を意識しましょう」なんだろうけど、個人的にはもうちょと楽にしていいと思ってる。だから、以前に書いたように、その時の気分にぴったりくる音楽を聴いてます。やったことはないけど、台所の蛇口から水をポタ・ポタ・ポタって流すもいいかもね。そうそう部屋の電気も消して真っ暗にしてます。「寝れるなら、寝ればいい」というスタンスなので。


ちょっと締めが悪いけど、今思いつくことは全部書きました。何か質問・疑問があったらコメントください。



占いについて-手相と人相

 一般的な説では、女性の方が占いを信じるらしい。朝の情報番組での占い情報も基本的に女性向けらしい。女性とうまくやる男性は常にチェックしてたけど(話のつかみにはいいよね)、自分はパスだと思ってた。というより占い自体をあまり信じてなかった。誕生日関係(星座占い・四柱推命)は特に信じてない。なぜかって、高校時代に誕生日が一緒の同級生がいたんだよね。今まで365人以上の同級生に会ってきたハズだけど、同じ誕生日って彼女しかしらないなぁ。そして見事なまでに全く似てなかった。逆に似てると言われたらあの娘は嫌がったんじゃないかな(汗


そんな中でも手相は妙に信じてます。血液型の4分類は大まかすぎるけど、手相は完全に同じ人はいないだろうしね。「指紋でもいいじゃん」とも言われそうだけど、指紋は形のバリエーションが少なすぎて、そこから意味を読み取るのに苦労するのだと。

手相とは運命を表すのでなく、思考パターンを表すものである。人間の脳と一番つながっている器官は手であり、手の各部の発達状態が対応する脳の各部の発達状態に関連する
という説を読んだ事がある。もう5年以上前なので正確な引用はできない。最近は手相芸人の人もいるけど、この説を見たことある人は少ないと思う。よく手相では右手を見るのか左手を見るのかで意見が分かれるけど、単にそれぞれ「左脳と右脳に対応している」でシンプルにOKだと思う。一般的に左右の手相が似ているのも脳の両半球が似ているからなんだと。人間の将来を決めるのは、その人の考え方や受け止め方の癖なんだと思う。ポジティブシンキングがベストとは思わないけど、不健康な思考回路って確実に存在するから。

結婚線って小指の付け根だよね。運命の赤い糸って小指を結ぶよね。
この両者の関連については真面目に考えても良いと思う。小指には何かがある。こんなに使わない指なのにね。手相脳機能対応説でも小指に対応した脳の機能の分析は無かった。だからこそ個人的に考えてみたい。

‐指に対応するのは、現実と理想の着地点を見つける思考回路
⊂指に対応するのは、そばにある小さい幸せに満足できる思考回路
結婚してない男女には怒られそうな気がするけど、結婚している男女は同意してくれるんじゃないかな。,鉢△倭瓦違うことを言っているように見えるかもしれないけど、それは違うよ。この二つは皆が思っている以上に重なっています。さすがに100%とは言わないけど、80%は重なっていて「遅い朝ごはん」と呼ぶのか、「早い昼ごはん」と呼ぶのかの違いぐらいしか無いと思ってるのも事実。ツボ理論によれば、直接作用できなくても対応するものに刺激を与えることで間接的に作用できるのだから、婚活するならまず小指体操から始めるべきだと思っている面もある。結局、いつもマイナーな考え方をしていて、その割には直感と考察には達成感があって、だから変わり者なんだけど。。

ただ、手相なら100%信じているわけでもない。手相で一番ベースになっているのは過去からの膨大な蓄積(偉い人の手相を分析した)といわれるけど、それは職業と手の関係も大きいと思うんだよね。たとえば知能線。「頭がいい=文字が書ける」のが人類の歴史の基本であって、識字率が50%を超えたのは世界でみると50年以内の話。すると筆を持つ事で鍛えられる手の部位が頭脳線と認定されたと思っているんですね。けど、今の時代は筆記用具よりもPCのキーボードだから。そんな意味では知能線の発達は本当に現代も正しいの?と思ってます。結婚とかプリミティブなことは今も昔も一緒だと思うのだけど。

