テントの冬改造(スノースカート)とワカン作成



冬期登山に挑むには体力だけでなく冬の装備も必要。特にテント泊の場合、テントを冬用にしなくちゃいけない。「いつかは冬期」と思って、冬オプションがあるテントにしたけど、やっぱり冬のテントカバー:スノーフライは高価。極論、風が隙間から入ってこなければいいのだから、スカートを履かせればいい。最初はブルーシートを思いついたけど、さすがにダサいから灰色のブルーシート。けど、商品を見ながらもっとシンプルに分厚いビニールで良いと判断。それがこのTRUSCO業務用ポリ袋です。通常の3倍の分厚さはダテじゃない。それを脱着式にするため、業務用のマジックテープも購入。ちゃんと接着するためにホチキスも使う。

 

完成したのがこの右の写真です。よくよく見ると透明なスカートがついてる事が分かるでしょ。こちらのアップの写真の方がいいかな。色々調べると通常期のフライシートは空気の交換が出来ないので、入口側だけはスカートをつけない。これで12月の甲斐駒・黒戸尾根に行ったけど、非常に活躍してくれました。隣でテントしてた人たちに「おっいいね」言われた。帰ってきて調べてみたら、こういう風にスカートをつけるのは色々と情報あるね。ブルーシートが多いけど、見た目的にはこの分厚い透明ビニールの方がオススメっすよ!

 

で、もう一つ自作にチャレンジ。もちろんアイゼンやピッケルの自作にチャレンジする人はいないと思う。個人的にもアイゼンに1万円以上払うのは分かる。あれだけの金属加工をしてるんだしね。けど、ワカンはどうよ。あんな単純な加工品なんて、大量生産したら3000円ぐらいじゃない? あれに1万円は無いわ・・・。けど、自作の情報も殆ど無い。こういうときほどDIYとしての腕の見せ所。もちろん家の家具だって色々と改造・作っているけど、そういうネタは自作スピーカー以外は当分投稿しない。けど、このワカンはすれ違う人全員から「え、なにそのギア」と言われたので、載せておきます(笑

■必要なもの

・ダイソーで売ってるネクタイハンガー4つ(100円x4)

・ホームセンターでうってるステンレスパイプ(直径0.6mm)

・ダイソーで売ってる荷物梱包バンド(青いやつね)

・針金

 

■特殊な工具

・金属のこぎり(ダイソーで売ってます)

 

 

 

■作業ステップ

.優タイハンガーのかける部分をグニグニ曲げると取れる

▲好謄鵐譽好僖ぅ廚魘眤阿里海りで切る。これも全部切るのは大変だから半分ぐらいであとはグニグニ曲げる。長さはパイプをつける場所によりますが、私の場合は、16cm、26cm、24cmが2セットです。不安ならホームセンターで切ってもらったら?

あとはそれらを繋げるだけ。ポイントはステンレスパイプの中に針金を通す形で止めること。私は3回は通してます。強度的にこれぐらいは必要なのでは?

 

 

実際の使用結果ですが、面積的に足裏の倍。だから、雪に埋もれる深さが半分になる。このネクタイハンガーの小円の多さが浮力を生むと思ったけど、その想定はそこそこの結果。一回つかってちょっと湾曲したけど、普通に問題ない状況。もっとハードに使ったらどうなるかは謎。ぜひこの投稿を見て、ワカンの自作にチャレンジする人が増えることを望んでいます〜

 




「光凛」 〜冬の甲斐駒・9合目〜

4年前、白馬五竜でスキーしてたとき、ザックを担いでゴンドラに乗っている人がいた。頂上駅で降りた後、そのまま1人でドンドン上に登っていく。当時はそれを見ながら、意味不明というかアホだと思ってた。雪山を堪能したければスキー・スノボでいいじゃんと。

 

両方経験して初めて分かる。同じフィールドでも全く違ってる。

スキーはレジャー。冬期登山は"行"。

 

その証明こそがこの写真。「光輪」の写真はたまに撮れる。けどこの太陽の輝きは初めて。これを表現する一般的な用語はないから「光凛」と名づけたい。「凛」は単なる輝きではなく「厳しくひきしまった」という意味をもつ。冬空に青白く輝くこの太陽には「凛」こそが相応しい。

 

心の奥底が光になる

とでも言いたくなるほどの輝き。スキー場では絶対に撮れない。僕にとっての冬山の価値はこの写真に尽きる。グリーンシーズンの登山をあまた重ねて、3月の日帰り、4月最初の一泊二日の残雪登山もした。だから今回は12月の登山。なかなか有休がとれず、土日の二日で行ける最高地点は甲斐駒の黒戸尾根。グリーンシーズンでも一泊二日で登るのは辛いけど、これまでの経験と体力を信じて、行けるところまではいこうと思ってた。

 

登山中は何度か心が折れそうになったけど、本当に天気が良くて、風もそこまでは強くない。雪山のコンディションとしては最高。今日の条件で頂上まで登れなかったら、この先、一生このクラスの頂上までいけない、と心に言い聞かせて。

 

「最初に小金を盗んだ奴は一生大泥棒になれない」

といったのは石川五右衛門だっけ。これは確かに至言。もちろん経験値が溜まることでスキルもUPする。最初から高すぎる目標にチャレンジするのが完全に正しいワケじゃない。けど、一番最初に己に甘えた奴はそこで天井ができる。それが”行”というものだから。

 

この黒戸尾根は山岳宗教の行場としての深い歴史を持ってる。日本最高地点で発見された縄文土器は甲斐駒の頂上だから。以前に10月に北沢峠から甲斐駒に登ったけど、全然違う。同じ山とは思えないほど。そりゃ高低差も道の難易度も全然違うけど、もっと根本的な点が違う。一番ハードなのはこの写真のように最後の難関地点。一番上の大きな岩に剣が二本刺さっている。そこまでの登り。最後の気合でそこまで登って写真をとったら、太陽がざわついていた。

 

