甲斐/木曾 駒ヶ岳の名の由来

 

2017年12月に甲斐駒ヶ岳。2019年のGWに木曽駒ヶ岳に行って来ました。甲斐駒で不思議な写真が撮れて黒戸尾根の出発点の神社の由来を見て以来ずっと考えてきたけど、木曽駒に登ってやっと答えが分かった。そしたら見事に彩雲が出た。山岳パワースポットを追求している立場としては、非常に感慨深い登山でした。

 

 

日本の著名な山は神話時代からの伝説がある。ところが全ての山が該当するワケじゃない。たとえば恵那山

古くは胞山、胞衣山とも書かれ、また角度により船を伏せたように見える事から舟覆伏山 (ふなふせやま) などとも呼ばれた。吉蘇志略で「天照大神がここで降誕され、その胞衣(えな)がこの山に埋められた」と記載されており、これが山名の由来とされている 

かなり重要な位置づけ。本当ならば両駒ヶ岳もこのレベルであるべきだが、現在は「駒とはのこと。山体が馬の形をしている、雪形に馬の形が出るなどで名付けられている。」 だから駒ヶ岳最高峰の甲斐駒も、続く木曽駒も由来がイマイチ。甲斐駒には聖徳太子の黒駒伝説があるけどね。それでも恵那山に比べると見劣りする。神話に繋がる由来じゃないと山の格に合わない。

 

日本神話においてアマテラスが天の岩戸から出てくる場面は超有名だが、そもそもアマテラスが隠れてしまったのはスサノオが狼藉を働いたから。その狼藉の中に「馬の皮を剥いで姉のアマテラスがいる機織り小屋に投げ込んだ」があります。このスサノオが殺した馬の頭が埋まっているのが甲斐駒で、胴体が埋まっているのが木曽駒。そして頭と胴体を切り離した剣が宝剣岳になった。

 

甲斐駒の方が少し高く、兜のような甲斐駒と、なだらかな形の木曽駒。面白いのは甲斐駒の黒戸尾根に何個か剣が刺さっていること。これは木曽駒のように宝剣岳が無いから依代として刺したのだろうね。

 

次の疑問は空木岳の名前の由来ですが、木曽駒から縦走中に悪天候。稜線を諦めて檜尾岳から直接下山しようにも自分のレベルでは越せない場所が。結局、ヘリで救助されてしまった。。山に行かないと答えは降りてこないので、謎解きも当分先です。。

 

 




哲学としての言語に足りない視点。「ら抜き言葉」と「こそあど+な」

コンピューター学をマスターするこつは、「とりあえず分かった気になれば、それでいい」と考えることです。一度に何もかも理解しようとするのは、コンピューター学では失敗のもと。《略》その意味ではコンピューター学は英語の勉強に似ています。「なぜ同じBE動詞がI(私)が主語のときはAMになり、YOUのときはAREになるか」なんて疑問は「とりあえず」横に置いておいたほうが英語はマスターしやすい。それと同じことです。(P126)

たまたま坂村健氏のコンピューター入門書があることを知った。いままで入門書としてはこちらの本が最高だと思っていたけど坂村教授だからね。日本の偉人にしてノーベル賞(いやICT分野はチューリング賞)に一番近かった。(いや潤ちゃんの方が近かったかな。ここら辺は後述で)

 

これは正しくもあり、間違っている。

正しい点は、コンピューターにおいて実現ハードは時代と共に変化してるから。昔は歯車で作ろうとして失敗した。最初のコンピューターは真空管。別に素子を人間にしてもいい。北朝鮮もあんな完璧な行進パレードさせるなら、ON/OFFと書いた旗もたせて人間で8bitコンピューターを実現して欲しい。そしたら人類のコンピューターに関する理解度が上がる。以前に誰かかがそう書いてた記憶。完全同意。

 

間違っている点は、言語の奥の哲学を認めない風潮。

言語の奥には「この世界をどう認識するか?」という哲学がある。以前にも書いたウォーフを真に理解することだけど、「エスキモーの雪の色」までしか広まってない。日本語は色んな意味でアバウト。大学院時代に散々やって痛感した。受身と可能がおなじ形って、他の言語からみたらアホ丸出しだよ。日本人のイノベーションが改良どまりなのも、チャンレンジ精神が少ないのも、受身と可能が一緒だから。誰かに言われて嫌々受身の姿勢でやるのが日本人。生きていくには恵まれた自然環境の島に、たまの大災害。そしたら受身と可能が同じ助詞になっても当然。暴論というかもしれない。けど、無意識レベルで作用する。それが言語の奥にある世界認識の怖さ。そろそろそこまで議論すべきでは?

