最高傑作不動明王 〜未来編〜

「おまえ、この先のこと、真面目に考えてるか?」



これまで最高傑作の不動明王は浄楽寺だと思っていたけど、まさかもう一つ存在するとは。。。 あの不動明王本でも取り上げられているが、写真が粗過ぎて分からなかった。現物を目の前にして痛感。この真木大堂の不動明王は日本最高傑作です。

「怒りの深さ」は、受けとめる側に「愚かの深さ」がないと、分からない
殆どの不動明王は単に怒っているだけ。怒るのが仕事だから文句言う話じゃないけど、「怒りの深さ」は歴然とある。この二つの仏像はそれぞれ旧国宝の重文。だから国宝を選びなおした時、選定者は「愚かの深さ」がなかったのだろう。そして、仏像=画像情報を言語にすることも出来なかったんだね。

浄楽寺の不動明王の表情を一言で言えば、
お前がお前なりに苦労してきた事は分かっている。
けど、お前はやっぱり愚かだったのだ。


この時点で最高傑作に決まっている。浄楽寺の不動明王の写真は顔のアップが出回っているから、センスがある人、行き場のない愚かさを抱える人が見ればこの言葉が伝わる。そして、この真木大堂の不動明王のメッセージが冒頭に掲げた、

おまえ、この先のこと、真面目に考えてるか?

感動というよりも放心。床に座り込んで10分以上、眺めてた。そして色々と分かってきた。はっきりいって、この仏像の火炎(迦楼羅焔(かるらえん))は邪魔。後から作った(江戸時代?)らしいが、火の鳥の顔になっているデザインはファンキーでレベル高い。個人的にはガッチャマンの被り物を連想させて親近感もおぼえる。

けど、せっかく未来を見つめている不動明王の視線を塞いでる。
殆どの不動明王は視線を観覧者に合わせてくる。もちろん相手の目を見て怒るのは基本中の基本。浄楽寺であっても見据えてくる。けど、この不動明王だけは視線を斜め上に外すんだよね。それがオンリーワンでありナンバーワン。帰ってきてネットを探すと顔を抜き出した解説を見つけた。写真サイズから想定するに公式版を切り取ったのだろう。せっかく顔を抜き出してもコメントは火炎だけ。内容を読むとかなり仏像に詳しいのにね。あの不動明王特集本でも触れてないし、ネットにもいない。だから、未だかつて誰も気にして無い。それは逆に僕だけ愚かな証明かもしれないが、、、

仏像にハマるなら、同時に己のカルマも見つめないと
 




初めてこそ最高の登山体験を


「高尾山は麓から登りました。次はどの山がオススメですか?」 会社で趣味は登山・珈琲と言っているから、たまに聞かれることがある。「うーん、東京近郊ならばケーブルカーからの標高差600mの大山かなぁ。けど、個人的にはもっと高い山に行って、ちゃんと富士山を眺めた方が感動すると思う。そんな意味でイチオシは金峰山かな。5人以上そろったら連れてってあげるよ」

昨年の4月、瑞牆(みずがき)山荘までの登山バス運行開始と共に登ってきたけど、あの時は頂上から富士山が見えなかった。富士山が見えるまでは何度も登るの主義なので、秋に再び行こうと思っていた。大弛峠(おおたるみとうげ)は富士山の5合目よりも高い。車でいける地点としては日本で最も高いから、登山の初心者でも誘おうと思っていて。

それだけでなく、夏頃に兄貴に言われたんだよね。「うちの子を高尾山に連れてってくれないかな」「あんな簡単な山なら君らの家族で行きな。同じ300mの標高差だったら日本で一番高い峠から横移動で頂上にいける金峰山の方が絶対にオススメ。俺は幼い頃に仁藤さんに富士山とか色んな山に連れて行ってもらったのは感謝してる。ああいう登山体験こそ子供に与えるべきなんじゃないか」「君の持論はとてもよく分ります。仁藤さんに富士山へ連れて行って貰ったことは、僕も財産だと思っています。 ただ、うちの子は保育園児(年中)で、まだ昼寝も必要な年頃のため、往復5時間のハイキングは、残念ながら、現時点では現実的な選択肢ではなさそうです。《略》 小学校に入った後なら、なんとかなるでしょう。またその頃に、ぜひご相談させてください。 」