最初はあまりの寒さでカメラのレンズが結露したのかと思った。この数百メートル下には一本の剣が刺さる行場がある。こちらの時も不思議な写真だった。けど、ピントが合ってもやっぱり太陽がざわついている。太陽のエネルギーが溢れすぎた感覚で、、こんな太陽は初めて。用語も無いと思う。とりあえず暫定的に「ざわついた太陽」と名づけたい。

 

だから太陽に直接レンズを向ける。それが冒頭の写真です。二本の剣のうちの一本が画面の端にあるよね。同じ場所で撮ってます。不思議なのが、本当の頂上では光凛もざわついた太陽も撮れなかったこと。その理由は分からないけど、感じるのはある種の因縁。この写真を撮れる人が他にもいるならぜひ会いたい。ソウルメイト:類魂の判定としては一番分かりやすいと思う。今年の12月は仙丈に行こうと思う。そこでも光凛が撮れるのか結構楽しみ。

 

以前から感じているのは、山におわす神々は1000mごとに違う。1000m級の山と、2000m級、3000m級では撮れる写真の神々しさが全く違う。そして冬になると1000mはランクアップする。だから冬の3000m級の山はグリーンシーズンならば4000m、そう冬でしか撮れないレベルの神々しさになるのだと。というより3193m以上の山は富士山しかないし、あれだけ頂上が混んでいるから富士山の頂上ではこの神々しさをもつ写真は撮れない。

もしかしたら厳冬期の2月ならばプラス2000mになるのかもね。それは凄く興味深い。けど、厳冬期に3000mに行く実力は、遥か先。。

 

 




前前前世?!と3年差の謎

[2016.12.31]

紅白見てます。隣の部屋にいてたまにチラ見なんだけど。「君の名は。」のテーマソングって「前前前世」なのね。

2007年にマヤ・アステカ遺跡を訪問して以来、ムーを4年間読んで関連本(大田龍、飛鳥昭雄etc)も押さえた身としては、こんな思想を広めていいの?という思いもある。昔の「千の風になって」は全然アリだと思ったけど、前世のメジャー化はやばくないか。以前にマイケルジャクソンの前世についてとりあげたけど、あれはあくまでもネタ。

前世ネタでは深田恭子の「前世はマリーアントワネットだけど皆の恨みを買ったので次の転生でイルカになり、今はアイドル。アイドルは人と沢山会う仕事なので、来世は猫で気ままに生きる」が一番オモロイ。どこで読んだのか記憶の彼方だけど、動物を間に挟む発想はある意味Cool。深田自身はこの前世に絶対の自信があるからこそ占い師等には前世を見てもらってないとも読んだけど、その態度もぶっ飛んでるね。結局、個人が勝手に作ったストーリーなのだから、社会的に悪〜他人に迷惑をかけない限り、ご自由にどうぞ、という世界かもね。神道の四魂でいえば、4人までは同じ前世でもアリなので、他人と被るのも気にしないぐらいのメンタリティーの方がいいのかもしれん(笑

今年読んだショーペンハウアーの自殺論に凄い面白い説があって、要約すると

  • 魂が無から生まれて無に帰ると思う人は、そうなる
  • 魂に前世があると思う人は、生まれ変わる
  • 魂がそのままだと思う人は、そのまま漂う

結局、その人が決めれるという説。これって結構面白い視点。「死んだらどうなるかは、死んだら分かるのだから、死ぬまで考える必要も無い」という意見も好きなんだけど、「予め知って準備をしておいた方が良い」という意見もあるのは分かる。けど、どうせ死んだら何も持っていけないのだから、何を準備できるのかも謎。 そこまで踏まえても、以前に書いたように「前世=輪廻転生はあって、記憶はリセットされて、火が燃え移る程度の伝達はある」という距離感が一番しっくりくるのは確か。この立場で言うと、前前前世はおろか前世を知ることさえ基本不可能なんだけど、深田恭子自身も前前世までだから、3つ前まで考えるのは結構難しいのでは?とも。それだけ前になると、文献的に残っている名前が少ないからかな。単なる歌のリズムの良さで、前世でも前前世でもなく前前前世になっただけだと思っているから、そんなに掘り下げて考えようともしてないが。

前世の思い出し方には色々と方法があるけど、「退行催眠なんてやめとけ」は正しいと思う。だから「夢日記」「涙が出る」「なんか心理的に好き・嫌い」と書くこの記事が一番納得かな。けど、ウマが合わない人を「前世から嫌い」と決め付けると余計に修復不可能になるからねぇ。それぐらいなら、「前世で仲良くなるのに失敗したから、今世でも関係が深くなるハメになった。しょうがない、ちょっとは前世よりも頑張るか」ぐらいの態度の方が良いと思う。器のサイズが大きくなるために転生するのが四魂の基本だからねぇ。 この10年ぐらい散々やってきた立場で言うと、いわゆるスピリチャル系にはまり過ぎるととんでもない所に行くから。かといって手を出さないのも根性無しとも思っていて。やるなら中途半端=「誰か単体の説に完全に染まる」のでなく、とことんやれっていう気分だけど。

個人的には上記の記事以外の方法としては漆黒に浮かぶお香を薦めます。あの記事は大統領選も終わった事だし、記事名と一言要約を入れ替えておこうと思っているので。
 


[2018.01.03]

ちょうど今日、初の地上波放映中みたいだね。

先日、家で見ました。療養中は寝床から出れなく、年末年始用の本も風邪を想定してないので量が足らない。どうせならと。見た後、色々と考えてしまった。まさか映画最後のエンドロールに 「監修 月刊ムー」と入っているとは。たしかに最初の夢での入れ替わりの後に、オカルト好きのてっしーが言ったコメントはムーを読み込んだ人が見ても納得行く部分。早口だし、全部で3秒ぐらいの内容だけどね。根本的には「過去に戻って違う選択をする」=「別の未来が出来る」のか「未来が書き変わる」のかだけど、この映画はどちらの世界観に成り立っているんだっけ? まあそれは別に個人的にはどっちでもいいのだけど。。

 

唯一気になったのは、やっぱり3年の時間差。これってなんで必要?