 

だから政府がイノベーションのために色々とやる前に、まずは「ら抜き言葉」を強制普及させた方が良いと思う。絶対に変だから。あれ以来、どれだけ上司に書類を訂正されても、ら抜き言葉を使ってきた。思想の闘いってそういうこと。周りからアホだと思われる。けど、思想レベルで闘えないのにイノベーションなんてありえない。みんなビジョンの大事さを言う。違うな。その手間に思想がある。

 

英語は「その場にいる、ある」という意味の存在詞も人称で使い分ける。「自分がいる」のと「彼がいる」のは違う。自分はいるのは意志だから。彼の意志は彼の頭の中だから分からない。けど、少なくとも自分は意志をもってここにいる。生き残るために。そういう風土に育てば人称で存在詞を変えるのは当然じゃん。

 

今は英語もコンピューターも小学校からやるんだって?

じゃあ絶対に「とりあえず覚えろ」はやめておけ。「世界の受けとめ方が違う」ぐらいは言え。英語は中途半端な文法書じゃだめ。これじゃないと。この本を読めば英語における世界認識が日本語よりもロジカルで詳細な事が分かる。理系な人はこの本で学んだ方が絶対に頭に入ってくる。もちろん突き詰めればこの世界という連続体を無理やり分割しているから、どこかに恣意性はでる。けど、aとtheと冠詞なしと複数形いう名詞の使い分けについて、その分割意図を知ることは凄く大事。

 

「なんな」について。

あれ以来いつのまにか「そんななんな」という言葉を使い始めた。「そんなこんな」は一般用語。「あれこれ」ほどは多用されないけど。「そんななんな」はぐぐっても僕のサイトしか使ってない。昨日の記事はたまたま使った。そういう文章だから。そしたら「誤記? じゃないとしても読んでいる人にはそう思われているよ」と言われた(笑 だからちゃんと説明することこにした。

 

指示詞における「こそあど系列」って当然すぎて日本の学校では教えない。近接の「こ」、間接の「そ」、遠間接の「あ」、疑問の「ど」 これらによって指示詞ができてる。「この、その、あの、どの」「これ、それ、あれ、どれ」院で日本語処理をして始めて知った。当たり前なことに名前がつく快感ってある。そして僕も含めて日本人はフィーリングで使ってるから、「そ」と「あ」の区別はちゃんと言えない。言語って、いちばん奥にはそういう世界がある。

 

けど、疑問の「ど」は足らない。

「ど」は答えがどこかにあることが前提だから。答えが無いかもしれない問いは「な」系列なんだよ。これは無自覚だから指示詞になってない。「なぜ」はあるけど、「なの」も「なれ」もない。けど、この先、答えの無い問題に取り組んでイノベーションを起すなら、「ど」と「な」の区別は必須。ら抜き言葉については同じ意見の人もいると思う。けど、この区別まで訴える人は他にいないのかもね。ちょっと寂しい。。

 

たまに「そんななんな」と書きたくなることがある。

これが最大限の説明です。皆に馬鹿にされると分かってる(笑 けど、30年経過したらこちらの用語が広まるから。母語話者はフィーリングと思想があれば言葉を増やしていいから。それが時代に合わせて世界認識をアップデートすることになるから。

 

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坂村健の本は流石の内容。コンピューターを「無色透明な道具」と呼び、その仕組みはハードでなくソフトが本質。(担うハードは歯車、真空管、トランジスタと変化する)そしてそのソフト:理論部分はシャノンとブルーの偉大さを説明する。やっぱりどれだけ分かりやすく書いても大学の先生だね。梅津氏の本より難解な部分はある。けど、坂村先生の視点こそが大事。そして、一番のポイントは人工知能において未だにシャノンもブルーもいないこと。

 

「意味があるとはどういう意味か」にシャノンは答えてない。シャノンは情報の符号化と新奇性だけ。意味と新奇性は少ししか重ならない。ブルーの論理式をAIの核とみなす。未だにそんなこと言ってる人がいるからAIの研究は停滞してる。様相論理は核にならないんだよ。そんなのは20年前から明白だったじゃん。うちの貴ちゃんは認めなかったけどさ。今ならはっきり言える。様相論理は中2病なんだよ。この一言で伝わらない人は哲学のセンス無いから、人工知能の中でも数学だけでやれるDeep Learningにした方が良いかもね。