手相を良くしたいのなら、自分で線を書いちゃえばいい
と3年ぐらい前にある雑誌で見ました。マニアックな雑誌なのでこの場でリンクを張りたくないのだが、あの雑誌はキムタクも福山も鳩山妻も読んでいるらしい。ほんとか(笑 この説、結構好きです。下手にお守り買うよりも、直接手に線を引くほうがダイレクトでいいんじゃないの?と思ってる。「線を引くことでそこを意識して、意識が向けば通常よりも使う機会も増えて、最終的にそういう思考パターンになる」とまあ風→桶よりも無理があるけど、ノリとしては嫌いじゃない。実際に本に書いてあった通り赤いマジックでやると目立ちすぎるけど。「金運なら金色のマジックで」って、それはさすがに休日でもやれないぞ。だから個人的にはオレンジか黄色をお勧めします。意外と平日でも目立たないので。お勧めの線はやっぱり覇王線



人相占いの方は説明もいらないでしょ。誰だって占いと思わずに普通に顔で判断しているのだから。それは単純な作りじゃなくて顔から受ける印象の方が大きいんじゃないかな。美人を見たって「冷たそうな人だな」って感じる人もいるのだし、イケメン見ても「女癖悪そう」と感じる人もいるし、これってやっぱり人相を見てるんだよね。手相でも話したけど、人間の脳と一番関連するのは手じゃなくて顔という説もあるらしい。ただ、表情はかなり誤魔化せる部分があるから注意が必要です。「作り笑い」に気づけない人は、失敗してもしょうがない気もする。

そうそうひとつだけ。
小指に対応した脳機能には上記の´以外にも大事なポイントがあると思う。結婚とは誰かと一緒に生活をすることなのだから、それが生理的に合わない人は、結局スタイルの押し付け合いになって長く続かない。
小指に対応するのは、相手の存在によって自分が変化していくこと受け入れる思考回路

                                                          以上

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個人的なことを少し。手相にこだわっているのは個人的な理由がある。それは左手だけがますかけだから。

その運勢は浮き沈みが極めて激しく、大成功の後の大失敗、大失敗の大成功と両極端。一時の損失もすぐに取り返してしまう程、運気に上下があります。また性格としては頑固で意地っ張り。一度言い始めたらテコでも動かない根性の持ち主といえます。マスカケ線を持っている方で成功するかしないかは、運命線と太陽線の状態によるでしょう。運命線および太陽線が明確に刻まれているならば、マスカケ線の良い意味合いを発揮して力強く発展していくでしょう。逆に運命線も太陽線もろくに刻まれていない場合、人当たり悪く個性が強すぎる悪い意味合いが全面に出てくることとなりますこちら

織田信長も徳川家康もますかけだったらしいが、私は運命線も太陽線も中途半端なので見事に下線部に該当しているんですね(笑 先日、TVで手相芸人が芸能人の手相を判断してる時に「はるな愛」を筆頭にあそこら辺の人たちのますかけ率が非常に高くてちょっと凹んだ。。ただ、自分のますかけは割り算なんだよね。いつも手相の本を立ち読みしては割り算の絵を探すのだけど、一度も見たことないから不満大だったりする。手相の本の中では一番詳しいといわれるこの本にも無かった時はショックだった。手相脳機能対応説でいえば、ますかけの人はありえないニューロンの結合があるってことなんでしょうかね〜。

最後にもうちょっと。
星座占いは全く信じてないといったけど、いて座といえば二面性なんだよね。なんでも下半身が獣で上半身が人間だからこそ、根源的に二面性らしい。そこがふたご座の二面性とは違うと。そういう意味では当たっている気もするのは事実。誕生花:あおきの花言葉:「初志貫徹」も確かに納得したしなぁ。そしてあの娘のこと。高校時代は全く似てないと思っていたけど、それは生まれた境遇というか家庭の違いであって、根本的などうだったのだろうね? 今頃になって似てる面もあったかもしれない、と思うようになってきた。やっぱり誕生日が一緒だと、誕生日がくるたびにちょっとだけ気になる面はある。星座占いでも四柱推命でも「生まれた時に一番輝いていた星」をベースに考えるらしい。今みたいに夜空に全く星が見えない時と違うからこそ、星を意識するのも当然か。星座自体は宇宙の星々に形を当てはめたものであり文明・文化によって違うから、大事なのは星座の核となる星なんだと思う。西洋の星座占いにおいては、自分のしたことは宿星まで届き、そこから跳ね返ってくると読んだことがあるけど、結構面白い考え方だと思う。