会社の新人達は合計4人だったけど、元から縦走予定だったので、連れてくことにした。11/3に行ったけど、その前日に雪が降ったため、木々に薄っすらと雪が積もっている状態。「お兄ちゃんたち、今日は本当に良い登山日和だよ。一年間でも一番良い日じゃないか」と登山バスの運転手さんに言われるぐらい。当然、富士山も見える。4人とも2000m級の山は初めてだったけど、(1人は高尾山すら登った事なかったけど)、それでも特に問題もなく頂上まで往復しました。

大弛峠に夕方戻って彼ら4人は下山。途中で「花かげの湯」で温泉に入って、東京に着いたのは21時前。僕はそのままテント泊で奥秩父縦走してきたけど、次の日はもう雪が全部解けてた。そんな意味でも粉雪をさっと振りかけたような淡い雪景色の登山。登山道は普通にスニーカーでも歩けるのに、この風景。奇跡のような一日だった。




石と意志 〜原宿にある硬派な鉱石店「コスモスペース」〜


このコーナーでは巨石を紹介するのがメインだけど、この店だけはどうしても紹介したくなった。巷ではパワーストーンが流行ってる。手作りアクセサリーの材料を売ってる店にもそういう一角はあるし、占いとセットになった店も多い。けど、個人的にはパワーストーンは曖昧な部分が多すぎる。

 〕浪鮨緇修量簑
◆|綽А染色の問題
 地獄界と巨石とパワーストーンの関係

,砲弔い討録佑砲茲辰涜崚戮違う。ここら辺が模範解答なのかな。個人的には天然派。その上で、日本で唯一の水晶がご神体の金峰山の頂上に持っていってパワーを注入することが大切だと思っている。△問題。人間では区別できないレベルまでいってるんだって? いまLinkを引っ張って来れないけど、wikipediaでなんかの石の説明に書いてあった。ここら辺は突き詰めると「すっぴんと化粧の関係」と同じなのかも。こういう意見も納得する。ヒーリング効果とか精神的なパワーとか、科学的に単純に証明できる世界じゃないからこそ、よりラディカルになるのかもしれない。については純粋に自分の中の整合性の問題。岩が地獄界とマッピングしているなら、宝石はどんな魂? 「石の世界にも地獄と天国がある」という説明も可能なのかもしれない。そんな意味では、巨石を見て、水晶ブレスレットをして、チグハグかもね。


石のもつパワーに依存しない。あくまで整流作用・清流作用だと考える。
結局、一番大事だと思っているのはこの態度。零から有を生むワケじゃない。石界(Stone Layer)でそれが可能ならば、生命界が存在する必要は無いのだから。顔色が心身状態のバロメーターだとすれば、身につける宝石の輝きも心身状態のバロメータ。もちろん、顔色は物質レイヤー・感情レイヤーだし、宝石の輝きは体を包む○○や△△レイヤー(何か用語があったはずだが忘れてしまった)。

 

石は意志をクリアにする。

 

そんな意味では、そもそも石を扱っている店のオーナーの意志こそが大事だと思っている。石と人との正しい距離感。近すぎることもなく、遠すぎる事もなく。

 




金太郎岩



金時山の下山中、大きな石が目に入った。コケや草や低木も生えていたから形が分かりにくいけど、巨石に見えた。石を囲むように進む登山道を下って正面に降りた時、「金太郎宿り石」と書いてあった。想像以上にでかい。そして、とっさに桃太郎岩を思い出した。あちらの方が岩になにも付着していないし、一回り大きいと思うけど、この金太郎岩もなかなかのもの。ネットで調べるとかなり写真がある。関連画像に桃太郎岩が出てくるのだから、よっぽど皆、この両者の関連が気になるのだろう。

こちらの金太郎岩は注連縄があるから岩の間に入れない。というよりも、桃太郎岩に注連縄が無い事が異常の気もするけどね。しょうがないから岩の前で祝詞。岩のサイズはこちらの写真の方が分かりやすいんじゃないかな。