 

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そういや潤ちゃんも死んじゃったんだね。一時代が終わった。坂村健以上にチューリング賞というよりノーベル賞に近かったのが西澤潤一。僕らは潤ちゃんと親しみをこめて呼ぶ。いや文系の連中は大学の予算の半分を工学部に振り分けていたから反発してたかも。けど、ぼくら工学部出身にとっては憧れ。そもそも入学のときは潤ちゃんが総長だったしね。大学4年のときには工学部向けの講演会があった。講話の最初に戦争の話を出して、「これだから戦中派はチートな話し方するんだよ」と思ったけど、日本が戦争で徹底的に負けたこととその後の発展には密接な関連があったのだろう。

 

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シャノンの不備に気づいたのは20のころ。けど、ブルー代数に変わるものはまだ完全ではなかった。それが叩くに代表される動詞群の処理。10連休まるまるかかるかも。。




ブラウザからラズパイの電源を切る

ラズパイの電源を切るにあたって、物理的なスイッチならばネットに色々と情報があるけど、音源ボードつけると実現できない。通常はパソコンからSSHでログインしてシャットダウンコマンドだがメンドイ。せめてスマフォから簡単に電源を切れるようにしたい。ブラウザからボタン押して切れるのが理想だけど、そのためにApatchを動かすのも重い。pythonで簡易Webサーバーを考えたけどcgiが上手く動かない。。

 

しょうがない。腹をくくってnetcat

nc -l -p 10025 -e /bin/sh 

他の端末からポート10025にアクセスすることで、入出力が/bin/shにリダイレクトされるようになる。すなわちバックドア

 

-eオプションはパッケージ版だと無効なのでソースからインストール。

さすがにバックドアは困るので下記のようなスクリプトをつくって

---------

#!/bin/bash

while :
 do
   read key
   case "$key" in
     *shutdown* ) sudo su -l root -c 'shutdown -h now' ;;
     *ls* ) ls -ls ;;
     *reboot* ) sudo su -l root -c 'shutdown -r now' ;;
     "q" ) echo "quit"
          break ;;
      * ) echo $key  ;;
   esac
 done

---------

ブラウザからhttp://x.x.x.x:10025/shutdown

とアクセスしてシャットダウンできるようにする。自動起動のために/etc/rc.localから呼び出すけど、root権限はパスなのでユーザー権限で動かす。ユーザー認証の仕組みは無いです。。

 

もっとスキルがあればもっとCoolで簡単な方法で実現できると思うけど、私のスキルではこれが精一杯。このレベルの情報が参考になる人がどれだけいるかも分かりませんが、色んなサイトを調べつつpython断念から含めたらほぼ半日以上を費やしたので、ここに書いておきます。

 

実際にちゃんと動作するけど一瞬だけブラウザにioctlのエラーがでる。。shutdownのコマンドを投げる場所がttyじゃないからだと思う。詳しい方がいたら教えてください。

 

どうやらこの内容みたいだね。

 




絵の才能

以前にも発達障害について借金玉さんの本を紹介した。

軽度の発達障害なんて、誰でも当てはまるとも思っているけど、


https://toyokeizai.net/articles/-/266796?page=4

この絵はまさしく才能。エヴァ好きなら涙出るレベル。これを百均の用具つかってすぐに描けるならむちゃくちゃ凄い。惚れるの分かる。ひさびさに本物の絵の才能感じた。


いや違う。本質は空。エヴァはどっちでもいい。この空の色を見るために山に行ってる。本当に空気が綺麗じゃないとこの色は出ない。紫と黄色のバランス。この空を無から生み出せるのか。生めないからこそ山に行ってる身としては本気で羨ましい。


社会の余裕か。この二人は田舎に移住して自給自足で暮らして欲しい。都会だと治らないとなんとなく思うから。




やれたかも哲学

あれから1年。『やれたかも委員会』の2,3巻目がアマゾン読み放題になってるのに気づいて読みました。一年前に全作読まなかったのは、一巻だけで色々考える良いきっかけになったから。

 

やれたかもの回数の多さは幸せではないね。経験人数と一緒。零は寂しくても多すぎてもイマイチ。心の交差の質が大切。

 