脳トレ→知のアスリートを目指して

 「頭を良くするにはどうすればいいか?」

そもそも何をもって「頭を良い」とするのか大前提があって、とりあえず思いつくのは以下の3つかな。
ゝ憶力がいい
発想力がいい
O斥思考がいい

昨今、流行の「地頭がいい」とは記憶力以外の部分に焦点を当てていて、それは「一般的なテストの成績が記憶力と効率的な勉強方法で決まる部分が大きい」ことに対する反省なんだと思ってる。記憶力が良くて色々な知識があればあるほど、自由な発想は制限されることが多い。逆に全くベースが無い状態で発想しても、お好み焼きにケチャップかけるぐらいが関の山だとも思ってる。自由な発想では論理的な整合性を一旦横に置いた方がいいけど、実際の現実世界に落とし込む時は、矛盾の有無は非常に大事だしね。

そんな意味では、これらの中のひとつだけを選んで鍛えるのには危険も多いと感じてる。全て均等に伸ばせればいいけど、それはなかなか難しい。ただ、これらの能力を支える共通基盤が存在していると思ってて、その基盤を伸ばすのが指体操に代表される脳刺激や、通勤電車の中でやってる人も多い数独だったり、DSで脳トレだったり。もちろんこれらには効果があると思っているけど、もっとプリミティブなベースラインがあると思ってます。

野球選手でもサッカー選手でも一流になると左右両方を使えることが多い。スイッチヒッターだったり、左右の足でゴールを決めれたり。これは知の分野でも同じだと思う。ダビンチが両利きだったように、歴史上の有名人でも両利きの人がそこそこいるのもそう。一番影響されたのはある本。名前を忘れたから正確な引用が出来ないけど、「もともと人間は右利き・左利きという区別は無い」 生まれた時から片方の手しか使わなかったら、残った手は足の指ぐらいしか動かなくなる。だから自由にしておけば子供は素直に両手を使って遊ぶし、片手で遊べる器具も、たまに持ち替えて遊んでいるという事実。だけれども、スプーンや箸やクレヨンのタイミングで親が片方に固定しようとする。その時、たまたま右を使ってたら右利きになるし、左を使っているフェーズなら左利きになると。
この本を読んだときに、じゃあやっぱりいつかのタイミングで、両利きを目指すのが本当の自然な発達だと思ったワケです。それが25歳前後。

ということで、ここでは両利きになるための私が実践してきたステップをご紹介しようと思います。
一般的な両利きの人って、左利きが矯正された事が多いのですが、私は純粋に右利きでした。これまでに両利きの努力をしたのは、中学のバスケ部で左でドリブル練習をやったぐらいかな。そんな人が、「利き手の逆側でも普通に字が書ける」のを目指すためのステップです。もちろん逆の手で包丁が扱えるとか、バットで打てるとか色々とあるけど、まずは「字がかける」のが大きな目標だと思うので。


〆玄蠅濃磨きをする
∈玄蠅妊院璽織い鯀犧遒垢
左手でマウスを操作する
ず玄蠅妊肇薀奪ボールを操作する
ズ玄蠅波い鮖箸
左手で字を書く

これが私がやってきた経験を基にご提案するステップです。
ちまちまやってきたので全部で6年ぐらいかけてΔ泙罵茲討泙后0媼嬰にやれば1ステップ3ヶ月〜半年ぐらいでいけるかもね。最初に,鬚笋襪箸曚辰擇忙ブラシがあたりまくりで痛くなります(笑 △麓造呂笋辰討泙擦鵝あんまりケータイメールを使わないので、,亮,豊をやってました。最初の山場がかな。左手で普通にエクセルやパワポの資料が作れるようになるのにはそれなりの時間が必要です。

PCを操作してたら「あれ?左利きだったけ?」と会社で何度か言われたことあります。「PC操作は左と決めているので」といつも答えてました。「ふーん(まあこの人変わってるからなぁ)」というのが一般的な反応でした(笑 トラックボールは左手用が売ってないので、両利き用(人差し指用)を買う必要があります。あれ、昔より安くなってるなぁ。昔は7000円ぐらいしたのに。トラックボールで普通に操作ができるようになれば、イ呂修鵑覆剖賚しません。そして最後の山場がΔ任靴腓Α