巷でも話題になっているし、だからこそ「休日に学生服を着ている」描写が映画の中でもある、みたいな擁護論もある。入れ替わりがあるなら3年差もあってもいいし、そもそも「未来や過去も隣の部屋みたいなもの」というのが本当の4次元思考らしいしね。3年差の不自然さではなく、必要性のほう。入れ替わりの方は誰が見ても必要性は十分ある。けど、3年差の方は無くしても問題ないんじゃないの?同い年にしたって伝えたいメッセージは全部伝えれるのでは?

 

「3年前の過去であっても、悲劇的な結末に立ちむかうことができる」というのを訴えたいなら必要性分かるけどねぇ。企画段階で「新海さん、3年の時間差って必要ですか?」って聞く周囲の人はいなかったのだろうか? そして新海誠の答えが発表されているなら凄く知りたい。そりゃもちろん「同学年にしたら以前の転校生と同じになるから」っていう意見は分かるけど、今回は隕石墜落もあるのだから、3年差までプラスする必要ある? そもそも描写は誤解させるぐらいに同級生としているし、登場人物の本人達もそう誤解している。

 

ここら辺は、明日、うちの会社の新海誠オタクに聞いてみるけど、あれこれ考えて、こういうときは逆なんだと思えてきた。意外と芸術作品って僕らが思うほど自由度無いのかも。何故って、製作者本人がSoulをこめれる状況って、自己の体験からくる僅かなパターンのみだから。

 

そういう点から見ると、奥寺先輩のことも妙に示唆的。奥寺先輩とヒロインの二つに仮託したんだよ。

こう考えたら、一番、個人的に腹落ちした。すると確かに、

 

「奥寺先輩って、なぜ先輩って設定にしたんですかねぇ、同級生や下級生じゃダメなんですか?」

という設問にも価値が出てくる。映画見終わった後にこんな質問されたら純粋なアホだと思ってしまうけど、「あほ、うなもんどっちでもいいんだよ。先輩にした理由?そんなもん大した意味ねーよ。というか新海誠の初恋が先輩だったんじゃないの? 同級生や下級生じゃなく」ぐらいが一番ありそうな答え。そして、これと3年の時間差の必要性も答えは一緒。必要性なんてない。単なる監督の拘り。譲れないほどの強い拘り。

 

そして、最後の2人のシーンでも明確に年齢差を意識できるようにしていた。社会人直後の主人公と、何年間か社会人経験を積んだ雰囲気のヒロイン。お互い大学生時代なら、1年と4年でもあそこまで差は出ない。再開をあのタイミングにしたこと。これが拘りを更に感じる部分。

 

そして、この作品にフルコミットするには、こういう部分なんだよね。

 

僕は先輩派ではないから、なんかフルコミットできなかったなぁ。そんな事言い出したら、世の中の作品の1/3にはフルコミットできなくなるかもしれないけど、普通はここら辺はどっちでもいい。けど、この「君の名は」だけは、3歳差がちょっと無理やり入っているから、最後に響いてくる感覚。

 

wikipediaに海外の批評家が「数年後には宮崎駿と同等の評価を得るだろう」とまで絶賛したと書いてあった。その感覚は良く分かる。そこまで偉大な監督だからこそ、それが宮崎駿のような完全異世界でなく、あくまでも現実社会を舞台に高校生・大学生が主人公の作品だからこそ、フルコミットするときに妙に最後まで引っかかってしまった。

 

こんなこと書くと、かなりネットで叩かれそうな気がするけど、まあいいや(笑

君の名は。以前に新海誠の作品を全部観ていた人、が真のファンの前提条件だから、身近にいるのは嬉しい。明日の会話は楽しみ〜

 

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「東北大震災の3年後に作られた作品だから、3年後なのでは?」が最初の答え。先輩派の説を喋ったら、「新海誠の他の作品はヒロインが同級生派が多い」とは言っていた。新海誠自身が3年差のことについて説明したり書いてたりは無いと思う とのこと。なるほどね。




ストーブで2時間かけて焙煎

以前にストーブ生活を紹介したとき、ストーブの上で珈琲焙煎をしてみたいと書いたけど、普通にナベ一つでできました。クルクル回す部分なんて必要ない。5分に1回ぐらいナベを振るぐらいで、それを1回忘れたぐらいでも大した変化無い。

 

もちろんストーブの温度から完全な焙煎は出来ない。最後はコンロと手網で仕上げる必要あるけど、途中までの処理としてはかなりいい。やっぱり弱火でじっくり焙煎した方が美味くなるね。どれぐらい味に作用しするかって?最初の30秒蒸すよりも効果あると思う。びっくりなのは、途中、凄く臭い匂いになる豆があること。普通にコンロで焙煎していると気づかないのに2時間かけてストーブ焙煎すると分かる。

 

もともとエチオピア産の豆は失敗するとウンコの匂いになったけど、エチオピアじゃないんだよなぁ。まだここら辺は色んな国で試してないので、正確なデータが溜まったら公開します。

 

均一性だけど、こんな感じ。わるくはない。厳密性を求めるので無い限り、どんな山小屋だってストーブはあるのだから、そこに「珈琲豆焙煎してます。5分に1度、ナベをふってください」って張り紙しておくだけでいいんじゃない?と思うほど。

 

ずっと回す仕組みをどう実現するか、色々と考えていたけど、ごれだけ弱火ならたまに手で振るぐらいでOKな事が分かった。。こういう情報は、どこにもないから、自分で試さないとダメだね。




ミニミニ灯油ストーブの自作2

前回から色々と試して大体分かった。

ウコンの缶を使った最小タイプも作った。上手く押し込むと単体で青白い炎がでる。けど、小さい分、すぐに缶全体が熱くなってコントロールができなくなる。。

 

 

 