3巻のあとがきにある。

「やれたかも委員会ってエピソードさえ集まれば、ずっとこのパターンで続けれるんじゃないですか?」とたまに人に言われるのですが、描いてみると意外とそういうわけにもいかず《略》 同じようなことをやっているようで実はもう少し内容に深みにといいますか、なんといいますか

の文書を読んで考えこんでしまった。

 

深く考えるのは哲学。

そのテーマが「やれたかも」でも深く考えれば哲学。勝手にそう決める(笑)

 

3冊も読めば結論みえてくるね。

作者もそれが見えているから、同じレベルのエピソードを書けない。もっと深いものを書きたくなる。分かる。同じレベルを作り続けて満足できるなら芸術家じゃない。確かに黄昏流星群はずっと同じトーンで続いてる。その良さもあるけど、あくまで島耕作があるから。メインの作品が同じレベルでの量産は悲しい。

 

女の子に振り回される男の子。これが8割以上。

男性に振り回される女性なんて2割いない。委員会で体験を言う人の割合が示してる。

 

遊び100%で振り回しているなら、いくら男でもやれたかもと思い出すことはない。「悪い女にひっかかった」ぐらい。だから当落線上のダンス。それに振り回される男。女性の性欲の儚さ。それは二巻のcase016:完全個室隠れ家レストランで一目瞭然。答えは「どっちでもいいんだよ」

 

けど、どっちでもいいという時点でゴールじゃない。

ここが男の分からない点。

 

 

答えは明智光秀の辞世の漢詩と同じだと思った。

極論、男はセックスがゴール。女性は違う。セックスしなくてもゴールが手に入ったら、わざわざする必要もない。男性側がいつの間にか女性にとってのゴールを渡すのが根本原因。けど、女性にとってのゴールを知らない男性は八割になると思う。残りは無意識で分かってる。分かってる男は当然セックスの前に渡さない。悪い男はセックスしても渡さない。多分、その二割の中の半分以上は悪い男だね。だから女性はゴールを知らない男性からゴールを奪った後でも、しょうがなくセックスしなくちゃいけない。じゃないと「良い男性」とは上手く行かない。結婚の先にある幸せはそこ。けど、ここまでは知らない女性が半分以上。だから結婚率が下がり離婚率もあがる。この漫画を読み終わってそんなことを考えた。

 

そして、そのゴールを言語化できる男は1%かもね。
けど言葉で表現すると二割嘘が入る。言語よりも下のレイヤーを無理矢理言語化するとそういう羽目になる。だから書かない。分からない男が答えだけ読んでも、case014がより酷くなるだけだよ。コンドームあったらやれた。でも多分、中折れしてた。と喝破する月女史は相変わらず凄い。作者は月女史のセリフを考えるなかで、「やれたかも哲学」をしている。塾長の発言は哲学じゃない。あれは文学。一巻のときは好きだったけど、三冊目までくるとちょっと飽きるかも。

 

やれたかも哲学の最終地点は言葉にしちゃだめ。だから漫画の1コマをおいておきました。この表情でこの発言。この画像をスマフォの待ちうけ画面にして毎日みてれば、いつかきっと同じモノが出せるようになる。その時心にうかんできたものが答えです。

 

 




JoJo第4部の魅力とは

 

ちょうど今週は第5部のアニメ放映が総集編。なので4部のアニメを見返してました。dTVは3月末までの配信なので。ずっと4部の魅力が分からなかった。4部を絶賛している人の意見をみてもチンプンカンプン。けど、今日、アニメを通して見てやっと理解できた気がする。

 

 

 

冒険好きな男子は第3部と第5部が好み

学生時代に海外放浪をする/憧れる人にとって日常に潜む恐怖を描いた第4部は苦手。特に中盤で吉良を追い詰めたあと、鉄塔だったり宇宙人なのか最後までわからずじまいのミキタカだったり、日常的な回が入ることでリズムが悪くなる。もちろんシンデレラの回は良いんですよ。山岸由花子のあのキツイ性格に惚れたという康一くんはナイス。ハイウエイスターもじゃんけん小僧もエニグマの回も面白い。料理人のトニーはどこで活躍したのか良く分からないが・・

 