沼津に住んでたころからずっと金時山は行きたかったけど、愛鷹山とか登っているうちに月日が経ってしまった。今回は12/30に新宿から高速バスで一気に乙女口の登山口。登山というよりハイキングレベルだけど、 頂上からも綺麗な富士山が見えて良かったです。確かに高尾山の次のステップアップには丁度いいんじゃないかな。12/30なのに思った以上に頂上に人がいてびっくりしたけどね。

 

■浦島太郎岩
さてさて、この2人の太郎の岩があるなら、やっぱり気になるのは浦島太郎。けど、浦島太郎岩と検索しても出てこない。唯一は寝覚ノ床か。木曾御岳は幼い頃に登山・スキーで何度も行っているけど、ダムが出来て景勝地としての良さが減ったときいたことがある。本当ならば、水しぶきをあげながら川が流れていたのだと。

どちらにせよ、この文脈でいう浦島太郎岩ではないから、本当の浦島太郎岩は海中にでもあるのかもね、とふっと思った。

全体的には桃太郎岩の方が感銘度数は高いのだけど、この金太郎岩をもっと下ると公時神社奥の院の岩がある。こちらの岩は凄く物悲しくて、二つに綺麗に割れた岩を見慣れた立場から言うと、まるで流産した魂のよう。金太郎には弟が生まれるハズだったのかもね。ここら辺の感想は、両方見た人ならば感じると思う。想像以上に公時神社はよかった。金太郎は幼名。本名は坂田公時。神社の名前も公時神社。ならば、金時という名前は改ざんだね。それが分かっただけでも行った価値はあった。
 




名古屋に過ぎたる二つの美術館

「家康に過ぎたるものが二つあり 唐のかしらに本多平八」
「駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠」


なぜだか分からないけど、過ぎたるものは二つ。それが日本の伝統だと勝手に思っている。ならば、

「名古屋に過ぎたる美術館が二つあり ティファニー美術館とマコンデ美術館」
93年当時かな、何かの記事で知った。知った時には両者とも名古屋から移転をしていた。そんな面でも「過ぎたる美術館」だったのだろう。高校時代はよく今池にあったペルー民芸品店や本山にあったアフリカ民芸品店に通ってた。だからこそ、19の夏に友達誘って伊勢に移ったマコンデ美術館まで行ってきた。車の免許とって1年も経過してなかったから、当時の伊勢志摩高速道路の片道一車線の運転に疲れたという記憶が頭の片隅に今でもある。

あれからちょうど20年。昨年秋の不動明王の時に「黒檀の不動明王」と言われて、「マコンデ行かなくちゃ」と思った。彫刻の素材としては石が一番なのかもしれないけど、個人的には稠密な漆黒をもつ黒檀をNo1としたい。ここまで素晴らしい材料を家具に使うなんて勿体なすぎる。マコンデ美術館についてはこちらに書いたので、ここではその他の話題として、名古屋の美術館・博物館を考えてみたい。

現在、名古屋にある美術館・博物館で一番の全国区は、長久手にあるクラシックカーを集めたトヨタ博物館だと思う。美大生がスケッチにくるというのはダテじゃない。名古屋駅からちょっと離れた陶磁器のノリタケが運営しているノリタケの森もイチオシ。ここでは皿に絵付けができるのもポイント。僕は白峰三山を描いた。富士山が描かれた皿はゴマンとあっても、日本2位と4位が並ぶ白峰三山を描いた皿はもっと増えていいんじゃないかな。

もちろん名古屋の美術のSoulは徳川美術館。尾張徳川家の美術品を保管している本美術館がなくなれば、名古屋は名古屋じゃなくなる。それぐらいの位置づけ。その上で、日経サイエンスで連載していた博物館レビューで絶賛されていたトヨタ産業記念館。 入口にある円形の織物機は豊田佐吉の見果てぬ夢。それにしてもあの博物館レビューは凄かった。もう5年前なのかな、10年前かな。外国人の方が書いていたけど、本気の愛と情熱があった。あのレビュー文章は自分自身の目標の一つ。レビュー文章だけを単行本にする価値がある。


最初の話題にもどる。20年ぶりのマコンデ美術館は昔と同じたたずまい。おかしいよね、本当ならば東博で企画展をやるべきなのに。そして島根に移転したティファニー美術館。今回、改めて調べたら閉館してるんだね。この先、どこに移転するのだろう? どれだけ誘致されようとも、流石に島根だと大丈夫かと当時思っていたけど。。。今では箱根のラリック美術館もあるけど、やっぱりティファニーも見てみたい。