理想は完全燃焼(煤が発生しない)、火力の調節だけど、両方ともこの単純な仕組みでは難しい。構造上の問題として「燃焼部分」と「灯油貯蔵部分」が近すぎること。だから燃焼部分の熱で灯油がどんどん気化して、芯が無意味に。すると炎が強くなりすぎる。一般的な石油ストーブはちゃんと分離してるから。ここれら辺を分かりやすくするために模式図を描きました。

 

そもそも芯は温度を上げるまでに必要な長さと、温度が高くなって青白い炎になったあとに必要な長さが違う。模式図では「芯上下ねじ」と書いているけど、この仕組みをミニサイズで実際に作るのはかなり大変。だから発想を変えて、二つが近接していても灯油貯蔵部分が温度上昇しない仕組み。簡単に言うと、外から冷やす →どうやって? →缶ごと水につける

 

外側の缶に水を数センチ入れて、そこに燃焼缶を置く。冷やすための水はどんどん蒸発していくので追加していく必要がある。。

 

ちなみに右の写真の外側はゴトクの変わりに軽量かつ通気性が良いものとして、100円ショップのアルミフックの四角いケースから、フック部分を外したものです。左右にねじれば取れるので、すると平坦になってナベとか置けるようになる。

 

 

ここまで試した上で冬期登山にもって行きました。燃焼缶も珈琲の缶の下側を二つ使う。燃焼缶の外側はスチール製の珈琲缶の下部にして耐熱性を高める。燃焼缶の内側はアルミ製の珈琲缶の下部を使う。芯は4つでなく8つとして、5mmも出さない。1mmぐらい。すると最初の点火に苦労する。だから、最初は灯油を内側の缶の凹んだ部分に貯めて、ホンノちょっとのティッシュを芯にしてつける。外側のミカンの缶との隙間には雪を詰める。ただ、やっぱり雪をどんど追加しなくちゃいけないし、失敗すると燃焼缶に雪が載って火が消える。。結構難しい。

 

1時間ぐらいテントの中で使っていたけど、煤が発生して、帰ってきてからテントを丸洗いする羽目に。。テントの中で使うためには、燃焼エリアも改善が必要と痛感。確かに一般的な石油ストーブは、穴の開いた金属を組み合わせて、空気の供給と温度上昇の二つを達成している。(模式図だと燃焼エリアの格子部分) これによって煤の発生を零にしてる。そこまでの加工は個人レベルでは不可能。だからそれに近いものとして、金たわしに注目。金たわしを適度に切って、延焼ある程度本格的になったら置く。こんな感じです。多すぎると空気の供給が弱くなって消える。少ないと赤黄色の火のままで煤が発生する。

 

金たわしのベストな量は大体分かったが、今度は金たわしのおかげで水が追加できない羽目に(笑 なので、最終的には外側のミカンの缶に穴を開けて、もっと大きな入れ物に入れることかな。大きな入れ物は深さはそんなにいらないから、クッカーのふたとかも使えると思う。模式図としては最終系はこんんな感じかと。

 

とにかく、今回はテントの丸洗いに疲れた。。屋外で薪の代わりに使用するなら良いけど、テントの中でも安定的に使う道は長い。そもそも氷点下10度近いから屋外で料理なんて有りえないない。結局、現地ではSOTOのガス缶イワタニのバーナーで料理もストーブも上手く行ったけど、これ以上の場合は、素直にガソリンストーブを買うべきかもね。。

 




ミニミニ灯油ストーブの自作


以前にストーブ生活を紹介したけど、先日は車に持ち込んで登山前日の車中泊で使った。一晩中アイドリングできないし、外はマイナス5℃だから。一酸化中毒対策にドアのガラスを少し下げれば特に問題も無い。お餅を焼いたりして好評だったけど、もっと小さいものが欲しいと思い中国産のキャンプ用石油ストーブを購入。評価が分かれている商品だけど、最初にちょっと調整が必要なだけ。この方の説明を見ながらなら調整すれば大丈夫。ネジが外れていたのはびっくりしたけど、単に締めるだけ。この値段なら文句はありません。移動中に漏れるのは困りモノだけど、輪ゴムでゴムパッキンしたらかなり改善された。慣れないうちは点火時に先の長いライターが必須だね。

 

けど、それでもザックに入れて高山に持って行くにはデカすぎるし重すぎる。だから自作に踏み切りました。ネットに情報がなく二時間ぐらい試行錯誤して成功したのでメモっておきます。

 

成功といっても「屋外で暖をとる」「屋外のバーベキュー時の木材、石炭の代わり」にはなるけど、煤はどうしてもつくね。。灯油をためておく部分と燃焼部分が近すぎるから、最終的には灯油の温度が上がりすぎて火が強くなりすぎる。くれぐれも注意してください。ためすなら完全自己責任で。

 

 

,泙佐靄榲にストーブ自体の仕組みを理解すること。先ほどのキャンプ用石油ストーブを持っていれば仕組みが分かるけど、そうでないならまずはサラダ油でのランプを作る。私は米油でやったけど普通に上手くいく。オリーブオイルとか使えばロウソクの癒やし&匂いになるかも。

 

▲曠奪箸隆魅魁璽劼粒犬魘望の容器として灯油をそそいで、ライターで火を近づけても液体にはつかないことを確認。サラダ油でのランプみたいに芯を入れると火がつくが、比べ物にならないぐらい大きな炎になることを確認。(火が強いからこそ蓋のサイズぐらいで十分に動作確認になる。まちがっても,鯏油でやらないように)

 

4靄榲にはアルコーストーブの作り方と同じ。珈琲の缶をカッターで上下半分に切って上側を下側の中に押し込む。穴は開けなくていい。ペンチで捻るだけ。そこに麻紐か紙紐を芯として挟む。

 

4つぐらい芯が出ていればOK。芯を出しすぎると炎が強くなる。五ミリぐらいで大丈夫。ここら辺は△粘恭个鯆呂鵑任諭これで黄色の炎。照明にもなる。十分に湯も沸く。息を一気に吹きかければ消える。