色々なジャンルで全て狙って3番を取る凄さ

と賞賛しているサイトを見つけて、やっと吉良の性格が分かるようになってきた。平穏無事で過ごしたい。「会社で偉くなったっても気苦労が増えるだけ」と最終回で上司との電話の後に言ってる。悪という意味ではDIOも吉良も同じだが、悪で世界征服を目指すDIOと違って、吉良はあくまでこっそりとした悪。この「こっそり感」こそが全然分からなかった。マンガで4部を読み返したときも分からなかった。けど、やっぱりアニメだと伝わる範囲が広がる。アニメで見返してやっと分かった気がする。端的にいえばプライドの場所。何があっても街から出ない。杜王町で暮らし続けるのがプライド。どこかのサイトに「丈助の家のドアを爆弾にしておけば良いのに」と書いてあった。ほんとその通り。飛んできた火の粉は払う。自己の衝動でどうしても殺人をする。けど、それ以外の戦いは自分からしない。闘ったら勝てる自信はあっても戦い自体を無意味だと思ってる。

 

周囲に変人〜犯罪者が住んでいる恐怖

幼年時代にこういうのを痛感している人ほど4部が好きになるのかもね。この画像のとおり、郊外の街で高校生とサラリーマンが流血しながら戦っている絵。こんな日常の中の非日常感にどこまで惹かれるか。世の中には色々と価値観があるけど、一番苦手な部分が理解できれば、それはひとつの成長。第4部は99年だから、20年近く経過してやっと分かった気がする。吉岡ネタとか吉良の同僚とかりおちゃんパティのネタもリンク先のように話題になるんだから、4部のファンの多さだよね。個人的には、いくら時間が巻き戻ったとしても、魂があの通路の上空を駆け上がった描写があったら、最後に生きてたという結論は・・・。露伴が死んだときのあの描写だけは違和感ですが。。

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当時は仙台に住んでいたから、杜王町グランドホテルの元ネタになった江陽グランドホテルの前とか良く歩いたけど、あのホテルは高級すぎて実際に中のレストランを使ったのも社会人になってから。ホテルの入口にギリシャ風の彫刻があったりと、往年の名ホテル感は当時からあった。いまだに出張で行くときも、ついつい向かいのスーパーホテルにしてしますが。。

 

それにしてもアニメ版だと「7月15日(木) その1〜その4」ってやたら7/15を推すんだよね。7/15って作者にとってもなにか特別な日なのだろうか

 

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4部の良さが今まで以上に分かってもいちばん好きなのは3部で次が2部。やっぱり敵で一番好きなのはワムウだから。3部以降にジョジョを知った人ほど波紋編をバカにするが、12歳前後で波紋編を読めなかったのは可愛いそうだと思ったりも。

 




ホラッチョ男子

 

https://matome.naver.jp/m/odai/2145811936827969301

ひざびさに爆笑してしまった。

経歴詐称疑惑はしってたけど、「ホラッチョ川上」って単語がバズってたのを知らなかったです。

 

https://president.jp/articles/-/17653

ホラッチョ男子の判定方法があるなんて!今後の道徳の時間に取り上げるべき。

 

特に以下の部分が感動

どこか繊細さを漂わせて、物腰が柔らかなのがホラッチョ男子の特徴。人たらしというか、悪い人には見えなくて「こんなすごい経歴なのにフレンドリーで良い人かも」と思わせます。本当は自信のなさの現れかもしれません……。瞳にはナルシスト的な沈んだ輝きが宿っています。《略》ショーンさんも、英語の流暢さには定評がありました。たぶん英語を話している時は別人格になれて高揚感が得られるのでしょう。有能な自分に酔える瞬間です。英語と嘘の相性は良いのだと思います。




植物に知性はある。じゃあ三大欲求は?

先日、三大欲求について議論してる時、この本を教えてもらった。早速読みました。問答無用に面白い。TEDにも動画が有る。この本をベースに深堀していきたい。

 

■睡眠欲

動画でも本でも紹介されてる夜間に形を変える植物。確かに日光が無い夜に葉を広げておく必要はない。けど、これは寝てるのか? 結局、睡眠の定義で変わる。著者は「睡眠=夜中に形を変えること」に思える。マジ?これ。「夢を見る」「レム・ノンレム」まで話を広げるのは良くない。けど、動物はずっと光を与えていても寝るよね。植物はどうなの?オジギソウにずっと光を与えていても葉を閉じるタイミングがあれば「寝る」で納得。けど、そこまで書いてない。

 

えーここまで実験してよー

という気分。ウチの定義は「連続動作が止まった→休息欲」に近いかもね。植物だって成長して大きくなるのだから、その点は動作。ずっと動作してる中で一時的に止まるなら納得するけど。

 