 




子供の育成? 極論から言えば「活字慣れ」「コミュ力」の伸ばし方

 

■行き過ぎた教育ママができるわけ

タイトルは『公立小中高で子供の教育費をカットしながら学歴社会で圧倒的にひとり勝ちする方法』だけど、主旨はこっちだと思う。このブログはポジショントークも多いが、今回は全てに同意。特に「なぜ人はお受験をするのか」「キラキラ女子は夫の金を使い切ることに異常に執着する」の考察は素晴らしい。その先に「多くの派手な女性の教育観は狂っている。原因は不明」と掘り下げているのも凄い。

 

「進化の過程で、なぜそのような母親の性質が淘汰されずに残ってきたのか、いまだによくわかっていないが、とにかく子育てにおいて、こうした女性の脳の欠陥は警戒すべき点である。」と書いているけど、これは当然のような。あまりに外部の制約条件が多ければ、ハメを外せる確率が限りなくゼロになって、淘汰する必要性がなくなると。
 

一つ前の記事の

受験勉強そのものだって、理論的にはもっと効率のいいカリキュラムを自前で組むことは可能です。なぜならば、塾や私立学校などの受験産業のカリキュラムは、受験での合格には完全には最適化されておらず、受験成功と塾や学校の収益最大化というデュアルマンデートになっているからです。
 しかし、もっと理想的なカリキュラムがあったとして、それを親がかかりっきりで子供にこなさせるのは労力的にも、子供が反抗期になって親の言うことを聞かなくなるなどの実務的な点でも現実的ではありません。家庭教師を雇って、カスタムメイドのカリキュラムを子供にやらせるなど、途方も無い金がかかるでしょうし、それが上手くいく保証もありません。なぜならば、子供の偏差値を上げることにおいて、カリキュラムの良し悪しは大きなファクターではないからです。やる気がもっとも大きなファクターで、塾で同じ目標に向かってみんなががんばっているという環境に放り込むことこそが、大抵の場合、もっとも上手く子供のやる気を引き出す方法だからです。

この部分も凄く納得。

 

ただ、根本的には「活字慣れ」と「コミュニケーション力」の両極端をどれだけ伸ばせるかだと感じてる。会社の新人教育担当として、「本を読む習慣」をつけさせることに四苦八苦している身からすると、テレビ系の映像メディアだけから情報を得ることの不十分さを最初にガツンと痛感させないと。私の現在の結論は以下

 

‘睛討亮莠料択の幅が狭い

続けることでレベルアップ(スピードアップ)にならない

B真瑤鯊仂櫃箸靴討い襪里如¬菊颪雰誅世砲覆蠅ち

 

TV番組は何チャンネルだっけ?スカパーとか入ってディスカバリーチャンネルとか見ればかなり取捨選択の幅は広がる。Youtubeなら無尽蔵。けど、学べる番組はまだすくない。大規模公開オンライン講座:MOOCとか揃ってきたから、今後は状況が変わる可能性はあるけど、まだ,詫効と思ってる。個人的には、最初から録画予約するモチベーションはもう無いのだけど、、全番組録画機を買って、本当に必要な番組だけ後から見たい気持ちはあるけどね。

 

△亘榲に本を読む習慣がある人は全員納得するんじゃないかな。別に速読法を学ばなくても、自然と読むスピードはあがる。ぺらぺらめくりながらつんどくするのも可能。これを映像メディアでやるのはホント不可能。早送り再生は特別に音声処理できる機能がなければ、1.5倍が限度。その機能があっても2倍がMAXでしょう。Youtube系はネットワーク帯域的につんどく不可能。

 

そして、本当に大事なのはだと思っている。結局、TV番組ではごく一部の尖ったもの以外、一般常識かプラスアルファぐらいしか学べない。「TV番組で話題になった企業を、その番組を見て株買うなんて遅すぎる」のは、ちょっとでも株やれば誰でも痛感。もちろん自分のメインジャンル以外なら、その遅さでもいい。けど、メインおよび周辺3,4つジャンルをTVから情報仕入れる時点で、このネット社会では遅すぎる。本であれば一般常識になる前の多様な見解が得られる。当たり外れも大きいからこそ自分の取捨能力が鍛えられる。結局、本当に大切なのは一流の人のブログやツイッターだろうね。僕が佐藤一郎氏のツイッターだけは毎週チェックしているのもその理由だから。