 

ダ椎鬚け蠅鮟个靴堂硬戮鮃發するには、一回り大きな缶に入れる。缶の温度が上がり、熱で灯油が気化する。芯が無くても灯油に火がつく状態。珈琲缶の蓋を締めているのは芯のない真ん中からも火が出て火力調整が大変になるから。消火が大変。い醗磴辰MAXで息を吹いても消えなくなる。消す時はトングで缶全体を上に持ち上げて、外側の缶から半分取り出した状態で息を吹く。もしくは金属で外側の缶全体を塞ぐか。青白い炎がでてしばらくすると、缶の温度が上がりすぎて、灯油が全て気化し始める。するとかなり炎が強くなります。ここまできたら缶全体を塞ぐ以外に消化方法はなくなります。くれぐれも注意してね。

 

上手く作ると、外側の缶が無くても青白い炎はでます。最初にコーヒーの缶を横に切るときの場所と、上下を重ねたときの位置関係で決まる。缶コーヒーの飲み口が細いか太いかはあんまり関係ないね。あと、缶自体が高温になるから、写真みたいにベランダでやるときも直接置くと焦げるよ。

 




初冬の嵐の中、白い雷鳥に出会う

第一の使徒鳳凰、第二の使徒雷鳥



静岡在住の頃、毎年富士山に登ろうとして9年間で7回。行けなかった年はシーズン最後の予定に台風がきて断念。他の時は一緒に行く友達が仕事でドタキャンで単独する気になれず。北岳は今年で7回目。異常気象で10月末に台風が来る中、単独で行ってきました。

 

思った以上に普通の雨天。流石に慣れてるからハイペースで肩の小屋に行く。その手前で「雪が動いている」と思ったら、冬毛に生え変わった雷鳥だった。天気が荒れている時ほど雷鳥に出会って癒される。それだけが夏の暴風雨の救い。けと、まさか白い雷鳥に会うとは・・・神の使いと言われる鳥だけど、やっぱり白の方が神々しいね。

 

北岳山荘でテントを建てたら暴風雨になってテントが横に1mずれる。慌てて素泊まりに。再接近の時は山小屋だから、タイミングはドンピシャ。ゆっくり寝れた。台風一過の天気の良さに賭けて行ったのに、次の日(10/30)の朝はイマイチ。一瞬、日の出で富士山が見えたので最悪ではなかったけど。稜線はマイナス5℃の強風で、ニット帽を被っていても口の周りが寒すぎる。だから断念して下山し始めたら、最後の方では天気が凄く良くなっていた。。もうちょっと粘るべきだったかも。

 

 

登山バスと列車を乗り継いで、16時には神奈川の自宅に着いた。夕方の天気も良く富士山も綺麗に見える。それだけでなく日本2位4位の北岳・間ノ岳、その横の農鳥岳までの白峰三山が見える。片付けしているうちに陽が沈んだ直後の深い藍の時間帯に。

 

これだけ空のグラデーションが綺麗なのも年に数度しかないけど、この日は本当に特別。拡大したのがこちら。これこそが台風一過の良さ。

元の予定では会社の2年目新人達を北岳に連れて行くつもりが台風21号で断念。次の週も22号が来る中、本当に行くのか自問自答していたけど、「この場でルールを変えるのは単なる怠惰。もし状況が変わって10回行く必要が無いと決めるとしても、それは頂上で決めよう」と結論を出したら不思議とそれ以上悩まなくなった。ルールを決めることも大事だけど、ルールを変更するルールを決める方が大事だと痛感。

 

そして、北岳頂上で、やっぱり10回連続にトライすることを決定(笑)。今の生活では千日回峰行大峯奥駈道も出来ないけど、せめて北岳には10回連続で行く。改めてそう決心した登山だった。

 

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これまでホームグラウンドは愛鷹山だったけど、七回登ったからそろそろ北岳をホームと言えるようになったと思う。何度も登ってる&家から見える が登山におけるホームグラウンドの定義だから(笑) 「一度決めたことは変えない」というのが一番美しいルールを変更するルールだけど、有効期間が10年ならばやっぱり見直すタイミングはあっていいと思う。今後も心が弱っているときに見直さないようにしなくちゃね。




真の出羽三山と越三山

 

今年は宮城出張が計3回あった。過去2回は仙台周辺の山に行ったが、3回目は色々と考えて月山(がっさん)に行くことにした。やっぱり霊山だしね。祭られている月読命(ツクヨミ)自体がアマテラス、スサノオと兄弟ながらも不明点が多い。朝日岳や大日岳といった太陽の名前を持つ山は多くても、月に焦点を当てた山は月山だけでは。そんな意味で昔から気になってた。

 

月山を初めて知ったのは大学時代にスキー部の友達から。冬にオープンしてなく、春と初夏だけ営業しているスキー場と聞いた。そんな意味ではパワースポットよりもレジャーの第一印象だったけど、家庭教師先の家では出羽三山の掛け軸が居間にあった。月山が信仰の山として東北地方で一番有名なのも、暮らしていれば自然と知るから。

 

 

 

 

 

せっかくなので湯殿山口から登ろうと思ったが、朝5時前についたら自動車道が閉まってる。。しょうがなく志津口に移動してリフトが動く前に上り始めた。道の整備状況が半端無い。全て木か石でしっかり作ってある。さすが信仰の山。早朝の人がいない牛首下を歩いていると、その澄み切った空気と湿原の眺めに感動。こういうときほど答えは降りてくる。

 

月山の正しい登り方は、満月の夜にヘッドライト無しで登る

これだけ道がしっかりしていたら不可能じゃない。さすがに一度も行ったこと無い山ではこんな登り方できないけど、次回に月山に行く機会があれば、かならずこの方法で登る、と決心。問題は誰を誘うかだけど、ある程度センスがあれば伝わるんじゃないかな。