今、Δ鮗茲蠢箸鵑任い泙后0媼嬰に左手に切り替えて3ヶ月ぐらいかな。仕事はPCで操作が多いですが、自分のメモとかは左手で書いてます。国語の学習帳も買って、一日一ページを練習してます。もちろん普通のノートのA掛の幅にも左手で書いてます。やっと右手の80%の速度で書けるようになってきました。字の綺麗さも70%ぐらいになってきたかな。目標達成の9合目ぐらいまで来た感覚です。あとちょっとだね。左手で包丁は迷ってるなぁ。

これだけやって何か変わったのか?具体的にお見せできる結果はありません(笑 
左手は右脳につながり、右脳はイメージ操作がメインらしいですが、うーんどうだろうね。ただ、こういう効果の確実に出る努力の積み重ねとその達成感が、次の意志を生むベースになるので非常に大事だと思ってます。逆上がりや縄跳びの二重跳びとか、子供の冬休みの目標じゃないけど、大人もこういう目標を立てて地道にやる事があってもいいと思ってます。仕事の目標は他の要因が大きすぎて、努力したのに上手く行かなくて凹むことも多いからねぇ。もっとシンプルに努力が報われる世界があってもいいし、そこでの努力が最終的に仕事等でも好影響を与える分野、といえば間違いなく両利きだと断言しておきます(笑

興味がある人はお勧めですよ♪





ビジネスにおける頭と口の関係

最近はお笑い番組の影響からか、昔よりも口=コミュニケーション力を意識している若い人が多くなっているように感じる。それは非常に良い事だけど、会話をリードしていくには大きな方向性を見据える必要があって、そこでは計画性に代表される頭脳の価値が下がった訳ではない。そもそも根本的に「社会人として何が一番大事で、それと頭(学歴)&口(コミュ力)の関係はどうなっているのか」を大枠として理解するのが必要だと思ってた。

僕自身がこれだけ頭と口にこだわっているのは、大学時代の友達の卒業後を見てきた経験が一番大きいと思う。学科300人中、TOP3の成績だった研究室の同期は、社会人8年目になって音信不通になってしまった。メールと携帯の契約は切れてないようだけど、僕も含めて友達らが何度も連絡を取ろうとしても返事は無い。その彼は真面目で頭も良く非常にイイ奴だったし、社会人になった後もお互いの家に遊びに行ったり新宿でビリヤードしたりする位に仲も良かったから、個人的にも非常に辛い。会社で色々あって一度転社したのは聞いてたけど、今はその会社も辞めて実家でひきこもっている可能性が高いと、仲間内では話してた。そんな彼は、昔から本人も認めるぐらい口下手だった。

逆に授業は代返&テスト前にノートを借りるのが当然で、いつもバイト&コンパだった友達は、結婚式で上司から「○○クンは非常に仕事ができる。彼がクライアント先に行くと、お客さまが彼のために飲み会を開いてくれるから」と言ってたのが非常に印象的で。そりゃ彼は昔からトークが上手かったけど、やっぱりビジネスでも大事なのね、、、と痛感したワケですね。ビジネスにおけるコミュニケーション力の理想がどこなのか実感できたという意味で非常に良い経験だった。

私自身の大学時代は個人的な興味を最優先して、年間のテレビ視聴(地上波)が10時間未満のような生活だった。もちろんコンパで話題が合うわけもなく、学業だって専門外の本を意識的に読み漁っていたから成績も合計では真ん中ぐらいだった。イイ意味?で開き直った社会人一年の時は、新人のプレゼンコンテストで同期300人中1位だったから、喋りの部分では昔から得意な所もあった。根本的に「何気ない会話」が一番苦手だったから、そこら辺を社会人になって改善しようと努力してた結果は、こちらのコミュニケーション力向上第X弾を読んでいただければ伝わると思う。

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前置きが長くなって申し訳ないです。社会人になって10年目。このレベルで何か価値があることを言えるとも思わないけど、今の自分が感じている社会人における頭と口の関係についてまとめておきたいと思います。

ビジネスとは突き詰めると、説得である。
相手が納得できる落とし所を見つけて、そこに持っていくには頭も口も両方必要。


これが今の私の暫定解です。お客様に商品を買ってもらうのにしても、上司に業務報告をするのにしても、全てに共通するのは相手を説得することであり、自分側の利益を確保しつつも相手が納得できる形にするのが何より大事だから。そのためには頭も口も両方いる。