■性欲

知性は「生きているあいだに生じるさまざまな問題を解決する能力」と定義すれば、植物にその能力がないと考える事自体にむりがある。(P.10) この知性の定義は凄く納得。本を読むと植物に知性があるのも納得。そして、性欲も同様なのだと。性欲をどう定義するかできまる。子孫を残すのは生物の本質のひとつ。複数の活動の選択肢の中で、好ましい活動を選ぶために報酬体系がある。その報酬体系を欲求と名づけ、子孫を残すための報酬を性欲と名づければ、植物にあって当然なんだね。そしたら無性生殖であっても、やっぱり性欲はあるのかもね。

 

問題は、僕らが思う性欲と植物が感じる性欲が多分違う事なんだと。

改めて考えると、

 

欲求=衝動=したい&ダメの葛藤

というメンタルモデルが自分の中にあることに気づいた。だから「葛藤」ですよ、旦那。晩秋に銀杏並木を歩く。銀杏の匂い。そこで葛藤を感じる?うーーん。。葛藤自体が「行動を抑える」部分があって、見ればプルプル震える眉毛や握りこぶしで分かるから。そんな意味では、この定義も動物寄りすぎるのか。。

 

ランの一種であるオフリス・アピフェの花はいくつかの非社会性のハチ目の雌の姿形を完璧に模倣できる。それだけではない。形だけでなく、組織の硬さ、体表面の様子(体を覆う短い軟毛も)、もちろんにおいまでそっくりまねをする。さらには、交尾の準備ができた雌のハチが作るフェロモンまで分泌するのだ。《略》雄バチは、この魅惑的な花の虜になり、花と交尾してしまうのだ。《略》まさに現実をしのぐほどリアルで、雄バチたちは、開花の時期にはこの花と交尾しようとする。すぐに近くに本物の雌バチがいるときでもだ。そして、夢中で交尾しているとき、突然、花の仕掛けが作動して、雄バチは頭から花粉をかぶせられる。P.151

スゲーなこれ。昆虫の性欲を擬態できるなら、昆虫の性欲が分かる→植物の中にも対比できる性欲がある、も納得かも。。

 

■食欲

以前にも書いた通り、植物にとっての光は食欲でOKだと思ったけど、この本を読むと根なんだね。栄養素を求めて伸びる方向が違う。確かにこちらの方が食欲っぽいかもー。

 

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全ては「動かない」を選択したこと。捕食者から逃げるのでなく、モジュール性にして80%食べられても生存できること。だからこそ機能特化した器官を作らない。これこそが植物の基本戦略の全て。おしべとめしべは機能特化した器官だけど、数の多さでカバーなのかな。自家受粉する植物でも雄の生殖器官と雌の生殖器官の成熟する時期をずらして、自家受粉を避ける仕組みがあるとはね。。初めて知った。「自家受粉とマスターベーションを比較しながらマスターベーションをするとぶっとんだ世界に行く」と書いてたのは「親指Pの修行時代」だっけ? ついそんなことを思い出してしまった。

 

ちなみにP148の「訪花の一定性」の大事さは良く分かるけど、そんなに仮説立てるの難しいの?単に同じ種類の花の蜜が掛け算になればいいのでは? と思ったけど。

 

高速の次元に生きるエイリアンの種族が地球にやってきたが、人間の動きをまったく感知できなかっために、人間は「自力で動こうとしない物質である」という論理的な結論をくだした。そして容赦なく人間から搾取した

という序文の引用に一番感動した。。「惑星スカロスの高速人間」というスター・トレックの初期のエピソードらしい。若いときにこういう思考実験というか知識を持っていると、世界を見る眼が変わるかもね。。もしかしたら、植物だけでなく岩も生きているのかもしれん。そんなことを思った今日この頃

 

 




神社は《お願い事》をする場所ではない

2019年1月3日。

初詣も済ませて家でゆっくりTVを見てる人も多いと思う。私も色々とやることがたまっているのについつい隣の部屋のTVをチラチラみてます。ここんとこずっと毎年「芸能人格付けチェック」を見てます。ワインでも肉でも5000円を越すと差が殆どなくなる。もちろん新鮮さがウリの刺身とかは別。昔、本当に旨い肉のために銀座のうかい亭に行ったのにドヤ顔でホタテを出してきてショック。高級料亭ならば雄勝のホタテ以外で自慢しちゃだめ。あの番組を見てると「どんな物事にも上限がある」と実感できて良いね。音系は二順目の方が2組の演奏者がお互いを意識するから難しくなる。盆栽は無理。あの距離からじゃ絶対に区別できない。今年はGacktも外れてたと告白ニュースになっていたが、さもありなん。