 

で、「活字慣れ」にもどる。こんなのはぐたぐた考えるより、

 

「幼い頃に同じ絵本を何度も読み聞かせる事に親の側が耐える」

「小学高校学年から大学生になるまでは、漫画以外の本・ハードカバーは自由に買っていい(こづかいとは別の特別予算)」

「トイレに小さい本棚置いて、面白そうな本を置いておく」

 

の3つ。理由は以前に書いたから省略。だから両親には深く感謝してます。「コミュ力」は親から学んでないから特に言う事ない。どうやって身につけたかは、ここら辺で散々書いているから苦手と思う人は読んでみれば?

 

公立だろうと私立だろうと関係ない。そんなことより「自分で設問を立てるセンス」「それをずっと(数年間)考え続ける力」が大事だと思っている。二十歳の頃から散々読んで、「西洋文明に属する人は神と意思をアプリオリとするからダメだ」と痛感した。年末から

 

善悪と正邪と聖と神の定義。本当に芸術の先なのか??

 

に拘っているけど、こんなのは唯一の絶対正しい答えなんて無い。どうしたいかだけ。個人的には芸術の先にこれらを配置するモデルがしっくりくる。やっと、その構成がおぼろげながら見えてきた。この設問がどれだけ意味があるのかなんて本人は分からない。お金になる仕事の遥か手前の状態。けど、俺は楽しいし、苦しいし、やりがいは何よりもある。本人がトコトンやりたいことを邪魔するような了見の狭い親にだけはならないように気をつけないとね。アインシュタインの言葉を噛みしめて。

 

快適な生活と贅沢こそが人生の主な必要条件であるようにみんな考えがちだが、幸福になるには何か熱心に取り組める対象があればそれで十分なのだ。
"We act as though comfort and luxury were the chief requirements of life, when all that we need to make us happy is something to be enthusiastic about."




コミュニケーションにおけるメッセージの洗練が芸術

AIにおける美と聖と性について昨年末からドツボにハマってる。

以前にクリアしたと思っても、より前に進んで問題意識も深くなると、以前の解答の荒さに耐えれなくなる。こうやってゴールが遠ざかる・・・

 

 

「哲学の道」じゃなくて「登山道」ならばヒントが思いつくかもと思って金時山に行ってきたけど、そんなに世の中甘くないか。だからもうちょっとインプットも必要だと思い、元旦と二日目を費やして小林太市郎氏の著作を読んだ。これだけ有名な人だけど、今まで全く知らなかったです。昨年、月刊誌『選択』の新連載で知った。

 

まさか著名な尾形光琳の『紅白梅図屛風』を下記のように述べるとは・・・。

中央の水流は、光琳が手をつけた奉公人「さん」の女体で、仰むけにのけぞった顎から胸の線が左で、右は巨大な尻だという。左の白梅は光琳で、その枝は手のように肘をまげて乳の先をまさぐっている。そして樹根は恥骨をたたきながら「どうだ。俺のは太くて固いだろう」と得意がっている。右の紅梅は、光琳のパトロンであり愛人でもある銀座役人の中村内蔵助で、後ろから襲いかかろうとするところを大きな尻でドンとはねとばされたため、驚いて両手を上げ、一物勃起したまま突っ立っているところだというのだ。 この説を述べたのは、決してポルノ作家ではない。神戸大学教授も務めた美術史研究者小林太市郎である。

 

この絵は伊豆のMOA美術館で見ているけど、確かにこういわれると、そう見えてしまう・・・。

選択の連載でも「この説は一度知ってしまうと、どのように記憶をリセットしても、そう見えてしまうので注意が必要だ」と書いてあるのも納得。もちろん連載にはこの解釈にいたった背景も書いてあるので、そこもふまえて同意できるのだけど・・・。この解釈が面白かったので、小林氏の経歴を調べ、著作を買う事にした。まさか西田門下に芸術論に行った人がいたとはね。これは絶対に抑えなくては、と。

 