人は感情がベースにある生き物なんだから、どれだけ理論的に正しくても、それだけで納得してくれるワケじゃない。たとえば今話題の放射能や除線費用に関してもそう。結局は発ガン性だし、それは日本のほぼ全てで放射能の発ガン性よりもタバコの発ガン性の方が大きい。だから除線の前に分煙を徹底して欲しいと思うけど、その順序で納得してくれる人は少ない。税や社会保障や生活保護も論理的に考えると、一体化&消費税増税と税体系の簡素化&ベーシックインカムに落ち着くと思うけど、それで反対する人も多いしね。消費税については免除基準や、輸出戻し税、生活必需品の税率据え置きとか色々議論すべきところはあると思ってるが。この世の基本として、

正しさだけでは人は動かない。
正しくないと長くは続かない。


これが全てじゃん。


・自分の意見をシンプルな形でまとめること

・相手の言っていることを的確に理解すること
これらは学校の勉強の出来とそれを見る単純な尺度である学歴で大体は把握できる。だけど
・押す場面と引く場面を見分けれること
・相手を楽しい気分にさせること
・感謝し、感謝されること
・新しいこと(プロジェクトなり販路なり)にチャレンジする態度
これらは学校の勉強とは全く関係ないからね。

特に頭が良くて生理的にも曲がったことが嫌いな人ほど「相手を楽しい気分にさせること」に無頓着なのが困りモノ。「社会人ならお世辞の一つぐらいちゃんと言えよ」という先輩からのアドバイスに「そんな社会人にはなりたくない」と思う人こそが、実は大問題。

恋愛だろうとビジネスだろうと、最後の一押しは「一緒に いたい/仕事したい」になって、その決め手は「楽しい気分になる」だから。楽しい気分になるには、根本的に相手の価値を認める必要があるし、そこでお世辞は必須。なのに


お世辞は必須
が分かってない人が多い。お世辞を真正面から考えずに毛嫌いし、言う人を「口だけ」と見下しているような人に向かって書きます。それはちょうど学生時代の自分自身であり、頭さえあれば道が開けると思っていた過信に対する戒めでもある。

お世辞は正誤でなく器の問題であり、
お世辞が言えない人は正しくても器が狭い。


そもそも「お世辞=嘘」という理解が根本的に間違っている。たとえば、髪の毛が薄い上司に対して、「髪フサフサですよね」って、それは言ったら殴られるぞ(笑 基本的には「同年代と比べたら普通じゃないですか」とか「僕もその歳になったら同じぐらいになってますよ」ぐらいを言えればいい。え、同年代より絶対ハゲてるって?その同年代ってのは今までに貴方が見てきた中での話でしょう。完全に正しいワケではないじゃん。え、アデランスの資料に書いてあった? それはアデランスの調査の中での結論じゃん。「アデランスの調査」と「上司との友好な関係」を秤にかけて、アデランスをとりたければ文句は言わない。 けど、根本的に物事を評価する軸や目盛りには色んなモノがある。お世辞をいえない人は、今の自分が持つ目盛りと軸を過信しすぎているんだよね。それがこの10年の結論。

爽やかなお世辞をさらりと言える。それが出来るビジネスマン
巷にはコミュニケーションに関する本が山ほどあるし、僕も山ほど(30冊以上)は読んだ。けど、根本的には一番苦手な所を一番最初に潰すのが正しいと思っているし、それがお世辞だと。

その上で、どんな内容の会議であっても、相手が誰であっても、一回は笑い声を引っ張り出す。ここを目標にして、毎回反省点をメモって次の改善点を考えていけば、いつかコミュニケーション力=口がビジネスにおいて足を引っ張ることは無くなる。そこまで行ければゴールだよね。

あくまで口は口だし、理系出身だから?口だけでポイントを稼ぐのは生理的に合わない。けど、ビジネスの現実から目をそむけ、口から逃げ、結局、仕事でも成果を出せない/他の人の成果になってしまうのだけは、やっぱり人生において負けだと思うから。昇給や昇進の遅れが負けなのでなく、大事なことから逃げたという点で負けなのだと。




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