 

いまは「プレバト」をちらちら見てます。俳句コーナーは面白いねぇ。日本文化の勉強になる。ずっと和歌には興味あったけど、あの添削を見ていると俳句の良さも感じた。ずっと第二芸術論に同意してたけど、添削前と添削後、順位毎のレベル差は明確にあった。東大王の鈴木光は凄い。たとえそれが「お勉強」じゃなくても、頭を使うジャンルで過去問もあれば、ばっちり仕上げてくるというべきか。さすが東大生というオーラは感じた。梅沢氏にも勝って素晴らしい限り。けど、あの場で誰も指摘しなかったけど、根本的に間違っている。というよりも、今の日本の常識が間違っている。山岳系パワースポットを突き詰めて新しい修験道を模索する身として、俳句としては非の打ち所がないからこそちゃんと書いておこうと思った。

 

 

神社は《お願い事》をする場所ではない。

パワースポットにハマっていることは会社の同僚も知っているから、飲み会とかで話題をふられる事もある。最初の定番ネタは浮世絵=安藤広重が東京スカイツリーを描いてた これはその場で画像検索して皆が驚く。ムーの記事=初級レベルな人は全員知ってるネタだが掴みには良い。どんなにマイナーなジャンルにはまっていても飲み会のネタは社会で生きていくためには必須。スカイツリーについては龍脈が悪くなったのか/良くなったのか、それは自分のレベルでは分からない。。個人的には武蔵小杉も気になっている。あの高層ビル群は遠くから見ると丘のよう。ここにも地形を変えるという意志を感じる。確かに大倉山、綱島、日吉、対岸には奥沢とそれぞれ丘があるから、小杉にも欲しかったのかもね。

 

「じゃあ神社は何するところなの?」

「感謝。初詣もそう。昨年は家族全員が無病息災で、、、と感謝する場所」

昔の日本はお願いをするならば、褌で水をかぶったり、断酒をしたりと、少なくとも何かを差し出していた。それがお賽銭のつもりなのかもしれないけど、5円10円〜千円は釣り合わないでしょう。もちろん大切なのはお金の大小ではない。生活習慣を変えること。

 

じゃあお賽銭に意味無いかって、そんなワケない。神社の維持管理のため必須。とくに年末年始は年に一度のお参りの人も多いから、駐車場を別に用意したり道路に誘導する人が立ったり。こういう人を雇うのためにも。

 

パワースポットとして神社仏閣に訪れる人も多いけど、オーブ撮れないぐらいじゃ観光と同じだし、健康・安全であってもお願いしてる限りダメ。せめて「前向きに取り組んでいるので見守っていてください」じゃないと。こういう分かっていたらあの句にはならない。美人で頭も良くてあれだけテレビ出てれば下手なアイドルよりもファンも多いのだろう。逆さにしてもアナウンサーにはなれると思っていそう。その未来像は否定しないけど、だからこそ早めにこういうことに気づいた方がいいと思う。その上でもっと掘り下げる。

 

金運に関するお願いは一番レベルが低い

お金を手に入れて何したいの? 美味しいもの食べたいならそう祈ればいい。世界中を観光したいならそう祈ればいい。高額医療してでも治したい病気等があるなら健康的な生活を祈ればいい。家業の継続ならばそれを祈ればいい。お金は何にでもつかえるけど、だからこそ欲しいものがお金どまりの人は本当に欲しいものが分かってない。根本的に金運アップを売りにする神社こそ一番邪気(=欲望の淀み)が多い。これが事実です。ここまで気づいて、かつアウトドア派の人はパワースポットでも自然中心になるし、いつか冬山に行き着くと思うよ。厳粛さでは類を見ないから。

 

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今年の初詣は神奈川の大雄山最乗寺。さすが天狗。素晴らしい天狗の像が多くて大満足。なのでその写真を置いておきます。高尾山も天狗だし、あの山並み全部が天狗を祭ってる。そしてあの山々を真に統括しているのは八菅神社。八菅神社のことを知っていたら少なくともムーのレベルではない。行けば分かる。ムーでも絶賛の幣立神宮と同じ気に満ちた神社だから。

 