長い前置きはこれぐらいにして、小林市太郎の芸術論はこちらに要点を纏めたので、これをベースにAIにおける美と聖と性について掘り下げていきたい。

 

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まず小林氏の「人間とはなにか」については、肯定も否定もない。人間の抱える悩みの根底に「欲」があるのは釈迦が言った話で、すべての人間理解の基本だと思っている。それを生まれる前からの原罪とみなすキリスト教との差も、実はそんなに大きくないと感じてる。だから、ベースが「欲」だとしても、そう捉えなくても、結局はそれが原因で動くのだから、あとは欲の中身とバランスでしかない。例えば承認欲・貢献欲がダークサイドになると名誉欲・権勢欲=命令欲になるのであって。

 

根本的には「欲」を無くす方法であって、初期仏教にも四諦八正道とかあるけど、これだけじゃ凡人は無理っていうのが一番の事実だと思ってる。こういう事を言うと天罰モノかもしれないが、そもそも釈迦だって、若い頃は皇子として綺麗な奥さんや第X夫人がいて、旨い物食べて、そういう生活をしてたわけじゃん。そりゃ過剰すぎる豪華さを体験した人は空しさを痛感するよ。問題は体験してない→憧れている人に、「どうせ欲を満たしても空しいだけだぞ」を痛感させる方法なのでは?? 

 

ネット世代以降の若い人に草食系が増えているのも、単純に「女性の裸画像の入手のし易さ」だと思ってる。僕らが中学生のころは、コンビニ自体の数が少ない・置いてなかったし、エロ本を手に入れるには、誰かのお兄ちゃんが集めたものをこっそり見るか、中学の学区に唯一あったそういうお店の店頭のエロ本自動販売機で購入するか、すげーハードル高かったわけだから。今なんて、ちょっと検索すればゲロしたくなるぐらい見つかる。欲望初期に大量に与えられると、逆にその欲望が育たないんだよね。車もそう。学生時代に親から買ってもらった人ほど、車に拘ってない。彼女はいても車が無くて悔しい思いをした人ほど、就職したら百万以上のローンで有名な車を買う。けど、大体、30過ぎるとどっちでも良くなる。そんな感じ。

 

ここら辺を踏まえると、もっとバーチャルリアリティーが発達し、金持ちになっても子供達が遺産相続で骨肉の争いするとか、イケメンモテモテでもX又バレて修羅場とか、羨望だけじゃないリアルな苦労も初期の頃にバーチャルに体験させれば、それだけで欲は減ると思ってる。

 

 




前前前世?!


紅白見てます。隣の部屋にいてたまにチラ見なんだけど。「君の名は。」のテーマソングって「前前前世」なのね。

2007年にマヤ・アステカ遺跡を訪問して以来、ムーを4年間読んで関連本(大田龍、飛鳥昭雄etc)も押さえた身としては、こんな思想を広めていいの?という思いもある。昔の「千の風になって」は全然アリだと思ったけど、前世のメジャー化はやばくないか。以前にマイケルジャクソンの前世についてとりあげたけど、あれはあくまでもネタ。

前世ネタでは深田恭子の「前世はマリーアントワネットだけど皆の恨みを買ったので次の転生でイルカになり、今はアイドル。アイドルは人と沢山会う仕事なので、来世は猫で気ままに生きる」が一番オモロイ。どこで読んだのか記憶の彼方だけど、動物を間に挟む発想はある意味Cool。深田自身はこの前世に絶対の自信があるからこそ占い師等には前世を見てもらってないとも読んだけど、その態度もぶっ飛んでるね。結局、個人が勝手に作ったストーリーなのだから、社会的に悪〜他人に迷惑をかけない限り、ご自由にどうぞ、という世界かもね。神道の四魂でいえば、4人までは同じ前世でもアリなので、他人と被るのも気にしないぐらいのメンタリティーの方がいいのかもしれん(笑