登山自体はハイキングレベル。頂上についたら神主さんが常駐していた。三霊山は、富士山、立山、白山、御岳から3つが選ばれるけど、これらと遜色ない。4つの山から3つを選ぶ曖昧さよりも素直に月山も入れて五霊山でいいと思う。それぐらいのレベル。頂上から鳥海山が見えた。あの眺めは不思議と誘われる。そりゃ北岳とか穂高・槍とかに登れば周囲の山から「こっちにもおいで」と呼ばれる感覚を受けるけど、今回の鳥海山はかなり訴えてくる。確かに登ってみたくなる山容。何よりも日本海から立ち上がる姿が美しい。「鳥海山もいつか行くか」と思って下山してたら、リフト稼動後は沢山の人が登ってくる。百名山なら当然だね。その人たちとすれ違いながら帰りはリフトを使用。

 

そして残りの出羽三山に行こうと思って運転していたらネイチャーセンターの看板が。ついつい寄って説明を聞いてたら、もともと出羽三山は月山、羽黒山、鳥海山の三つだったが、鳥海山の登山は大変なので、葉山が選ばれていた時期もあった。そもそも湯殿山は月山と一体として認識されており、奥の院の扱いだったと。(こちらにも記載されてるね)

 

それを聞いて、「まじかよ・・・さすがにここまで聞いたらすんなり帰れないか。レンタカー屋に電話して延長できたら、しょうがない登るか」と決めたら、三連休なのに見事に延長可能。天気も台風が近づいているけど明日(9/17)の午前までなら雨も無い。じゃあ朝の4時から登れば12時過ぎには下山可能。

 

結構、乱暴なんだよね。逃げれない時って。

 

そして湯殿山に行く。ご神体は「語らずべからず」だから言わないけど、靴を脱ぐ場所でちゃんと泉質はチェック。あれだけマグネシウムが入っている温泉は初めて見た。湯殿山の裸足歩き後、駐車場まで行くと仏像の御開帳。そこでなんと温泉に入れるじゃん。レストハウスの上にある建物。基本、出羽三山の信者のための宿泊所なんだろう。浴室に神棚がある珍しい形。丹生鉱泉からお湯を引いてて、確かに成分は湯殿山のご神体に似てる。いま、ネットで調べてもほとんど情報がないけど、あれは絶対に行くべき。こういう采配があるから、素直に流れに身を任せる面はある。

 

で、羽黒山に行き、有名な五重の塔も見て、どうしようもなくオーブも写り、ある意味で凹む。鳥海山の登山口まで運転中にたまたま寄った余目駅では駅前に庄内町新産業創造館クラッセがあって、米粉のピザが食べれた。美味しかったです。温泉といい食事といい、都会では味わえない素晴らしい体験!! もう一度行きたくなるほど。

 

 

ところが次の日の鳥海山はハードだった。最初のうちは秋田の日本海沿岸を眺めながらの登山で順調だったけど、山形側から雲が押し寄せていて御浜から先はまったく何も見えない。雲の中は霧雨状で濡れることこの上なし。行者岳から新山は見えなく、頂上まで行ったけど視界3m。下山中は暴風になって散々な登山。今までも色々な登山状況があったけど、今回ほど風が強いのは初めて。片足あげた瞬間に横に持ってかれるから、斜めに歩いてやっと真っ直ぐ。重心を風上にもっていくので、常に体が傾いている。だから一瞬、風が止まると倒れる。。せっかく鳥海山の頂上から月山を眺めたかったのにね。世の中、山あり谷ありというべきか。

 

それでも、真の出羽三山である月山、羽黒山、鳥海山に登って分かった。

 

石動山と立山と白山が越三山。間違いない。

2つは泰澄が開山しているしね。石動山は羽黒山並みの修験道の本拠地だったのだと。行けば分かる。その佇まいは今でもあるから。羽黒山と違って、石動山の忘れ去られたような趣は俗界から離れた雰囲気が残っていて、観光バスががんがん来る羽黒山とは違う。真に霊山を極めたかったら越三山に行くべき。泰澄の想いが垣間見れる。それにしても蜂子皇子が女性ってほんとかな。そこまで断言できるほど僕は分かっていないけど、羽黒山の蜂子皇子の墓には確かに感じるものがあった。




『失楽園』

なんなんだ、この面白さは。

 

英文学の最高峰とも称されるミルトン作の『失楽園』だが、文章がオペラの台本みたいで3P読んで挫折してた。このお盆に白山に登ってやっと耐性がついた。西洋の最深部には聖書があるけど、聖書以上に大事な本と言われるのもダテじゃない。そもそも非西洋文明の人間からみると旧約聖書には困惑が多すぎる。「ヘビにそそのかされ、食べてはいけない知恵の実を食べてしまい、楽園から追放された」のは一般常識だが、そもそも「なんでそんな食べゃいけない実が楽園になってるの?」という疑問。やっぱりここから掘り下げないと、妄信の誹りをまぬがれない。

 

以前に三浦綾子の「旧約聖書入門」にはその解説が載っていて感激した。それだけでなく、アダムはイブにそそのかされたと言い訳し、イブはヘビにそそのかされたと言い訳した。神が激怒したのは、食べるなといった知恵の実を食べたこともさることながら、その言い訳なんだよね。ここら辺を若い頃に読めたのは感謝している。


この『失楽園』はルシファー(サタンの旧名)の反逆から人間創造までが一つのストーリーになっている。これこそが大事なんだとやっと分かった。なんで神様が人間を創造したのか? それは天使の1/3がルシファーにしたがって反逆して地獄に落とされて、だからこそ人数調整なんだと。これって一般常識なの? まじ? ほんと? この歳で初めて知ってショックなんだけど。。。

 

彼は復讐を企てて、残り少なになった天使の数を補おうとした。しかし、かつての創造力を消耗してしまい、新たに天使を造る事ができなくなったのか、《略》 それとも、われわれに対する面当てのためかはともかく、われわれのあとを土から造られた人間で補おうとし、かかる身分の卑しい人間を栄光のある地位につけ、これに天来の賜物を、本来われわれのものである賜物を与えようと決心するにいたった。(下巻93P)