本当に大事な神社は隠されている。願い事のために神社に来る人が多くなればなるほど気が淀むから。そういう意味では最寄り駅からガンガンに臨時バスが出ている状態だったけど、それでも大雄山最乗寺は楽しめました。本当に気に入ったらそのまま奥の道を登って明神ガ岳にも行くべきだが、、、この名前ならば統括しているのは穂高山塊の明神岳でしょう。明神岳という名前では最高峰だから。けど、一般登山の対象では無いので、私のレベルでは絶対に無理ですが、いつか行かなくちゃいけないのかも。。

 




白峰三山の盟主は「間ノ岳」


今年も白峰三山に行った。2011年から毎年行って8回目。けど、天候やメンバーの兼ね合いで北岳だけのときも多い。間ノ岳・農鳥岳まで行ったのは4回目。今回の間ノ岳頂上で三角点の名前が「相ノ岳」になっていることに気づいた。百名山を選んだ深田久弥も著書で熱く語っている。「この名前はこの山に相応しくない。そもそも春の雪形が鳥に見えるのは農鳥岳だけでなく間ノ岳も一緒」だと。

 

4回目にして頂上で30分ぐらい過ごしながら夕日を眺める。

こういう時に答えは降りてくる。白峰三山を統括しているのは間ノ岳。

毎年登るべきだったのは北岳でなく間ノ岳なのだと。

 

確かに北岳は3193mで間ノ岳は3190m。けど、wikipediaにもあるように間ノ岳はもっと高い時期があった。富士山は山の中では新しい山なので、過去のある時点(最終氷河期)において日本の最高峰は間ノ岳。山体を見れば誰だって分かる。北岳と穂高は原理的にあれ以上高くならない。間ノ岳は頂上が「丘」というぐらい、どこでも山小屋つくれるぐらいにい広いから。なのにこんなテキトーな名前はオカシイ。それは以前からずっと思っていた。

 

白峰三山の次の週、木喰展に行く途中の道の駅「とよとみ」で地元の銘酒を見つけた。登山に行ったらそこの水で仕込んだ日本酒を買うのが楽しみだけど、白峰三山でやっとやっと見つけた。飲みながらよくよく見ると、このラベルは北岳じゃなくて間ノ岳じゃん。確かに小さい字で「北岳からみた間ノ岳」と書いてある。きたよ、当たり判定。

 

そういえばGoogleマップに載ったのも北岳は広河原農鳥岳は農鳥小屋の先、けど間ノ岳は頂上だった。あの時、気づくべきだったね。そしたら、ずっと間ノ岳メインで行っていたのに。。高さと名前に惑わされてた。去年だって台風後の氷点下の風が寒すぎて北岳のみの登山だったけど、知っていれば顔にフリース巻いてでも行ったぞ。

 

穂高・槍でなく白峰三山を選ぶ時点で変わってる。その上で、北岳でなく間ノ岳。変人二乗ぐらいになっているけど、己の中には道理がある。こうやってハマっていく。他人からはドツボに見える場所まで(笑 そんなの気にせず掘り下げる。間ノ岳という名前は仮。真の名前はちゃんと別にあるハズ。それを見つける事ができれば本当の山開き。ここまで書いてインスピレーション。このお酒の通りだよ。『大冠山』もしくは『白冠山』だね。冠という字は必須。あの3つの山は遠くからみれば冠に見えるから。両側が北岳と南岳なのだろう。他の山で冠という字を使ってないのも大事な点。お酒は「太」という字だが、「大」か「白」な気がする。ここら辺はまだ確信がもてない。冬季登山しないと判断できないかもね。結構ハードでびびってます。。この酒倉には何か言い伝えが残っているのかもね。

 

 

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木喰展で身延まで行けば、当然足を伸ばして奈良田に行く。2013年に縦走したときの終着点だけど、あの時は温泉の凄さも孝謙天皇の伝説も知らなかった。奈良田のすぐ手前に世界最古の温泉旅館として有名な西川温泉の慶雲館があるんだね。車で前を走りながらびびった。あのサイズの旅館で部屋数が35室ってありえない。そして藤原鎌足の息子が見つけたというならば、孝謙天皇の伝説は正しいよ。撮れた赤いオーブが答え。レンズが汚れているとか言う人もいるけど、ならば2枚連続で形が変わらない。。このレベルぐらいが間ノ岳の頂上で撮れるようにならないとね。そりゃもちろん今年も北岳山荘に行く途中で撮れたけど、何かが違うから。おっと、最後に大事な情報。奈良田温泉の秘密は尿素だね。肌クリームでは必須成分。あの温泉の良さは溶けてる尿素につきる。




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