今年読んだショーペンハウアーの自殺論に凄い面白い説があって、要約すると

  • 魂が無から生まれて無に帰ると思う人は、そうなる
  • 魂に前世があると思う人は、生まれ変わる
  • 魂がそのままだと思う人は、そのまま漂う

結局、その人が決めれるという説。これって結構面白い視点。「死んだらどうなるかは、死んだら分かるのだから、死ぬまで考える必要も無い」という意見も好きなんだけど、「予め知って準備をしておいた方が良い」という意見もあるのは分かる。けど、どうせ死んだら何も持っていけないのだから、何を準備できるのかも謎。 そこまで踏まえても、以前に書いたように「前世=輪廻転生はあって、記憶はリセットされて、火が燃え移る程度の伝達はある」という距離感が一番しっくりくるのは確か。この立場で言うと、前前前世はおろか前世を知ることさえ基本不可能なんだけど、深田恭子自身も前前世までだから、3つ前まで考えるのは結構難しいのでは?とも。それだけ前になると、文献的に残っている名前が少ないからかな。単なる歌のリズムの良さで、前世でも前前世でもなく前前前世になっただけだと思っているから、そんなに掘り下げて考えようともしてないが。

前世の思い出し方には色々と方法があるけど、「退行催眠なんてやめとけ」は正しいと思う。だから「夢日記」「涙が出る」「なんか心理的に好き・嫌い」と書くこの記事が一番納得かな。けど、ウマが合わない人を「前世から嫌い」と決め付けると余計に修復不可能になるからねぇ。それぐらいなら、「前世で仲良くなるのに失敗したから、今世でも関係が深くなるハメになった。しょうがない、ちょっとは前世よりも頑張るか」ぐらいの態度の方が良いと思う。器のサイズが大きくなるために転生するのが四魂の基本だからねぇ。 この10年ぐらい散々やってきた立場で言うと、いわゆるスピリチャル系にはまり過ぎるととんでもない所に行くから。かといって手を出さないのも根性無しとも思っていて。やるなら中途半端=「誰か単体の説に完全に染まる」のでなく、とことんやれっていう気分だけど。

個人的には上記の記事以外の方法としては漆黒に浮かぶお香を薦めます。あの記事は大統領選も終わった事だし、記事名と一言要約を入れ替えておこうと思っているので。
 




美を突き詰めて聖にいくのか。聖と性はどこかで重なるか。

どれだけAmazonがメジャーになっても、評判とレビューの意見だけでは買えない本がある。文章を直に読まないと価値が分からないけど、専門的な本は普通の本屋に置いてない。かつ図書館にも無い場合、「大学の本販売コーナー」で見つけるしかないね。以前も「魅惑のブス」という傑作本を買ったけど、今回は母校。ちょっと気合?入ってます。

 

Amazonのレビューを見ても決め手にかけて迷っていた『人工知能とは』 人工知能学会監修 近代科学社。は五ページぐらい読んで買うことにした。ここまで率直に書いているとは想定外。確かに日本の人工知能の大御所は揃っているけど、池上高志さんまでいるならば、発売当時に問答無用で買うべきだったかも。そして、こちらは横浜図書館においてあって、あまりに内容がよかったので、購入した『言語と思考を生む脳』 東京大学出版会。今まで脳科学は池谷氏しか意識してなかったけど、入来篤史氏は凄い。

 

「芸術」や「美」の世界はヒト以外の動物には無い。人間精神の特性である。これもまた、言語や思考から連なる、人間の認知特性の脳神経基盤の上に成り立っていると考えざるを得ない。「芸術的」な作品世界では、時間・空間・意味・価値・・・・などの数限りない多くの「次元」が渾然一体に溶け合い、結びつき、混ざり合いながら同居して、好ましく愛おしい「魅力」を放ちながら、観る人の「心」を惹きつける。動の中に凍りついた瞬間を、静寂の中に激動と情熱を、矛盾に満ちた不条理に秩序を感じるとき、我々の心は魅了される

《略》

この「美」の世界は、しかし、現実には決して存在しえない。我々人類の脳と心の中に閉じ込められたときだけ安息しうる「夢」の世界である。夢見心地の「美」の世界は、古今東西すべての人類に共有され、そしてあえてそれを現実世界に再現しようとすると、人々は必ずそこに「狂気」を感じてしまう。芸術世界は、芸術という範疇世界の外の現実の時空間では、整合性をとって安定化することができない。この芸術的な多次元空間を、現実世界の実在する時空に写像するとき、余った次元は無秩序に暴れ出すだろう。そして、我々の感覚運動器官を通じて、凶暴な奔流となって、脳と心に逆流する。