この本は上記のようにルシファーの視点から書いている箇所もあって、その部分がすごく良い。心の弱い部分と、だからこそ隠すための尊大な態度の描写。

 

根本的には「なぜルシファーが反逆したか」だけど、こういうまっとうな疑問を持てる人はぜひこの本を読んでください。以前にR. Kellyで書いたように、知恵の実を食べて初めてしたことは、お互いの性器を葉っぱで隠す事 これは人類の共通知識とも言えるが、

 

神の御手によって導かれてきた彼女でしたが、無邪気さや、乙女らしい羞恥(はにかみ)や、美徳や、自分の価値の自覚が、つまり、口説かれたい、求められずに靡(なび)きたくない、それでいて大胆でも出しゃばりでもなく、いや、むしろ控え目で、だからこそいっそう望ましく見える―要するに、まだ少しも罪の思いに穢(けが)されていない自然の情そのものが、その心のうちに動いたらしく、彼女は私の姿を見るや否や、急に背を向けて逃げようとしました。私はあとを追いました。彼女は婚姻の尊さを知っておりました。そして、私の切なる願いを厳粛にしかも素直に聞き入れてくれました。夫婦の契りを結ぶにふさわしい四阿(あずまや)へと、曙のように顔を紅(あか)らめた彼女を私は連れていきました。(下巻73P)

 

「求められずに靡きたくない」というのは女性心理の一般的な面だが、「アダムに初めて会ったイブは逃げようとした」のは、それを端的に表しているというか、ちょっとびっくりというか、性器を隠すこと以上に大事な情報だと思える。そもそも性器を葉っぱで隠す前に淫らな欲望がわきあがって、木陰でSEXしていたのね。そりゃ子供用の聖書にはこういうことは書いてないか。ここら辺は中学の国語の時間にでも紹介したほうがいいんじゃないかな。

 

これで日本、インド、イスラム、西洋と、メインの神話・聖典は読んだことになるのかな。ヴァルキリーに代表される北欧神話やククルカンのマヤ神話とか全制覇の道は長いけど、この失楽園を読んだから比較宗教学のポイントは抑えたと思える。

 




美と快感

『快感回路』リンデン著は名著の誉れ高いから、3ヶ月ぐらい前に買って一通り読んだ。この数週間は芸術理論を分析しているので、改めて読み始めたら、169ページ「ギャンブル依存症」

 

そうだ、今日は日本にとって大事な日じゃないですか。「横浜市長選挙」 

残念ながら神奈川在住でも横浜市の隣の市に住んでいるので選挙権が無い。けど、この選挙はそこらの国政選挙よりも日本の将来に大きな影響を与えると思っている。それが「カジノ解禁」。お台場の案もあったけど、菅幹事長のお膝元が横浜なのでこちらがメイン候補地となっている。カジノ利権については菅幹事長と横浜港湾の藤木会長の蜜月が有名だし、今の日本を実質的に仕切ってるのは菅幹事長だから。

 

先日、金曜日のクソ暑い午後、桜木町駅前で長島候補が演説してた。隣にいたのがパンチコ依存症の本の著者の人。かなり興味深かったけど、出張帰りで演説聞く時間なくて残念。今回はカジノ推進派の林市長と反対派の長島候補、伊藤候補。この時点でダメだろ。反対派が2名って共倒れじゃん。反対派の票が分散する。陰謀論的に言えば、どちらかの候補はカジノ推進のための刺客だよ。本気でカジノSTOPしたいなら一本化の話し合いぐらいしてくれ。それぐらいに日本の未来に大きな影響を及ぼす選挙。

 

2012年にアメリカ旅行で、ラスベガスに行った(メインはグランドキャニオンとヨセミテ)。確かにギャンブルは大きな観光資源になる。そもそも中国が2000年以降に国力が伸びたとき、マカオの果たした役割が大きかったと。以前に「マカオがラスベガスを抜いた」という記事も見た記憶がある。今後の日本が観光立国を戦略とするのは同意だし、そこにカジノがあった方が良いと言う意見も分からないことはない。

 

昨日、久々にラウンド1にボーリング&ダーツに行った。メダルコーナーではそこそこの人が遊んでいた。こういう人たちもカジノ解禁になったら、カジノに行くんだろうなぁ。そしたら、やっぱりギャンブル依存症から眼をそむけるわけにはいかない。カジノ解禁するなら、東南アジアの某国(うろ覚えだから国名忘れた)のように、自国民には高い入場料(10万円とか)をとって、外国からの観光客は入場無料にするようなルールにするしかない、と思っています。


 

ギャンブル欲=一発逆転夢想+勝利欲(承認欲求レベル)+金銭欲

ギャンブル欲については、以前にこう分析した。これはこれで達成感もあるけれど、実際の最新理論は興味がある。

 

しかし、行動上の依存症は、物質(薬物、アルコール、食べ物)依存症と必ずしも同じ経緯をたどるわけではない。実際、最近の社会ベースの研究(治療中の患者をベースとしない研究。患者は社会の代表例ではない)からは、ギャンブル依存症やゲーム依存症者の三分の一ほどは、他人の助けを借りずに独力で一年以内に依存から脱却できることがわかっている。薬物依存症では、まずありえないことだ。

 現在では、薬物もセックスも食べ物もギャンブルもゲームその他の強迫的行動も、すべてを含む幅広い依存症の定義に妥当性があると考えるに足る生物学的根拠が存在する。ここで考えられているのは、内側前脳快感回路の活性化と変化がすべての依存症の核心にあるということである。(P171)

 