《略》

我々の感覚神経系のはたらきが実体験から芸術を生み出そうとするとき、しばし著しい「産みの苦しみ」を体験する。それは、我々の身体構造と現実世界の「次元」の構造に拘束された情報からは、芸術的な美を纏う多次元構造は直接的には立ち現れないからである。(P16,17)

 

脳科学系の本を散々読んできたけど、この文章が最高峰。ここまで美を喝破するとは。そして狂気の必然性。弟子入りをお願いしたくなるレベル。だからこそ、この先を考えたい。それが本文のタイトルである「美を突き詰めると聖に行くのか」です。

 

そもそも今のHHAIの設計自体が有用性レベルしかなくて、美までカバーできてない。美は客観的には対称性とフィボナッチ数列⇒黄金率でしか語れない。対称性は竹内久美子氏の本を読めば分かりやすく書いてある。なぜフィボナッチ数列が大切なのかは、結局、前々回までが流用可能であって、うちの3世代説と関係あると思ってる。聖はあまりに深すぎるテーマだから、「信じる」しかインプリメントしないつもりだったけど、、、。そして聖と性で言えば立川流。あんな吐きそうになる髑髏なんて、真面目に文献を探す気にもならないけど、ヨヨチューとも繋がるのかもね。

 

結局、完成した後にアドオンできる部分と、最初から組み込んでおかなくちゃいけない部分。その切り分けに尽きる。設計完了したつもりだったけど、意図を考え出して1ヵ月は迷いの森。その中に誘惑としてのこれらの本。最初からデカク作ろうとすれば必ず破綻するのは分かっているつもりだけど、美と聖の誘惑はある。AIに性はどっちでもいいと思っているけど・・・。そういえば、『人工知能とは』で皆さんがかなり活発に自由に意見を書いているけど、AIに性別は存在する?させる?勝手に出現する?べきかまでは、誰も考えていないような。無性から有性の発生および有性の有利さは昔からメジャーだし、性を担うのが極小の精子と極大の卵子になるのもシュミレーション的に証明されてたハズだけど。アルファ碁がデスクトップサイズまで小さくならない限りシンギュラリティなんてありえないけど、遥か未来はAI同士がSEXするのかもしれん。無機物ベースだとすると、SEXと言っても精子と卵子でなく知識の断片の交換!? それって通常のコミュニケーションと何が違うのだろうね。

 




東京にある若冲の石像 〜椿山荘〜


この前、図書館でマニアックな本を借りて読んでたら、びっくりしたことが二つ。
・上野に大仏がある
・東京に若冲の石像がある


上野の大仏は顔しか残ってないから、これまで何度も上野に行っても気づかないワケだ。上野の中では訪れる人と場の清浄さのバランスが良いせいか波動が高い

もっとびっくりしたのが明治の頃に石峰寺の石仏の一部を移設したという椿山荘の庭園。ネットにほとんど情報がなく、本にはあの地域としか書いてなかったから、手前の江戸川公園を散々探してた。普通に椿山荘の中にありました。15体くらいの羅漢像。釈迦像は無かったので石峰寺と比べると見劣りしますが、さすがに若冲の石仏のためだけに京都に行くのはお金と時間が、、、と思っている関東在住の若冲ファンは行く価値があると思う。椿山荘も若冲の絵を集めてロビーとかに飾ると、もっと格があがると思うな。

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もともとは東京都美術館のゴッホ&ゴーギャン展を見に行ったのだけど、ついでに寄った上野大仏が良かったので、急遽、椿山荘も行く気になった。目の前には東京カテドラル関口教会もあって丹下健三の建築を楽しめる。代々木競技場と並ぶ彼の典型的な建築物。さすがに椿山荘でなく、教会の目の前のカフェに行ったけど、この珈琲はかなりレベル高かったです。値段も600円だったけどね。最後は路面電車で池袋に出て、前から行きたかった十割蕎麦の嵯峨谷に寄って帰った。東京で以前から気になってた場所を全部まわった満足な一日。ちなみに展覧会でのゴーギャンの肘掛け椅子は実物を見ると気づく。椅子の上の蝋燭はゴーギャンを暗示し、奥のガス灯はゴッホ自身を示しているね、あの絵は。

 

 




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