中学校の同級生はパチプロになっていた。パチンコ発祥の名古屋だと当たり前の風景なのか、それは謎だけど。3年ぐらいで足を洗ったらしい。ずっと椅子に座ってるから痔になりやすいとか。プロの間は月20万は稼いでいたみたい。もちろん僕はギャンブル依存症になったことはない。けど、ゲーム依存症は耳が痛い。「独り桃鉄依存症」なんてアホの丸出しだが、かれこれ合計100時間はやっている気がする。。一番ダメダメなのはAOC。合計で1500時間ぐらい遊んだ。。唯一の救いは、2004年の時点でゲームが改悪されてつまらなくなったこと。もしAOCの改善点が治った版が発表されたら、また1000時間ぐらい遊んでしまうかもしれない。確かに独力で1年以内に依存脱却できるかもしれないけど、ギャンブル依存って、こういう思い出し欲求あるからなぁ。

 

病的なギャンブルは遺伝し、女性より男性にはるかに多い。ほぼ確実に言えることだが、ギャンブル依存症の人と近い関係にある人ほどギャンブルに病的にのめり込むリスクが高くなることには、生まれと育ちの両方が関係していりる。《略》男性の病的ギャンブルのうち35%〜55%が遺伝的要因で説明がつくと言える。女性ではそれほどはっきりしたことは言えない。《略》カジノを覗いたことがある人なら、ニコチン依存とアルコールと病的ギャンブルは並存する事が多いという現実を目にしているはずだ。そこにはドーパミン作動性の快感回路の障害という共通の原因が反映している。実際、病的なギャンブラーの場合、アルコール依存症の比率は米国の同年齢層全体に比べて10倍高く、喫煙率は6倍高い(P175)

 

学生時代の友達で、凄境遇の家に生まれた人がいた。

父親が真のギャンブラー。韓国で5億ぐらい当てて、駅前の一等地のマンションに住んでいた。確かに彼の家に行くと日中でも父親がいた。その彼は当時はギャンブルにはまっていなかったけど、今はどうかな?最近は年賀状ぐらいなのであまり分からない。今の日本ではギャンブル=パチンコ・パチスロ、競馬、競輪、競艇ぐらいなのかな。リアルなお金が稼げるという面では(オンラインゲームのRMTは知らない世界)。あまり周囲に該当者がいないのですが、遺伝性について特に否定したい何かがあるわけでもない。

 

不確実性の快感

「働いていて得た99ドルより道ばたで拾った1ドルの方が嬉しい。それと同じで、トランプや株で勝ったお金は気持ちをくすぐる マーク・トウエイン」

《略》

最近、サルやラットの実験から別のモデルが提案されている。それによると脳はもともとある種の不確実性に快感を見出すようにできているという。《略》サルの実験結果から導き出せる解釈の一つは、人間の脳はもともとリスクのある出来事から快感を得るように出来ているということだ。このモデルでは、ギャンブル好きになるのに初期の報酬は必要ないということになる。むしろ、見返りの不確実性そのものが快感を導く。

 進んでリスクをとろうとする神経系は、進化上も適応的だったというシナリオが提案されている。《略》人間の祖先では、狩猟をするオスのほうが、採取をするメスよりもリスクを取ることに適していた可能性があり、そのことが、現在の人類で男性の方がギャンブル依存や衝動のコントロール障害のリスクが高いことの由来となっているとも考えられる。

 

非常に良い本。素晴らしい。働いた99ドルと拾った1ドルの嬉しさは個人差大きいと思うけど。そういう意味ではギャンブル中毒の可能性は付き合っている時に分かるかもね。女性としてはかなり要チェックポイントかも。けど、こういう理論を知っておいた方が絶対に良い。このレベルはネット上のコンテンツでも、TV番組でも有りえない。来年の新入社員への推薦図書リストには入れなかん。

 

この本は他にも興味深い記述が多い、ある有名な痩せ薬は自殺を誘発するという副作用から禁止になったと。結局、プリミティブな欲求を下手に薬でコントロールすると、生きる意欲→ストレス耐性も減るんだね。。それは凄く納得。

 

---

いかん、ギャンブル欲に引っ張られすぎた。

本題に行こう。

 

美です。

いま、写真芸術論が気になっている。とりえあえず、ネットで見つかるのは以下の三つ。どれも興味深い。そもそも写真は芸術なのか? 

http://park7.wakwak.com/~ueno/archive/92/sv9206shashin.html
http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~k-serizawa/sub1-2.html
http://book.asahi.com/reviews/column/2012030900005.html

 

もっともっとプリミティブな地点から考える。芸術は何かしらのインプットが必要であり、何かの感覚器が必要。その中で味覚と触覚と嗅覚について、ここに訴える美ってあるのかな? 味覚については料理は芸術といってもいいのかもしれない。普通は料理の味だけでなく、皿も含んだ見た目もあるね。確か味覚は5チャンネル。嗅覚は香水。これって芸術のジャンルになりうるんだっけ? ラリックの香水瓶とかはガラス工芸だからなぁ。そして触覚。マッサージも最近は英国式、タイ式とかあるけど、やっぱり芸術のジャンルでは無いような・・・。嗅覚と触覚には癒しはあっても美は無い様に思える。

 

すると「癒し」と「美」の違いを考えなくては。。

そもそも美人って、癒しの意味しか無いのでは??

 

うーん、面白い結論になってきた。ここら辺を掘り下げて、コンパで美人の横に座った時に「美人って大変でしょ〜」から始まって、美と癒しの関係。「結局、美人は美じゃなくて癒しの意味しかないんだよ」と言ってみる。う〜ん、成功の時と失敗の時の差が激しいな。ただ、こうやって知識の幅を広げ自分なりに掘り下げいてく楽しさこそが大切。ここら辺の話を中学生ぐらいで聞けると将来が伸びるのは間違いない。遺伝が大事なのでなく、こういう環境が大事。それが家の無形文化財。今でも覚えているのは、名著の誉れ高い岩井克人の貨幣論。当時、親がハマっていて夕食時に話題にしていた。あのエッセンスを高校生で知れたことは今でも感謝している。二世論でも書いたけど、こういう環境ってあまり無いから、少しでも次代に繋げようとしているのかもね。これも、ある意味では、人の欲望か。

けど、何の欲望なんだろう。

 

 

 




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